#542: 私の心は続いていく

2013-06-28 | Weblog
洋楽ファンでジャズ好きだった私は、ラテン音楽をはじめとするワールド・ミュージックにも惹かれていたのだが、1980年代も半ばになると、当時のポップス、ロック等への興味をすっかり失ってしまった。

それというのも、今思えば、ヒップホップ・ミュージック(いわゆるラップ)やパンク・ロックの台頭などによって、ポップスに歌心が希薄になったと次第に感じ始めたことが大きかったようだ。
もっとも、これは私の感覚が年齢相応になって、単に若者の好む音楽についていけなくなっただけのことかもしれない(笑)。

振り返ってみると、60年代から米英が席巻してきたロック、ポップスの世界は、80年代半ば以降になると色あせるようになり、音楽に国境がなくなっていったのだ。
かつては、アメリカやイギリスへの進出とそこでの音楽的成功が、世界中のミュージシャン、アーティスト達の夢だったわけだが、アメリカのレコード会社が海外資本に買収されたり、若く新しいアーティストの発掘や育成を怠るなど音楽業界の「営利至上主義」の弊害が顕著になっていった。

そうした中で、世界各国のさまざまな作品がいろいろな形で紹介されるようになり、音楽のボーダーレス化がさらに進んだ。
一方で、スーパースターやアイドルの不在、魅力的な楽曲の不足などが、この時代の特色だったと言えるかもしれない。
当時のポピュラー音楽界はブームなき低迷、すなわち「冬の時代」にあったのである。


90年代の洋楽ポップスといえば、1960~70年代に生まれた才能豊かな女性歌手、ホイットニー・ヒューストン、マライア・キャリー、セリーヌ・ディオンらが表舞台で大活躍をした。
さらには、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンの娘(カーニー&ウェンディ姉妹)と、ママス&パパスのジョン・フィリップスとミシェル・フィリップス夫妻の息子(チャイナ)が組んだバンド『ウィルソン・フィリップス』や、リック・ネルソンの息子のバンド『ネルソン』など、二世アーティストのデビューや活躍が話題を振りまいた時代である。

また、オール・フォー・ワン、ボーイズIIメンなどポップで活きの良さとメロウな歌声をセールス・ポイントにした男性コーラス・グループが人気を得た。
ラップ音楽に食傷気味だった音楽ファンは、歌本来の楽しさや魅力を再認識することとなった。

そうした90年代のポピュラー音楽界最大の話題と人気を集めたのは、セリーヌ・ディオンの歌った“MY HEART WILL GO ON”ではなかっただろうか。

ジェームズ・キャメロンが撮った1997年の大ヒット映画『タイタニック』の主題曲である。
作詞は、映画『愛と青春の旅立ち』(82)の主題曲で、ジョー・コッカーとジェニファー・ウォーンズの歌で大ヒットした“UP WHERE WE BELONG”や、エリック・クラプトンの名曲“TEARS IN HEAVEN”(92)のウィル・ジェニングス、作曲は『コクーン』(85)、『フィールド・オブ・ドリームス』(89)、『ブレイブハート』(95)、『アポロ13』(95)などの映画音楽を担当したジェームズ・ホーナー。
映画の内容に即したまことにドラマチックな歌で、ポピュラー音楽史に残るバラードの傑作であった。

セリーヌ・ディオンはそれまでも『美女と野獣』(91)や『めぐり逢えたら』(93)などの映画主題歌を歌っていたが、この『タイタニック』は映画史においても最大級の話題とスケールを誇った大作で同系列で語ることはできない。
特に、主演したレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットのタイタニックの舳での有名なシーンが評判を呼んだが、当時、このシーンの真似をしようとして、ボートを転覆させ溺れかけたバカップルが報じられたりしたのも記憶に新しい(笑)。


映画はタイタニック号の悲劇の歴史的事実と架空のロマンスを組み合わせていて、なかなか感動的な作品に仕上がっていたが、特にタイタニック遭難事故で生き残ったヒロインの回想形式でストーリーを展開させるのが、脚本も書いたキャメロンの頭の良さを感じさせた。
また、語り手の役割を果たすグロリア・スチュアートの存在感とあいまって観客に強い印象を与えた。

Every Night in My Dreams, I See You
I Feel You, That is how I Know you go on…
毎晩 夢の中で 私はあなたに会っている
あなたを感じている あなたがいることを知っている
たとえ遠く離れていても 二人の間に距離があっても
私の心は続いていく…

海底に沈んでいくディカプリオを、助けることができなかったウィンスレットが生涯持ち続けた心情を、この歌が表現している。

セリーヌ・ディオンはこの歌で、一流歌手の仲間入りを果たし、世界的なスター歌手となったのだった。

♪ ♪

基本的に「個」の時代になっている現代において、万人が「聞く」、万人に「聞かせる」音楽が生まれようもないのは止むを得ないが、私の中のどこかに「表情のない時代」を嘆いているかつてのポップス少年がいる。

髪の毛も突っ張っているパンク歌手 (蚤助)




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2 コメント

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同感です。 ()
2013-06-28 23:21:12
むかし、小林克也氏がいったように「そのうちロックは子供のものになってしまうぞ」という名言?が現実になってしまたように思います。
大手のファストフード店やコンビニなどのように、あまりにも身近で簡単で便利で使い捨てが当たり前な商業第一主義的な音楽界の印象があります。
音楽の持つ懐かしさや胸を打つ経験が、人生を応援してくれる力となることを自ら放棄しているように思いますね。
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その昔 (蚤助)
2013-06-29 06:29:11
「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」というのがありましたが、「ポップの心は歌心、聴けば寿命がまた延びる」と言いたいくらいです。
「心に太陽を、唇に歌を!」ですね。
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