氣まぐれ剣士の言いたい放題

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328 チャンスがきたら

2006-04-18 14:21:51 | Weblog
氣まぐれ剣士の言いたい放題

328 チャンスがきたら

あるお話です。

ある人の口ぐせは、「チャンスが来たら」でした。彼は、今の仕事が嫌いだったし、住んでいる家も気に入りませんでした。本当にやりたい仕事は他にありました。 
 いつも今の仕事を辞め、やりたいことをはじめたいと考えていたのです。彼はまた、住みたい土地や家のことは、毎日、頭のなかに思い浮かべて楽しんでいました。

 チャンスがあったら、今、すぐにでも仕事を辞めよう。
 チャンスが来たら、新しい家を手に入れて、心地よく暮らそう。
 「チャンスが来たら……」
 
 彼は、気に入らない家に住み、嫌な仕事をしながら、毎日、そう言い続けていました。そして、何十年もの月日が流れていきました。結局、彼は、定年になるまで同じ仕事を続けました。もちろん、同じ家に住んだままです。

 その後も彼は、「チャンスが来たら」と言い続けていました。まだ、いつかは自分にも人生を変えるようなチャンスが訪れると信じていたのです。けれども、結局、70歳で亡くなるまで、彼のところにチャンスがやって来ることはありませんでした。

 ……天国にたどり着くと、彼は、あちこち探し回って、『チャンスの神様』をみつけだしました。
彼は、神様に尋ねます。
「ずっとずっと待っていたのに、どうして私のところには、チャンスを持ってきてくれなかったんです。他の人のところには、何回も何十回もチャンスを与えているのに」

 チャンスの神様は、こう答えました。
 「そんなはずはない。私は、誰にでも平等にチャンスを与えている」
彼は、顔を真っ赤にして神様に食ってかかりました。
「バカな! 私は、ただの一度もチャンスに出会ったことはないぞ!」

 神様は、困ったような顔をして答えます。
「それはお前が、ちゃんとチャンスに気づこうとしなかったからだ。私はお前に、3600万回以上、つまり、他の人と同じように、生きている時間の1秒に1回、チャンスを与えたのだ」
  
 そうです。
 彼は、「チャンスが来たら、チャンスが来たら」と考えることに忙しくて、結局、目の前にあるチャンスに氣づかなかったのでした。

 「明日」という日は、永遠にやって来くることはありません。
 「今日の夜に寝て、目が覚めたら明日じゃないか!」
と思われるかも知れませんが、目が覚めると、もうその日は「今日」になっているのです。
 「明日」は、またしても、もっと先に逃げていってしまっています。
 「明日」は、いつまで待っていてもやって来ません。
 私たちが生きることができるのは、いつでも「今日」だけなのですね。

 だから、「いつかチャンスが来たら」と思っていても、永遠にチャンスが来ることはないのですね。チャンスがあるのは、いつも「今」だけだそうです。

 人生に変化を起こし、前に進んでいくことができるのは、今、この瞬間しかありません。“夢を叶えるために”“望むものを手に入れるために”

 今やらないとしたら、いったいいつやるのだろうか?

 ほんとにそうですね。明日やれば良いわと思っていると、いつまでたっても出来ないことは、よく経験がありますね。結局今しかやるときはありません。
 頭では分かってはいるのですが、一歩前に出る勇気が無かったり、すぐ心配したりして、せっかくのチャンスを逃がしていることがあります。

 でもこの人もスゴイですね。天国へ行ってからでも、神様に因縁をつけるのですから。この執念をもっと他に向ければきっと良いことが起きたのに。

 氣まぐれ剣士もチャンスを待っていたらあっという間に50歳に手が届きそうです。もう50歳と思うか、まだ50歳と思うかによってチャンスを手に入れるかどうかが違ってきます。まだまだ人生の半分だと思えば・・・。

 ちなみに、99歳は白寿(はくじゅ:百に1本足りない)、100歳は百寿(ももじゅ)110歳は珍寿(ちんじゅ:珍しい)、120歳は大還暦(だいかんれき:還暦を2回)というそうです。
 人間は120歳まで生きられることを、昔の人は知っていたのですね。

 いかがでした。
 次回もお楽しみに。
以上