季節の野原で葉っぱの音を・・・。

心の畑も耕せる農家でありたい。

祈る気持ち

2007年03月14日 | 自然の中で暮らすために

娘ふたりのインフルエンザも治まり

先週の日曜日に、かねてから予定の入っていた神事のご用に差し支えず行くことが

出来ました。

祈るということは形だけではないけれど

やはり人間だから、決まった動作にひとつひとつ意味があることが

受け取りやすくて、有難い。

足ひとつ、手の位置までもきっちりと決め事があるのは

日本舞踊やお茶の世界でも共通することで、自分本位ではあってはならない気持ちの

おさめ方を教えてもらいます。

・・・しかし。

これまでも、何度も練習して、何度も実践させてもらってきたのに2度も、間違えてしまいました。

おおらかで穏やかなみなさんに助けられて流れるように神事は進み

終わってからも何事もなかったように時間が過ぎていきます。

なんだか頭が回らない。そう思いながらも、次の日の月曜日。

1週間ぶりに娘ふたりを小学校と保育園に送り出しました。

すると、待っていた様にだんだんと体が熱くなってくるのがわかります。

「・・・これはもしや?」とかかり付けのお医者さんへ。

「娘からB型、もらったような気がするんですけど・・・。」と38度5分の体温と共に

診察室の椅子に座りましたが

「そんなことはないだろう。土の人は丈夫なはずだろう。タフに出来てるんじゃないの?

ただの風邪だと思うよ。でも検査してみるの?」

こちらも、おおらかに穏やかに、ニコニコしながら診てくれました。

結果はしっかりB型。

「あれえ。本当だ。」とまだ、おっしゃる先生に

「内面は結構ナイーブに出来てるものですから・・・・。」と答えると

一瞬の間があってから

「・・・うわっはっはっはーあ~!そーか、そーか!」と診察室中響く大きな声で笑われてしまいました。

冷静に診断してくださる中にも、血の通った情のある暖かな対応に

「医は忍術」という言葉を思い出します。

それから3日間。自分の体ではないような体を引き連れての大変さを

なんとか乗り越えられたもうひとつのおかげ。

もうすぐ8歳の誕生日を迎える娘が作ってくれた鶴。

Photo_9

いつ、この子の魂にこんな気持ちを入れてくれたのか

私の知るところではないのですが

形ではない「祈る気持ち。」それが嬉しい限り。

私に鶴を折ってくれたことよりも、早く元気に・・という気持ちを娘が

持ってくれていることを知らせてくれた。それが形として鶴になったことが有難い。

形として、厳粛に祈るという行為も大切。

形でなく、心で祈る気持ちも大切。

どちらも、人間だからこそ必要なのだとわかれば

「そんな形にこだわらなくても・・・」と、自分本位の気持ちで決め事を拒否することもなく

「形を間違えたじゃないか。」と人をグサグサと、とがめることもなく。

人は、体と心とが揃ってこそひとりの人間なのだから

祈る気持ちも、形からと気持ちからと、どちらともなく、あるがままに感じたままに。

三寒四温にしては、寒が長いけれど、

自然の寒さに、芽を出すことをやめている利休梅のつぼみを部屋の中から見ながら

3日ぶりに触ったヤギのお腹が確実に膨らんでいることを確認しながら

慌てることはないかな。とやはり祈る気持ちで

真っ白な花の咲くのを待つ心をこの体に入れるために

新しい命をただ、待つ気持ちでいられるために

知らないウチにたまってしまったホコリを追い払うために

私に必要な時間だったと。

やっと熱も下がってこうして振り返るのでした。

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