老い烏

様々な事どもを、しつこく探求したい

18 補論3  スピノザ

2014-11-04 21:58:09 | 「ファウスト」を読む

      スピノザ

  ここでゲーテと離れてスピノザについて書く。この哲学者を凡人の筆者が理解できるか?といえば、それは不可能であると言わざるを得ない。1000分の一も理解してはいないだろう。スピノザの「エチカ」を始めとする著作を「哲学的」に筆者が論じるのは不可能だが、筆者理解によれば、スピノザの哲学は大きく三つに分けられるだろう。その一は新しい「神概念」の創造。第二はこの確認された「神概念」から生じる「人は如何に生きるべきか」の倫理問題(エチカ)、そして、そうした人間が構成する社会・国家のあり方も彼の思索にとって重要であった(「国家論」岩波文庫。および「神学・政治論」岩波文庫)。スピノザ理解に必要なのは、エチカの理解であろうが、彼をここまで理解するのは筆者には困難であるし、また本論となる「ファウスト論」からも外れてしまう。従って、以下は「哲学」としてでなく「文学的」に詩劇ファウストに沿って考える。

  彼の数学(幾何学)的な論理展開は、形而上学や西洋哲学の語彙に疎いものには理解し難い。しかし、スピノザが「エチカ」で展開する「神について」の幾何学的論理による論証は実に見事に感じられる。彼の「神について」の結論は、定理11以下「神、あるいはおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体は、必然的に存在する」。この「神=実体」概念は一般に考えられている「神」概念とは異なる。この為に彼は無神論者として悪罵の対象となる。一般的な宗教による「神概念」は人間の陥りやすい偏見(prejudices,)よる、とスピノザは主張する。細かくは第一部「神について」の付録(畑中尚志訳「エチカ」、岩波文庫、上、96頁以下)や「神学・政治論」(畑中訳岩波文庫上・下、2012)に詳述されている。極めて興味深い考察で、筆者のような「無神論者」には納得できるものだ。

   偏見(prejudices,)という用語は、主著エチカを含み、その他の著書には見られない。尤も近い概念として、受動的認識「想像智(イマギナチオ)=感覚的認識=経験的認識」を意味するか?対する能動的認識は理性智=共通概念=普遍的認識であり、何となく理解できる。その上位の認識として、スピノザでは直観智が考えられている。直観智は「神のいくつかの属性の形相的本質についての十全な認識から、ものの本質の十全な認識に進むもの(定理40の注解)」だそうだが、筆者には正直言って理解不能だ。

 「付録」(webで英・独語で利用可能)に於いて彼は書く。「神の本性を示し、その諸特徴を説明した。即ち・・(以下略)・・・・」。「私は機会あるごとに、私の証明の理解を妨げるような諸偏見を取り除こうと努力してきた」。「全ての偏見は次の一偏見に由来している。・・・人々は全ての自然物が、自分たちと同じく目的の為に働いていると想定していること、のみならず、人々は神自身が総てをある一定の目的に従って導いていると確信している(「神は総てのものを人間の為に作り、神を尊敬させる為に人間を作った」などと)。この理由として彼は二つ挙げる。

  一は「総ての人間は、生まれつき物の原因を知らないこと。自己の利益を求めようとするを有し、かつこれを意識していること」。これにより「第一に人間は自分を自由であると思う。

 第二に人間は万事を目的の為に、彼らの欲求する利益の為に行う」。為に「人間は、総ての自然物を自分の利益の手段と見るようになった」。「一度、物を手段と見てからは、それをひとりでに出来たと信じられないので、平素自分自身に手段を供給する場合から推し量り、人間的な自由を付与された自然の支配者が存在していて、これが彼らのために総てを熟慮し、彼らの使用の為に総てを作ったと結論した(創造神、あるいは創造神話・・・筆者理解)」。「(人は)この支配者の性情について知らなかったので、自分の性情に基づいて判断した(人格神の創造)」。結果として各人は、「神が自分を他の人以上に寵愛し、全自然を自分の盲目的欲望と飽くなき貪欲の用に向けてくれるように、敬神の様々な様式を自分の性情に基づいて案出した(宗教儀礼の発生)」。「彼ら(神学者たち)は、自然と神々とが人間と同様に狂っている事を示したに過ぎない。見るがいい、事態は終に如何なる結末になったかを!自然に於ける多くの有用物に混じって、少なからぬ有害物を、例えは暴風雨・地震・病気(そして戦争―-筆者)などを、彼らは発見しなければならなかった。そこでこうした事柄は神々〈彼らが自分たちと同種のものと判断しているような〉が、人間の加えた侮辱ゆえに、あるいは敬神に際して人間の犯した過失ゆえに怒ったからだと信じた」。「そして日常の経験は、これに反して、有用物ならびに有害物が、敬虔者にも不敬虔者にも差別無く起こることを無数の例を持って示すのであるが、(人間は)昔ながらの偏見から脱することをしなかった。・・・・・・生まれながらの無知状態を維持するほうが、前述の組織全体を破壊して、新しい組織を案出するよりも容易だったからだ」。「諸奇蹟の真因を探求する者、また自然物を愚者として驚嘆する代わりに、学者として理解しようと努める者は、一般から異端者、不敬虔者とみなされ、民衆が自然ならびに神々の代弁者として崇める人々(司祭や神学者―筆者)から罵倒されることになる。何故なら、神の代弁者と崇められる人々は、無知〈あるいは愚鈍〉が無くなれば、驚き、すなわち自己の権威を証明し、維持する為の唯一の手掛りもなくなることを知っている」。

  さらに彼は「第三の事柄」に移る。「(人々は)最も(自分にとって・・・筆者)重要な点を重要事と判断し、最も快く刺激する物を最も価値ある物と評価する。ここから物の本性を説明するために、善・悪、秩序・混乱,暖・寒、美・醜のような概念を構成しなければならなかった。又、彼らは、自分を自由であると思うが故に、賞賛と非難、罪科と功績のような概念が生じた」。「即ち、健康と敬神とに役立つ一切の事を、人々はと呼び、これに反することをと呼んだ」。「(我々が)容易に表象し得る物は、他の (困難な)表象より快いから、人々は混乱よりも秩序を選び取るのである」。「彼らは神が一切を秩序的に創造したと言う」。「彼らは総ての物が自分の為に造られていると信じ、そして或る物から刺激される具合に応じて、その物の本性を善あるいは悪、または健全または頽廃および腐敗というからである」。

 上記のスピノザの「エチカ」第一部の付録での議論は、そのまま、「対話」でのゲーテの言に重なる。再度記せば「自然は永遠の、必然的な、神自身でさえ何ら変更できない神的な法則に従って働いている。これについては全ての人間が、意識することなく、完全に一致している」。ゲーテは「統べての人間が意識することなく完全に一致している」と書く。意識をしていないが意識下ではそう感じていると詩人は理解している。

  エチカ第一部「神について」は定義と公理、それから導き出される定理で作られる。こうした幾何学の形式をスピノザが採用したのは、ユークッリド幾何学に人々は反論できないように、幾何学的に表現(証明)された神を否定できない。従って人々は諸偏見から離れて、スピノザの定義する「神」を受け入れる、と考えたからではないか。ただしエチカ本論は極めて抑制の執れた「冷静」な文章であるに比し、上記の如く付録(Appendictus)の文章は、俗人(神学者や一般人)にも十分に理解可能であり、彼らを激怒させる「挑発的」な文章が続く。彼は理解していたろう。この文章により、彼は「無神論者」、「反教会」、「反キリスト的」との悪罵が湧き出すのを。そして「エチカ」は禁書となるだろうことも。

 スピノザによれば、定義と公理から導き出される定理として確認される「神」は、その普遍性と永遠性により「自然」(もしくは宇宙)とも言い換えうる。従って彼の考え(神=自然=実体)は無神論あるいは汎神論として非難の対象となり、ゲーテが書き記すように「間、神と世界をないがしろにする人と考えられがちである、いや、全てが悪魔(!)の角と爪の仕業のように言いふらされる恐れすらないではない」。ゲーテはこの恐れ(スピノザ主義者、汎神論者、無神論者との非難)を十分に知っていた。だから彼は「死(1832年)後」に詩劇ファウスト第二部を出版した、と考えられる。またファウスト第二部は多くの人には理解されないだろう、とも考えていた。

 浅薄な筆者の理解では、デカルト(イエズス会の学校で学んだ)が宗教(神の存在)をアプリオリに前提とするのに対し、スピノザは論証をもって(客観的に)、アポステリオに世に言う「(啓示)宗教(神)」の本質を明らかにしたと感じる。当時はデカルト主義者も「無神論者」としての非難に曝されていた。自分たちへのカルヴィニスト(清教徒)達からの攻撃を回避する為に、反スピノザの合唱に加わったという。

  宗教に囚われたヨーロッパだけでなく、「日本教」という不可思議な概念に取り込まれていながら、異議を封殺される現代日本の言い知れない窒息感を、改めて強く感じざるを得ない。

       ユダヤ教会破門とスピノザ

  スピノザはもともとオランダの裕福なポルトガル系ユダヤ人の子として生まれ、その才能は早くから注目されており、ユダヤ教徒の希望の星でもあった。そんな若きスピノザ23歳の時(1656年)に彼はユダヤ教会から大破門された。破門には大・中・小があり、中小の破門は懺悔により、再度ユダヤ教会とユダヤ社会に迎え入れが可能であった。一種の再教育の機会でもあった。これに対し大破門は一切が否定され呪われる。ユダヤ教会と社会との完全な断絶を意味する。

  破門状には「呪いの言葉」があった。その有名な呪いは「彼は昼に呪われよ、夜に呪われよ、寝る時に呪われよ、起きる時に呪われよ、外出する時に呪われよ、帰宅する時に呪われよ。神が彼を許し給わざらん事を。神の怒りと憤りがこの者に向かって燃え,律法書に記されているあらゆる呪詛が彼の頭上に下さらん事を」と書かれている。この破門の理由については彼の死後に様々な探索が行われたが、未だに謎とされている。通常は彼の無神論あるいはキリスト教的解釈とユダヤ教との衝突の結果による破門とする説だ。これによれば23才のスピノザは、後の「神学・政治論」や「エチカ」で展開される宗教論を既に哲学的結論としていたので、破門は彼にとって予想された(覚悟した)出来事であるとする。ちなみに彼はユダヤ教徒して抹殺されたが、キリスト教徒となることもなく、新旧のどの教派にも所属する事はなかった。

  破門によってスピノザ哲学が「エチカ」への方向性を得た(論理的宗教と倫理的実践)とする議論もある。この主張には清水礼子氏の「破門の哲学」(みすず書房、1978年)がある。この主張には興味深い点もあるが論拠に乏しい。特に同書出版時には既にリュカス/コレルス「スピノザの生涯と精神」は翻訳されていた(渡辺義男訳、1996年再刊,学樹社)。同書を読めば氏の主張は受け入れ難い。スピノザの「破門」について詳細に記しているのは、英語文献として1932年に出版された「レンブラントの生涯と時代」(ヴァン・ローン著。著者9代の子孫による英語訳)であろう。(但し本書の原本は明らかにされていない。資料的正確さを確認することは筆者には不可能だ。ただ極めて合理的にスピノザを理解できる。その意味で信頼できると考える。所謂スピノザ関連の原本ともいえる1899年刊のフロイデンタールの著書“Die Lebensgeschihte Spinozas in Quellenschriften und nichtamtlichen Nachrichten”に触れられているが、細かに検討はされていない、という―――上記渡辺訳)。ローンは1600年に生まで若きスピノザにしばしば会い、30歳の年の差を越えて親しく交際していた人物だ。とくに「破門」前後のスピノザを誰よりも良く知っていた一人でもあった。何故スピノザは「破門」の道を辿ったか、それにどのように反応したのか。何が生じたのか、について他の誰よりも細かく報告している。同時代のスピノザを知っていた人物の、直接情報として貴重ではある(上記の原本が真実なら)。彼が記したのは友人であった偉大な画家レンブラントについてであってスピノザではない。したがってスピノザの弟子のイエレスやリュカスなどのスピノザ賛美者が陥りやすい過剰な思い入れはない。逆のコルトホルトやコレルスなど反スピノザ主義者の粗探しの偏向も無いから、叙述には客観性があり信用できる、と考える。(上記渡辺訳書。ただし本書は再版で、ローンのスピノザ関連部分は1996年版に追加された)。 

  「破門の哲学」の清水氏は1930年に出版された英語文書を読んでいるべきだった。氏は「少しずつ触れているので、こうした話そのものに果たしてどの程度の根拠があるのか、それは勿論不明である」と資料的価値に疑問を呈する。しかし氏の主張を真っ向から否定する論文なのだから、資料的意義を十分検討されるべきであった。氏は同書の存在は知っていても読んではいなかったか、氏には都合が悪い部分が多かったから、敢えて無視したのか?それとも哲学に「実証は不要」と考えているのか?「どの程度の根拠があるのか、それは勿論不明である」などと切り捨てるべきではない。根拠への疑問を書く前に、氏が「根拠」を検討したか否かを記すべきだった。少なくとも、当時のスピノザ学の泰斗である東北大学教授渡辺義男氏に、ローン文献の資料的意味を問い合わせるべきだった。東大哲学科は東北大哲学科と関係を持ちたくなかったのか?氏の指導教官は助言するべきだった。

  そもそもスピノザを論じるに「破門問題」などは大きな問題ではない。彼の受けた「大破門」の文言は、ユダヤ教の異様さを示す「呪い」の言葉として、現代人にとって、特に日本人にとってショックであるかもしれないが、彼の「哲学」からすれば大きな問題ではない。ただ清水氏のみが「大破門」を重大だと考え、その上に氏の「初期」スピノザ理解を組み立てているに過ぎないのだ。では何故、筆者が清水論文に拘るかと言えば、同じ事を柴田氏が疑問なく行っているからだ。柴田氏のファウスト論は先人の業績を検討することなく、またゲーテの他の著作を考慮することなく行われている。恐らく氏は「私は『詩と真実』や『対話』の専門家ではない。ファウストの『専門家』」だとして、他の訳されたゲーテの作品(「詩と真実」や「対話」)を無視しているのだろう。氏がハッキリと書くのは「親和力」(氏はこれを訳している)だけになる。「親和力」は彼の「分野」だ。したがって他の学者は取り上げない。この「専門馬鹿(ワグナー)的」の思考法を、ゲーテとファウストにそのまま適用するから、真のファウスト像やゲーテ像が画けなくなる。挙句の果ては恩寵や救済、信仰や宇宙空間、地霊空間だの「循環する時間」などの、自ら作り出した「概念」をやたらと振り回すことになる。

  詩劇ハムレットについての古田島氏についても全く同様の指摘が可能なのも残念な事だ。同様な「専門家思考」が清水氏の「破門の哲学」に認められる。狭い学問領域では学者同志は互いに「迷惑」となる言葉を避けるのが生きる為には必要なのだ。これは今日本の殆どの領域で起きている事だ。

 詩劇ファウストを読む事は、ヨーロッパ近代(その基礎となる古代ギリシャ・ローマ)への様々な思考への、豊かな入り口と考える。詩劇ファウストだけの解釈ではゲーテの豊かさを理解できない。この発想なくして「地霊空間」や「天上空間」、あるいは「永遠」「宇宙」「時間」「恩寵」「救済」などの概念を持ち出してきても、それは訳者の一人よがり、大学教授の「権威」による独りよがりの強制となる。詩劇ファウストは他の膨大なゲーテの作品、さらにそれを超える西欧世界に少しでも近づこうする試みのなかでしか理解はできない筈だ。それへの畏敬に充ちた態度こそ、訳者、解説者そして読者の基本的姿勢でなければならないだろう。