今年、78歳になる実家の父は昨年息子を亡くしました。
娘の私としては、老体の身を案じ、
悲しみに落ちすぎて立ち上がる力さえもなくなることを恐れて、
直後から娘ふたりを送り込み自分自身も付かず離れずの体制を取りました。
亡くなった悲しさよりも、幼い私の娘の生きる姿に心を向けてもらいたい。
育てては、一瞬にして命を頂く仕事が農業だもの。
季節ごとの収穫を喜ぶだけでなく、頂いた命に感謝をして
そして、次へと向かう気持ち。
それがあるから、続けさせてもらうことが出来ている自分がいます。
大豆の枝は、枯れてしまったけれど、次の代を確実に残しているから
今の私もやっぱり、心は次の種である大豆を育てていくことに向かっています。
ウチの森にコナラの木が沢山あります。
その木から生まれたどんぐりは、全部が芽を出して育つことはありません。
いくつかは、雨に流され
いくつかは、乾きすぎて
いくつかは、畑ねずみにかじられて
いくつかは、気付かずに私が踏んでしまい
そして、やっと根を土に刺し込んで葉っぱを広げたところをヤギに食べられて。
けれども、そうしてどんぐりが先に命をなくしても、大きなコナラの木は生きていきます。
今日、母から電話がありました。
「お父さんの作ったイスとテーブルのセットが出来たから、取りにおいで。」
ウチに自然体験に来てくださるみんなのために、と何日も、何日もかかって
作ってくれたのでした。
意欲の衰えることもなく、しかし体力は上がることはなく
持病もあって、行った時には本人はかかりつけの病院へ。
テーブルセットを積み込んでいると帰ってきました。
「次はポストを作ってやるぞ・・・。」
私の娘たちやウチに来てくださる方たちの、心を開いて生きる姿が
万に一つの確立で授かったどんぐりの若木になって
樹齢78年のコナラの木に
気力という生きる上でなくてなならない力を与えてくれています。
娘の私は・・・。
ただただ、感謝することしかできません。
どんなに風が強くとも、つぼみはゆっくりとそして確実に膨らみ始めています。
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