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性善説

2020-10-30 16:18:00 | 日記
こんにちは。

性善説において「人間は『善』の心を持って生まれてくる生き物」と言われています。

それが人間の本性であり、誰もが優しさを持っている、という解釈で良いでしょうか。

逆に性悪説もありますが、今回は触れません。



実際、万引きをした中学生も「良心が痛む」と思っていたり、嫌いな人間を殺した加害者も「いつか和解できたかもしれないのに」なんて考えたりするものです。多分。←

「善」の心があっても「悪」に走るのもまた、人間なのでしょう。




「良い人」とは何なのか?
小学生の頃、道徳の授業で考えたことがあります。

僕にも良心はありますが、「良い人」ではないと思ってます。

誰もが人を傷付けたり、誰かに迷惑をかけたり、そうやって生きてます。
そこに気付くことすら無く、ヘラヘラして生きてる人も多いと思います。
そのくせ自分が傷付いた時は落ち込み、怒り、何かにぶつけようとする。

このパターンはまだ良いのかもしれません。
一生残る「傷」になるかもしれませんが、「自分が傷付いた」のなら傷の重さも分かるし、他人に優しくなれるかもしれません。

僕はよく「どうしてあんな事をしてしまったのだろう」と思います。
「どうしてあんな事を言ってしまったのだろう」と考えます。
何気ない一言に他人が傷付くことは分かってました。
考え過ぎて逆に変なことを言ってしまう。
そもそも基準を「自分」にできないから、何を言っても傷付ける可能性がある。

そうやって出した答えが、いつも「ハズレ」なのです。「あんなこと言わなきゃ良かった」なんて思うこと、何度もあります。

外面じゃ決して分からない、自己嫌悪や悩みの日々。
せめて僕は理解してあげたいって思うので、何があっても頭ごなしに他人を悪く言うことは避けようって思ってます。


僕は「良い人」ではない。
「良い人のフリをする悪人」、そんな感覚です。

生まれつき、人間には「善」の心があるという性善説。
これが本当だとしても、僕は「善の心を持った悪人」なんだと思います。

法的に罪として訴えられなくても、誰もが他人を傷付けたり、不快な気持ちにさせる。

その人たちを「悪人」と呼ぶつもりはありません。

気付いても直せない、まるで生まれつきの病気のように付きまとう「何か」。

その「何か」に操られているように、裁きのない罪を重ねて生きるのも人間で。

僕は1歩先を生きているように、上から目線で語る「悪人」です。
本当は周りと同じか、それ以下なのにね。