昔、平良の港近くに「日の丸旅館」というのがあったそうだ。
「あったそうだ。」というのは今はない。
それを知っている人もほとんど今はいない。
その旅館は戦前からあったという。
当時を知るオジィから、その話しを聞いたときに違和感を覚えた。
江戸の時代にお店の名前を「徳川」とか戦時中に
お店の名前を「天皇」とかありえない。
現在は死語であるが「三国人」という差別用語があった。
主に朝鮮や中国、台湾の人のことをいう。
沖縄は日本であるが当時は同じ民族と思っていなかった人もいた時代に
「日の丸」を掲げることはできても「日の丸」を旅館の名前にする
ことは難しかったと思う。その話しをオジィにすると日本の海軍が
その旅館に「日の丸」と命名したという。
30年以上前に砂山ビーチ沖の防波堤工事で朽ち果てた木造の船らしき
人工物を見つけた。その船の元の形が円形に見えた。
大きさは10mを超えるが朽ち果てていて元の形は想像するしかない。
その話しをオジィにしたときに「日の丸旅館」の話しが出た。
潜水艦の実験が行われていて事故が起こった。
その時に尽力協力したのが、その旅館でのちに海軍御用達となり「日の丸」と
命名されたという。オジィから聞いた話しであって、歴史には記録されていない。
昔のオジィから聞いた話しには驚くことがたくさんある。
歴史に記録されない話し。