#195: アメリカン・ニューシネマ

2009-11-29 | Weblog
 ベトナム戦争は、アメリカという「偉大な正義の国」のイメージを跡形もなく消し去り、それまでのハッピー・エンド的なハリウッド映画の図式をも書き変えてしまった。アメリカ的な楽観主義は過去のものになってしまったのである。

 わずか35万ドルの予算、6週間という日数で撮影された「イージー・ライダー」(1969)は、7千万ドルの興行成績を挙げた。旧来のハリウッドの殻を破ったニューシネマの動きは、1960年代の終わりに澎湃として巻き起こって来たのだった。ベトナム戦争の泥沼に入っていたアメリカの若者たちの、何かシラケた心情を描いたこの作品は、ひとたび公開されるや世界的に共感をもって迎えられた。

 マリファナ密売でもうけた大金をガソリンタンクの中に隠し、カスタムメイドのオートバイに乗って放浪の旅に出る二人(ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー)のヒッピーの姿が描かれている。行く先々で彼らは白い眼で見られながら、セックス、ドラッグなど一時的な快楽をむさぼろうとするが、それも虚しい。彼らの求めるものは自由なのだが、果たして求める自由が現代に存在するのだろうか。許可を得ずラスベガスのパレードに参加したというのでブタ箱に入れられた二人は、土地の弁護士(ジャック・ニコルソン)の口添えで釈放される。弁護士は一緒に旅をすることになる。長髪の彼らの姿に、沿道の住民は拒否反応を示し、レストランでの食事もままならない。アメリカ南部の根強い偏見であった。彼らに宿泊を提供するモーテルもなく、林の中で野宿することになる。

 焚火を囲んだニコルソン(N)とホッパー(H)の会話…

N:「この国は以前はもっといい国だったのにどうなっちまったんだ」
H:「臆病になったのさ。二流のホテル、いやモーテルさえ泊らせない。咽喉でも斬られると怖がっている」
N:「連中が怖がるのは君たちが象徴するものだ」
H:「俺たちが象徴するものは長髪ぐらいだろ?」
N:「君たちが象徴するのは“自由”ということだ」
H:「自由のどこが悪い」
N:「どこも悪くない。だが“自由を語る”ことと“自由である”ことは違う。カネで動く人間が自由でいるのは難しいんだ」

 ニコルソンの最後のセリフは、「I Mean It's Real Hard To Be Free When You're Bought And Sold In The Marketplace」で、この台詞にこの映画の製作意図が端的に表れているように思う。この作品の製作者でもあったピーター・フォンダと監督でもあったデニス・ホッパー二人のセンスに驚かされる。このやりとりの後、寝込んだ彼らは付近の住民に襲われ、ニコルソンが殴殺されてしまう。そしてその後も旅を続けた二人は、最後に偏見に満ち溢れた非情の散弾銃に撃たれるのである。身体が宙にすっ飛び、路上から転落したバイクが炎上する…

 大スターであった父のヘンリーと、反戦運動家としても名高い美人女優の姉ジェーンという芸能一家で育ったピーター・フォンダだが、ジェーン同様、父親との確執等からアルコールやドラッグに溺れる生活を送ってきて、まるでこの映画の登場人物のような人生を送っていたようだ。この作品以降、ピーター・フォンダ、デニス・ホッパーというタレントが一躍脚光を浴びるようになったほか、何よりも、ジャック・ニコルソンが大きく売り出していくきっかけとなったことは記憶されて然るべきである。
 
 「イージー・ライダー」の封切り当時高校生であった身には、映画のほぼ全編に流れるザ・バーズやステッペン・ウルフなどの音楽が魅力的であった。しかし、改めて本作を観直すと、その強烈な音楽にもかかわらず、深い虚無的な世界を感じさせるものがある。おそらくベトナム「以前」と「以後」で、アメリカ人の心象風景は大きく変わってしまったのでないかという気がする。そして今また「9・11」もまた分岐点となっているのは間違いないだろう。

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「悩んでももはや卵に戻れない」


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