寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

埴谷雄高とジャズと中古レコード。。。

 

 

 

自宅で療養中にて、コメントを頂けると嬉しいです。励ましになりますので。皆さんよろしくお願い致します。。。

 

 

 

私は、今、酷い、幻聴の嵐の中に居る。しかし昨日主治医に全部話をして、薬を貰って来た。先生は入院するかと聞いて来たが。私はこの侭で薬を投与されて、様子を見ると言った。私は訪問看護師たちとヘルパーは当分休むと言ったが。何故なら私は身の危険を感じる不安な症状が出て来て居るからだ。一昨日病院の帰りに東秀ラーメンに寄った。そこで、冷やし中華と餃子を頼んだが。何故かウエイトレスは冷やし中華しか持って来なかった。私は変だなと思って食べて居たら。「こんな時に食べに来て、すぐに帰るだろ」と言う声が聞こえて来た。私は私がもうこの辺で精神障害者として知れ渡って仕舞ったので。また、差別かと思って居た。そして呼び鈴を押して「餃子もだよ」と言ったら。「大変失礼しました」と言う。なんか言葉が少しおかしい。よく見たら中国人だった。そうしたらゴツい感じの。如何にも刑事だと言う男が隣のまた隣に座った。宙を見てスマホを弄る振りをして居るが。明らかに刑事なのだ。私は首を捻った。おそらくは私を監視して居るらしかった。暫くすると、今時、アロハシャツを着た若い男と女の子が遠くの席に座った。そして少し大きめな声で、「殺すか・・・。」と言った。私はとっさに思った。これは刑事の犯罪者に対する威嚇だと。私が動揺するか見て居るのだ。そして、その如何にも刑事と言う成りの男の隣に、また今度は暴力団か飯場で働く様な身なりの男が二人して座った。そして何故か「あの野郎ぶちのめしてやろうか」と言うのだ。

なんだこれはと私は食事を済ますとレジのそばの二人の恋人連れの顔を見て、そして、その刑事まる出しの警官を横目で見て帰って来た。私だって刑事ぐらいは分かるんですよ。これまで刑事映画。特にフィルム・ノワールや、警官の犯人逮捕の瞬間やら、尾行のテレビでの番組は見て居る。それぐらいは見当が付く。だから訪問看護婦とヘルパーは当分お休みにしてくれと主治医に言ったのだ。それなのに看護師が来てくれた。そして調子はどうだ悪いのかと訊いて呉れた。此処で言って於くが何で私が、犯人扱いされて居るかは知らないし如何かかも分からない。前にもあった。今から10年前だ。赤羽署の刑事だった。私の実家に来て。当時は私は認知症になり掛かって居た母と二人暮らしで暮らして居た。そこに来て。私に色々と聞き出した。何でも実家の駅の側にあったミスタードーナツに顔をナイフを待った男に滅多斬りにされた女の子が助けを求めて入って来たそうだ。私はその刑事に言った。それはその子にはかわいそうだけどなと思ったが「痴情のもつれでは無いのですか?」と言うと「それがね。害者は何も言わんのですよ。」そう言ったらもう一人の若い警官が、「なんか不審な事がありましたか?」と言うので「別に無いですよ」と言って居たら。老練な歳を取った刑事が、「奥さん、本当の事を言って下さい!!。本当の事を言って下さい!!」と言うので私は怒って、「私を疑って居るのか!!」と言ったら、それでも母に詰め寄る。母親は認知症で何も分からずに居る。そうしたらその二人は玄関から外に出かけて身長は166センチぐらいから170センチ。とメモして居るので。私が「犯人は何センチなんだ!!」と怒って怒鳴ったら。要約「186センチだ」と言うのですよ。だから「背丈が全然違うだろ!!」と怒鳴ったら、二人してすみませんとも言わずに玄関から走る様に外に出て行った。

だから、今度もそうなのだと思う。私は主治医に言ったすると主治医は「何もやましい事がなければそのうち居なくなるだろう」と言って居た。私は幻覚も現れた、男の姿が半分チラリと見えたのです。そんな事が2回続いた。それも主治医に行った。今は安静にして居ないとまた。病院に入院になる。それは嫌だ。どんな事があっても嫌だ。それからパソコンがハッカーにやられて居ることは主治医に行った。主治医はそれは本当の事だろうと言って居た。私は幻聴だったが、子供と女の人がやめて呉れと泣いて居る声が聞こえた。私は言った。「女子供に手をあげるな!!」そして、それも幻聴だった様だ。近所の人には大迷惑を掛けて仕舞った。私はまた。あいつは気狂いだと言われるだろう。処で、この間だが、神経が休まらないので、YouTubeので歌謡曲やらブルースなどの曲を歌って見た。酷い話だがほぼ1年ぶりの事だ。私はカラオケには行かない。歌う歌も馴染みはあるが殆んど歌った事は無い歌だ。しかし歌って見た。結構、上手くは無いが、それなりに音程は外さなかった様だ。まあ、自己満足です。私はバンド時代歌った事は無い。ボーカルが居たからね。久々気持ちが良かったが。誰かが、言った。「毎回、毎回うるせえんだよ!!音楽聴かせたり下手な唄歌いやがってバカヤロウ!!」。まあ、窓は閉めては居るが聞こえるのだろう。ただ近所の人に言いたい。1日2時間半は我慢して下さい。ドヘタなハーモニカの音色だとか、此間みたいに下手な唄歌うかも知れないけど。私はそれしか興味がないものでして。すみません。私はこれでもミュージシャンの端くれなんですよ。ヘタですけどね。。。。。。

 

 

 

名著紹介。。。「形而上哲学小説・・・・「死霊=指令」」

埴谷雄高氏は戦後の闇の作家とも言えると思う。戦前は、殆んどの政治活動家が非合法の政治活動に参加するのは当たり前みたいな感覚があった様だ。彼はマルクス・レーニン主義にかぶれた。マルクス・レーニン主義は今の時代は力は無い。ベルリンの壁の崩壊。ソ連邦の解体。この際レーニン像は引き摺り下ろされた。それ以降。共産主義は最早人気は無い。彼は若き日、子供心に台湾において「支配者としての日本人」を強く意識し、罪悪感を覚えて日本共産党に入党し、もっぱら地下活動(農民団体」のオルグ活動)に従事し、思想犯取り締まりの為。1932年に逮捕された。彼は幼少の頃、軍人だった父親が台湾人を刀で斬り殺す場面を見せられて、それ以来、アイデンティティーの崩壊を起こして仕舞ったそうだ。だから彼の著作「死霊」では「自同律の不快」と言う観念を戦後打ち出して居る。検挙後埴谷は未決囚として田名刑務所に収監され、形式的な転向によって釈放された...。獄中では、カント。ドストエフスキー。またヘーゲル、ショーペン・ハウエルなどを熟読し、若い頃はマックス・ステェルナーの「唯一者と所有」がそれまでの彼のアナキズムを形作って居たと言う。評価としては三島由紀夫は「埴谷雄高氏は戦後の日本の夜を完全に支配した」として埴谷の文学を絶賛してるし。また吉本隆明は、埴谷の文学作品と政治理論の双方を非常に高く評価し、「死霊」第五章を、「死というものを瞬間的にでなく、段階的・思索的にとらえた日本近代文学史上はじめての作品」とし、またその政治理論についても「革命家は行動を起こさなければ行けないと言う観念論ではなく、未来のビジョンを示せば良い言う事を示したコペルニクス的回転である」とした。

 

埴谷雄高、形而上哲学小説「死霊」

 

 

 

 

==彼の唯一の形而上長編小説について==

形而上学哲学小説「死霊」は 全十二章を構想し、戦後の約半世紀を費やして執筆されたが、第九章まで書き進められたところで未完のまま終わっている。当初の構想では、釈迦と大雄(ヴァルダマーナ、ジャイナ教の創始者)の議論までが書かれるはずであった。なお、巻頭のエピグラム「悪意と深淵の間に彷徨いつつ/宇宙のごとく/私語する死霊達」は『不合理ゆえに吾信ず』からの自己引用であり、『死靈』は文字通り埴谷の文学的探求の根源から存在する問題意識を小説・物語の形を借りた議論によって形象化しようとした壮大なものであった。

『死靈』は、『近代文学』誌上に1946年1月号から49年11月号にかけて第四章までが連載され、ここで筆者が腸結線を病んだ事情もあって中絶した。長いブランクを経て第五章が、1975年に『群像』で発表され、以後は『群像』誌上で続編が掲載されていった。1976年、日本文学大賞を『定本 死靈』で受賞。以後の単行本は、講談社から順次刊行され、1998年2月から刊行開始された『埴谷雄高全集』第1回配本の第3巻に、『死靈』全編及び第九章未定稿が収められている。埴谷自身、文庫判は1世紀以上経っている作品のみとすべきとの考えから、生前は自らの作品を決して文庫に入れようとはしなかったが、2003年に講談社文芸文庫で刊行された。

自身は、第九章脱稿時に、全九章及び第九章未定稿をもって『死霊』を完結としたが、友人本多秋五らの説得によって第九章未定稿部分を撤回し、『死霊』は未完という形で終わらせた。なお、第九章の完結後、「『死靈』断章(一)~(五)」として続稿、ないし遺漏稿と思われるアフォリズム的小文は、『群像』1996年8月・9月・11月・12月号、翌'97年4月号に掲載された。これらの断章は『埴谷雄高全集 11巻』にすべて収められた。

1995年1月9日~13日の5夜に渡り、NHK教育テレビが、『 ETV8特集、埴谷雄高・独白「死霊」の世界』を放送。また放送分を書籍化し、NHK出版から同名の著作が、1997年に出版されている(白川正芳責任編集)。また、DVDは出て居ないがビデオテープはNHKソフトから以前発売されて居た。私は今はそのビデオをDVDにダビングして焼いて所有して居て繰り返し見て居る。

2007年10月2日、埴谷雄高の遺品などの寄贈を受けていた神奈川近代文学館は、埴谷の残した膨大な資料の中から(埴谷はどんな些細なメモも捨てることはなかったと言われる)作品の構想過程が分かる詳細なメモを発見。1930年代の物と思われるそのメモは『死靈』が文字通り埴谷の生涯を賭した作品であることを明確に示している。なお、これらの資料は『群像』2007年11月号に転載され、研究者の鹿島撤などが解説を加えて居る。

本作は、ドフトエフスキーの作品に多大な影響を受けている。共産主義思想の活動家たちの地下活動とその中で交される議論を主たる題材とした小説であるが、その議論の中では、「無限大」、「存在」、「宇宙」、「虚體」、「自同律の不快」、「のっぺらぼう」、「過誤の宇宙史」―等々独自の意味づけを与えられた命題に関して、身辺や感覚を発端として深遠かつ壮大な形而上学的思索が繰り広げられ、極めて難解な思弁的物語、いや主題に似つかわしく物語の「非在」とも言うべき議論の応酬となって居る。

ーあらすじー

昭和10年代の東京市と思われる街を舞台とするこの小説に於いて、議論の中心となるのは、「虚體」の思想を持ち「自同律」に懐疑を抱く主人公・三輪與志、結核に罹患し瀕死の床に伏す元党地下活動家の三輪高志、「首ったけ」こと自称革命家の首猛夫、「黙狂」と呼ばれる思索者・矢場徹吾ら4人の異母兄弟である。そこに與志の婚約者の津田安壽子、與志と徹吾の高等学校時代の親友の黒川建吉、徹吾が入院する精神病院の医師の岸杉夫、安壽子の父で元警視総監の津田康造とその妻、高志の恋人でありながら高志の同志と心中した姉を持つ尾木恒子、「神様」と呼ばれる少女とその姉「ねんね」、印刷工場主で革命運動にも関わる李奉洋……こうした群像が存在の秘密や宇宙や無限をめぐって異様な観念的議論をたたかわせる。何十ページにもわたる独白を中心とした饒舌な文体によって進められる非常に緩慢な時間進行の中での対話劇に、永久運動の時計台、《死者の電話箱》・《存在の電話箱》の実験、《窮極の秘密を打ち明ける夢魔》との対話、《愁いの王》の悲劇、「暗黒速」「念速」などの概念、人間そのもの・イエス・キリスト・釈迦・さらに上位的存在への弾劾、ある種象徴的な黒服・青服による「虚体」「虚在」「ない」の三者の観念的峻別についての示唆なども挿入され、一種神秘的・超常的な雰囲気さえただよう。
その一方で、議論の合間にしばしば「あっは」「ぷふい」と差し挟まれるユーモラスな間投詞や、ボートに乗った一行が肥満した安壽子の母の体重により(これまた非常に緩慢に)ひっくり返る場面、「喰った者が喰われた者に弾劾される」というある種アニミズム的な場面などといったスラップスティックな表現もある。なお、「あっは」「ぷふい」はともにドイツ語でで、Achは驚きをあらわす言葉で英語のOhにあたり、Pfuiは「ちぇっ!」のように不快、嫌悪をあらわす。
ちなみに『死靈』の異母四兄弟は、それぞれスウィンバーンのフランソワ・ビヨンによせた詩"ballad of francois villon prince ob All  Bllad-Makas" の一節、"Villon,our sad bad glad mad brother's name!"におけるsad,bad,glad,madに、三輪与志、三輪高志、首猛夫、矢場徹吾がそれぞれ対応されている。

 

 

埴谷雄高の新資料

 
 
 
 

 

 

埴谷雄高・吉本隆明の世界/斎藤慎爾編

 

 

 

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今回はブルースギタリストでブルース・シンガーでもある「オーティス・ラッシュ」の紹介。。。
 

 

 

左利きながら、右利き用に弦を張ったギターを逆向きに持って弾くユニークなスタイルを持つ。同様のスタイルには、有名な処ではアルバートキングが居る。通常の弦の配列に比べて、より高音弦でのチョーキングがしやすいと言われている。

オーティス・ラッシュは素晴らしいブルース・シンガーでブルース・ギタリストだった。私は彼のコブラ盤など彼の名演奏を収めたレコードなどを所有して居ます。彼のギターの特徴はアール・フッカーやらロバート・ナイトホークのスライド・ギターのトーンやフレーズを指で再現しようとしてその試みが彼のダイナミックでアーシーな独自のプレイと成って居た。1970年代高校生だった頃に、当時のロックミュージックの月刊誌「ミュージック・ライフ」にオーティス・ラッシュの事を教えてくれとハガキを出した処、採用されてオーティス・ラッシュのミニ記事が掲載された事があった。

コブラレーベルに残した初期の録音、"All Your Love"や"Double Trouble"などは彼の代表曲となっている。ロックのギタリストを中心に、影響を受けたミュージシャンは多い。エリック・クラプトンも大きな影響を受けた一人で、ジョンメイオール&ブレイカーズ時代に"All Your Love"を、またソロになってから"Double Trouble"、"Groaning The Blues"をカヴァーしている。ステイーブ・レンボーンは、バンド名をオーティスの曲名から「Double Trouble」と名付けている。意外な所ではエアロスミス"All Your Love"をカバーしている。

ギターのチョーキングとビブラートが特徴的。彼はレコーディングの機会に恵まれていたとは言い難く、実力のわりには作品は少ない。2004の脳梗塞で倒れ、以来リハビリを行っていたが、2018年9月に公式サイトを通じて死が発表された。日本人の妻をもち日本でも人気が高い

50年代のシカゴにおいてバディガイ、マジックサムらとともに、リード・ギターを前面に打ち出した、新たなシカゴ・ブルースのサウンドを切り開いた。その斬新なサウンドは、当時ウェスト・サイド・サウンドと称された。
 
 
 
 
 Otis Rush : So Many Roads
Otis Rush - Gambler's Blues
Otis Rush - Double Trouble (original version)
Otis Rush - Homework (1994)
Otis Rush: I`Cant Quit You Baby
All Your Love - Otis Rush - live - 1983
 
 
〜〜〜ロックバンドががコピーしたオーティシュ・ラッシュ〜〜〜
 
 
All Your Love --- John Mayall's Bluesbreakers
Gary Moore All Your Love I Miss Loving montreux 1990
Stevie Ray Vaughan - All Your Love I Miss Loving
Led Zeppelin - I Can't Quit You Baby (Live at Royal Albert Hall 1970)
B.B. King & Buddy Guy - I Can't Quit You Baby
I Can't Quit You Baby
I Can't Quit You Baby
 
 
 
所有して居る本。。。。
 
 
 
 
 
 
 
最近、買入した書籍です。「GACKT]君と「ローランド」君の本です。後、「原田芳雄」さんの本です。
 
 
 
また、以前にも挙げましたが。kiyasumeが吹いたハーモニカの音源です。生意気にも曲名なぞ付けて書いて見ました。ヘタですが再び聴いて下さいね。。。。
 
 
「悲しみ」
「一人ぼっちのメロディー」
「孤独」
バップ・ブルース
 
 
 
 
 
 
ジャズ喫茶紹介「ジャズ喫茶・映画館」。
 
Jazz喫茶 映画館 看板

 

今回紹介するのは。文京区の住宅街、白山駅の近くに夜だけお店を開けているJazz喫茶『映画館』です。

Jazz喫茶 映画館 外観

もしかしたら、この看板を見たことがある方いるかも知れませんね。看板横の階段を下りた処にJazz喫茶『映画館』さんの入り口があります。

店内はジャズ音楽が大音量で響いています

Jazz喫茶 映画館 店内

扉を開くと…。突如、耳に大きな音が響いて来ます。大きなスピーカーからは重低音のジャズ音楽が流れて居ます。。そして、店内にはアンティーク・インテリアなのか、、様々な面白いものが置いてあって驚いて眺めて仕舞いました。メニューは。珈琲かお酒か、おつまみ。などです…。

Jazz喫茶 映画館 コーヒー

 

音楽が鳴り響く中でコーヒーを飲むのはいい体験です。強いて言うなら、私がJazzに余り詳しく無い事が残念…。前のお客さんのリクエストが終わった後に、店主さんから「何か音楽のリクエストはありますか?」と聞いてくれたので、「チャールズ・マクファーソンのビパップ・レヴィテッドをお願いします。」と言って掛けて貰いました。。。ジャズ喫茶で過ごす憩いの一時は、至極の時です。本を片手に持って、コーヒーを啜る、またはバーボンやらウイスキーをちびりとやるのは中年男性諸氏でも憩いの一時になるのでいいのでは無いでしょうか。

一度足を運んでみられたらいいと思いますよ。

 
小型アンプスピーカー付きレコードプレイヤーの紹介。(以前の再録です)。
 
 
皆さん。押し入れにレコードは眠って居ませんか?レコードを聴くステレオが壊れて居て聴け無いとか。ステレオを購入するのには高い。または、音楽はスマホでストリーミングを聴けば充分だからレコードは処分したいけど買ってくれない。皆さんアナログのレコードがデジタルよりも音が良いのを知って居ますか?レコードにはCDでカットされて居る音まで記録されて居るから、聞こえる人に取っては音がいいと言います、音質面で言えば、レコードはデジタル変換されて居ない波形をその侭再生して居る為、音の角がなく滑らかで、まるで演奏や歌声をその場で聞いて居るかの様な、臨場感を覚える。しかし悪い点もあります、それは。再生環境に影響を受けやすく、チープな環境ではうまく再現されない。デジタルには無いノイズも出やすい。しかしアナログの音はデジタルに無い良い音がして良さがありますよ。
 
 

 

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Voksunレコードプレーヤースーツケース ポータブル   ¥7,990

 
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音楽を愛するあなたに、お届けしたい体験がある!

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レトロなデザインの実木構造で、家の飾りとしてとてもクラシックとファッションです!

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メーカーからの言葉。。。。

「また、1年間の保証をご提供させていただきます。

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多機能レコードプレーヤー

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専用の針が付き

専用の針がついているので、届いたらすぐにレコードが聴ける。

二つのステレオスピーカ内蔵

ステレオ・スピーカーが搭載されていますので、別途スピーカーは必要ありません。

 

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Bluetooth機能

音がいいコンポ・ステレオなどで聞く事が出来ます。

ご注意:Bluetoothの接続で、レコードの音楽をスマートフォンとタブレットで再生することができません。

 

これ1台でレコードが聞ける

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レトロなデザイン

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3-IN-1 ターンテーブル

33 1/3、45、78回転に対応。3つの回転スピードでレコードの再生が可能です。

 

 
                        
                            
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3.5MM AUX IN&ヘッドホン出力

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おしゃれで使いやすい!ION AudioのSuperior LPをご紹介いたします!

 

 

過去記事から、HMVのレコード売り場です。。。

新宿店はもともとロックのお店が多くて、ロックの強い街と言うイメージです、その辺りを意識したと店舗作りをして居る見たいだ。
昔からロックの小型専門店が多いし、他のレコードショップでもロック中心の品揃えをして居たりと、その様な“ロックの強い街”というイメージは客も持って居るのだと思うので、その辺りは意識して居るみたいだ。

和モノ、Jポップ、ロックそれとジャズ。中古のアナログ盤は人気だ。。。

 

 

 

 

 新宿のディスク・ユニオンの紹介(過去記事です。抜粋記事。)

ディスク・ユニオンは創業50年ぐらいは歴史があるレコードショップです。私が中学の頃から高校、大学に掛けてお世話になった店です。

中学の頃はエリック・クラプトンのレコードやら、ロリー・ギャラガーのレコード。ピンク・フロイド。ジェスロタル。まあ、書いて行くとキリが無いので、高校の時はブルース一色とジプシー音楽やら。ピーウィー・クレイトン。BBキング。アルバート・キング。オーティシュ・ラッシュ。シュギー・オーティス。ハイ・タイド・ハリス。ジャンゴ・ラインハルトなどで、大学時代から社会人になってジャズを購入した。私は小遣いは3万だったから。月に2枚ほどレコードが買えれば良かったのです。私はジャズレコードを購入するために。それまで購入したロックとブルースのレコードは。全てディスクユニオンに買い取りセールで買い取って貰い。そのお金をもとに今度はジャズレコードを買い求めた。

 

 

私が子供の頃は、レコードもステレオも高かった。とても中学生やら高校生で買える様な代物ではありませんでした。私は何遍も言って来たが、小学校3年生の時に親からサンヨーのラジカセを一台買って貰ってそれで、音楽を聴いて居た。でも当時は皆そうだったんですよ。大学生たちもステレオを思って居る学生はほんの一握りしか居なかった。持って居てもモジュラーステレオだったと思う。私は中学の時に親がサンスイの4チャンネルのステレオを買った。4チャンネルとは当時で言うサラウンドで。レコードも確かピンク・フロイドの「原子心母」などが4チャンネルレコードとして売って居たものだ。しかしそのステレオはすぐに壊れて聞け無くなって仕舞った。私はだから、友人の家やら、知り合った人がステレオを持って居ればラジカセに、録音させて貰った。私のラジカセにはライン入力端子があるので、テレビの出力端子やら、ステレオの出力端子やらから1本のピンコードを電気屋で購入して来て繋げてカセットテープに録音して居た。テレビで当時NHKがロックバンド番組を流して呉れたのだ。ライブ番組だった。私は毎回楽しみにして居て。ディープパープルとE&LPとかオールマン・ブラザース・バンドのライブなどを録音して居た。そうなのです。画像を録画出来るビデオデッキなどの発売はまだ無かった。ビデオデッキの発売まではまだ待たなければ成らない。そうこうして居ると1972年頃になるとUマチックと言うビデオデッキが発売された。このUマチック(別名3/4インチとか、シブサンと呼ぶ)は、ベータやVHSの基本になったVTRだった私が中学生の頃に規格化・当初家庭用として発売されました。

 
しかし、テープの大きさが、テープ幅が19mm(3/4インチ)、A4サイズぐらいあったので、家庭用とは程遠いものでした。テープ1本当時で一万円はして居た60分で。お金がある人しか買えなかったが。このデッキは結構普及したのですよ。何故かと言うと水商売やら夜の仕事の人たち。飲食店やらキャバレーのホステスなど。あとガードマンなどが買って使って居たらしい。私も当時、家には無かったです。Uマチックは、その後、ベータやVHSに受け継がれましたが、放送業務用として、再出発し当時16mmフィルムで撮影して居たものが、すべてこのUマチックに置き換わりました。ソニーや松下電器、ビクターなどが発売、世界中の放送局で使用される様に成りました。ベータカムが本格的に普及する1990年まで使用されてたと思います。電子編集機などの概念も、Uマチックで確立されて来ました。何故ならUマチックは、画質が凄く良かったビデオデッキだったからです。私がUマチックを見たのは中学の時に同級生と渋谷か新宿の楽器屋で、エレキギターを見に行って手に取って下手ながら爪弾いて居た時でした。私はその当時、エリック・クラプトンの「愛しのレイラ」のソロを少しだけしか弾けずに居て。そんなものを楽器屋で爪弾いて居ると店員さんが大きなカセット・ビデオを持って来てUマチックにかけて再生して呉れました。ディープパープル。フリー。フランクザッパ&マザーズ。カーペンターズ。T・レックス。E&LPを掛けて呉れました。

 

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昭和レトロ レア Uマチック S ビデオテープ 報道部 ビデオカセットテープの1番目の画像

 

 

当時放映されたディープ・パープルの テレビでの録音音源。。。

Deep Purple - Live at Granada TV - 1970 (Doing Their Thing,Full)  

Marc Bolan T Rex Compilation Throne of Time  

Emerson, Lake & Palmer - Pictures At An Exhibition (full LP)

ロックカーニバル#7  Led Zeppelin 1971.9.23 TOKYO

Led Zeppelin: Live on TV BYEN/Danmarks Radio [Full Performance]

 

 

 

そして、私はバンド活動を始めて、そのうちに、ビデオデッキが発売に成りました。初めは兄貴がナショナルのビデオデッキを購入しました。だから私はそれより半年遅れでナショナルのモノラル・ビデオデッキを購入しました。その頃は働いて居ましたからね。

1977年、ビクターはポストVCRすなわち本格的な家庭用小型ビデオの開発に入って居た。ビクターの開発陣は「本格的な家庭用ビデオとは何か」を模索して、

1. 本体のコンパクト化
2. 収録時間は2時間

の様な結論を出した。さらに、家庭用ビデオとして普及させるための条件として、ビデオ固有の条件と家庭内での条件の2つに分類し徹底的に整理した。一方、市販テレビとの接続について、画質・音質は放送受信と同等だった。録画時間は2時間。他機種との互換性=テープ互換性。テレビカメラを使える事をビデオ固有の条件として掲げた。また価格を安く、操作が容易、経費=テープ代などが安上がり、を家庭内での条件とした。さらに生産性が高い事、合理化されて居て機種の統合が可能な事、サービス性が良い事をメーカー開発時の条件に追加して掲げた。 そして社会に影響を与えるものである為、情報文化の手段と成り得る事と言う条件も掲げた。

これが、ビデオデッキ発売当時の事だ。そして、モノラル・ビデオデッキの普及は終わりハイファイ・ビデオデッキが一般家庭に広がって行った。

 VHS陣営のファミリーづくりは、実に巧みだった。欧米家電メーカー大手への積極的なOEM供給(相手先ブランドによる製品供給)作戦、そして、ソフトウエアビジネスの展開——ベータは開発も発売も先行したものの、日に日に劣勢となっていった。そのうちベータ陣営の東芝、三洋電機、日本電気もついに、輸出用に限ってとは言えVHSの併売に乗り出した。

それが1980年代から1990年代まで続く事になる。この間に8ミリビデオやら、レーザーディスクの登場と成って言った。その後。2000年頃に成ってDVDレコーダーが発売に成る。DVDレコーダーの普及が進んだのは日本が中心であり、欧米などではDVDプレーヤーに比べると余り普及して居ない。欧州のテレビ業界はインターネットの普及とともにスマートテレビの導入のほうに非常に積極的であった。この当時。私は初めてパイオニア製のDVDレコーダーを購入した。当時は病院に掛かって居たので。立川のビックカメラで購入しようと行ったが。現品はなく予約で売って居た。そして私はそれを予約したのだった。その後、何回か買い換えて、今はブルーレイレコーダーを購入して持って居たが。私はアパート住まいでパラボナアンテナが建てられない為に、J・COMでインターネットとケーブルテレビを見て居るので。テレビは4K対応テレビだが。レンタル、4KチューナーBOXとブルーレイ・レコーダーを借りて居る。私は買って持って居ても仕方が無いのですよ。もう歳だから。リースを解約すれば、断捨離をしなくとも良く成るのです。

 

 

 

カセットテープがブームの模様。。。。

最新のデータによると、その売上は急増とは言えないまでも増加している。英国レコード産業協会(BPI)によると、英国では19年1月から7月にかけて35,000本のカセットテープが売れた。18年の同期間の売上本数は18,000本だったので、ほぼ2倍だ。アルバムセールスを集計する「オフィシャル・チャート・カンパニー」のエディターであるロブ・コプシーは、19年末までには75,000本くらい売れた見たいだ。

BPIによると、20年に入ってからのアルバムセールス全体で、カセットテープが占める割合は0.2パーセントにすぎない。それに比べて12パーセントと、まずまずの割合に達しているのがレコードだ。ここ10年で、カセットテープよりはるかに大々的な復活を遂げたのは明らかで、十分に立証もされている。

一方、東京・中目黒にあり、カルト的な人気をもつカセットテープとレコードの専門店「Waltz」の店主である角田太郎は、店名を冠したInstagramアカウント(フォロワー数は16,400人)について、「カセットテープでリリースされた新作をデイリーに紹介する場」であるとともに、「現代のカセットカルチャーのオンラインギャラリー」でもあると話している。

 

 
 

コメント一覧

kiyasume
「revolution」とは「violence」であると言ったのは、、
毛沢東だったけど、、埴谷氏はそれを精神性の変遷で
行おうとした・・・・・。

彼はよく生前言って居ましたよね。violence Revolutionでは
駄目なんだ。精神の革命。そしてその連鎖こそが真の革命なんだと、、
だから未出現宇宙論まで行って仕舞ったのでは(;゜0゜)

彼は奥さんが彼の子を望んでも決して生ませなかったそうです。
精神の革命が終わるまでは駄目だと言って。
要するに暴力に頼らない精神の革命をやりたいそれが
小説だったのでしょうね。まあ、未完で終わりましたが、、

私なんかの凡人から見てみると永嶋慎二に似て居るかなと、、
失礼、まだ病み上がりなので思考がはっきりしませんです。。。。。

ただ彼の全集はそのうち古本で買い求めようかなと思って居ます。
また来て下さいね。よろしくお願い致しますね.....。
chisei
埴谷雄高、難解ですね。
死霊は、永久革命者の独白。自分に向かって書いているのだと思います。
我々は、それぞれの感覚、フィーリング、経験、想像力で何かを感じ取り、それぞれが独白をすればよいのではないでしょうか。
kiyasume
はは、、よくある。話ですよね。。。。
しかし7本もお持ちだったのですか、、

フォークで使うハーモニカだったら、、
それはブルースハープでしたね。

ハーモニカは奥が深いから、皆さん興味があって購入しても、
すぐに息詰まって辞めて仕舞うか、壊して、捨てて仕舞うのですよね。

でも、ある程度吹ける様になると楽しいですよ。
また、チャレンジなさって見られたら如何でしょうか、、

ブルースハープのC調を1本だけ購入すれば、、いいと思いますよ。
余計なお節介ですみません。。。。。また来て下さいね。。。。。
忍び。つどい。
デッサン講座にコメントありがとうございました。

ハーモニカ、私の若い頃、
フォークハーモニカを7本(セット)持っていましたが、
いつしか吹かなくなり、仲の良い友達がどうしても欲しい!
と言うので、綺麗に消毒・掃除してあげてしまいました。
近年その友達に久しぶりにばったり出会い、
ハーモニカの事も聞いたら、
なんと「どっかいってしもた」ですって・・・。
友達なんで許す→お互い笑いあいました(^_^;)
kiyasume
ビオラさんこんにちわ。。。。

文京区にあるジャズ喫茶です。。。
「映画館」と言うくらいなので。映画にまつわるものが、
置いてあるのですよ・・・・・。

マスターやらこのジャズ喫茶に集まる人たちは、、
皆、雑誌にジャズ記事を書いて居るライターみたいですね。

また、店の中でドキュメンタリーなどの
映画上映もされて居るみたいですよ。

夜しかやって居ないのはおそらく従業員がマスターも含めて、
ライターなどの仕事があるからだと思います。

まあ、知って居る人はと言うか、ジャズ通は知って居る
店なのではないかな・・・・・。

確かにジャズ喫茶は音がデカイですからねぇ、、、
私も初めてジャズ喫茶に行った時にはびっくりしましたけど。

大音響でジャズを思いっきり聴く処なんですよ。

私は今冒頭に話した通り、体調を崩して降りますが、、
また着て下さいね。よろしくね。。。。。
goohanasaku
今日は~。

Jazz喫茶『映画館』・・・、
なんか、雰囲気ある場所にある、雰囲気ある店内で、
家とは違う、異空間を、楽しめそうです~☆☆☆

昔、友人にジャズバーに、数回連れて行ってもらった事があるんですが、
素敵ですが、狭い店内で、音量が大きすぎて、会話がしにくかったなと、記憶しております。

1人で、珈琲飲みながら、ゆったりと聴くのも、良いものですね~♡
ほっこりできそうです~(#^^#)♫

・・・ですが、夜しか開いてないお店って事で、
あまりにも、大音量な場合は、刺激が強すぎて、眠れなくなったりもしそうですが~(^_^;)

素敵なジャズ喫茶のご紹介を、どうも、ありがとうございました~♪


ビオラ
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