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07年1月近江鉄道と名古屋の旅(その7・信楽事故と近江鉄道完乗へ)

その6から続く

さて信楽駅に戻り、貴生川から近江鉄道経由で名古屋に戻るとします。



信楽駅の売店ではお菓子など普通のお土産品のほかに、信楽焼も売っていて「たぬき」や「ふくろう」「無事にカエル」という事で縁起物であるカエルの置物、食器などが売られています。
以前訪問時の我々のように、来た列車の折り返しでそのまま戻るような時も、急げば信楽焼きを買うことが出来ます。
ちなみに以前のときはママが食器を買ってました





信楽駅内にある事故車両の部品などを展示しているコーナー

さて信楽高原鉄道を語る上で避けて通れないのが、91年3月に発生した列車衝突事故です。
当時信楽で開かれていた陶芸祭の観客輸送の為のJR線から直通で来たキハ58系3両の信楽行臨時列車と、信楽発の4両の高原鉄道列車が小野谷信号所~紫香楽宮跡駅間で正面衝突し、42名が死亡・614名が重軽傷を負うという大惨事でした。
キハ58の臨時列車の方は、当時の報道によると「2人がけの席に3人で座る」ほどの大混雑で、途中駅では乗車出来なかった人もいたぐらいの超満員だったのも、被害が大きくなった一因と聞きます。
当時のテレビ報道等では、連日のように正面衝突し、まるで鉄道模型の車両を踏み潰したのかのように、原型を留めないまでに変形した車両の空撮映像が放映され衝撃的でした。

事故の直接的な原因は「上りの信楽高原鉄道列車」を赤のまま変わらない信号を横目に、無理やり発車させたことですが、その理由としてこの日運輸省職員が視察で来るので「迎えが遅れてはいかん」と焦っていたのでは?という説も当時聞いたものです。しかし11日前にも同じように「赤信号」で発車させても事故には至らなかった。という過去の経験からくる過信もあったのかもしれません。
また当時、JR列車の運転士が、青信号だったとはいえ小野谷信号所で対向列車がいなかったのだから、停止していれば事故は防げたのでは?という論調や、それに対し「鉄道の運転士は青信号が出ていれば走行するのは当たり前」という反論も聞かれましたが、結果的には最後の頼みの糸(綱というには細すぎる)も切れてしまいました。
当時のJR四国社長はその頃行われた講演で
「うちの会社なら、本数も多くダイヤが複雑なので、行き違い箇所で青信号でも発車させなかったら、ダイヤが大混乱する」のような話をしていました。

その後の調査などで、信楽駅で信号が変わらなくなった理由として「JR西日本側で信号設備を工事し、運輸省へも届けていなかった」事が明らかになり、JR西日本の責任が追求され法廷で争われた結果、事故から11年後の02年にJR西日本の過失が公的に確定しました。




事故を教訓としてその後の増備車両は乗客の安全性を向上した車両となったそうです。
安全性向上策の中にはその中には「椅子のとって」金属製をから樹脂製にするなどの地味なものも。
全国の鉄道が事故の教訓を生かした設計の車両を導入して再発防止に努めなくてはならないでしょう。

5~6年前だったか、ある鉄道サイトの掲示板で関西在住の方が
「高速で快適な新快速などJR西日本を賞賛する声」が高い中、
「JR西日本を賞賛する人が多いが、アーバンネットワークを外れれば酷いものだし、信楽事故の責任もある。アーバン地区でも慢性的な遅延や折り返し時間の短い無理なダイヤなど、トラブルも多く褒められたものではない」
というような発言をしていたのを覚えています。しかし05年の尼崎事故まで、社会派鉄道誌を標榜している「鉄道ジャーナル誌」でも基本的には好意的な記事が中心であり、基本的にJR西日本への批判的な意見は鉄道趣味界において主要な潮流ではなかったと記憶しています。


信楽事故で大きく変形した事故車両の衝撃的な空撮映像。
結果的に別の車両の似た映像を14年後再び目にすることになりました。
しかも再びJR西日本です。

以前国府津駅の1番線ホーム脇に、駅や運転所職員有志により「信楽高原鉄道事故の再発防止」を祈願して信楽焼きのカエルが置かれていましたが、その後盗難に遭い姿を消してしまいました。
安全あっての鉄道というのは大原則であり、安全性よりも効率化や営利追求を重視する企業には鉄道事業を行う資格はありません。国府津駅に置かれたカエルは、少なくても現場の職員の安全運行最優先の姿勢の現れであると、思いたいものです。


さて貴生川行の上り列車は2両で到着して1両切り離して1両で出発です。



これが小野谷信号所。事故以来再び使用されることなく今に至っています。
そのため、配線的には信楽駅が相対式ホームで2線あるだけで、他の駅は行き違いの出来ない棒駅(貴生川も実質1線)です。全線で片道所要約25分+折り返し時間を考慮すると、今の概ね1時間間隔のダイヤから増発など大きな変更が難しい状態です。

ちなみに事故現場付近では車窓から慰霊碑を見ることが出来ました。
さて来た時とは逆ルートで、貴生川で近江鉄道に乗り換えです。



ダイドーの広告カラーの列車。
車両運用の関係からか日野で乗り換えです。
眠くて眠くて座ったら発車前から寝てしまい、気がついたら終点の日野でした。



日野では八日市行に乗り換え。
今度の列車は小型な電車の単行です。
これも元西武の通勤車を自社工場で、車体をカットし短くして両端に運転台を付けたという変り種?電車です。
BトレインショーティやチョロQをイメージする容姿ですね。

乗り換えたらすぐに寝てしまい、往路で途中下車した朝日大塚駅も寝ながら通過。
終点の八日市で今度は米原行きに乗り換えです。

八日市から米原方面はこの乗車が始めての区間なので、寝ていける区間も終了。
運転席の後ろで配線を見ながら行くとしますが、薄暗くなってきて、配線を控えるには厳しくなってきました。

八日市から2つ目の五箇荘駅を出てしばし走ると横に新幹線の築堤が併走する長い直線区間になります。
新幹線が開業する時に、近江鉄道が「伊吹山の眺望が阻害される」として国鉄に補償金の支払いを求め、実際に一定の金額が支払われた。
という話を書物で読んだことがありますが、実際には
「踏み切りの見通しが悪くなるので自動化するための費用」
というのが真相だそうで、眺望といっても山ではなく踏切の眺望の問題だった模様。

実際に前面展望を見ていると、線路の本当に真横に新幹線の築堤があり、「築堤をくぐる小トンネルをでるとすぐ踏切」なので、踏切を通行する車や人からは列車の接近が分かりづらく、列車からも踏切の安全確認が難しそうでなのが想像できます。警報機や遮断機のある自動踏切でないと危険でしょう。
どうせなら補償金で「踏切を自動化」。ではなく近江鉄道側も新幹線と同じ高さの築堤になっていれば、京都~新大阪間の阪急と新幹線の併走区間のように、両者が並んで走る事になれば、名物区間となり並び写真などが楽しめたのですが・・・・少々残念です。

愛知川(えちがわ)という駅が途中にあるも、読みが「あい」ではないので、今回はパス。
小学校の校舎建替え・保存問題で一時話題になった豊郷町の「豊郷」という駅があって、「へぇ~こんなところだったんだ」とか思いつつ、新幹線と別れ高宮駅に。
貴生川から70分ほどですが、半分以上の区間は寝ていたので長く乗った気がしないです。

高宮からは多賀大社までの支線(といっても1駅だけ)が分岐しているので、乗り換えの為に一旦下車するとします。



高宮~多賀大社の折り返し電車は、「おーいお茶塗装」の小型電車の単行。
高宮駅は扇形でミニミニミニ千葉駅というかミニ笠松かといった感じ。多賀線のホームの先には留置線が何本もあり、古そうなホッパー車のような貨車が並んでいます。
往時は貨物輸送で賑わったのでしょうか。

途中に駅があってもいいのに?と思うぐらいの長い駅間(実際は2.5キロとのこと)を単線で走り抜けて多賀大社駅に到着です。



櫛型ホームで2線ありますが、なんか変則的な配置です。
駅名が示すように「多賀大社」という有名な神社があるそうで、訪問したいところですが既に17時半過ぎで真っ暗。時間もないので今回は諦めて、乗ってきた電車の折り返しで多賀に戻ります。
当初、先に多賀大社を訪問する行程も考えたのですが、そうなると信楽での時間がなくなってしまうので断念しました。再訪に期待です。
ちなみに名神多賀バス停へも歩けるらしいので、次回は名神高速バスと組み合わせるのも面白いかもですね。

多賀からは再び米原行きに乗車。なんと午前中に乗った「あかね号」に再び再会です。
配線を調べようにも既に真っ暗。運転席後ろのブラインドは下ろされ、唯一開いている一番右の窓は多賀大社から乗ってきた地元の高校生氏が前面展望を見ているので、私はその後ろから前面展望を覗くも良く見えません
彦根で高校生氏が下車して前面に張り付くものの、車庫があり配線が複雑なので全然書ききれない状態です。

ここからは米原までは2004年に乗車して以来2度目の区間ですが、今回は日も暮れて既に真っ暗。
鳥居本を出ると、ライトアップされキラキラ光るフジテックの塔(エレベータの研究等だそうな)を正面に見ながら、フジテック前駅に。「前」とはいえ、駅と施設の間には田んぼがあり結構離れている様子(後で地図を見たら約500mありました)
前回はなかった新設駅です。
少し走ると工事中の新線と別れて米原駅に到着です。新線の工事もだいぶ進んでいるので次回来る時は新線に切り替わり、米原の駅も新しくなっていることでしょう。

この辺りは一部その3の記事も参照願います。米原駅付近は6月に新線に移設されたとのことです

米原駅はJR線や新幹線乗換えの主要駅と思いきゃ夜間無人駅のようで、運転士にフリーきっぷを提示して降りました。
ということで、ようやく全線乗車を達成しました。長かった・・・・

近江鉄道は走っている電車は西武鉄道の中古車ですが、「あかね号」や小型電車など原型が分からないほどまでに改造された車両をはじめ、主力のあまり改造されていない電車も、細かい特徴があったりと差異が楽しめます。
また途中折り返し列車も多く運用も複雑そうな上に、支線や今回は乗れなかったものの数少ない快速列車ももあるなど、ダイヤ面でも深く調べると面白そう。
と意外に奥が深そうな路線です。

残念ながら配線はすべては調べられませんでしたが、「mixiの鉄道路線配線図が好きコミュ」にて、かわた氏が近江鉄道全線の配線を調査し、掲載していただいたので「シミュてつ」のマップを作ったら面白そうかも?と思ったり。でもダイヤを引くのがタイヘンそうだけど・・・
次の機会に再訪したいものですね。

<次回に続く>

*****
参考サイト
京都新聞ー赤信号で走った列車<リポート・信楽高原鉄道事故の真相>
wikiぺディアー信楽高原鉄道列車衝突事故

07/11/26 2:25UP
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