Kitako8th

佐賀県立佐賀北高等学校8期同窓会のブログです

4組の どこでも同窓会 in 綾町 第1話

2009年07月20日 23時19分23秒 | わしらの近況
17.18日、都合のつくメンバーで宮崎県の綾町に行ってきました。
タイトルの前置詞は「in」ではないような気もするが、船出するには金より風、旅をするには知恵より知己。
前原の小副川、東区の澤崎、大宰府の籔下、佐賀の徳島の4名が籔下君宅に集合、午前9時に遅滞・過不足なく出発。

 
連休の初日、パーキングも満車状態。澤崎君の車はETC付きだから・・・。左写真右から、小副川、澤崎、籔下君です。
10時13分、木陰を見つけて早弁。澤崎君の奥さんが用意してくれました。いっただきま~す。
腹が満ちると喫煙組はこの後せっせとニコチン補給、その後排尿へ。
喫煙&自らが訪れた証を記すかの如きマーキングは旅の終わりまで繰り返された。
まさか、各自片足を上げて行ってはいまいが~。「ない」と断言できない顔ぶれが愉快でもある。


車中話
1000円高速道路で綾町まで4時間はかかると踏んでいました。男4人で一体どうなるのもやら。しかし心配は無用でした。
籔下君(タケカンムリですよ、竹冠
彼はクサカンムリしか解さない行政の無知・無恥極まりない対応で多大な損失を被ったようだ)が盛り上げてくれました。
話題の枕詞は十中八九「オネーチャン」

 
13:30 綾町着
綾城で我々を受け容れてくれる籾田夫妻と合流。
籾田さんの夫君にお目にかかるのは徳島以外は初めてなのですが、心安い人柄にみんなすぐに打ち解けましたね。

<綾町役場のHPから>
綾城のはじまりは、今からおよそ660年前の元弘年間(1331年~1334年)足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門が
この地方に下向を命ぜられ、その子義遠が収納使として綾を領有し、綾に山城を構え、綾氏と称したころと考えられてい
ます。綾氏は数代城主としてこの地方を治めていましたが、室町時代八代将軍義政のころ、都於郡城を根拠として日向
の国の一大豪族となった伊東氏の家臣となりました。したがって、綾城も伊東氏48城の一つとなり島津氏と戦う伊東方
の重要な役割を果たしました。
その後江戸時代の一国一城制度により廃止されるまでの二百七十余年、綾城は日向の国の山城のまもりとして、
現在の綾城は昭和60年春日本城郭協会に中世山城の築城について考察を依頼し、数次の調査に基づいた考察により
想定され、戦国初期城楼建造物として構築されました。
城内は歴史資料館として綾の歴史の歩みを振り返ることができるとともに、日本一の刀鍛治といわれた田中国廣の刀が
展示されています。

 
すぐ近くにある綾国際クラフトの城。左端が籾田さんです。夫君には満を持して登場頂きます。

<綾町役場のHPから>
綾町では、森林が育んだ文化を永い歳月大切に守ってきました。
そのひとつが綾町のいたる所で見ることの出来る伝統工芸品づくりです。使う人の身になって制作される心のこもった
絹織物・木工品・竹細工・陶器など多くの工芸品が工芸者の手によって作り継がれています。
この「綾 国際クラフトの城」は、そのような文化を後世に残すようにと、町内の職人達の手で、町内に自生するカヤ、
ケヤキなどの銘木を使い、一つひとつ丹念に作り上げられました。 
施設内では、この伝統工芸を多くの方に楽しんでいただくために手づくり工芸品の展示販売をはじめ、各工房の案内、
工芸教室、お茶処や国外の優れた工芸品の展示を行っています。

 

 
14:30 綾馬事公苑 
綾町は昔から競走馬・農耕馬の育成が盛んだったそうです。ここは宮崎有数の乗馬クラブ「綾馬事公苑」。
公苑では、中学生以下に入門用として、ポニーを使った乗馬が最適なジュニアコース、子どもも安心して楽しめる
ポニーの乗馬レッスンがあるようです。小柄なポニーは賢く、気性もおとなしく安心して乗馬が楽しめるそうです。
ブリティッシュスタイルでエレガントに乗馬を満喫したい向きにはビギナーコース。
本格的な設備でスーパーライディングを目指す人には
基礎から馬術、競技会出場まで、レベルに合わせた本格的なレッスンが受けられるアドバンスドライダーコースも。

3月の下旬~4月の上旬にかけて苑内では、約1,300本の桜が咲き誇る中「綾の桜まつり」を開催され、
約2万本の花々が彩る直径28mの花時計や競馬場内を覆い尽くすほどの菜の花が見られるそうです。

綾町観光案内 AYA MAP 

綾町 郷田実

つづく

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