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バラ科:専門医

A memorandum

夏目漱石の『坊っちゃん』について (by 茂木健一郎氏)

2010-09-09 09:08:20 | 言葉
夏目漱石の『坊っちゃん』について (by 茂木健一郎氏)


坊(1)
夏目漱石の『坊っちゃん』を子どもの時最初に読んだとき、坊っちゃんが悪いやつらをやっつける痛快な小説だと思った。そのうち、この小説の背後に流れる、痛切な哀しさ、社会の不条理に気付く。

坊(2)
坊っちゃんと山嵐が、赤シャツと野だいこをなぐって、懲らしめる。痛快なようだが、結局職を失うのは二人である。赤シャツと野だいこはそのまま学校にいて、マドンナも赤シャツのものになってしまう。

坊(3)
そもそも、坊っちゃんの生い立ちはさびしい。父親は顔を見る度にお前などロクなものにならないという。台所でふざけて叱られ、親戚の家にいる夜に母親が死ぬ。死んだのはお前のせいだと言われて兄につっかかり、またもや叱られる。

坊(4)
肉親が皆坊っちゃんを疎外する中、唯一親切にしてくれたのが、きよ。きよだけが、坊っちゃんの心がまっすぐで良いと褒めてくれる。そのきよの愛を、坊っちゃんはなかなか素直に受け入れることができない。

坊(5)
坊っちゃんが赴任する松山は、小説中でいろいろ悪しざまに書かれている。人々は陰湿で、お互いに相手の視線ばかり気にし、不効率で、形式主義で、集団に埋没して自分で考えない。

坊(6)
『坊っちゃん』の中に描かれる松山は、実は「日本」のことである。風土病とでもいうべき、日本の悪弊の数々。それが「松山」という田舎のことだと思うから、読者は安心して笑っているが、実は漱石によって書かれた自分たち自身の映し絵なのである。

坊(7)
漱石の批評精神は、自分自身にも及ぶ。『坊っちゃん』の登場人物の中で、漱石自身がいるとしたらどれか? 子どもの頃読んだ時には、江戸っ子で、正義の味方である「坊っちゃん」こそが当然漱石の分身なのだろうと考えていた。

坊(8)
実は赤シャツこそが漱石なのだと気付いた時、その自己批評の厳しさに涙した。学士様で、気取っている。何よりも、友人の女を奪ってしまう。『こころ』でも繰り返された、漱石のトラウマのようなテーマ。この烈しさがあったからこそ、漱石は偉大な作家となった。

坊(9)
『坊っちゃん』の中で、きよやうらなり君は、抜け目なく世間を渡ることなく、ただ人が良いだけで、どんどんと没落していく。しかし、そのような人たちにこそ人間としての「誠」があるということを、漱石は痛烈な筆致で書く。

坊(10)
『坊っちゃん』では、新聞がデタラメを書くということが痛烈に批判されている。坊っちゃんと山嵐が学生たちの騒動を止めに入ると、新聞には二人が扇動したと書かれる。しかも、訂正記事がなかなか出ないのだ。

坊(11)
『坊っちゃん』は、子どもの頃読めば、痛快な青春小説として楽しむことができる。大人になって物事がわかってくると、漱石が、社会の不条理、日本の病理、生きることの難しさ、人として大切なことについて、いかに多くの激烈なる「時限爆弾」を隠しているかということに気付き始める。

坊(12)
漱石は、『坊っちゃん』を書いた当時、一高と東京帝大で教えていた。授業や試験の採点などで忙しい中、一二週間ほどで一気に書き上げたとされる。漱石自身にとっても、『坊っちゃん』を書くことは一つの「解放」だったのである。

坊(13)
『坊っちゃん』を書いた翌年、漱石は東京帝大を辞し、当時の「ベンチャー企業」であった朝日新聞に入社する。今とは比べものにならぬくらい大学教官に権威があった当時の風潮からすると、常識では考えられぬ烈しい反骨精神であった。

坊(14)
最後に、坊っちゃんはずっと自分のことを無条件に愛してくれていたきよと一緒に住む。「清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。」

坊(15)
『坊っちゃん』の最後「死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。」結局、最後に残ったのは純粋でまっすぐな愛であった。

坊(16)
日本が激動の時を迎え、個人を抑圧するさまざまな日本の「風土病」とでもいうべき社会の不条理が解体の時を迎えようとしている時、人として大切なものを見つめ直し、生きる勇気を得るためにも『坊っちゃん』を読み返したい。

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遅かりし

2010-04-02 10:00:32 | 言葉

「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
苦しみの日々が来ないうちに。

「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
太陽が闇に変わらないうちに。
月や星の光がうせないうちに。
雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。」

コヘレト12章1節~2節 旧約聖書



 悲しいコトに すでにワタシは
「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢

 たぶん・・・・


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桜 <小学校6年・道徳の授業の教材>

2010-02-24 00:48:47 | 言葉

アフガンに命の水を

永年、アフガニスタンの山岳地帯で医療から見放された人々への医療を、
徒歩と馬で巡る医療キャラバンで行ってきた、日本人医師 中村哲氏。
医師として、薬や手術で命を救う活動だけでなく、人々の暮らしを支える
水の供給(きょうきゅう)のために、アフガニスタンの人々と共に働いている。

                  ペシャワール会26年目の闘い

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勝間和代さん「NHK生活ほっとモーニング」

2009-12-04 09:41:09 | 言葉

先ほど、『NHK生活ほっとモーニング』に勝間和代さんが出演され、
そのときにココロに留まった言葉をまとめてみました。

twitterに書いたものです。
仕事しながらでしたから、
もっといろいろな言葉があったのかも知れません。


1.実験もちょっと休憩。講義テキストの校正をしながら「生活ほっとモーニング・勝間和代さん出演」を見てる。おっとりの私とは真逆なタイプなので(雰囲気ね)、加えて考え方を生で感じたい。しかし・・・・私と話すスピードが違う。(苦笑)共感できることは
「人のために働いた分賃金がついてくる。」


2.「家族がうまく行かないと、仕事もうまく行かない。」


3.「①妬まない。 ②愚痴ったりしない。 ③怒らない。」 

   →これは私のモットーでもあります。
   加えて、*人やもののせいにしないこと。
   *ひたすら「心地よく」過ごすことにしているのです。
   *イライラするとルックスが悪くなるから。


4.「本屋に行けば出会いがある。」→兄弟がいない人、上司に恵まれない人など、いろんな人がいるけれど、書店に行くと何かに出会える。


5.「ダメなところは人と共有して補う。」 →NHKのアナウンサーも早口になってきてるぅ。「できないことが100%だと人生苦しいわよね。」「得意な分野を頑張る。伸ばす。」


6.「子どもへ→何も言わずに見守る。 願いは自立して自分で仕事を選択して行い、社会に貢献してもらうこと。人が何を考えていて、どのようにすると相手に気持ちよくなってもらえるのかを考えられること。」


7.「自分の幸せは、周りの人を幸せにできた総量できまる。~自分の力なんて2%~」


香山リカさんのお話もあり
テキスト校正(私のこの時間の仕事)と平行しながらでしたが、
私的にはとてもいい時間でした。(笑)


*ちなみに、私の時間の流れと異なるため、驚きはありました。
 自動掃除機なんて特に・・・・。


コメント (4)
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Regent Street

2009-12-02 08:44:41 | 言葉

12月に入り 過密スケジュール化
能力の低い私にはかなり厳しいけれど 幸せなことと思っています

巷では クリスマスムード

私はココロに残った言葉をメモしているのですが
以下 どなたの言葉か書き忘れていた・・・・


『 最初に極論を言おう。
  ビジネスで成功するかどうかの鍵は
  結局のところ 仕事を人生最大の遊びにできるかどうかだ。

  面白い仕事があるわけではない。
  仕事を面白くする人間が いるだけなのだ。

  人生は一度しかない。
  だからこそ 何かを成し遂げたいと思う。
  そして この世で何かを成し遂げるためには
  世界が無常であることを
  いつも心に刻んでおかなければならない。』

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