氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
一度のぞいてください。

333 評論

2006-04-28 12:02:36 | Weblog
氣まぐれ剣士の言いたい放題

333 評論

自分の周りでどんな出来事が起こっても、我々が「論評」する必要はありません。それを観て、我々がどう生きるかだけだそうです。

世の中には理不尽と思える出来事がたくさんあります。事件や事故、犯罪や戦争、疫病、餓え、災害など…。もし我々がその当事者なら、我々には大きな役割があり、そこから学ぶこと、氣付くこともたくさんあるかもしれません。

しかし我々が当事者でないとしたら、その出来事がどんなに悲惨なものであったとしても、それに対して「論評」したり、評価したりしないことが大切そうです。それがどんなにネガティブに見える出来事であったとしても、「大いなるもの」の承認なくしては、現実に起こることはないから。

そこに「大いなるもの」のどんな計らいがあるのかは、私たちには知る由もありません。わからないことはわからないで良いそうです。それを「論評」したり、評価することによって、私たちはその出来事に対して無意識の内にエネルギーを送ってしまうことになるそうです。

私たちが正義感から「ひどい」「大変だ」「許せない」という想いを持つと、それはネガティブなパワーを持って、その出来事と同じような現象を引寄せる手助けをすることになってしまいます。

 それがどんなに正しいと思えることであっても、強い正義感や使命感から出る想いはその正義感と同じだけのネガティブなエネルギーを溜めることになってしまうので注意が必要です。あなたの正義感が次なる事件の引き金になるかもしれません。

その出来事が心地良くないと感じたら、自分だけはそんなことはしないと、自らに堅く誓えばそれで良いですね。私たちはどんな「論評」をするのかを問われているのではなく、ただそれを観て、どう生きるのかが問われているだけなのですね。

 剣道でも一緒ですね。他人の悪いところはよく目に付きます。それを、あそこが悪い、ここが悪いと一杯ケチをつける人がいますが、要は自分が直せば良いだけです。 
 でも自分の悪いところは自分の背中と一緒で自分では分からないものですね。

いかがでした。 
次回もお楽しみに。                           以上