呉竹の「水でお習字」を買ってから、ほぼ毎日、ちょこっと筆を握っている。
漫然と握っている状態だなので、連綿――続け字でもしようと考えた。
古筆や写経とかだと、墨で移した方がいいと思う。
その結果、筆遣いや形の練習があってるかなぁと考えた結果だ。
学生時代に使ったテキストがまとまりある部分で構成されているため、作品の練習にはいい。
ただ、なんか、こう乗らない。
何かないかなぁと断続的に考えること一日。
「色紙だ! 継色紙使えばいいじゃないか!」
小野道風が書いたと伝わる「継色紙」。
古筆で道風をやろうと決めたためかったけど、練習に使いづらいのがこの作品。あ、決めて本買ったので終わった。
分かち書きの極みで……半紙に和歌一首だけ……という状況になるから、紙がもったいないと感じてしまう……思っちゃいけないのわかるけど、高いもの! 社会人になろうが何としても、もったいないもの!
ってことを叫ぶ。
連綿もあるし、ちょこちょこ練習するには一首に触れるのは良いなと思った。
実際、その通りの分かち書きをしてはいない。
筆の大きさ、もう一つ小さいのじゃないと難しい。
それか、水の調整をうまくしないと駄目だ。書いている間にきれいに二股に分かれた――のりの残り方だねぇ……(遠い目)。
いきなり文章長いの書くより、継色紙が良かった点がもう一つある。
かなが何の字か思い出しやすいからだ。
一首ごと向き合うため、読み方を見つつ……「な」が「那」だとか、「の」は「能」だねと言ったように。
まあ、外国語の扱いと同じだよ……使わないと使えなくなるって……うん。