寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

最近考える事。。。

気がるにコメント頂けると嬉しいです。闘病中の励みになります。よろしくお願いします。よろしくね。

 

アンジェラ・アキ 『This Love』

 

1980年12月8日、私は年配の社員と仕事をして居た。午後、3時頃だろうか、ラジオのニュースが始まった。第一報は「ジョン・レノン」暗殺の報だった。なんでもサインを貰いに来たファンらしき男に撃たれたと言う。彼はなんと銃弾を受けてからおそらくヨーコを庇ったのだろう気丈にもレコードスタジオの2階まで犯人から目を逸らさずにゆっくりと歩いて行って2階で事切れたそうだ。私はそれを聞いて涙が出た。そして言った。「なんでだ。どうして殺したんだ!!」すると運転をして居たその男が言った。「けっ!!何がロックスターだ!!カッコ付けてやがるからだろ!!」そして言った。俺はギターで「「禁じられた遊び」なんざピラピラ弾けるぜ!!」その男は当時60歳ぐらいだった。私は黙って居た。その男は、運転しながら節つけてこう呟いて居た、「ち○こ、ま○こ、ち○こ、ま○こ」。私はその男が訳分からない事を私に行って来た事があり、その時に怒って言った。「どうしてこんな事が理解出来ないの!!」それはある事柄について解らない事を言うので私が説明した時だ。するとその男は「解らないんだよ、」と言った。私が「解らないのか!!こんな事も!!」と言ったら、「解らないんだ、、」と言った。私はなんだと思った。解らないと言う事はこう言う事なのですよ。

また他の男はこの男も当時60歳ぐらいだった。何時も私がラジオを付けると言うと「付けるな!!」おらさの話を聞けば良いと言って、まる馬鹿な話を聞かせた。その男は夏になると「なぁ〜〜。アイスキャンディ〜〜食べたいなぁ〜。」「昔はよく売りに来たけど、最近来ないなぁ〜〜。と言うのだ」アイスキャンディー売りが来たのは戦後20年代から昭和32年ぐらいまでだ。何時迄。戦後の終戦間際のつもりで居る。当時は昭和60年代だ。そいつは二十円を私に渡すと。コンビニ行って、戦後流行ったアイスキャンデーを買って来いと言った。私は言った。「今時二十円じゃ、キャンディーは買えないよ。」するとこう言った。「買えないか?昔は十円で売って居たぞ!!」私は言った。「五十円で1本だよ。」そして百円貰って、コンビニに行くと。バニラキャンディーを2本買って来て渡した。「なんだ。赤いのは無いのか?」私は言った。「昔のものはもう無いよ。売って居ないんだよ。」すると私に一本渡して舐めろと言って。二人して舐めながら前を向いて居たら、通りすがりの車の運転手たちが皆んな大笑いで通って行った。するとその男がこう言った。「なあ、〇〇ちゃん。あいつら俺と〇〇ちゃんがキャンディーしゃぶって居るの見て羨ましいんだよ。きっと!!」それから、こんな事もあった。

私がライブハウスの事を話した時だ。その男は私に「なんだ。そこは?」と言うので「酒と食事をしながらバンド演奏のライブが聴ける店ですよ」と言ったら「そんな店は無いぞ。嘘を言うな!!」と言うのだ。だから私は言ってやった。「あんたねぇ、その歳で、何も知らないのか。そう言う店は東京だけでも可也な数あるんだよ!!」そう言うと今度は「ライブハウスって、モンキーダンスを音楽聴いて踊るんだろ。おらさは知って居る」と言うのだ。「みんなでゴーゴー踊るんだろ」と言うのだ。私は呆れて一言だけ言った。「ゴーゴーは遥か30年前に終わって居ますよ。今はディスコだよ!!」私が何を言いたいのかと言うと。年取っても何も勉強して来て無い人が居ると言う事です。これは嫌な思いで話したのですよ。何も知らない侭生きますか。そして自分が知らない余り、自分より上の出来る人間が気に喰わ無いと足を引っ張る。自分が、知らないのは物事を判らないのは全部自己責任でしょう。例えば人から蔑まれる職業について居る人でも。私の知って居る納骨師は、ちゃんと仏教やらの宗教関係の本と心理学書は読んで学んで居ますよ。頭がバカな人と言うのは居ないのですよ。皆んな生まれて来る容量は同じなのです。中学の同級生で大学は法政大学に行った友人が居たが。そいつは大学の友達が「何時も遊んで居るのにテストは優を取る。あいつは天才なんだ。なんでだろう?」と私に聞いて来た。だから、私は言った。「勉強してるんだろ。人の見えない処で。寝ずに!!」と言った。

確かに出来る人は1%との才能と99%の努力だと言う。努力さえすれば誰でも天才になれるとよく言う。しかし。私の友人のマサさんは言う。「50%の才能と50%との努力でしょうに」と。確かに一理ある。私もそう思う。出来ない事は出来ないのですよ。幾ら努力してもね。それは、その事柄に付いてのタレントが有るか無いかと言う事です。タレントがない事は努力しても出来ないんだと思いますよ。例えば私は素潜りで回転する事が出来ない。それは私の泳ぎのタレントがないからだ。努力はこの場合しても無駄になります。諦めて、自分がタレントを持って居るものを探してそれに精進した方がいい。人は平等では有るが、タレントは各々違います。各自個性があるのですよ。だから、人それぞれのタレントがあるのではないでしょうか。ただ、学ばないで人を蔑んでバカにしたりあいつは気取って居て気に喰わないと言うのはどんなものでしょうか。そう言うのを努力をして居ないと言うのですよ。こんな事は言いたくなかったが、最近の目に余る事柄を見て居て一筆しました。

 

悲しいかな人には分相応と言うものがあります。幾ら自分はいい大学に入って、、例えば、東大ですよね。東大に入ってやるんだと言っても。頭が無いのでは入れません。私の友人でこう言う人が居ました。高校の授業中です。先生がこの命題はどう思うか、と私に聞きました。その答えは見下げたら下に村が見えたと言う事でした。私はそう言うと先生はその通りです。正解ですと言いました。すると別の生徒が手を挙げて言いました。「私はそうは思いませんよ先生。〇〇の言って居る事は間違って居る。」するとその教師は、「じゃあ、なんだい」と言いました。するとそいつは私の方を見て勝ち誇った様に笑みを浮かべて言いました。「それはこう言う意味です。先生それは・・・・・」先生は黙って訊いて居ると言いました。「君はそう思うのかい。」「ええ、そう思います。あいつなんかの答えを何で先生は正解だと思ったのですか?」そう言うと先生は「君が言う理屈も解るよ。でも正解では無いよ。」そう言われてそいつは私を睨みつけて言いました。「お前の答えは違って居る。俺の方がちゃんと理にかなって居るんだ!!」そして先生にもう一度自分が正しいと言ってくれと言うと先生は「君がそう思うのならそれでいいじゃ無いか」そう言ってドアを開けて職員室に帰って行きました。そいつは大学は東大を受けました。3浪したけど入れずに、やけになって人身事故を起こしてそれからどうなったかは知りません。それからこう言う生徒も居ました。美術の時間でした。そいつは絵が上手いと自分ではそう評価して居ました。そして私の絵に色々とアドバイスをし出しました。「お前の絵は成っては居ない。此処はこう描くべきだ。違う違うそうじゃない!!俺の言う通りに描け。」そして、私に「俺はカーペンターズが好きだお前もそうだろう。」私が「彼らはポップスだね。俺は今ブルース聴いてるよ」と言うと。「何がブルースだ。カーペンターズの方がいいだろ!!」

そしてそいつは私が大学時代に最寄駅の改札口でバンドのメンバーを待って立たずんで居たら。「おい〇〇。こんな処で何暇つぶしやってるんだい。バカじゃねえか」そいつは友達とスケッチブックを持って駅の階段を降りて行き来ました。絵の写生をしにです。そして私がギターケースと友人たちが楽器のケースを持って電車に乗り込むとびっくりして私を見て居ました。そして一言「それギター?」しかしそいつはこうも言いました「フォークギターだろ。お前がエレキなんか弾けるのかよ」人の事は言えないが。そいつの絵はまるで成って居なかった。そして芸大を受けて2浪したけど入れなかったらしい。そうしたら「芸大なんかに行って居る連中は皆んな頭がおかしいバカどもだ!!」と言って家出をしたらしい。自分に自信を持つのはいい。しかし。まるで自分のやって居る事やら、自分を過大評価して居ると良く無いとは思いますよ。自信過剰は誰も評価しません。私は自信過剰にならない様に心がけて居る。大体が自分が最高だと思っても上には上が居るものです。漫画家の松本零士は言います。「人を舐めたら行けない。私は漫画家を何十年とやっては居るが。若いくせになんだと絵の事を言われて言ったらえらい目にあった。経験上言います。私はプロの漫画家だが、私以上に絵が上手い人はわんさと居る。漫画オタクを舐めては行けない。」蓋し名言だと思う。

私もあるマカロニ・ウエスタンのHPの掲示板に書き込みをした事がある。そこで私は随分と幼稚な文を書いた様だ。一笑に付されてこう言われた。「此処のHPに来る人はな。皆んなマカロニのセットが組まれたアルメリアに旅行に行ったりな。輸入盤の海賊ビデオなどを持って居てマカロニを研究して居る人たちだ。あんた見たいな知識じゃあ、話にならんからもう来ないでくれないか?」世の中はシビアだ。学が無いと人は頭から笑うし。相手にもされない。私は大学時代にノートをよく持って行かれた。返せと言っても返さない「やだね。」と言うのだ。だから私はこの事は何遍も話したが。私は諦めてブルース喫茶で替えのノートに書いて居た。そして、授業のノートは速記で書いた。速記と言っても。kiyasume式速記だ。記号です。私以外誰も読めない。或る日、同学年の学生が私の処にやって来た。そして確か金融論のノートをコピーさせてくれと言うのだ。何故ならノート持ち込みのテストだからだ。そして勝手にノートを取り上げて行った。私は「無駄ですよ」と言ったが、持って言って仕舞った。そしてテストが来た。テストの際までそのノートを見なかったのだろう。テストの時にノート持ち込みだから見ようとしても私の文は読めない。それから、数日経って、私の机の後ろからこう言う声が聞こえて来た。「どうにかしてやるからな覚えて居ろ。読めないノート渡しやがって」自分らが勝手に持って言ったのでしょ。私が授業が終わって、そいつらの目前を通る時に見ると顔を二人して机に突っ伏して居る。自分らと解らない様にだ。人のノートを持って行って。「どうにかしてやる」?なんだその理屈は。しかし世の中はそんな人間が多いのですよ。

私のblogを読んで頭に来る人達やらバカにしたい人たちやら沢山居るでしょう。言いたい事は分かって居る私は馬鹿だからだ、皆んなで言えばいい蔑めばいい。昨日か声が聞こえた。「毎日うるせえんだよ!!音楽何か掛けやがって。何吹いてんだバカヤロー」女の人の声だった。私は此処に引っ越して来てもそうかと悲しかった。若い人では無い。年配の人だった。それから私がスカートの真下からパンティー激写と書いたせいか。その事で皆さんそう言ったサイトを見たらしい。どうですか。特に女の人たち。日本が法治国家と言えますか?解りましたか。危険なんですよ酷い場合は自宅のトイレの中まで盗撮される事があるみたいです。私は数年前になりますが、ネットサーフィンをして居たら突然発見したのですが。浜崎あゆみさんの海の家でのシャワーを浴びて居る全裸の写真が出て居ました。プライバシーもないのかと私は彼女の裸が見られた事などより。日本はもう終わりだなと思いましたよ。芸能人は叩かれます。私が最近評価して居るGACKT君は大河ドラマでの「風林火山」での謙信役で当時ボロクソに叩かれました。「てめえ見たいな。女みてえな、髪型の謙信が居るかよ!!面をで直してこいやオラ!!」「何あんたシスターボーイなの?」「大河ドラマを汚すのか?さっさとやめろバカ坊主!!」「たかが歌手風情で一丁前に大河に出てんじゃねえよ!!」そして連日の無言電話。でれば「死ねや〜!!」それは酷かったそうです。彼は涙を浮かべて当時の事を話して居ましたよ。味方はたった一人俳優の緒方拳さんだけだったそうです。一緒に成ってそう言う人から彼を守ってくれたそうです。GACKT君は自分の演技がうまく行って居ないと悩んで居たそうです。自宅にビデオカメラを6台も据え付けて。演技を録画し、その角度から自分の演技をじっくり考えたそうです。でも考えれば考える程上手くは行かない。だからほとほと困り。そうして緒方さんに教えを呼応として「演技をどうすればいいか」と訊いたら彼は、「演技をすると考えるな、自然とセリフが出てくる様にしなさい。自然体でな」と言ったそうです。彼は或るセリフの時に緒方さんから言われました。「なあ、ガックン。恋愛は女と男だけれども。人としての恋愛と言うか馴れ初めは男同士でもあるんだ。今のお前のセリフでは俺はお前に惚れん」GACKT君は考えたそうです、そして「そうだ、俺の緒方さんへの思いをセリフにするんだ」と考えて、監督に「今度のセリフ。一発ドリでお願い出来ますか」と監督に直訴したそうです。テストなしでぶっつけ本番です。監督は意を組んでやらせてくれました。その映像がこれです。。。

風林火山 GACKT謙信 CUT#6

そして一発で監督も緒形拳も、周りの共演者も、GACKTを応援して居たファンも納得したのだそうです。私が何を言いたいのかと言うと。人の真心は大切だと言いたいのですよ。人を貶して蔑んで私はアイツより上だから。自分が最高だと思ったら人間はそこでお終いですよ。皆んな、人の輪を大切にしましょうよ。。。言いたい事はそれだけです。此処までおかしい奴の話を聞いてくれて感謝します。ありがとう.....。

 

 

ー1960年代。哲学とビートルズの残像ー (過去文の再録です。また読んで見て下さいね....。)

1966年それは来るべき炸裂を予告する様な年だった、4月にフランスで出版されたフーコーの「言葉と物」がその謎めいた文体によって人々を魅了し始めた頃。ビートルズはコンサート活動に終止符を告げる、そして狭いスタジオの中に立てこもる。1967年。フランスでは昨年来、奇妙なモードが氾濫していた。若者たちが、前年に発表されたフーコーの書作をかかえながら、ビーチに集い<人間の終焉>というつぶやきをモードとして受け止めていたのである。その年、ジミ・へンドリックスやジャニス・ジョプリンなど、その後のロックを決定するミュージシャンが相次いで群衆の前に姿を現し、ジャック・デリダと言う哲学者が「グラマトロジーについて」というスキャンダラスな書物を発表している。日本では、前年から放映されていた「ウルトラマン」が最終回を迎える、秋から新シリーズとして「ウルトラセブン」の放映が開始された。そしてビートルズは急激に豹変した。コンサート活動を休止した成果が、67年に「サージェント・ペパーズ」となって結実したのである。レコードと言うメディアから何かが炸裂したと言っていいだろう。

そこにはステージで再現不可能なロックが有りレコードに固有の臨場感だけが唸りを上げていた。又ビートルズは同年、コンサートやレコードとかけ離れた方向から人々の前に姿を現している。すなわち、スタジオである楽曲をレコーディングしながら、その光景を人工衛星によって世界中に中継して見せたのである。その数年前にJFKの暗殺シーンが世界を駆け巡ったように、ビートルズのレコーディング風景が地表のすみずみにまでばらまかれた。日本では夜もしらじらと開けるという頃。NHKで放映された。ビートルズはいったい何を達成したのであろうか?単なるレコーディングによって、それまでのどんなコンサートよりはるかに多くの聴衆を自室のモニターの前に釘ずけにしたのである、私はこの映像を観たのを覚えている。1967年が重要なのはビートルズが群集の前から姿を消したからでは無い。彼らが群集を前に演奏するとは別の形で、それもきわめて意図的に公衆の面前に出現したからである。ビートルズは関係の触接性を放棄したわけではないし、メディアを介した間接的な関係の中に埋もれてしまった訳でも無い。自体は逆の方向に進んで行った。一見すると局所的な空間に制限された「今ーここ」のアクチュアリティが各地に分散し、異なる時空に開かれた「今ーここ」へと切り開かれて行った様に思われるであろう。

しかしながらビートルズはコンサートに嫌気が指していたのだ。或いはこう言って良いだろう。ー叫びにかき消されるような現在など、始めから無に等しく、それ故に彼らはアクチェリアリティの亡霊を追い払ったに過ぎないのだーと。すでに19世紀の頃から現在とは点であることを辞めていた、出来事は縦横に層をなし、多数の場所で複雑に交差している。現在とは、ある一点における炸裂ではなく、幾つもの層を貫いて前後にぶれ、そのぶれの中で過去にすでに反復され、やがて未来に反復されるべき出来事に成って行った、この点を実戦的に証明することにより、ビートルズはナム・ジュン・パイクの予言を正確に実現して。パイクに並ぶ先駆者の栄光まで手にし得たのである。「ウルトラマン」も、また、やがて「真夜中のカウボーイ」の中に引用されるだろう。映画の中のテレビ画面に「ウルトラマン」が上映されたのである。しかし「ウルトラマン」が前年に終了し、「ウルトラセブン」が渇いた都市の風景を描写してい居た年、すなわち1968年にはまた別な出来事が炸裂し始めていた。日本では全学連による新宿騒乱が起こり全共闘の学生たちは「ガロ」に掲載されていた白土三平の「カムイ伝」をバイブルとしたのである。そしてジル・ドールズが「差異と反復」を発表し、吉本隆明が「共同幻想論」を出した年でもあった。1969年1970年と年は変わりアポロは到達したが革命の時代はやっては来なかった。若者は挫折し打ちのめされ、時代は変貌を遂げて行った。そしてビートルズはホワイトアルバムを発表したのだった。

The Beatles - A Day In The Life

Girl (Remastered 2009)

Michelle (Remastered 2009)

Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Remastered 2009)

While My Guitar Gently Weeps (Taken from Concert For George)

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皆さんは例えば私の事などの病状がどう言ったものか分からないかとも思うので此処に具体的に挙げておきますね。他人事だとは思わずに自分にもその危険性があることを知って下さいね。。。。。。

 

◆ 統合失調症に特有の症状は以下の4項目です

1、 思考化声(考えていることがそのまま声になって聴こえる)、思考吹入(考えが外から吹き込まれる)、思考奪取(考えが抜き取られ空っぽになる)、思考伝播(考えただけで周囲に伝わってしまう)
2、 操られる、影響される、抵抗できないという妄想。妄想知覚(知覚した日常の現象から、直ちに妄想的な意味を感じる:例白衣についた小さな血痕を見て、「自分は死ぬ運命だ」と確信するなど)
3、 自分の行動に絶えずコメントしたり(例:食べようとすると「食べるな」と聴こえてくる)、仲間たちが自分を話題にしたりする幻聴。身体のある部分から発せられる幻聴(例:お腹から聴こえてくる)
4、 文化的に不適切で全くありえない内容の持続的な妄想(例:自分は万能の神であり世界平和のため永遠の命を持っているなど)

 以上のうち1つが1ヶ月以上続いていること、ただし他の脳の疾患や薬物に関連した精神障がいではないことを確認し診断します。これはICD-10という国際診断基準です。「興奮している」とか「引きこもっている」という症状は副症状としてあげられています。
◆ 世界各国で行われた調査によると、地域や文化による差はなく100人に一人程度の割合で発病した体験を持っている人がいます。これは統合失調症が特殊な病気ではないことを示しています。
◆ 遺伝や子育てが発症の直接の原因ではありません。ある調査によりますと、統合失調症の約89%は両親が統合失調症ではなく、甥や姪に拡げても63%はそうでありませんでした。また一卵性双生児の場合、一人が統合失調症を発症すると、もう一人の発症は48%でした。子育てが性格形成に影響を与えることは確かですが、発症につながる証拠はありません。
◆ 10代~20代に発症することが多いのは、思春期の身体や精神の発達、受験や就職、結婚、出産や子育てなどの人生上遭遇する様々なストレスの多い時期によります。
◆ 人はそれぞれ生物としての「ストレスに対する脆さ」を少なからず持っていて、脆さの程度は個人差があります。
◆ その「脆さ」は遺伝や育児環境だけによるのではなく、多くの要因が絡み合って生じるものと考えられています。その「脆さ」が様々なストレスにより、その限界を超えると発症するといわれています。

 

私は今、この様な障害の病状と日々闘って降ります。如何か、私が何か言ったりしたりしても気になさらない様にお願い致します。私が死にたいと言ったのはこういう事からです、、、辛いのですよ。。。。此間久々に映画を1本見ましたが。映画もろくに見られて居ません。たくさん持って居るのにね。だから。音楽しか心を解放させる手段は無いのです。だから、私は下手なハーモニカ吹いたり。ロックやらジャズを聴いても我慢してやって下さいね。

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過去文から、、「バンド放浪記改正版」からの抜粋です。もう一度読んでやって下さいね。。。。

高校から大学生の頃、私は毎日その日の授業が終わると、高円寺にある「ブルース喫茶」まで通って居た。宿題やレポートも店の中で済まして居た。或る日、同じぐらいの大学生が隣に座って、「あのさぁ〜君、オーティス・ラッシュの事、どう思う?」と訊いて来た。「俺はコブラ盤が一番好きだよ・・・」と言ったら、「俺もそう思う」と言って、友人に成った。その男は漫画に詳しく当時ビックコミック・スピリッツ関連で単行本に成って居た「カムイ外伝」を貸してくれたので、私は講談社から単行本に成って居た「男おいどん」を貸した。そして次第にレコードの貸し借りなどもするように成っていった。マスターは私には何時も出がらしのコーヒーを入れてくれて居た。何しろ、2時半ぐらいから6時まで居るのでコーヒー一杯では持たない。そうしたらマスターが「君さあ、たまには酒飲まない?」と聞いて来たのでウイスキーの水割りを水を多めにしてもらい飲んだ。私はアルコールに弱い。と言うか殆ど下戸に近い。ビールなどは飲めないのだ。腹が空くと、焼きそばを注文して食べた、当時340円だった。常連の客は色々な人が居た。そして暗黙の了解があった。偶にその事を知らない客が来店して相手にされて居なかった。

「ねえ、マスター、ロバート・ジョンソンのスイート・シックスティーンを掛けてよ!」「???」要するに分かって居ないのだ。その曲は BBkingの曲だ、しかしそう言った変な客は居場所が無く成り帰って行く事になる。或る日店の常連から、当時、まだレコードには成って居なかった、マジック・サムの「アン・アーバー・ブルース・フェスティバル」での音源を録音した幻のテープを聴かされた。噂には訊いて居たがその演奏に驚き。テープをダビングして貰った。勿論店のマスターもだ。中にはアメリカのシカゴのクラブまで行ってオーティス・ラッシュの生演奏を録音してきた強者もいた。勿論ダビングさせて貰った。当時私はギターとブルースハープを演奏して居て。特にオーティスのギタープレイには心底影響を受けて居た。そうした時に年上のブルース・ハーピストに店で出会った。彼は上手かった。私は彼の元でギターを弾く事に成った。或る日、スタジオで音合わせをして居て、さて始めるかとばかりに、典型的なシカゴ・スタイルのイントロのリフから入ったのだが、その男は、アドリブを吹かないで、なんとリトル・ウォルターの曲のソロを吹き出したのだ。それで一緒には出来ないと成って仕舞ったのだが、当時知り合いの女性のブルースシンガーに一緒にやろうとしたハーピストの事を話したら「ああ、あいつは、駄目よ。何しろコピーしたまましか吹けないんだから、自分のフレーズ吹けないんだからね」と言って居て、成る程と思った。その後に、ウイーピング・ハープ・セノウさん率いるオフ・ザ・ウオールと言うバンドを妹尾さんが解散させて、新しいハーピストで再結成されたバンドを渋谷の道玄坂で演奏するのを観に行って。実は自分もブルースハープをやって居ると言うと。なんとそのハーピストは私が持って居たウオークマンをアンプの上に置いて録音させてくれた。そのハーピストは今日は風邪を引いて居て、本調子では無いと言いながらも、演奏は素晴らしかった。

ブルース喫茶では他に服飾デザイナーを職業にしている男とも友人に成って。彼のアパートに遊びに行った事がある。彼の部屋は上半身のマネキンが置いてあり、なぜかユーライア・ヒープのポスターが壁に貼ってあった。狭い部屋ながらもセパレートステレオを持って居て、しかし大きなスピーカーからは音が鳴らせないので、ラジカセにステレオのラインアウト端子から繋げて聴いて居た。彼はブルース以外のロックも好きで、パンク・ロックのバンドを作ろうと仕手居た。その人からも貴重なロックやらブルースの海賊音源をオーディオ・テープにダビングさせて貰った。「ブルース喫茶」の方はだんだん経営が苦しく成って行き、ある日、私がカウンターで水割りを飲んで居て、ふと、「マスター、店、辞めるつもりでしょう?」と言うと「そうなんだ、来週の土曜日にボトルを用意して待ってるから、閉店のお別れ会に来てくれよな!!」と言われたが。私は働き始めたので、用事が出来、行けなかったのが未だに悔やまれて居る。。。

 

或る日、見知らぬ相手から電話が掛かって来た。「俺はオニオン・スライスと言うロック・バンドのリードギターだけども」と言って話を続けた。「あんたポール・バターフィールド知ってるか?」「知っていますよ。」と言ったら、「彼みたいに吹けるか」と聞く。彼は白人のハーピストの中でもずば抜けて高度なテクニックを持って居る。私も一応はコピーをしたが彼見たいには吹けない。断ろうとしたら続けて言う「処でデビット・カヴァーデイル知ってるか?」「ディープ・パープルの第3期のボーカリストでしょう。のちにホワイトス・ネイクを結成した人でしょう。」と言ったら「よく知ってるなぁ、、いやあねぇ〜なかなかロックを知って居る人がいなくてさぁ〜〜」と言うのだ。こちらは曲がり成りにも小学生から高校までロックを聴いて来た。そのぐらいは解る。そしたら「ウチらはロックバンドだけども、ハーピストを探している」と言う。なんだか嫌な気になって断ろうとしたら、「渋谷のスタジオに俺の名前を言ってあるから明日夕方の4時に来てくれ」と言って電話が切れた。この私の話をずっと読んで来て解らないかも知れないが、1970年代から1980年代当時は、ブルースマンとロッカーは対立していた、そう昔イギリスでモッズとビートニクが対立して居た様にだ。モッズ (ModMods、Modernism or sometimes Modism) は、イギリスの若い労働者の間で1950年代後半から1960年代中頃にかけて流行した音楽やファッション、それらをベースとしたライフスタイル、およびその支持者を指す。ロンドン近辺で発祥した。モッズ・ファッションとしてよく連想されるものとして、髪を下ろしたMod Cut、細身の三つボタンのスーツ、ミリタリーパーカー、多数のミラーで装飾されたスクーターなどがある。1951年にアメリカ軍に採用されたミリタリーパーカー(M-51)は、モッズの人々に愛用され、「モッズ・コート」(「モッズ・パーカ」とも呼ぶ)として知られて居る。

モッズは衣服や音楽に興味を示し、彼らが好んで聴いた音楽はアメリカのレアな黒人音楽、R&Bやソウル・ミュージック、ジャマイカのスカ(多くのスカのレコードを出したレコードレーベル名により、ブルービートとも呼ばれる)などであった。またイギリスのグループとしてはザ・フー、スモール・フェイシス、キンクス(ただし、レイ・ディビィスはモッズを嫌って居たと言う説がある)、スペンサー・ディビィス・グループなどが好まれた。ビートルズは、デビュー前は正反対のロッカーズ・ファッションをして居たがマネージャーの指示によりモッズ・ファッションでデビューした。1955年から1964年頃にかけて、アメリカ合衆国の文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称を、ビートニク(Beatnik)と呼ぶ。生年で言うと、概ね1914年から1929年までの、第一次世界大戦からから狂騒の20年代までに生まれた世代に相当する。最盛期にはジャック・ケルアックやアレン・キングバーグそしてウイリアム・バロウズを初めとするビート・ジェネレーションの作家たちは多くの若者達、特にヒッピーから熱狂的な支持を受け、やがて世界中で広く知られる様になった。

そしてこの2つのジェネレーションは仲が悪かった。それと同じことが1970年代の後半から1980年代の日本で起きて居た。はっきり言って仕舞えば、ロックを聴いている連中ないし評論家はブルースを敵視して居たのだ。例を挙げれば1970年代当時、仕事中にラジオを付けたら、丁度、永井隆と上田正樹と柳ジョージと成毛滋の対談をやって居たのだが、司会者があからさまに永井と上田にキツく当たり、柳ジョージとかには優しく接しているのだ。そして黒人のブルースとそれのカバーのロックで演奏している曲を交互に掛け、黒人のブルースは音楽的に成って居ない。ロックの方が上手いのだと言う。そう言う偏見があった時代でした、私に言わせれば、安易なロック・バンドしか知らないから、黒人のエネルギッシュに溢れたブルースやらR&B、ソウルはよく解らなかったのだと思う。処で、私が中野サンプラザにハーモニカ・フランクとフィリップ・ウオーカーのコンサートを見に行った時に、丁度隣の席に音楽評論家の中村とうようが座って居て。ステージ上が暗くてブルース・ハープのキーが解らなくてハーモニカ・フランクが慌てて居たら。「暗くて見えないじゃないか!!ステージの裏方、ちゃんとしろ!!」と怒って檄を飛ばして居た。中村とうよう氏は私が尊敬して居た音楽評論家で、ピアノも弾けた人だ。彼のラグ・タイム・ピアノはプロ級だった。当時彼は「ブルースの世界」と言う、ラジオ番組のパーソナリティーをして居て。日本にブルースを根づかせた張本人だった。私はこの時の模様を密かに録音したオーディオ・テープを未だに所有している居る。話が大分飛んだが、そう言う訳で渋谷の道玄坂にあったヤマハのスタジオに行って見て受付に名前を聞いて見ると名前は聞いて居ないと言う。丁度、喉が渇いたので、缶コーヒを買って飲んでいたら。派手なミニスカートにブレスレットをつけた女の子が男とやって来た。私の前に座るとその女の子が「あんた、タバコ持ってんだろ!頂戴よ!」と言う。すると男の方が「俺がギターでこいつがボーカル」。「あんたの名前を聞いても知らないと言われたよ」と言うとにやりと笑って、「そう。」と言う。そうしたらドラムとベースがやって来て。「さて、メンバー来たからおっぱじめるぞ」と言う。私はなんだかなぁ〜と嫌な気分で居たが。リードギターが「 Need Your Love So Bad 」をやるからハーモニカ吹いてくれと言う。この連中はブルースの事は何も知らない様だった。

Gary Moore - Need Your Love So Bad (HD) traducida español - Live Montreux 1999 

それで演奏が始まるとヘビーメタルの曲ばっかりで、黙って聴いていると、「何してるんだブルースハープを吹け」と言う。セカンド奏法で吹こうにも唯でさえ曲のキーも教えられず、まるでギターを弾く如く、一本のブルースハープで全ての曲が吹けると思って居る。何も解って居ないのだ。それでやりようが無いのでめちゃくちゃ吹いて見た。そうしたら、ボーカルの子が「結構やるじゃん」と言う・・・。そして「Need Your Love So Bad」に成ってこの曲はキーを知っているので順調に吹けた。すると、「ポール・バターフィールドとはいかないけどいい感じじゃん」と言う。その後はブルースを3曲ほど演奏した。(と言ってもロックのブルースだが)もうそろそろ時間だとスタジオの従業員が知らせに来たので。そこまでにして終わりにして防音室を出ると、ギターが「又連絡をするからな、」と言う。嫌なセッションだったが一つ言えることは、これまでの黒人のタイプのブルースでは無くロックに成って居たと言う事だ。ウオークマンを持って行ったので録音して来たが、そのテープは弟が聴かせてくれと行って持って行ったきり、ついに返して貰えなかった。まあ、あれはブルースではない、ロックだった。。。その後そのギタリストから電話は掛かっては来たが、私は居留守をして断って貰った。どうも、相性が悪すぎたし、あくまで私はブルースに拘って居るのだから。。。

 

GACKTの勝ち方 特装版 朗読CD 試聴動画 vol. 064「歳をとる、と歳を重ねる、の違いとは?」

 

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此処の処。調子が悪かったから。3キロほど痩せたかな。。。。

でもまた太るんだけどね・・・・・・

 

 

今日届いたハーモニカ。「OLD STANDBY」のkeyDと「GoldenMelody」のkeyCです。。。。

壊れたので金ないけど無理して購入しました。ハーモニカ専門店の谷口楽器からですよ。ハーモニカをどこで買えばいいかお悩みなら谷口楽器をお勧めします。。。。。

 

 

ハーモニカの聖地 谷口楽器探訪! 〜クロマチックハーモニカ吹き比べ〜

 

ハーモニカ豊富!谷口楽器

 

 

是非この番組を見て下さいね。。。。

BS1スペシャル「欲望の時代の哲学2020 マルクス・ガブリエル」

 

〜〜懐かし映画館〜〜

「東京兄弟」1995年の松竹映画。緒方直人主演。市川準作品。

この映画は馴染みのビデオレンタルショップで借りて観ました。しかし最近までDVDが発売になって居ませんでした。確か2年前かな初めてDVD化されました。今はそれを所有して居ます。。。

まあ、短い映画なのでストーリーと感想を簡単に述べて今回は終わりにしようと思います。体調が悪いもので。この映画は愛すべき小品と言いますか。市川準監督が、撮った兄妹愛の話です。私がこの映画を見たときに感じたのは永嶋慎二の「兄妹」見たいだな、と思った事です。「兄妹」は、兄思いの妹が自殺した兄について語って行くと言う構成の話です。彼女は喫茶店の女給をしながら、漫画家の兄が売れずに川に身を投げて死んでいった話をおよそ16ページぐらいでしょうか、淡々としかし、悲しみを持って語って行く漫画です。この映画もなんかそんな感じがしました。この映画の兄貴は古本屋で働いて居ます。兄には恋人が居ます。しかし両親を事故で亡くして居る兄には妹が高校を出るまでは見届けなければなりません。兄は悩みます。そして恋人と別れます。しかし映る映像は妹との下町での仲がいい時間が流れて行くだけです。永遠に。この兄妹二人が一緒に暮らせていけるかの様な錯覚がします。しかし、二人の平和な時間は長くは続きません。兄は恋人と別れた辺りから、ますます、妹の事を大切に思う様になります。妹は奥さんの様に兄に使えますが、高校を卒業をしてある日、カメラスタンドで仕事を始めますが。現像を頼みに来た若い男と恋仲になります。兄は紹介されたその男が自分の勝手の友達だと知り意気投合しますが、その後妹がだんだんとその男が好きになって行くのを、苛立って考える様になります。妹はどうやら一晩帰って来ず。その男と肉体関係を結んだ様でした。そして其の儘、兄が居る家には帰っては来ません。兄はいてもたっても居られなくなり。強引に妹をその男と別れさせました。帰って来た妹は。また何時もどおり、兄の面倒を見て一緒に暮らし始めます。彼女の恋人は彼女を失ったショックで自殺をします。そしてまた兄弟の平穏な日々が続きます。ある日妹は家の門の呼び鈴が鳴った様な気がしてうたた寝から兄が帰って来たのかなと目を開けますが気配はしません。兄は門に手を掛けたのですが、、此の儘、一緒に暮らして居ては身の破滅だ。妹にすまないと居なくなり蒸発します。恐らくは死ぬのでしょう。私は今回はこの映画についての評論は差し控えます。皆んな人は哀しいんですよ。ああ、最後に「あすなひろし」という漫画家が描いた。「哀しい人々」と言う漫画があります。もし漫画喫茶ででも見かけたら読んで見て下さいね。

初DVD化!!市川準&緒形直人『東京兄妹』ベルリン国際映画祭受賞の名作

 

今回は短いですが此処までです。読んでくれて有難う御座いました。。。

コメント頂けると嬉しいです。なんでも書いて見て下さいね。。。。。

コメント一覧

kiyasume
hennkyoujinnさん、書き込み有難う御座います。。。。
私は確かに、凄く苦労して記事を書いて降ります。

私は 自分のblog記事でいけないなと思う点は、、
人の事に付いて書いて居る点です。

ただ何遍も言いますが相手が私を罵倒したり嫌がらせを
するから書くのですよね・・・・・・。
私は今まで訪問看護婦に付いて散々書きました。
すると今は、もう何も私の事を変な言葉で言う
事は無くなったのですよね。

私はわかってくれたのだと思って居ますよ・・・・・。

今は病状が強いですが、、だんだんと薄れて来ては居ます。
頑張ってblogだけは描こうと思って居ます。

歳を取るでは無く歳を重ねる。いい言葉ですよね。。。
私も勉強になりました。また来てくださいね。よろしく。。。。
hennkyoujinn
物凄いエネルギーを使いながら
ブログを書かれているような印象を受けます。
知識や様々な体験や現在の感情や思いが伝わってきます。
「年をとると年を重ねるの違い」、大変参考になりました。
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