いよいよ四輪編の始まりです。
大学を卒業し、化粧品のノエビアみたいな名前の会社に入社。配属先は神奈川県藤沢市片瀬という場所。横浜や鎌倉は知ってるけどあまり聞いた事ないその藤沢市という地名。よく調べると「そこって湘南じゃん‼️」と一気に雪国の田舎青年から湘南ボーイに大変身だわ❗️とアホな事考えてウキウキしてたのを思い出します。実際には海が近くて自然も残っていてゆったりしてて住みやすいところでした。そうは言いながらもJR東海道線や小田急江ノ島線や江ノ電があり路線バスも便数が多く移動するにも不便を感じないし何しろ会社や藤沢駅前まで徒歩で行けるところに独身寮があったので正直、車なんて必要なかった訳なんですが、当時のバブルを背景にした雰囲気とか若気の至りとか、自分で収入を得る様になると欲しくなってしまった訳です。
当初はシルビアとかが欲しかったけど当時発表されたスカイライン インパルR31Rというスカイライン4ドアハードトップの中古車をベースにインパルのパーツを付けた中古の特別仕様車に心奪われてしまい日産の中古車ディーラーへ。結局、300台限定という事もありあっさり売り切れ。意気消沈してたら2ドアクーペのこれが在庫されていた訳で富山の友人がこれの後期型に乗っていて同じ車もどうかと思ったが購入してしまった。
今の車ではあまり見られなくなったが車名が非常に長い❗️😄
車名を長くしている「ツインカム24Vターボ」がこの車の全てを物語っている。搭載するエンジンは名機RB20DETで直列6気筒ツインカムエンジンにバルブは一気筒あたり4バルブでインタークーラー付きのセラミック製のターボで過給して最高出力215馬力を絞り出していた(後にも先にも200馬力を超える車を所有したのはこれが最初で最後)その他に車速を検知して高速だと自動で下がってくるフロントスポイラーやHICASと言われる4輪操舵システム(前輪の舵角と車速に応じて後輪も動き姿勢を制御する機構)も装備していて当時、既にR32が出ていたけど、まあ満足した車だった。形がヤンキー車みたいでしたが…
この車にスキーキャリアをつけてラバーチェーンを持って車山とか白樺湖辺りのスキー場とか群馬県の川場とか行ったなあ。今考えるとあんなツルツルな道を良くこの車で行ったもんだと感心してしまう。やはり若気の至りというやつか。
そしてこの車こそ、その後長く続く日産と私の腐れ縁の始まりとなるのであった(続く)