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07年3月九州の旅(その9・原城~島原に)

その8から続く

再び原城から諫早行きの列車に乗り島原を目指します。
車両はまたまた新型気動車の1両編成。最前部に乗って配線を調べるのですが、さすがにずっと立ってるのも疲れて来るので、最前部の座席に前を見ながら座り、駅近くになったら立って配線を書くという少々ずるい作戦に

時々海沿いを走りつつ内陸部に入ったりという感じの車窓風景ですが、印象としてローカル線の割に沿線に家などが建っていて決して沿線人口が少ないわけではないような感じがします。
島原半島の外縁を走る路線ゆえに、海が見える区間が多く車窓が楽しめますが、反面ただでさえ狭い駅勢圏(その駅を利用できる範囲)が半分になってしまうのは、痛し痒しと言ったところでしょうか。

途中の深江から島原外港の区間は、1991年6月に雲仙普賢岳の噴火による火砕流や土石流の影響で、南島原~布津間が不通になって以降、断続的に復旧・運転再開と被災による運転中止を繰り返し、92年4月下旬から5年間、島原外港~深江間を休止し事実上の新線ともいえる高架線に切替えて97年4月に復旧した区間です。

これを書いているいま手元に長期区間運休中の95年4月発行の島原鉄道について特集した鉄道ジャーナル誌があります。
この記事では、雲仙普賢岳災害について触れ、95年1月当時の諫早~島原外港と深江~加津佐間で分断運行されている当時の状況。南側区間では運休前に送り込んだ車両5両を使い、加津佐駅の側線で露天で車両整備を行っている事。不通区間の代行輸送としてワゴンタクシーとスクールバス15台で対応している事などが紹介されています。

島原鉄道という路線が存在する事はそれ以前から知っていましたが、私はこの本を読んで初めて島原鉄道について具体的に知る事になりました。
それから12年経ちようやく今回乗車する機会を得たわけですが、当時は94年に新型車5両が導入されたばかりで、線路状況の問題や在来車基準のダイヤのため性能が生かせない事などが紹介されていますが今は殆どが新型車で運行されているなど、12年の歳月を感じます。

誌の発売から2年後の97年に島原外港~深江間が復旧、全通が達成される訳ですが、それから10年後、島原外港~加津佐間の廃止が表明されるという非常に残念な結果となりました。

「秋頃までに沿線の南島原市が最終的な決断を下す」との事ですが、鉄道がなければ口之津や原城には私は訪れなかったかもしれません。
平行路線バスがあるといっても、バスと列車両方使える状況。というのとバスしかない。というのは違います。また代替で設定されるであろうスクールバスやコミュニティバスの類は外部からの訪問者にとって決して使いやすい乗り物ではないのも事実です(スクールバスにはそもそも乗れないです)
様子見の延長でもいいので、とりあえず廃止が回避されないものでしょうか。



瀬野深江駅をでて少し走ると、短い水無川橋梁にさしかかります。
橋の袂にはなぜかデーゼル機関車が置かれています。保存車でしょうか?

橋自体はトラス1個分の短さで、えっこんなに短いの?という印象です



車窓の雰囲気は今までのローカル線的な景色や海沿いの景色から一挙に変わり、開発途上のニュータウン新線を思わせる様相です。


(写真上)
続いて安新大橋を渡ります。こちらは全長225mの途中に橋脚のないトラス橋だとか。

(写真下)
火砕流や土石流対策で整備された導流堤を超えます。
水の無い川という感じの場所で、事前に予備知識がないと何だかわからなそうですね。


(写真上)
高架線上にある安徳駅。ホームがかなり狭いです
(写真下)
近代的な高架橋と車窓風景の中、都市郊外鉄道と見間違うかのような風景の中を走ります。

瀬野深江の先辺りから島原外港駅近くまでの間は、来年(08年)3月で廃止が予定されている区間とは、とても思えない風景や線路状態です。
恐らく島原鉄道の中でも一番線路状態が良いのではないでしょうか?

せめて97年に完成したばかりの深江までの区間だけでも存続できないものなのかとも思いますが、前出Yさんの話によれば
この区間の途中駅の乗降客数は、現在でも島原鉄道の全駅の中でもワースト1位2位を争う少なさだそうです。
また当初は南島原~島原外港も廃止の方向だったのが、島原市が存続の為に頑張った事で島原外港駅までの1駅間が存続できる事になった経緯があるそうです。




車庫のある南島原に到着です。
配線を書いていたのですが、車庫が込み入って複雑なので乗ったままでは書ききれなかったです。降りて調べるには時間もなく、残念ながら南島原の車庫部分の配線は正確に分からなかったです。

正面に国鉄色の旧型車キハ20が停車している一番左のホームに到着です。

ここで車両交換ということでキハ20の方に乗り換えです。
配線を調べる都合もあるので一番前に乗りたいのですが、ドアが2両編成のうち一番後ろしか開いていなくて、乗り換える人が行列を作っている状態。私は写真を撮ったりしていたので乗るのが一番最後になってしまい、乗ってから車内を一番前に移動する前に発車してしまったお陰で、南島原駅の島原方の様子はよく分からなかったです。
乗ってから気がついたのですが、この車両はドアは半自動で開ける時は手動。閉まる時だけ自動で閉まるタイプでした。
南島原で一番後ろだけ開いていたのは、乗車口を絞っていたのではなく、他のドアは開ける人がいなかっただけだったみたいで
南島原駅の構内には2両のトロッコ車両がお休み中でした。



今となっては珍しいパンチ穴式の車内補充券。

車掌さんが車内を回って切符を売っている様子なので、
「もしかしたら、これは貴重な切符が手に入るかも?」
と思い一番前の車両に乗っている自分のところまで回って来なかったらまずい。と自分から車掌さんのところに向かっていき、島鉄本社前を出たところで整理券を提示して切符を買いました。

ちなみに金額は1030円でした。さすがにまた1000円越えとなると分かっているとはいえ厳しい感が・・・。
SUNQパスで島原鉄道の列車にも乗れるといいのですが。

島鉄本社前→愛野、加津佐→口之津→原城→島原で島原鉄道分だけで2500円近くかかってしまいました。
訪問の際は都度切符を買うよりも、一日乗車券(島原鉄道バスにも乗車可能なタイプがあり)などを活用するのがよさそうですね。



原城から約50分で島原に到着です。
南島原→島原間で乗車したキハ20です。首都圏色と一般色の1両ずつの2両編成です。
今となってはなかなかお目にかかれない旧型車です。

これで、加津佐~島原~愛野間の島原鉄道乗車を果たした(愛野~諫早は未乗です)訳ですが、驚くのが本当に海沿いを走り眺めのいい区間が多かったことです。線路の横がすぐ砂浜や海岸という区間もあり、バスや車からでは味わえない眺めが楽しめます。
これから島原鉄道訪問を考えている方には是非明るいうちに乗って欲しいものです。というか暗くなってからの乗車では乗ったとは私は認めません

島原~深江間はトロッコ列車も運転されていますが(運転期間が3月下旬~11月末の為、今回は乗車できませんでした)、トロッコ区間よりも、寧ろそれ以外の区間の方が余程眺めがいいのではないかと思うぐらいです。
もちろんトロッコ区間も水無川の導流堤や雲仙の山々・高架橋からの眺めと見所はあるのですが、いっそトロッコ列車を加津佐までの全線で運転したり、四国のごめん・なはり線で走っていると聞く「オープンデッキ車両」のような、通常運行できつつ最大限眺望を楽しめる車両を走らせれば相当見所になるんじゃないないかと思ったぐらいです。



島原駅の駅舎は鉄道ジャーナル誌の記述によれば89年に新築されたものだそうです。
城門風の建物が島原城を擁する観光の玄関口に似合っていますね。

中には売店券土産物店があり、お土産用にお菓子や缶に安心大橋を渡るトロッコ列車の写真が描かれている、サクマドロップを記念に買ってみました。

***
水無川下流域の導流堤整備事業
http://www.qsr.mlit.go.jp/unzen/sabo/sub3/sub1/sub11/sub11.html#水無川下流

平成17年3月撮影の航空写真(サイズが大きいので注意)があります。
水無川導流堤の様子や水無川橋梁と安心大橋の位置関係が分かります。

ごめん・なはり線のオープンデッキ車両
http://www.tosakuro.co.jp/tosakuro/train_9640deck_J.html

参考文献
鉄道ジャーナル95年4月号(342号)
「特集ローカル線の自助努力を見る」のなかで「子守唄のふるさとで今・雲仙普賢岳災害から立ち上がる島原鉄道」として12ページに渡り島原鉄道が取り上げられています。

(07/4/27UP)
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