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軍事分界線の中警戒所の集団殺人劇

2008-04-15 23:20:26 | G.P.506



映画を見た後の感じをちょっと整理できた感じの記事というかレビューだったので貼っておく事に・・・。
最初に見た感じと似た感覚だったので・・・。
やっぱりそうなのかなあ・・・・・と・・・。

ちょっと最後の部分がひっかかるんだけど・・・

元記事

GP 506 ‘閉ざされた監獄’ 軍隊を通じて社会の暴力性·狂気告発


前作 ‘アールポイント’に引き続き再び軍隊と軍人たちを素材で扱ったコンスチァン監督の新作 ‘GP 506’は最後まで謎を残す類型のミステリー劇だ.506GPで隊員たちの間に滲んだ奇病の正体は何か.どうして奇病が広がったのか.奇病は果してどこから来たのか.いざもっと分かりたいことは,この奇病の正体が分かることが重要だか,あるいはそうなのそうでないかだ.これこそ最後まで残る謎の頂点だ.映画を見ていれば GP 中で開いた大型殺人劇は奇病と関係がないことのようにしきりに感じられる.

もうちょうど妻の葬式を終えた軍需士官ノ捜査官(元士·下士官階級の一つでいわゆるノはダイヤモンドであった准尉より下の,上司よりは上だ.一種の特務上司級と思えば良い)は上級者から特命を受ける.軍事分界線の中 506GPで原因不明の殺人劇が起って小隊員 21人の中 20人が皆殺しにしたがなかでも GP職人ユ中尉の死骸を尋ねて来なさいというのだ.理由となるとユ中尉が陸軍参謀総長の息子という.ユ中尉とともに殺害されたことと知られたあげく小隊員たちは生きている兵士が皆殺害したことに報告された.血なまぐさい死骸が積もっている 506GPに急派されたノ捜査官はその所にあらかじめ来ていた憲兵捜査隊と合流,ユ中尉の死骸を捜して同時に犯行動機をあかすことに力を注ぐが事件の糸口を捜すどころか憲兵隊員たちさえ一つ二つお互いを死んで殺す狂気に包まれるようになる.

コン監督にあって GP幕舍,兵営 (あるいは ‘アルポイント’のように戦闘が起るベトナムジャングルどこまで) などは軍という集団を象徴するのではない.彼においてそれは人間深淵の恐怖をのぞき見られる美学的空間だ.前作に引き続き二番目作品さえ狂気に包まれた軍人たちの話を描いているがそれでも彼の作品世界を通り過ぎるように軍事的,政治的に拡大解釈することができないことはそのためだ.

それにもかかわらず彼が繰り返して軍人たちの話を作ったことは軍隊こそ人間内面の隠された暴力性と狂気がたやすく露出する ‘閉ざされた監獄’であるからだ.これは結局ミッシェルフーコーの ‘監獄’に対する思索のような脈絡で感じられるのにコンスチャンは一番極悪した形態と同時に象徴的監獄である軍隊という空間を通じてうちの社会がもし合法と知識,権威と規範の仮面をかぶって事実上各個人たちの生をより一層締め付ける方向に進んでいるのではないかを問う.

現代社会は万人の效率的な生のためのようで,何より安全な生のためのようで決まったわくを打っておいて法と道徳,秩序の名前で規律たちを植えておいたが実際人々の日常を搖るがすわめきは外でなく中,すぐ内部から出るというのだ.結局コンスチャンが指目することは軍隊内部ではなくうちの社会内部の問題だ.コンスチャンの ‘軍人たち’が劇の中で容易に及んで行くこと,敵にではなくお互いに銃口を狙うようになることはそのためだ.

‘GP 506’ 中で一番理性的な人物に見えるノ捜査官の行績が結局道路(徒労)に帰結されることは彼が守ろうとする内部が事実は ‘小さな内部’であるだけ ‘もっと大きい内部’の問題が厳存している.彼は兵士らの狂気を自滅を通じる ‘もう一度の皆殺し’で無くそうと思うがそうだとしてその根源を無くすには力不足であるだけだ.コンスチャンの映画が恐怖の外被を使っているにも事実上恐ろしいより悽惨に感じられること,薄気味悪いよりかえって悲しい葬送曲のように悲観株に絡まっているように感じられるのはそのためだ.

そんな側面で見る時短い期間でもこの映画がボックスオフィスで 1位を走っていることは驚きだ.效用の極端的価値を追い求める今の時代,暗い本当の裏面よりは明るくて派手な虚像の正面を眺める今の時代にこの映画は確かにそれと大きくさからって行く内容だからだ.それなら観客は時代の真実をよく分かっているという話だろうか.それともこの映画に出る青春スターチョ・ヒョンジェのためもたらしたきらっと蜃気樓に過ぎないのだろうか.なにとも前者ならと願うだけだ.


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