(新)八草きよぴ(kiyop)非公式モリゾー愛ブログだトン

未解決事件JFK暗殺と大和市の基地問題の契機 "history of yamatonから"

4月29日にNHKスペシャル未解決事件File08.JFK暗殺(前編)が放送されました。(5月3日再放送予定)

4月からNHKはネットで同時配信(されない番組もあるよう)と見逃し配信がみれるようになりました。ここんところ謎の体調不良状態の私は、起きてられない時も枕元でパソコンでNHKが見れるので意外!?に役立ってます。
この記事のように番組の感想を書くにも見逃し配信で見直せるのは便利ですね。


NHKサイトから

1963年(昭和38年)11月22日にアメリカのダラスで起きたケネディ大統領暗殺事件。未だ真相が解明されたとは言い難く非常に謎が多い事件となっているようです。当時を知る人の話では、日米宇宙テレビ中継で初めて伝えらえたニュースとして印象深いという話も聞きます。

今回のNHKスペシャルでは暗殺犯人と目されながらも、翌々日に暗殺された当時24歳のリー・ハーヴェイ・オズワルドに焦点を当てた内容でした。

オズワルドは17歳で海兵隊に入隊、1957~1958年に日本の厚木基地でレーダー技術者としての任務に就く。その頃、共産主義に傾倒していたオズワルドはCIAの工作員ナゲルとの出会いにより利用されるかのように後のソ連亡命へと繋がる。
当時米軍のU-2偵察機は厚木からソ連極東部への偵察飛行を繰り返しており厚木基地勤務で得た機密情報がオズワルドのソ連亡命の手土産となった。
オズワルドにとってソ連での生活は「アメリカ資本主義は抑圧、ソ連共産主義は貧乏を強いる」と評するように期待外れに終わり、後に帰国。そしてJFK事件に巻き込まれていくというものでした。

番組ではJFK事件以前のオズワルドの生い立ちにスポットを当てたものでしたが、ここで注目したいのがオズワルドの厚木基地勤務の経歴とU-2偵察機。
実は当時厚木基地に配備されていたU-2偵察機は戦後の大和史を語る上で重要な存在の一つです。大和市史第3巻を読むと以下のような内容が記されています。(要約)

1959年9月24日、厚木基地を飛び立った試験飛行中のU-2は藤沢飛行場に不時着。折しも藤沢飛行場では小中学生のグライダー訓練中で大勢に目撃される「黒いジェット機事件」が起きる。
更に翌1960年5月1日同機はソ連領内を偵察飛行中、地対空ミサイルで撃墜されるもパイロットは間一髪で脱出後に逮捕。
パイロットはスパイ飛行中であったことを自白し、これがソ連フルシチョフ書記長の逆鱗に触れ「スパイ機の基地に報復攻撃を行う」と警告。既に前年の黒いジェット機事件により、厚木基地へのU-2配備や偵察機であるという正体に薄々気が付いていた大和市民とってフルシチョフの発言は衝撃であった。

折しも60年安保という時代背景の中、大和市では保守革新の立場を超えて一挙にU-2追放運動からの爆音問題、反基地運動が盛り上がった。
U-2は1960年7月には厚木基地から撤去(米国の発表)されるもこの件を契機に市民の厚木基地への関心は高まり、その後も爆音問題、基地問題に市民が取り組むきっかけとなった。
(要約ここまで)

1960年のソ連領内でのU-2撃墜事件こそが亡命したオズワルドがソ連に提供した情報の成果であるとも言われているようです。思わぬところで世紀の未解決事件のケネディ大統領暗殺と大和が繋がってきますね。



映画ブリッジオブスパイで登場したU2機
この映画ではU2機がソ連領内で撃墜される場面とソ連に逮捕されたパイロットが重要人物として登場します。

************

ここで以前に触れた私が構想中の長編??歴史小説「History of Yamaton」でのオズワルドとヤマトンの係わりを紹介します。
(歴史小説の詳細はヤマトン百花大全の方で)

後にケネディ大統領暗殺事件の犯人と目されるもすぐに暗殺されたリー・ハーヴェイ・オズワルド、彼もまたヤマトンと出会っている。

彼が厚木基地に赴任した1957年頃、相模大塚のバーでヤマトンはオズワルドと出会った。共産主義への傾倒を深めていた当時18歳のオズワルドにとって「土着信仰の精霊」であるヤマトンの存在は非常に衝撃的なものであったようだ。
そしてヤマトンから聞いた、太平洋戦争から戦後の今に至る大和町が置かれた立場は、オズワルドにとって米国帝国主義に抑圧される現地住民の姿と映ったようだ。2年後オズワルドは厚木基地を離れた。彼らの直接の交流は僅かなものであったようだ。

オズワルドの妻、マリーナはケネディ大統領暗殺事件後に
「今思えば彼は何処に行っても幸せではありませんでした。彼が幸せになれるのは月の世界だけでしょう」
と証言している。そして事件数か月前のオズワルドは
「あなたがたはやがて真実を知り真実はあなたがたを自由にするでしょう 」
という新約聖書の一節を引用したスピーチをしていたことも分かっている。これらもまた、若き日のヤマトンとの出会いがオズワルドのその後の人生に影響を与えたことを推測させるものである。

この時期、厚木基地近傍を住処とし米軍兵とも交流を持っていた妖精ヤマトンの存在をCIAは問題視していたことが分かっている。CIAの内部文章には以下の一文がある。

He is called Yamaton who lives near Atsugi Base and is believed to be a spirit of indigenous faith. His identity is still unknown. It is necessary to continue observing carefully. 
1957

~厚木基地近傍を住処とする彼はヤマトンと呼ばれる土着信仰の精霊である。正体については未だ不明である。注意深く観察する必要がある~
1957年

1959年9月、ヤマトンは地元の子供たちに誘われて藤沢飛行場にグライダー訓練を見物に行き偶然にも黒いジェット機事件に遭遇。すぐに逃げたが「正体不明の妖精」を警戒していたCIAは「ヤマトン回収作戦」を決行した。

米軍そして要請を受けた日本政府の追手が迫る中、初代大和市長高下は自宅にヤマトンを匿った。
追手が市長宅を包囲する中、市長は紋付羽織袴の正装姿で現れ一喝した。
「ヤマトンは渡せん。」「大日本帝国の時代はとうに終わり今は地方自治の時代だ。何を根拠にヤマトンを捕まえるつもりだ」「どうしてもというならこの刀で私を斬り殺してからにしろ」
と日本刀を持ちながら一喝した市長の気迫は周囲を震え上がらせたという。
その後、本国からヤマトン回収作戦の中止が伝えられヤマトンは再び元の生活に戻った。一連の出来事は市民の間に瞬く間に広まり、その後の反基地運動、U-2撤去運動の盛り上がりを後押したのは複数の住民が語るところである。

なぜ突然作戦中止が指示されたのか。諸説あるものの明確なことはわかっていない。一説には朝鮮戦争期にヤマトンと交流を持った米兵の一人が除隊後政治の世界で頭角を現し裏で糸を引いたと言われているが、正確なところは謎に包まれている。

1963年11月のケネディ大統領の暗殺は、偶然にも日米宇宙中継初のニュースで伝えられた。そして暗殺事件の犯人としてオズワルドが捕らわれるもやはり暗殺されたニュースは早々にヤマトンの耳にも入ったようだ。
このニュースに何を思ったのか、何を知っているのか、未だ語られていない。

~History of Yamaton EP6「平和宣言都市の礎」~より 

2020/5/1 1:42(JST)

5/11 NHKスペシャル後編の内容を踏まえて小説部分を一部加筆。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「ヤマトンと大和市の話題(yamaton & yamato city)」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事