宮古島市上野野原にアリランの碑がある。
2008年に建てられたもので比較的新しい。
慰安婦像を建てる会という団体が建てたもの。
説明書きには、沖縄戦当時、宮古島(伊良部島も含めて)に
16ヶ所の慰安所があったことが
数次にわたる関係者の調査であきらかになった。
その中の一つ、野原地区にあった慰安所の近くに住んでいた
与那覇博敏(当時小学校5年)は、女性たちが「ツツガー」という
井戸に通う姿をよく見ていた。
井戸は慰安所から30分のところにあり、途中きつい坂道もあった。
そのためか彼女たちは、この場所で道端に腰掛けて
休息するのが常だった。
戦後、与那覇は朝鮮から連れてこられた女性たちのことを
忘れてまいと、その場所に大きな石を置いた。
その石の場所に碑が建てられた。
与那覇の置いた石がアリラン碑に生まれ変わり永遠の碑と
なったと書かれてある。
この話しはかなり脚色されているという話しもある。
宮古島には戦時中、決戦に備えて島中に豪が掘られた。
大小含めると数えきれないほどの豪がある。
海軍の豪、陸軍の豪、特攻艇を秘匿した秘匿豪、大砲を備えた豪、
そして防空壕これらの豪を掘るのにたくさんの朝鮮からの人もいたそうだ。
夜になると豪の近くからはアリランの歌がよく聴こえて
来たのでこれらの豪をオジィやオバァは「アリラン豪」とよんでいた。
アリラン豪と呼ばれる豪は島の各地にある。