名無しの教師の日誌

ある公立中学校教師の教育私論と日記です。

伝統とは何か

2018-01-03 14:52:50 | 日記(その他)
みなさん、年賀状、どれだけ届きました?どれだけ出しました?

例年、年末が近くなると

「どこまで年賀状を出そうか」

と悩むのは、私だけでは無いはずです。

そして、イオンとかで年賀状はがきを売っている郵便局員さんを見て

「ああ、あれ売れ残ったら買い取りらしいな……」

などと考え、陰鬱な気持ちになるのも、私だけでは無いはずです。

通信手段がまだまだ発展途上な時代

「せめて、年に一回は、挨拶のはがきを出そう」

という発想になり、年賀状という風習が定着した……

これは理解できる話です。

そんな世界観であれば、年賀状も価値あるものだったでしょう。

しかしながら、これって電話が高級品で、自家用車も普及しておらず、新幹線も無かった時代の話でしょう?

ここまで高度情報社会になり、交通手段も発達した今

単純に顔を見せることや、電話などで挨拶をすることがそこまで難しいことでは無くなりました。

さらに、電子メールやSNSなどもあります。

そんななか、「伝統」だからとアナログなはがきを出す……

おっくうに感じてしまう人が増えるのは必然ですし

そんな現代で昔ほど年賀はがきを売ろうという考えがそもそも無謀です。



もう一つ、お正月の伝統と言えば、おせち料理。

実は私はおせちが大嫌いで、実家に帰っても食べません。

私は薄味が好きで、おせちは保存食という性格があり味が濃いめ。

絶対に私の口には合いません。

そもそも、おせちは、正月くらい主婦に休みを、という考えから生まれた保存食です。

「男は一家の大黒柱として社会で労働、女は主婦として家事労働と子育て」

という考えが陳腐化した現代で、おせちの根本は崩れていると思いますし

冷蔵・冷凍技術も進歩した今、おせち要る?と思ってしまいます。



伝統だから

いままでそうだったから

そんな理由でやるのは、もう辞めた方がいいと思うんですよね。

伝統だからやるんじゃ無くて

みんながこれはいい、続けたいと感じて、自然発生的に恒例行事になったものが

後々「伝統」と呼ばれる……これでいいじゃ無いですか。




学校教育の場でも、同じ事が言える気がします。

「いままでやってきたから」

そんな理由で、惰性で行なわれている教育活動が多い気がします。

一度全部ぶっ壊してやりたい……ひっそりとそんなことを思っているのですが、そんな権限、私には無いのでした。





以下、本題とはそれますが

私の年賀状事情。

個人的なラインとしては

「同じ職場の人には出す」

です。

そして私は、出した人から来なくても、何も感じません。

失礼だ!なんて感情はわきません。

私は、そういう人です。

今日、数名の方から年賀状が届きました。

今日届いたと言うことは、この年賀状が出されたのは、1月1日

つまり、出した側からすれば、イレギュラーということです。

そして共通点が……私とは所属学年が異なる方達からの年賀状でした

以下は推測ですが

「まー名無し先生は、学年違うし出さなくていいか」

→(1/1になり)「やべっ、来てるじゃん、出さないと!」

→今日私の家に年賀状が届く

という感じじゃないかなぁ、と思っています。



「相手が喪中でも無い限り、年賀の挨拶だし、出しておいて悪いこと無いだろう」

そう私は今まで考えてきたのですけれど

なんかもう、そもそも年賀状を出すことがいいことなのかすら疑問に思えてきました


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