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「海燕ホテル・ブルー」「皇帝のいない八月」

2014年05月29日 16時33分35秒 | 映画

人間の情念の狂気、男たちの共同幻想が、一人の女、ファム・ファタール

によって崩れ、狂っていく様を描く。

獄中で殺された仲間の復讐を胸に誓い、刑期を終えて出所した藤堂幸男

はかつて自分を裏切った棚橋洋次への復讐を果たすために海、黒い砂漠

溶岩だらけの山に囲まれた町へとやって来た。

しかし、そこで出会った謎の女・梨花により大きく運命を狂わされる。

ファム・ファタールとは良い意味では「運命の女」。

逆に男を破滅させる魔性の女(悪女)のこと。

 

 

 

 

「皇帝のいない八月」は1978年公開と古いが松本清張の作品を思い描く

もので社会派推理小説として懐かしき映画となっている。

右翼政権樹立を武力クーデターで一気に目指す自衛隊反乱分子と、それを

秘密裏に鎮圧させようとする政府の攻防を描く映画で、クーデター当日の夜

に藤崎顕正元1等陸尉率いる少数精鋭の部隊に乗客乗員ともども乗っ取ら

れたブルートレイン「さくら」の車内が舞台の中心となり、作られた列車パニッ

ク映画ともなっている。

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「木を植えた男」「「桂子ですけど」「黒い雨」

2014年05月28日 18時53分59秒 | 映画

「木を植えた男」(L'Homme qui plantait des arbres)はフランス映画で

フレデリック・バック(アニメーション)作品集の1つの映画化されたもの。

第一次世界大戦以前のフランスはプロヴァンス地方に住む羊飼いブヒエが

一人黙々と木を植え続け、長年かけてついに荒れ果てた荒野を人々が平和

に暮らせる村へと復活させた物語。

フレデリック・バックはアニメーション作家で

スタジオジブリの高畑勲監督、宮崎駿監督は彼を深く敬愛し、その作風は

両監督の作品にも深く影響を与えています。


 

 

 

「桂子ですけど」平凡なひとりの女性が、22歳の誕生日を前に毎日を着実に

生きていこうとする様を、“時間”を意識しながらつづっていく日記風映画。
 
奇才園子温監督。

 

 

 

 

 

「黒い雨」は、1989年5月13日より公開された原子爆弾(原爆)の恐怖と

悲劇を描いた日本映画である。

広島の原爆投下によって人生を変えられた閑間夫婦と姪の矢須子の悲劇的

な運命を描く。

取巻きの人物の二次被爆の恐ろしさも明瞭に描かれている。

英語圏では「Black Rain 」(ブラック・レイン)という題名

同年のアメリカ映画ブラック・レイン」は別物です。

どちらもブラック・レインは同じ意味で、原子爆弾投下後に降る「黒い雨」の事。

YouTubeでしか見えません。

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「のりこソウルに行く」「原子力戦争」

2014年05月27日 17時10分31秒 | 映画

韓流が大好きな主婦・のり子は、ある日、ガンという深刻な診断結果を受ける。

自身の病気や家庭問題で心を悩ませるのりこだったが、ソウルで開催されるオーディション番組

のことをテレビで知り、急遽ソウルへ向かうがその理由とは、子供の頃の夢である歌手になりたい

のりこがオーディションに挑戦することで、娘にやればできるという姿を見せたいという思いと、オー

ディションの審査員韓流スター“ヒョンちゃん”に会いたい!という熱い願いからだったが歌が決して

上手とはいえないのり子は、オーディション会場でスターを目指すイケメン青年・ミンハの歌に衝撃

を受け、本選に残るため「歌の先生になってほしい!」と頼み込む。

お小遣い目当てに軽い気持ちで歌の指導を引き受けたミンハ。

歌手志望ながらもオーディションに落ち続け、熱意を失っていたミンハだが、何事にもひたむきなのり子

と一緒にいるうちに徐々に心を動かされていく。

しかし、懸命にオーディション突破を目指すのり子のもとに日本の夫から娘が登校拒否をしていると

連絡が入るのだが…。

 

 

 

 

 

 

原作は田原総一朗の反原発小説の「原子力戦争」を黒木和雄が原田芳雄を主演に迎え

ドキュメンタリータッチで映画化。

内容は放射能事故と過疎化する村と巨大化した原発利権戦争に都会から来た一人の男

が巻き込まれるというサスペンス。

映画のワンシーンで福島県の東京電力の福島第二原子力発電所[要出典]内の施設に

無許可で入って、警備員に止められるシーンも導入されている。

 

 

 

 


「ハルとナツ 届かなかった手紙」

2014年05月26日 12時54分46秒 | 映画

平成17年、70年ぶりに日本の土を踏んだブラジル移民の高倉ハル(森光子)は、

生き別れになっていた妹ナツ(野際陽子)を探しあてる。

ナツは、大きな会社の社長になっていて何とか話したが、自分は家族に捨てられ

たと冷たく言い放つナツ。

手紙を出し合うといったのに、ハルが出した手紙(心)は届かなかったのだ。

 

始まり

北海道の本家で暮らす分家の高倉家は貧乏でハルとナツもいじめられ、昭和9年

ブラジルへの移民を決意したハル(斉藤奈々)一家は、妹ナツ(志田未来)が神戸

でトラホーム(目の病気 伝染性の慢性結膜炎)と診断され日本へひとり残さざる

をえず、姉妹は涙の別れとなったのだった。

しかしブラジルのコーヒー園での労働の日々は過酷だった。

おまけに借金生活で3年で帰るどころか日本に帰ることも出来なかった。

ハルは手紙を何度も送った。

そして何とか開墾して畑を作ってめどが立ったとき戦争が始まり、追い出される。

北海道にいるナツはクッキーを作り大会社を作った。

劇中で現在の時代が写しだされ、出した手紙がブラジルから届き、和解は出来た。

やがて戦争は終わり、日本に帰れると思ったが、息子たちにお金目当てと思われる

からと言われブラジルに帰る。

帰るとき飛行機で新聞を見て、ナツの会社がだめになったと知り、ブラジルに来いと

手紙を出し、ナツは70年目にしてみんなが待つブラジルに行く事になる。

 

 

 

 


「君の故里に太陽が登った」「あゝ野麦峠・案内とラジオ劇」

2014年05月25日 13時33分17秒 | 映画

 

「あゝ野麦峠」は山本茂実が10数年におよび飛騨・信州一円を取材し数百人の女工、工場関係者

からの聞き取りを行ったノンフィクションです。

明治36年2月、飛騨から野麦峠を越えて信州諏訪へ向かう100名以上もの少女達の集団があった。

毎年、飛騨の寒村の小学校を出た少女達はわずかな契約金で製糸工場(キカヤ)へ赴く。

ときも新工として山安足立組で働くことになっていた。

途中、ゆきという父無し子の無口な少女も一行に加わった。

明治日本の富国強兵のための外貨獲得はこのような工女のか細い手に委ねられていた。

3年後みねは1人前の工女になっていた。

取り出す糸は細く一定で光沢がなければ輸出用にはならず、毎日の検査で外国向けになら

ない糸を出したものは、みんなの前で検番から罵倒され、一定基準に合格しない場合は当人

の給金から罰金が差引かれた。ときとはなは劣等組、みねとゆきは、社長の藤吉から一目

おかれるほどの優等工女で、跡取り息子の春夫もそんな二人に関心を抱いていた。

大日本蚕糸会の総裁伏見宮殿下一行が足立組を訪れた日、劣等工女のときが自殺した。

やがて正月がやってくると、各工女達は、一年間の給金を懐に家に帰るが、ゆきには帰る家

がなく、ひとりぼっちの正月の寂しさと、みねをライバル意識していたことから、ゆきは春夫に

身をまかせるのだった。

ある日、金庫の金が紛失し、帳付けの新吉は藤吉に嫌疑をかけられる。

新吉を慕うきくは見番頭に相談するが、小屋に連れ込まれて手籠めにされ自暴自棄になっ

た彼女は小屋に火をつけ、新吉とともに天竜川に身を沈めてしまった。旧盆で工場が休みに

なると、工女達は束の間の解放感に浸り、いくつかのロマンスが生まれる。

はなは検番代理にまで昇格した工女達の唯一の理解者、音松とこの夜結ばれた。

ゆきは春夫の子を宿していたが、春夫には許婚がおり、彼女は妾になるのを嫌い、春夫から

去って、1人子供を育てようと野麦峠を彷徨っているうち流産してしまう。

41年アメリカに不況が訪れ、生糸の輸出はとまってしまい、倒産から逃れるには国内向けの

生糸を多く生産しなければならず、労働条件は日ましに悪化した。

そんな中、みねは結核で倒れた。病気の工女は使いものにならず藤吉はみねを家族に引き

取らせるのだった。

知らせを受けた兄の辰次郎は夜を徹してキカヤに駆けつけた。

物置小屋に放り出されて衰弱しきったみねを背負って、辰次郎は故郷に向かった。

秋、野麦峠は燃えるような美しい紅葉でおおわれていた。みねの前で、涙でかすむ故郷が

広がっていた。「兄さ、飛騨が見える」それがみねの最後の言葉だった。

みねは永遠の眠りに入っていくのだった……。美しい飛騨は何も語らず、みねを見つめていた。

 

残念ながら動画は無かったのでラジオドラマをお聞きください。

 

 

 

 

 

野面にカメラを据えて35年。

農村を舞台に数々の映画・テレビ映画を製作してきた全農映は、問題作を製作するとともに

「あゝ野麦峠(正・続)」の企画に参加してきたが、いよいよ今回は「天保水滸伝」以来の沈黙

を破って、農村部の子供たちの教育問題に真正面から取り組む長篇劇映画の製作にあたりました。

見た目など良くありませんが、みなさんも考えてもらいたい作品だと思います。