#665: いつかどこかで

2014-12-05 | Weblog
前稿の“Ten Cents A Dance”(10セントひと踊り)のロジャース&ハートの二人はブロードウェイで一時代を画したソングライター・コンビであった。
リチャード・ロジャースはオスカー・ハマースタイン二世とのコンビでも知られるが、それ以前のロレンツ・ハートとの20年近くに及ぶ共同作業でも多数の永遠の名曲を紡ぎ出した。

そういう二人が楽曲の提供だけではなく初めて脚本まで手掛けたのが37年の“Babes In Arms”というミュージカルだった。
ボードビリアンの親を持った子供たちの奮闘記ものだったらしいが、このミュージカルからは“My Funny Valentine”、“The Lady Is A Tramp”、“Johnny One Note”などのすこぶる付きのスタンダード・ナンバーが生まれている。

“Where Or When”(いつかどこかで)という曲もそのひとつで、主演したミッツィ・グリーンとレイ・ヘザートンが歌ったという。

39年にこれを映画化した『青春一座』(原題“Babes In Arms”)では、ジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーが歌った。
また、48年のロジャース&ハートの伝記映画『ワーズ・アンド・ミュージック』(Words & Music)ではレナ・ホーンが歌っている。
余談だが、『ワーズ・アンド・ミュージック』は、日本では劇場未公開でヴィデオ化もされていない貴重な作品だ。何年か前にNHKのBSで放映されたことがあり、蚤助はたまたまそれを録画したのだった。
出演者も豪華でなかなか見どころの多い作品なので、ぜひDVDで出していただきたいと強く願っている作品のひとつである(笑)。

この歌を、蚤助が初めて聴いたのが「いつ」「どこ」でだったか、正確に覚えていない(笑)。
多分、60年頃流行ったディオン&ベルモンツが歌ってヒットしたヴァージョンだったかもしれない。現在は、オールディーズの名曲としても知られるようになった。


近年では、ロッド・スチュワートが歌っていて、これがなかなか良かったりするが、実はオールディーズと認識される以前からスタンダード化している曲だったのだ。

WHERE OR WHEN (1937)
(Words by Lorenz Hart, Music by Richard Rodgers)

It seems we stood and talked like this before
We looked at each other in the same way then
But I can't remember where or when

The clothes you're wearing are the clothes you wore
The smile that you are smiling you were smiling then
But I can't remember where or when

Some things that happend for the first time
Seem to be happening again
And so it seems that we have met before
And laughed before and loved before
But (baby) who knows where or when

僕たち前にもこうして話をしたよね
こうして立話をしたり 見つめあったりしながら
でも いつ どこでだったか 思い出せないんだ

君が着ているその服も 同じだった
君が見せた微笑みも その時と同じ
でも いつ どこでだったか 思い出せない

最初に起こったことが 今また起きているようなんだ
僕たち前にも会っていて
いっしょに笑ったり 愛し合ったりしたんだ
でも いつ どこでだったか 誰が分かるっていうんだ

男が初体面の女と仲良くなりたいときによく使う「前にどこかで会ったことがあるね」などというセリフに似ている。蚤助は使ったことはないけど…。
だが、これはロレンツ・ハートらしいちょっとひねった内容で、もうちょっと高尚だ。
「以前に会ったことがある。でもいつどこでだったかわからない」とある種のデジャヴ(既視感)をロマンティックな歌詞とメロディで綴っているのだが、“Some things that happen for the first time, seem to be happening again”(以前起こったことがもう一度起こっているみたいだ)と、ちょっと他人事のように斜に構えているところが面白い。

運命の出会いというのだろうか。初めて会ったのに不思議なことに、前にもあったような気がする。こんな風にたわいのない話をして、そのとき君はそういう服装をしていて…。僕がそう言ったら、やはり君がそういう風に笑ったんだ。何もかも覚えているのに、おかしいなあ、それがいつどこでだったか分からない。「あなたとは昨日も会っていますけど」。もしそうなら、かなり深刻な症状ですなあ…(笑)。

ヴォーカルでは、エラ・フィッツジェラルドのしっとりとした歌声やカウント・ベイシー楽団をバックにした小粋なフランク・シナトラなどを代表格として挙げるべきだろうが、蚤助のイチオシはこれ。


ペギー・リーがヘレン・フォレストの後釜としてベニー・グッドマン楽団に在籍していた41年のクリスマス・イヴに録音したもの。この時、ペギー嬢は21歳の若さだったが、グッドマンのロマンティックなクラリネットのイントロに導かれて、子守唄でも歌うような独特のウィスパリング・ヴォイスを披露する名唱である。

ジャズでは、これも前稿で登場したアート・テイタム晩年の演奏が最初のお気に入りだった。56年、特徴ある音色のテナーの巨人ベン・ウェブスターとの共演による歴史的な名演奏だ。ベースはレッド・カレンダー、ドラムスはビル・ダグラス。


このほか、ピアノのエロール・ガーナーの有名なカリフォルニア州カーメルでのライブ盤(Concert By The Sea)における演奏、淡く軽やかにギターを奏でるジョニー・スミスとテナーのスタン・ゲッツとの共演盤(Moonlight In Vermont)の録音などがいいと思っているが、ここでぜひ紹介しておきたいのは、蚤助が大の贔屓にしているジャマイカ出身のピアニスト、ウィントン・ケリー。
19歳の彼のデビュー・アルバムに収録されている演奏だ(51年録音)。オスカー・ペティフォード(b)、リー・エイブラムス(ds)の刻むラテン・リズムを効果的に使って、実によくスイングする。若い時分からこんな達者な演奏をしていたから、早死にしてしまったのではないかと愚痴りたくなってくる。


「いつ」「どこ」で起こったことだったか分からない。
認知症とまでは言えないものの、物覚えが悪くなったり、人の名前をなかなか思い出せない等ということは年齢とともに増えてくる。
思い出したくもないマイナスの記憶はドンドン忘れて構わないのだが、あいにくその他の記憶も一緒だから始末が悪い。
もちろん絶対に忘れてはいけないことというものはあるが、一方では、忘れるということも人間に許された救いなのではないか、と思う今日この頃である。
忘却がないと人間をやっていけない。

右の脳左の脳も休みです   蚤助


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