氣まぐれ剣士の言いたい放題

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357 意識から無意識へ

2006-06-01 19:32:00 | Weblog
氣まぐれ剣士の言いたい放題

357 意識から無意識へ

 「記録から記憶へ」の続きです。
人間の心はいつもどこか興味のあるところへと移動しています。つまり、同じところにとどまっていないわけです。常にフラフラと風のように動いています。ですから、どこかに安定したところがないと心はどこにいるのかわからなくなって「不安になる」という現象がおこってしまいます。せっかく記憶してもそれをどこに持っていってよいのかわからないと消化不良をおこすわけです。

 それで、この心の居場所をちゃんと決めてあるわけですね。それを「意識」と呼ぶそうです。心は「意識」という居場所で安定します。そうして、この意識は大きく二つ、「顕在意識(意識レベル)と潜在意識(無意識レベル)」に分けられるそうです。心は昼間活動しているときには、ほとんど顕在意識(形に表れてくるところ)にその居場所を決めてその範囲でアッチコッチと活動しながら具体的な体験、情報を見ています。

 そして「自分らしさ」でそれを味わっています。五感覚を使いながら味わって喜怒哀楽などを楽しんでいます。ところが、夜、眠りの中で昼間「自分らしさ」で楽しんで想念を記録したものを記憶に変換すると、心は顕在意識から潜在意識(内にかくれているところ)へとその居場所を移します。そして、この潜在意識の中で、形には表れてこない内側のところまで心はすべてを見通してゆくわけです。

 この「見通す」というところに、関係各位のささやきのエッセンスが染み込んで行くのです。そうして、心は、自然界から宇宙から神々(と呼ばれているところ)から、いろいろなエッセンスを受け取って、染み込ませて「自分らしさ」を拡大していきます。この「自分らしさの拡大」によって、次の日「楽しみの拡大」ができるわけですね。

 こんなふうにして、「自分らしさの拡大」は智恵を拡大し、知らないうちに何でもできることになってしまって「能力アップした」ナンテことになるそうです。

 つまりね、昼間の活動中に知らず知らずのうちに「ただ、見ている」ということが、「見通す」ことになって無意識に潜在能力が出たことになっちゃうわけです。気づくことが多くなって、「アッ、ソウダ」と自然に何でもやれてしまうのです。
 
 考えることも必要ですが、気づくことの方がもっと大切かも知れませんね。

 いかがでした。
 次回も続きます。
 お楽しみに
以上