2007年12月17日(月) 日経ホール 18:30~20:30
Forum of Japan - 伝統から、未来へ -
一部、二部構成で、文楽太夫の住大夫さんと吉さまとの対談
(吉さまは、ほぼ、聴講生(笑))
吉さまは、ダークスーツで住様は、羽織袴でした。(袴着けてたような気がします。)
客席から見て、下手がわから女性司会進行さん、住様、吉さまの並び。
伝統から未来へということで、各々の略歴と、後の世代にどうやって、自分たちの
芸を伝えていくかというようなアウトラインで進行。
住様も戸籍上では実子になっているけれども、実父の兄上の養子なんだそうな。
で、吉さまも、初代(実の祖父)の養子ということで、<養子>という共通点が
あると。住様は、子供のころから、芝居やら浄瑠璃やらが好きで、ようく見ていた
そうな。
東京には行かれないので、東西合同歌舞伎で初代が関西に来ると見ていたそうです。
初代の合邦がよかった、勧進帳の富樫がよかったと。
伝説の名優をリアルタイムで見ているということで、素直に感心。ほほお。
初代の富樫はまるで訛っいなかった。訛というのは江戸弁のことで、住様曰く、
江戸時代になるまでは、都は京都で、文化の中心も京阪だった、江戸は江戸村だそうな。
対して吉さまが、播磨屋も元の出は大阪で、初代の父歌六さんは大阪だし、母は江戸っ子だし、
両方うまくいったんじゃないでしょうかね。と応答。「
「僕のように三代東京に住んでしまうと江戸っ子でダメなんですよねぇ。」
が、そのへんから、住様がとばすとばす。また、しゃべりが上手い上手い。
さすがは、<間>の大夫。おそるべし。
で、順不同ですが、演目を羅列、まず、<勧進帳><合邦辻><寺子屋><日向島>
<帯屋><熊谷陣屋><俊寛><引窓><壷坂>などなど。
他にもあったと思います。思いますが、けれども、なんせ、じっくり聴いていられるのに、
ポンポンとしたはんなりマシンガントーク(?)だったので、感心したり、笑ったり、
話を追ったりしていて覚えていません。
それら、演目の一部を目の前でかたってくださり、まあ、文楽を見たことのない
伝統芸能ファンで無い、吉キチの私でも、聴き惚れました。
最初から、ペンを持って何やらメモを取っておられた吉さまですが、がっつり聴講生。
メモしつつ、住様をガン見で、拍手されて大喜びでした。
芸は<情>、<声>でなく<音>だと、喉から出すのでなく、腹から出す<音>が
大切だと、腹力<ふくりき>というそうな。
時平の七笑の笑いや、源蔵戻りのかたりやら、俊寛の出の謡いやら、引窓の与兵衛
さんが、濡髪に逃げ道をひとりごとめいて教えるときの<山越えに>←文楽
<山越しに>←歌舞伎(播磨屋系)の違いやら、興味深い話しがてんこもり。
吉さまは、初代がそうやっていて初代がやっていた当時でも、<越しに>か<越えに>
かは問題になったけれども、僕は初代のやりかたでやっています。と。そして、
<越しに>の方が台詞として言うときにのばしやすいのかもしれませんね。
と、ここは、「山越しに~」と台詞を本息で聴かせてくれました。
前後してると思いますが、やはり、文楽の大夫方と共演した<日向島>の話では、
聴講生吉さまも熱く、語っておられました。
(新橋演舞場で二日間だけの上演でも、大きな話題を呼んだ(らしい。))
実父八代目幸四郎さんへの尊敬がもんのすごく伝わりました。鬼気迫る迫力だったようです。
大げさに言えば、文楽大夫さんがわも歌舞伎役者がわも命懸けのような舞台だったようです。
が、わざわざ言うこともないのですが、私はいまだに景清さんトラウマが。。むにゃむにゃ。
あとは、吉さまが、今の若い方たちと芝居をしていると、どうも、台詞のリズムが
どうしても、合わない感じになると。どういうふうにしてそれを、教えていけばいい
のかと。そういうときに(教えるときに)困ることはありませんか?と。
住様曰く
えらあり!
そして、何でも好きが大切。下手でも好きでずっと続けることが大切。
下手の横好きという言葉もあるけども、続けることが大切だと。
そして、今の若い人は漢字を知りませんな。と。「この世の名残、日の名残」を
「このよのなのこり、ひのなのこり」と読むとか、辛口トークを笑いで爆走。
んと、二時間まるっとの対談だったので、書ききれないのですが、がんばるか。
あとは、若い頃に、今の幸四郎さんと比べられた話やら、アニさんは器用だったし
スターだったとか、吉キチ的には聞いたことのある話ですけども、そんな流れの
話のなかで、住様がずばり「東宝行ったときはどないでしたん?」と。
ま、東宝に行って、アニさんがミュージカルで若きスターになった話とかは周知の
事なのですけども、あそこまで真正面から吉さま本人に聞いた人を知りませんでし
たので、新鮮~でした。
で、僕はミュージカルもできませんし、アニさんよりも早く松竹に帰ってきました。と、
住様曰く「ミュージカル、できんでよかったなあ」
わははは。いや、確かに。
そして、吉さまは、今の歌舞伎界の世襲制に、というよりも、実力があっても
中々にいい役がつかないというような現状に一言あるようでした。
小学校巡回に行くと、とても上手くて才能のある子もいる。そいう子たちをスカウトしたいと
いうようなお話もされていました。
確かに、どんなに才能があって華があって美貌があっても、主役になれる可能性がほとん
どない。とういうのは理不尽でしょが、それを超えるほどの才能と美貌というものは、
そんじょそこらには転がっていないんじゃないかと思う私もいたり、すべての人にとりあえず
チャンスは平等に与えられるとういうふうには実は歌舞伎以外の世界でもそんなには、
無いんじゃないのかなあとも思うし。むにむに。ま、私の考えはどうでもいい。
国立研修生出身の歌舞伎俳優さんも何とかしたいというようなことでした。
ほえ~。とりあえず、本日はこれぎり。
そして、誤字脱字や、相違点はお許しあれ。
*住様のあの<大阪標準語>の語りは、とてもとても文章にはできません。はい。
来年の一月後半(たぶん)の日経新聞夕刊(たぶん)にこの対談の模様が載るそうです。
お待ちあれ。
Forum of Japan - 伝統から、未来へ -
一部、二部構成で、文楽太夫の住大夫さんと吉さまとの対談
(吉さまは、ほぼ、聴講生(笑))
吉さまは、ダークスーツで住様は、羽織袴でした。(袴着けてたような気がします。)
客席から見て、下手がわから女性司会進行さん、住様、吉さまの並び。
伝統から未来へということで、各々の略歴と、後の世代にどうやって、自分たちの
芸を伝えていくかというようなアウトラインで進行。
住様も戸籍上では実子になっているけれども、実父の兄上の養子なんだそうな。
で、吉さまも、初代(実の祖父)の養子ということで、<養子>という共通点が
あると。住様は、子供のころから、芝居やら浄瑠璃やらが好きで、ようく見ていた
そうな。
東京には行かれないので、東西合同歌舞伎で初代が関西に来ると見ていたそうです。
初代の合邦がよかった、勧進帳の富樫がよかったと。
伝説の名優をリアルタイムで見ているということで、素直に感心。ほほお。
初代の富樫はまるで訛っいなかった。訛というのは江戸弁のことで、住様曰く、
江戸時代になるまでは、都は京都で、文化の中心も京阪だった、江戸は江戸村だそうな。
対して吉さまが、播磨屋も元の出は大阪で、初代の父歌六さんは大阪だし、母は江戸っ子だし、
両方うまくいったんじゃないでしょうかね。と応答。「
「僕のように三代東京に住んでしまうと江戸っ子でダメなんですよねぇ。」
が、そのへんから、住様がとばすとばす。また、しゃべりが上手い上手い。
さすがは、<間>の大夫。おそるべし。
で、順不同ですが、演目を羅列、まず、<勧進帳><合邦辻><寺子屋><日向島>
<帯屋><熊谷陣屋><俊寛><引窓><壷坂>などなど。
他にもあったと思います。思いますが、けれども、なんせ、じっくり聴いていられるのに、
ポンポンとしたはんなりマシンガントーク(?)だったので、感心したり、笑ったり、
話を追ったりしていて覚えていません。
それら、演目の一部を目の前でかたってくださり、まあ、文楽を見たことのない
伝統芸能ファンで無い、吉キチの私でも、聴き惚れました。
最初から、ペンを持って何やらメモを取っておられた吉さまですが、がっつり聴講生。
メモしつつ、住様をガン見で、拍手されて大喜びでした。
芸は<情>、<声>でなく<音>だと、喉から出すのでなく、腹から出す<音>が
大切だと、腹力<ふくりき>というそうな。
時平の七笑の笑いや、源蔵戻りのかたりやら、俊寛の出の謡いやら、引窓の与兵衛
さんが、濡髪に逃げ道をひとりごとめいて教えるときの<山越えに>←文楽
<山越しに>←歌舞伎(播磨屋系)の違いやら、興味深い話しがてんこもり。
吉さまは、初代がそうやっていて初代がやっていた当時でも、<越しに>か<越えに>
かは問題になったけれども、僕は初代のやりかたでやっています。と。そして、
<越しに>の方が台詞として言うときにのばしやすいのかもしれませんね。
と、ここは、「山越しに~」と台詞を本息で聴かせてくれました。
前後してると思いますが、やはり、文楽の大夫方と共演した<日向島>の話では、
聴講生吉さまも熱く、語っておられました。
(新橋演舞場で二日間だけの上演でも、大きな話題を呼んだ(らしい。))
実父八代目幸四郎さんへの尊敬がもんのすごく伝わりました。鬼気迫る迫力だったようです。
大げさに言えば、文楽大夫さんがわも歌舞伎役者がわも命懸けのような舞台だったようです。
が、わざわざ言うこともないのですが、私はいまだに景清さんトラウマが。。むにゃむにゃ。
あとは、吉さまが、今の若い方たちと芝居をしていると、どうも、台詞のリズムが
どうしても、合わない感じになると。どういうふうにしてそれを、教えていけばいい
のかと。そういうときに(教えるときに)困ることはありませんか?と。
住様曰く
えらあり!
そして、何でも好きが大切。下手でも好きでずっと続けることが大切。
下手の横好きという言葉もあるけども、続けることが大切だと。
そして、今の若い人は漢字を知りませんな。と。「この世の名残、日の名残」を
「このよのなのこり、ひのなのこり」と読むとか、辛口トークを笑いで爆走。
んと、二時間まるっとの対談だったので、書ききれないのですが、がんばるか。
あとは、若い頃に、今の幸四郎さんと比べられた話やら、アニさんは器用だったし
スターだったとか、吉キチ的には聞いたことのある話ですけども、そんな流れの
話のなかで、住様がずばり「東宝行ったときはどないでしたん?」と。
ま、東宝に行って、アニさんがミュージカルで若きスターになった話とかは周知の
事なのですけども、あそこまで真正面から吉さま本人に聞いた人を知りませんでし
たので、新鮮~でした。
で、僕はミュージカルもできませんし、アニさんよりも早く松竹に帰ってきました。と、
住様曰く「ミュージカル、できんでよかったなあ」
わははは。いや、確かに。
そして、吉さまは、今の歌舞伎界の世襲制に、というよりも、実力があっても
中々にいい役がつかないというような現状に一言あるようでした。
小学校巡回に行くと、とても上手くて才能のある子もいる。そいう子たちをスカウトしたいと
いうようなお話もされていました。
確かに、どんなに才能があって華があって美貌があっても、主役になれる可能性がほとん
どない。とういうのは理不尽でしょが、それを超えるほどの才能と美貌というものは、
そんじょそこらには転がっていないんじゃないかと思う私もいたり、すべての人にとりあえず
チャンスは平等に与えられるとういうふうには実は歌舞伎以外の世界でもそんなには、
無いんじゃないのかなあとも思うし。むにむに。ま、私の考えはどうでもいい。
国立研修生出身の歌舞伎俳優さんも何とかしたいというようなことでした。
ほえ~。とりあえず、本日はこれぎり。
そして、誤字脱字や、相違点はお許しあれ。
*住様のあの<大阪標準語>の語りは、とてもとても文章にはできません。はい。
来年の一月後半(たぶん)の日経新聞夕刊(たぶん)にこの対談の模様が載るそうです。
お待ちあれ。
>「ミュージカル、できんでよかったなあ」
はい、ほんとうに。