さて念願の味噌蔵を見学してから、次は岡崎公園の方に行ってみるとします。
愛知環状鉄道の中岡崎駅は名鉄の岡崎公園前駅と同じ場所にある乗換駅。新瀬戸や新豊田もそうですが同じ場所にあるのに後から出来た愛環線の方がわざわざ別の名前を付けているのは分かりづらくて不親切ですね。
中岡崎駅や新豊田駅が出来たのは国鉄岡多線だった時代。新瀬戸は愛知環状鉄道として再出発&全通した時。武蔵野線の乗換駅もわざわざ乗換の私鉄路線と別の名前が付いていますが、国鉄時代「我々天下の国鉄が格下の私鉄と同じ名前を付けてられるか!!」とかあったのかな?・とか思ってしまいます。

岡崎公園という岡崎城址とその周辺の公園の近く。せっかくなので岡崎公園の方に行ってみるとします。

奥に見えるのが岡崎城。岡崎城はかの徳川家康が生まれた場所。
手前の龍城神社というのは岡崎城築城時に由来を持つ由緒ある神社のようで。

亀の上に石碑が載っていますが、これは「東照公遺訓碑」なる岡崎城ゆかりの徳川家康公の遺訓の碑
純情キラリのドラマの時代、昭和11年に遺訓を座右の銘にしていた地元の有力者が寄贈したもののよう。亀が遺訓碑を背負っているのは、遺訓の一説「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」にちなんでいるのでしょうか??
この岡崎公園や横を流れる矢作川の河川敷は桜の花見の名所になっているそうで、花見の季節には露店が立ち並び花見客で混雑するそう。Hさんも娘さんや家族と花見によく来るそうですが・・・今は冬の12月の寒い日。花見以前に散策も今ひとつ。
ちなみにかってはつくば博のHSSTリニアの試作車両がここ岡崎公園で走っていた事もあったそうで、当時Hさんはここまで自転車を飛ばし乗りに来たんだそうで。当時は行けば動かしてくれて乗れたぐらいの感じだったとか??
残念ながらHSSTリニアの橋脚など遺構は撤去されてしまい面影もありません。私も何かの本で岡崎公園でHSSTリニアが走ったという話を読んだのを覚えていたものの、そうでなければピンとこないような。
つくば博・横浜博と万博会場内で未来の乗り物なアトラクションのようになっていたHSSTリニアも愛地球博では、観客輸送で普通に実用鉄道として走っていた。というのは時代の進化を感じますね。

川面に浮かぶ鴨?や鯉に餌をやるのも楽しそう??売店で餌を売っていましたが、季節的にも今ひとつ気乗りせず・・・暖かい季節に来れば餌を投げたり色々楽しそうですね。

矢作川を渡る名鉄の電車の姿を撮影

今回は12月なので仕方がないですが、暖かい季節にでもまた訪問したいものですね。

川沿いに並ぶビル群。景観保護の為に高さ規制などもあるそうで・・
ビル群の中にはビジネスホテルなども・・。しかし東岡崎駅から歩くとちょっと距離がありそう。岡崎に泊まる際はホテルの場所を確認しないとですね。

岡崎公園を後にして「電車通り」という名前の道路を歩いて東岡崎駅に向かいます。電車通りというのは昔に走っていて1962年に廃止された名鉄の岡崎市内線という路面電車にちなんでいるようで。

なんと愛環・大門行の基幹バスを発見

Hさんの話によれば、近年名鉄バスでは行先の駅名に会社名をつけて「愛環・大門駅」とか「JR・岡崎駅」のように表示しているんだとか。
基幹バスというと本数が多くて核になっているような路線を一般的には指しますが、名鉄バスの場合「基幹バス」的な車両=基幹バスという路線ではなく車両が基準になっていますね・・・。

そんなところで名鉄の東岡崎駅に到着。岡崎公園前の隣の駅ですね。
昔ながら??のちょっとしたビル状の駅舎です。
岡崎の街は明治初期の鉄道忌諱伝説などもあって、東海道線のJR岡崎駅は市街地の外れのような場所に。一方で後年に出来た名鉄の東岡崎駅は市街地の近くにあって、岡崎市の中心駅はこちら東岡崎駅。
一方で岡崎市内を縦貫して(現代の)市内線のようになっている愛知環状鉄道線はJR岡崎駅から東岡崎に寄らずに一つ隣の岡崎公園駅で名鉄で交差。と文章で書くとややこしいような。

駅ビルの中には地方の主要駅にありそうな岡崎の物産品展示コーナーが。
この東岡崎駅はまさに岡崎市の玄関口

駅ビルの2階は書店などちょっとしたお店が。3階は飲食店が。ここで食事に・・とおもいきゃ「本日3階は終了しました」と3回にいたる階段はブロックされています。

なのでとりあえず1階にあるロッテリアに入って一休みするとします。
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<次回に続く>
2015/3/20 23:45(JST)