真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

Ballantines 17

2019年05月24日 | 安全な食品


今日もいろんな事をしてしまった。


午前中には 中西武道具のSさんが、このたびイオンカルチャーで 城一水師範に真剣道を習うことになった、Hさんの稽古着を持ってきてくれた。

自室にてしばし歓談。

午後からは、ジャンク修理だ。

まず、ジャンクの NIKON D70を動くようにして、掃除をした。
なかなかきれいになった。

掃除前の姿はこれ



次に知り合いから来た、ジャンクもどきのレンズ群を点検

まあまあの収穫だ

岸和田図書館からメール
ホモデウスは人気らしい
予約のお知らせが来た

Noタイトル状態取置期限日
1ホモ・デウス 上予約中
2ホモ・デウス 下予約中
3『サピエンス全史』をどう読むか予約割当済2019/05/30
4上脳・下脳予約割当済2019/05/30
5眠れない一族予約割当済2019/05/28
他 2件  


おやつには、ダーリンが作ってくれた完全オーガニックのみたらし団子を食す



夕食の用意が始まると、KUROが忙しそうにしている


やはり

北海道でとれた、サンマの焼いたモノだった

オーガニックのレモンなど贅沢の極みだ。

それを
食べて、

令和という元号も板に付いてきたようだと、ふと思う。


仕上げは、バランタインの17年もの
ああいい人生だ


なにも足さない、なにも引かない

2019年05月18日 | 無双直伝英信流
今夜の瑞月会の帰りに城一水師範と車中で話す。

古流は師と弟子がシンクロすることから伝承が可能だということを言った。

親鸞さんが、師に「すかしまいらせても結構」と言った、その決意が畏れながら、私も大事だと思う。

このエピソードは こちらの法話がわかりやすい


http://koun18.com/houwa-pascal/


阿弥陀仏を唱えて、地獄に落ちても、それでも師を信じるという態度だ。
私ごときがいうのも恥ずかしい限りだが親鸞さんはすごい!

善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや で17歳の田舎の高校生であった私は、はやりの共産主義者をきっぱりやめた。



師伝というのはそれを守るのが弟子のつとめで、やがてそれを乗り越えようとする態度も賞賛される美風だ。


しかしながら人には器量というモノがあり、師を超えられない弟子が多数だ。


その場合、開高健文豪の名コピー「何も足さない、何も引かない」のがいいだろうと考えている。


たとえば師伝の業前を変更しない、誤解、勘違いすることはあっても、故意には変更してはならない。

また、師伝でもないモノを加えてはならない。
それは「添加物」となり有害だ。


私の受け取った業前は 表では英信流 初伝、中伝、奥伝、暇乞   居合形  大日本抜刀流 刀法
           人に見せない 卍一刀流試刀術(菊の御紋)

補助線としての  裏  無端流 (完全口伝)


太刀打ちも詰め合いも、受け取っていないから次に渡しようがない。


ビデオや本で師でもない人がやっていることを真似ても、どうかしら?


ビデオを研究してうまくなるというレベルという武術があるのかしら?


この刀で居合をする限り、何も足さない 何も引かないという、私の規範は揺るがない

この全体像がすべてだろう。


私は、師伝を遵守するが故に、二十二代池田宗家の講習会に一度も出なかった。
池田宗家の人柄は存じ上げていて、実に誠心誠意のご人徳を感じていた。

ただ、師伝を変更せざるを得ない状況を回避するためにあえて講習を受けなかった。

そのために白眼視されても仕方ないと腹をくくった。



真実、これくらいで「武道」を標榜するなら当たり前だと考えている。


あの世では、先師「村上基助」先生 「齋藤正」両先生が にっこりしてくれているだろう。





    





君の五月に

2019年05月17日 | 夕暮れのオンガク
夕暮れを一陣の風が過ぎる

一陣風 「イージャンフォン」とひとりごちて、くっきり展がる蒼空を感じる。

このところ、音信が届く

たとえば夢

たとえば手紙

たとえば手紙に添えられた上等の消毒薬(ウイスキー)

どれも、私に対する通信だ。


一昨日師範会が招集され、ごく内輪の指導要領が話し合われた際に持参したモノ



先日来、道場内で人気が出た(笑)似顔絵

無完庵准師範のお顔も人気があったが、今回は城一水師範だ

一水師範は長い手紙をくれた。

ほのかな、柔らかい文面にきりりとした決意が織り込まれていた。



そうすると今度は、不機庵四段が自宅を訪ねてきたという。
何か事情があってアポなしで来たのだろう。

これまた、上等の消毒薬が添えられた,実に几帳面に書かれて、練りに練った手紙を受け取った。




彼は入門7年が経過したという、この春やっと四段に昇段した。

何事も納得するまで【進まない】というその姿勢もいいだろうと私は考えている。

順番や格好を追いかける、また段をほしがるアホ居合の対極の修行姿勢で、そんなんもあり!







目に見えるモノばかりではない
昨日見た夢は、ノリコちゃんが出てきた。
夢の中で、40歳くらいの彼女がトラブルに巻き込まれていて、私が「助ける」というと
彼女は悲しそうに「トヨカズさんには頼めない」と逃げていった。

ああ、今頃どうしているだろうか。

私は、松山市御宝町で生まれた、その翌日御宝町に女の子が生まれた。ノリコちゃんだ。
彼女は母乳の豊富だった私の母のおっぱいを私と、ともに飲んだ。
幼い頃はままごと遊び、幼稚園~高校までずっと一緒に進学した。
まだ御宝町に住んでいるだろう、元気でいて欲しい。

御宝町130番地で生まれた、もう一人も忘れてはならない。
私のいとこで「いつかみた夕焼け」などという小説を書きながら、これまた生涯の天職に没頭するサンオー君だ
二番町にある彼の店は「BAR KOOL] 日本は言うに及ばず世界の名バーテンダーを訪ねる武者修行10年以上やりきり、開店した店で
一流のセンスで構築された店内、オリジナルカクテル「松風」を飲んだ人がうなる、ええ店です。

私の書いた「日々好日」もありますから、酒の肴にしてください(笑)












一切無常

2019年05月12日 | 基道館活動記録

「一切無常」

散ってゆくから
美しいのだ
毀れるから
愛しいのだ
別れるから
深まるのだ
一切無常
それゆえにこそ
すべてが生きてくるのだ

    -坂村真民-

天神山では今夜も稽古が行われた。

准師範となった、無完庵6段に「口伝」を渡すことに決めていた。




口伝とは 奥「暇乞」の三種のことである。

人払いをして、冒頭

「息は吐くほうから始めますか?吸うほうですか?」と始めた。

吸うほうですと至極まともな返事である。

それは正しい、小笠原流礼法で身についた「体のくせ」で正しい修行をしたサムライなら当然である。

「しかしながら生まれたときはどちらだったか覚えていますか?」

はて・・・・・無完庵准師範困ってしまった。


「おぎゃ~と吐いたようではないでしょうか」


この問答は今夜の口伝に大きな伏線を張る事が目的だ。


「あなたは六段となり、これから別の見方をしてゆくことになる、この口伝はそのよすがとなるでしょう」


コペルニクス的転回という言葉が実に当てはまる時間だったろう。


どういったことが准師範の身につき、それが彼の精神のあり場所を変えたかは私には分からない。


これが『表の無双直伝英信流』の奥だとは理解してくれたようだ。

先師齋藤正名人から受けた口伝をまた一人に伝達する事ができた。

「これで、表の英信流はすべてお伝えしました」

このあと一人稽古してくださいと別れた。


筆者註
殺意を持った居合者には対抗するべき方法がない。
「相打ちで上等ですと最初から死ぬ気で抜いてくるのだから始末に困る。
だからこそ、居合がおそろしいとなっている。

私は英信流の自分自身に勝てる方法を模索してきた、その結果は弟子たちの知るところである。
基道館の居合(真剣道)がたとえばドイツの特殊警察のひとにも有効であるのはみんなが見たとおりだ。
暇乞はおそろしい思想を持った業である、無完庵しは「これでは、たまりませんね」と感想を述べたが
私はそれを凌駕できる方法論を示しておいた。お得ですよね!



これにはそんな意味があったのかと一人稽古する無完庵氏



人数が少ない天神山では、このあとまた面白い実験が行われたのだが、特筆するべきは豊水二段が重くなっていて押しても動かない
正中も丹田もそれなりに落ち着いてきているといううれしい結果だ。







基道館 規約改定

2019年05月07日 | 基道館活動記録
15:53 大城戸有限齋new 基道館規約改定1
令和元年5月7日


序文
私は基道館の定めを改訂することを必要と感じその作業を始める。
その理由は新たに参加した会員、古くからの私の直門たちが,それ相応の責任を果たすべき立場に至ったのを見て、いま明らかにしておくべき事柄を旧来の教えに付加しさらなる飛躍の礎としてもらうためである。

私は過ぎ去ったものに敬意を抱いて修行してきた。
たとえば先師の遺訓、英信流の掟など、身を律する根拠となるあらゆる事柄に付いてである。過ぎ去ったものに敬意を持たないでは、先師の教えはただの「技術論」におとしめられ、彼らの熱情をつぶさに受け取ることは難しいだろう。
もちろん、今という時間はかけがえのないものであり、とりまく状況も刻々と変化する。
それに対応するのは至難の作業であり、多くの人々はそのことだけに取り紛れてしまうのも悲しい現実だ。

しかしながら、それ以上の地平を求めてする努力は、真剣道を標榜する基道館の宗師範として「できる」「できない」という現実はさておき、目標を明確に示す責任をいささか果たし得るのではないだろうか。

真剣道を修する居合者は次のことを念頭に置いて欲しい。

伝統を継承しようとするとき、我事の名誉栄達より先に「先師であればどうなされただろう」という視点を保持するべきだ。
次に修行で得た知識・人間性の向上などの徳目は450年も以前に発信され、自らが発明・発見した事柄ではないと謙虚に自省し、道統に連なる喜びと責任をみつめるべきで、決して自らのためだけの修行で終わってはならない。
それぞれの家族、地域、地方、国家、人類、生きとし生けるもの・・・すべてによかれと思える生き方が修行の眼目としてあることが望ましい。
15:59 大城戸有限齋new これらの文章を推敲し、わかりやすくしかも適切な日本語で仕上げたいと思います。それを翻訳し ドイツの人々にも理解してもらい「入門誓願」の英語版 ドイツ語版を作成する必要があると考えています。こういった項目を付加すればいい、またこれはもっとわかりやすい言い回しがあるなどご意見をお待ちしyています