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随思録

日々思うことを記す。

7/5 フィレンツェ→タヴァルネッレ(タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ペーザ)

2011-08-26 11:01:48 | italia
6時過ぎに起床。
素泊まりなので、朝食を調達しなければならない。
開いているバール(bar)を探して近所を歩くと、駅近くのホテルに併設されたバールが6時半から開店するようだ。
看板に書かれたメニューを確認すると、英語が併記され「Itarian Breakfarst」が6.5ユーロとある。
早速開いたばかりの店内に入り、注文してみる。
メニューに内容は1コーヒー+1バケット&ジュースと説明が書いてあった。

コーヒーはカプチーノを注文。
パンはbrioche(甘いクロワッサン)。
ユースホステルなどとは違って、プロが淹れたものなのでカプチーノもうまいし、パンも焼きたてで格別の味。
ジュースはsucco d'aranca(オレンジジュース)を頼むと、その場でオレンジを半分に切り、生搾りした果汁が運ばれてきた。
これが……うまいんだ。
朝から贅沢な気分。

バールを出て、いったんホテルに戻り、荷支度。
ザックをレセプションに預かってもらい、身一つでアカデミア美術館へ。


開館15分前にもかかわらず、かなりの行列ができている。
予約して出直すという選択もあったが、並び具合から1時間待ちと見積もり、最後尾に並ぶ。
結局、2時間待ち。
入り口まで1時間という読みは当たったが、入り口前で30分、手荷物検査等で30分待った。
予約した人間が優先的に入っていくので、仕方のないことなのだろう。

ようやく中に入って、念願の(?)ダビデ像。
あれ、瞳があるんだね。
正面からの写真だと瞳が見えないけど、左を見ている。
ちょっと怖い。
せっかくなので裏側をよく見てきました。
ダビデの尻……ゲイバーの名前みたい。

イタリアの美術館、自分たちの都合で結構部屋を閉めます。
今日も彫刻の部屋に入れず、実質見たのはダビデ像の30分程度。
あとは絵画を少々。
もうアカデミア美術館はダビデ美術館に名前を変えたほうがいいんじゃないかな。

アカデミア美術館を出て、公衆電話からフィレンツェYHに電話。
事前に組み立てておいたイタリア語で用件を伝えると、イタリア語で返ってきたうえ英語がうまくない人のようで、なんだかよくわからないがワイシャツ(camicia)ならあるらしい。
午後取りに行く旨を返答。

その前にメディチ礼拝堂に寄るつもりだったのだが、肝心の礼拝堂が修復中(2011年7月現在・ミケランジェロの彫刻は見られる)なのでパス。
そのままフィレンツェYHへ。
行ってみるとたしかに見覚えのあるワイシャツが。
名を告げて、引き取り、笑顔の別れ。

SMN駅に戻り、ガイドブックで目をつけていた、ランチ10ユーロの店「チェントポーヴェリ」へ。
ここが大当たり。
2皿(パスタと肉・魚)をそれぞれ5種類の料理から選ぶことができ、しかもワインか水までついてくる。
手書きのイタリア語のメニューを読めずにいたら、給仕が英語で「コメントが必要ですか?」とやってきて「おすすめはトマトソースのパスタと鮭のソテーです」と教えてくれた。
じゃあそれで、と早速注文。
ワインを勧められたが、断って水をもらう(気を利かせたのか、一人客の私には500mlのペットボトルとコップで出てきた)。

トマトソースのパスタは、スパゲティより太く、細いうどんみたいな食感。
初めて食べたが、近くのテーブルの日本人客の会話によると、ブカティーニというものらしい(聞こえてしまった)。
鮭のソテーは、おそらく鮭をオリーブオイルと塩・コショウで焼いたものだが、実に香ばしくてうまい。
付け合せの焼き野菜もさっぱりとしてうまい。
ここ近所にあったら通うな、きっと。

ホテルでザックを引き取り、駅西口にあるSITA社のバスターミナルへ。
(長距離バスを走らせている会社が何社かあったので、事前に窓口を探し、タヴァルネッレ行きのバス有無と時刻を確認しておいた。)
チケットを買うと、次は4番ターミナルから発車と言われるが、バスの行き先はタヴァルネッレではない。
聞いてみると、タヴァルネッレには行くと返答があった。
どこかに行く途中、タヴァルネッレにも停車するということなのか……
14時半発、15時25分着と印刷してもらった時刻表にはある。
これを目安に降りるしかないだろう。

ともかく乗り込み、前のほうの席を陣取る。
半分ほどの入りで、2座席を1人1つずつ使うような埋まり方。
バスは、停留所名も表示されなければ、アナウンスもない。
小1時間経ち、何回か停留所に停まった。

仕方ないので、15時25分ごろ、立ち上がって運転手に「タヴァルネッレ?」と尋ねてみた。
「No」と返事。
でもそろそろのはずだ。
また一つ停留所を過ぎて不安になり、イタリア語で「すみません、ここはTavarnelleですか?」と再度質問してみる。
運転手は「No」そして「Next」と返答。

すると次は何もない(畑しかない)停留所。
数人の客が乗り込んでくるが、ここがタヴァルネッレとは思えなかった。

さらにバスは走り、次のバス停に停まる。
ここは少し拓けた場所で、乗り降りする客の数も多い。
かなり長い停車時間だ。
運転手はすぐ後ろにいる客と会話している。
立ち上がって運転手に「タヴァルネッレ?」と聞く。
すると話し相手の乗客のほうが「Tavarnelle」と答えた。
慌ててザックを背負って降りる。

普通、旅行者が何度も「Tavarnelle」について質問したら、着いたとき声ぐらいかけるだろ。
本当に、この運転手だけは許さない……


降りたところは“郊外”だった。
自然の中というより、“田舎”。
Ostello Del Chiantiを探して歩き始めるが、周囲には見当たらない。
バス停の近くだ、とSITAの案内所では言っていたのだが……

仕方ないので観光案内所に行ってみることに。
すると16時まで休憩中で職員がいない。
20分ほど周辺をふらつきつつ時間を潰す。

観光案内所に戻ると、職員がいて、場所を教えてくれる。
行ってみると、さっき前を通っていた。
なぜ気づかなかったのか~


ここでも予約されていたのは、やはりドミトリー。
6人部屋で、2段ベッドが3つ。
しかも珍しいことにミックスドミトリーだという。

部屋に荷物を置いていたら、早速若いイタリア人のカップルが入ってきた。
ヴェネツィアの近くに住む2人で、バイクでここを拠点にあちこち回っているそうだ。
男性はKawasakiのバイクに乗っていて、日本に関心があるようだ。
(YAMAHAはIwataにあるなど、有名メーカーのマニアックな知識を持ったナイスガイ。)
Tunamiの被害について心配される。

まずは洗濯だ、とレセプションにランドリーの場所を聞いたら、洗濯機が壊れているとのこと。
少し歩くとコインランドリーがあるので、そこを利用してくれと、地図に書き込んで渡されるが、この地図が手書きの観光地図で大雑把すぎる。
洗濯物をつめたユニクロの袋を片手にYHを出て、地図で示された方向へ進むが、一向に見つからない。

このままでは住宅地を出てしまう……すると反対方向から住人らしき中年女性がやってきたので、地図を見せて「ここに行きたいんだけど」とイタリア語で聞いてみる。
英語は話せない模様で、イタリア語でたくさん質問される。
結局、うまく返答できない私に「ついてきなさい。ランドリー(lavanderia)なら知ってるから」という感じで、連れて行ってもらったら、そこは日本でいうクリーニング屋だった。
店主らしきこれも中年の婦人が出てきて、私の洗濯物を覗いて、店員さん(この人も中年の女性)を呼び、女性3人でなんだか大会議。
結局、よくわからないまま物別れに終わりそうだったので、私が店主に詫びる。
案内してくれた女性はすまなそうにするので、こちらも礼を伝えて、別れる。


元の道に戻り、さらに住宅地の外れに進んでいくと、車から男性が降りてきて前方を通り過ぎようとした。
声をかけ地図を見せると、地図の場所とは違うが、近くにコインランドリーがあるという(この人は英語ができた)。
教えられたとおり行ってみると、コインランドリー発見。
入ると常駐の管理人なのか、奥の扉から女性が出てきて、動かし方や会計方法を教えてくれる。
洗濯している間ひまなので、周辺の見所などを聞いてみると、快く相手をしてくれた。


電子辞書がないので、お互い不自由な英語を中心としたやりとりだったが、周辺にある見所は2か所で、1つは4キロ、もう1つは6キロ離れているそうだ。
車か自転車がないと6キロのほうは難しいだろう。
4キロのほうは景観がすばらしく、6キロのほうは古い教会などが見られるという。

YHに戻り、インターネットでヴェネツィアのホテルについて調べる。
ここにはレセプション脇に無料で使用できるデスクトップPCがあったからだ。
それを借り、フリーメールを使ってヴェネツィアの宿泊施設の空き情報をメールで問い合わせてみる。
もちろんIMEがインストールされていないので日本語が表示されず手探りだが(ボタンとかすべて文字化けしている)、メールの作成自体は英文Eメールなのでなんとかなった。

そのあと暗くならないうちに夕食の買出しへ。
(洗濯物の中にハンカチが1枚足りず、もう一度ランドリーへ行ってみるが見つからず。)


中心部に行くと、屋台が立ち並んでいた。
どうやらお祭りのようだ。
広場に設置されたステージでは、ビンゴをやっている。
ざっと屋台を見て回り、パニーニとフライドポテトを買い、YHに帰る。

部屋では残りの3ベッドをイギリスの大学生3人組(男1女2)が占めていた。
(あとでわかったが、マレーシア系イギリス人男性と、マレーシア人女性2人の組み合わせ。)
私は窓際のベッドの上を取ったのだが、どうやら女性のうち1人が下に来るようだ。
男の子は昔日本に観光で来たことがあるらしく、部屋を出るとき「サヨナラ」と挨拶された。

シャワーを浴び、レセプションでビールを購入。
(ここはロビーに冷蔵庫があり、レセプションに持っていけば購入できる。ビールもワインもある。)
食堂でパニーニとポテトをつまみに飲む。

ついでにレセプションにヴェネツィアYHへ電話してもらったが、案の定すでに満室。
(曰く「Venezia is Venezia」だそうな。)
ヴェネツィアは人気の観光地だし、YHは地元高校生の合宿にも使われ、すぐに埋まってしまうとYHリストの解説にもあった。

明日はヴェネツィアでの宿泊の手配で1日が終わってしまうかもしれない。

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おすすめの店「チェントポーヴェリ」

フィレンツェで昼食を食べるときは、ぜひここに行ってみてください。
お得なお店です。
ワインもついて10ユーロは破格。

店内もおしゃれだし、店員さんも親切。
味もよかったです。

Osteria dei Centopoveri
Via Palazzuolo 31r
055-218846
http://www.centopoveri.it/

7/4 フィレンツェ

2011-08-16 15:02:46 | italia
粗忽者の迂闊な旅。

ジョットの鐘楼から見たドゥオモ(大聖堂)のクーポラ(丸屋根)

フィレンツェを去ることを決め、サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会(ドゥオモ・カテドラーレ)内部とアカデミア美術館、もし時間が余ればメディチ礼拝堂を今日見学して、最後にすることにしていた。
ところがガイドブックによるとアカデミア美術館とメディチ礼拝堂は、月曜が休館日だという。
今日は月曜日です……

午前中はサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会に行くとして、午後はどうするか。
半日空いてしまった。
昨夜別れるとき、今日まではタケムラさんとミンちゃんは一緒に行動し、ジョットの鐘楼に上ると話していた。
鐘楼につきあおうか。

朝食のとき、タケムラさんを探したら、食べ終わったころ彼女がやってきた。
こちらの事情を話し、今日同行したい旨を伝えると、快諾してくれた。
ミンちゃんとはSMN駅前のマクドナルドで10時に待ち合わせ。
9時にロビーで落ち合うことにする。

身支度をすませ、シーツと枕カバーを廊下のかごに放り込み、ビル達と別れの挨拶。
チェックアウトののち(なんと、このYHはTCでの清算が可能だった!)、ついでにTCの両替もしてもらう(手数料なし!)。

それから昨日のうちに、例の田舎のYH(2人が泊まっていたというYH)の情報を入手していたので、そのメモ書きを見せながら、レセプションに「同じ州のYHに予約をとってほしいんだけど」と聞いてみる。
Tavarnelle(タヴァルネッレ)というところにある“Ostello Del Chianti”というYHらしい。
当初はヴェネツィアに行く予定だったが、観光を忘れ、すこし田舎でのんびりしてみるのもいいかもしれないと考えたからだ。

レセプションの男性が、ネットで検索して、電話をしてくれた。
すると、まだ受付時間ではないらしく、返答がないとのこと。
9時にならないと、開かないらしい。
YHの受付時間にもいろいろあって、24時間OKというところもあるが、たいていは朝の数時間+夕方から深夜、というパターンが多い。

30分ほど待つうちにタケムラさんがロビーに。
結局9時になっても電話はつながらず。
ミンちゃんとの待ち合わせがあるので、タケムラさんは先にタクシーで出発(タヴァルネッレでワインを6本買ってしまったそうです。ちなみに自分用。)

タケムラさんとは……間に合うようなら10時にマクドナルドへ行く。
間に合わなければ、ランチを一緒にとるという約束に変更。
12時~12時半の間にサンタ・マリア・ノヴェッラ広場へ行き、もし現れなければお互いなにか事情ができたと察することに。

明日の宿を決めてから行動したいので、9時半ごろ、レセプションに再度電話してほしいと頼む。
するとレセプションの男性が「あそこは部屋余っているから、予約しないで行っても平気だよ」と言い出すので、思い切り不審げな顔をしてやると、「わかった。あんたは信じてないようだ」ともう一度電話してくれた。
ようやくつながって「明日、ジャポネーゼが行くから。うん」みたいな感じで軽く言って切る。
本当に予約とれているんだろうな。

ザックを背負いバス停に行くと、いまから出かけるのか、ビルの姿が。
バスの中で話しながらすごす。
実はアカデミア美術館を見ていない、でも明日は次の街に宿を取っているんだ、と話すと、「明日の朝、早起きして見に行けば?」と言われる。
なるほど。
ガイドブックには8時15分開場とある。
タヴァルネッレでは観光をするわけではないし、明るいうちにYHに着けばいいのだ。
「You are a genius!」とほめたら、ちょっとうれしそうだった(ビル50歳独身/でも結婚間近の恋人がいるそうだ)。

駅でビルとお別れ。
ホテルに荷物を置いて(階段は荷物アリだと結構きつかったかも)、10時半。
まだ待ち合わせまでは2時間あるので、サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会に行く。
長い列はあったが、どうやら後ろ半分はクーポラに上る人の列で、つながって見えるだけのようだ。
30分ほど並んで入場。


フィレンツェで最も楽しみにしていた瞬間だったが、広いなあという印象くらいで、感動はない。
サン・ピエトロがすごすぎたのか。
典型的なゴシック様式(だと思う)で、ルネサンス建築の嚆矢という意義は理解していても、それだけで地味な内装が化けるわけでもない。

12時まで時間があったので、教会を出てから、ホテルの位置を再確認。
フィレンツェは斜めに走る道が多くて、行く道と帰る道では景色がまったく違って見える。

12時にSMN広場へ。
12時半ごろ、タケムラさんとミンちゃんがやってきた。
タケムラさんおすすめのトラットリア「13Gobb」へ。

「13Gobb」ではコース料理などを無視して、3人ともポルチーニ茸のパスタのみを注文。
ここで水かワインかと聞かれ、水と答えたら、ミンちゃんに「お金かかるけどいいんですか?」と確認される。
ヨーロッパではどこもそうなのだとか。
なんと2人は手持ちのペットボトルで済ませるようだ。

パスタはタリアテッレで、ポルチーニ茸とトマトソースであえたものだった。
やっぱりポルチーニ茸はうまい。
日本ではポルチーニ茸をこういう味付けで食べたことがなかったので、興味深かった。

水は3ユーロで、大きな瓶(たぶん1L)。
半分以上残ったので、会計後、「Posso portare?(持ってっていい?)」と聞いたら、店員さんがポケットから抜いた栓を取り出して瓶に乗せ、「アチョ~!」といいながら空手チョップ。
栓をしてくれた。
この店員さん、ちょっとジャン・レノ風の風貌の男性で、とてもいい対応をしてくれたが、気さくというか、気さくすぎて……注文などで訪れるたびタケムラさんの手を握ったり、肩に撫でたりと、少々困った人でもあった。

食事後、2人につきあってジョットの鐘楼に上ろうとすると、ミンちゃんに「そんなに気を遣わなくていいですよ」と言われる。
お言葉に甘え、2人とは別れ、クーポラへ。


クーポラくらい階段が急で長いと、上りきったあとにスポーツ後みたいな爽快感を感じる。
風の気持ちよさは、フィレンツェ1だろう。
瓶が重く、かさばり、水もたれてかなり邪魔だったので、ここで一気に飲み干す。


途中、クーポラ(丸屋根)の内側にある通路を通るのだが、祭壇はもちろん、内部の全体を上から眺めることができて、巨大さを体感できおもしろかった。

降りてきたら、教会内部を見学する人の列の中に2人を発見。
再度挨拶して別れ、クーポラの待ち時間にガイドブックを読み見つけた、月曜でも開館しているサン・マルコ美術館へ向かう。


が、閉まっていた。
改めてガイドブックを確認すると、13:50までしかやっていない。
現在14:40。
また迂闊なことをやってしまった。
外観だけ写真に収める。


仕方ないので、これも月曜に開いているサン・ロレンツォ教会へ。
展示はいろいろあったが、いい加減飽きてきて、疲れもあり、長椅子でうたたねしてしまった。
タヴァルネッレでは教会と宗教画は見ないことにしよう。


まだまだ明るいので、散策ついでに買い物をすることに。
イタリアも夏のセール(saldy)の時期。
今後、YHで必要となるであろうビーチサンダルを探す。
携帯スリッパは持ってきているが、水に弱いのが難点。
きたないシャワールームが出てきた場合、対応できない。

一応、ブランドショップらしき店で、気に入ったビーチサンダルを購入。
(19ユーロ→13ユーロ。ちょっと高い。)
ホテルでビーサンに履き替え、ついでにジーンズから七分丈のカーゴに着替え、いきなり軽装化。
その勢いで、近所のトラットリア「Marione」へ行ってみることにした。

ガイドブックには「お財布の心配がいらない一軒」とある。
いつも満席らしいが、19時という開店直後のため、あっさりと席に通される。
とりあえずbirra alla spinaを注文し、メニューとにらめっこ。
家庭風(casalinga)という響きが気になり、そのパスタを注文。
量がわからないので、まずはそこまで。

ここの生ビールはジョッキで、ジョッキを傾けつつ待っていると、ラザニアが出てきた。
ラザニアはローマで食べてひどかったな……と口に入れたらうまいんだこれが。
おそらくコース料理の一品として供されるので、量が少なめ。
もう一品くらい入るなあとメニューを要求し、野菜のスープ(zuppa di verdere)を注文。
注文の品とか順番とかおかしいのはわかっているが、野菜を摂りたかった。
卓上の粉チーズをたっぷりかけて……うまい。

ビール1杯、パスタ、スープで21.5ユーロ。
この質ならまた来たい。
ローマではケチったから、こういう普通にうまい店に入れなかったんだね。

気持ちよくホテルに戻り、食休みを兼ねてこの手記をつける。
今夜は一人だし、冷房もあるし、熟睡できるだろう。
そうだ、洗面台があるんだから、洗濯しようかな、なんてリュックから薄手のワイシャツを取り出そうとしたら――ない。
忘れた。
あんなにチェックしたのに?
そうだ、ロッカーだ。
初日、ロッカーを試しに開けたとき、ハンガーが掛かっていたので、着ていたワイシャツをそれに掛けたのだ。
ビルが言っていた“Someone use, someone no use”。
こういう意味か?

ともかくフィレンツェYHに電話だ。
公衆電話用のテレホンカードを買わなくては。
ホテルを出てすぐのタバッキへ。
ここにはない。
駅方面に歩き、途中のタバッキで聞くと、あったので購入。
そのままSMN駅へ行き、電話をかける。

イタリア語と英語を織り交ぜ、電子辞書を駆使し、112号室のロッカーに忘れ物をしたことを伝える。
確認しておくので、明朝電話してくれとの返答。
どちらにせよ、もう一度訪ねる必要があるだろう。

駅からホテルに戻る途中、歩道で立ち話しているタケムラさんとまたしても遭遇。
(ミンちゃんは17時の列車でローマに向かったはず。)
白人のカップルと英語で話していたので、軽く言葉を交わして別れる。
フィレンツェが狭いのか、すごい奇遇なのか。

それから手記の続きに取り掛かる。

本日の教訓は「ロッカーは使うな」です。

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おすすめの店「マリオーネ」

旅の醍醐味の一つに、何気なく店に入って地の物を食べたときに、驚くほどうまい、という体験があると思います。
私にとってフィレンツェの「マリオーネ」がそういう店でした。
イタリアのラザニアうまいよ。

“家庭料理の店で、雰囲気もアットホーム”とガイドブックにありましたが、ビーサンで入ってきた謎の東洋人にも、親切に対応してくれました。
私が一品目を待っている間には、ほぼ満席になったので、人気のほどもうかがえます。

Torattoria Marione
Via della Spada 27/r
055-214756
http://www.casatrattoria.com/ristoranti.asp?id=5

7/3 フィレンツェ

2011-07-28 15:19:43 | italia
朝食の席でビルにつかまり、1時間ほど話す。
早く出たかったのだが、話し相手がいないのだろう。
こちらの言っていることは伝わるが、あちらの言っていることの半分も理解できない。
昨日もそんな感じで、理解できたのはビルが50歳で、カナダから来ていることくらいだ。

改めて話を聞いてみると、ビルは英語教師。
インターナショナルスクールで、さまざまな国籍の子どもに英語を教えているそうだ。
仕事の関係で大阪に来たこともあるらしい。

私は英語ができないから、もっと勉強しないとね、と言うと……
本気で英語を学びたいなら、skypeを活用しろ、とアドバイスされる。
語学学校に通うのはあまり意味がない、という。
ともかく会話することが重要で、いまはskypeで事が足りる。

時差がある、と反論したら……
インドはどうだ、中国もいまは英語を話せる人が増えていると言われる。
なるほどねー

外出しようとロビーを通ったら、昨日のスペインの大学生3人組がチェックアウトするところだった。
これから彼の友人の家に一泊し、その後ヴェネツィアを観光するのだという。
SMN駅までのバスも一緒で、会話する。
日本に戻ってからの就職を心配していたが、最近の表現でいうところの“コミュ力”強そうだし、彼ならだいじょうぶなんじゃないかな。


午前中はサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会(ドゥオモ)の内部を見ることにし、向かってみると、日曜日はミサが行われるため、入場は午後からとのこと。
ならば、と横に立つジョットの鐘楼に上り、ヴェネツィアの風景を楽しむ。

降りて11時。
ドゥオモの開場は13時半。
まだ時間があるので、距離的にも近いアカデミア美術館を狙ってみる。
大行列ができており、13時半には間に合いそうもない。

気分を変え、明日の宿探しをすることに。
できればアカデミア美術館は見ておきたいし、フィレンツェはもう一泊してもいいだろう。
今日はウッフィツィ美術館を見て、明日アカデミア美術館を回ろう。

SMN駅近くにも民営YHがあり、訪ねてみたが明日は満室とのこと。
次はガイドブックに載っていた比較的安いホテル。
「Giappone(日本)」という名のそのホテルは、エレベーターのない4階にあるらしい。

階段は気にならないので訪ねると、レセプションには年配の女性。
どうやらイタリア語のほうが通じるようだ。
明日はシングルシャワーつき(singola con docchia)なら空いているそうだ。
素泊まりで60ユーロ。
部屋を見せてもらうと、寝室はそれほど広くないが、洗面所がきれい。
少々高い気もしたが、ここで決めてしまうことに。
だいぶイタリア語を思い出してきた。
(あとでわかったが、SMN駅をはじめとする各所に出やすい、立地が非常によいホテルだった。)

ここで13時すぎ。
再びサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会の前に戻ると、行列ができている。
どのくらい待つかわからないが、遅れるわけにはいかない。
フィレンツェに延泊するなら、無理にこの行列に並ぶ必要はないだろう。


14時くらいに予約しておけばよかったな、と思いつつ、南へ移動し、ウッフィツィ美術館の周辺で過ごすことにした。
アルノ河沿いを歩き、ヴェッキオ橋を渡って、目に止まったカフェで野菜のサンドイッチをカプチーノとともに食べて昼食。
それでも時間があまったので、予定では見学するつもりのなかった、ヴェッキオ宮殿内部を見学することにした。


ここでヴェッキオ橋からヴェッキオ宮へ向かって歩いていると、通りで何やらビラを配っている。
一度は無視したがLIBERO(無料)の文字が気になり、受け取ると入場無料のコンサートが19時から開催されるとある。
通りから入ったところに古い教会があり(調べたところサント・ステファノ教会)、そこで少年(少女)合唱団が歌うようだ。
こういうものに参加することこそ、個人旅行の醍醐味だ。
ウッフィツィ美術館のあとはコンサートに決めた。


ヴェッキオ宮は行列もなく、すぐに入場できた。
会議場跡は見ごたえアリ。
変な彫刻もあり、写真を撮っておもしろがる。
法王の私室も豪華で楽しめた。

予約時間30分前ににウッフィツィ美術館へ。
金属探知機でのチェックはもちろん予想していたが、ペットボトルを持ち込めず破棄したのは意外だった(ヴァティカン博物館は可能だった)。
オーディオガイドを借りたが、解説の量がすごすぎて、途中いくつか飛ばす。
また改修等で順路が変更になっているようで、オーディオガイドと順番が違い、序盤はかなり当惑した。

もちろん全面撮影禁止。
カメラのレンズカバーが外れているだけで、「No foto!」と係員が厳しく注意。
こういうところは却って好感が持てる。
芸術の都としての矜持だ。


ちなみに窓の外を撮ることは問題ないらしく、唯一撮ったヴェッキオ橋の写真。
そっと美術館内部も撮ろうとレンズを内側に向ける観光客もいたが、「No foto!」と注意されていた。

膨大なコレクションに圧倒されたが、その中でも最も魅了されたのはやはりティツアーノ「ウルビーノのビーナス」。
肌の美しさ、なめらかさがなんともいえない。
印象深かったのはミケランジェロ「聖家族」。
“ミケランジェロのマリア”と称されるそのマリアの描き方は、文学的主題になりえる。
(あと一点気に入った絵画があったが、残念ながら名前を失念。)

門外漢ながらある程度、宗教画からルネサンス美術に至る流れは把握していたが、それをかなり補強できた。
ちなみにカラヴァッジオはここでも貸し出し中。
どういうことやねん。
本当に縁がない……

もしかすると見終わらないかもしれないと、ヴァティカン博物館の二の舞を避けるため、後半の現代美術などはほとんど観ずに進んだ結果、予想より早くウッフィツィ美術館を出る。
コンサートまではまだ30分以上ある。
このあたりにレートのいい両替屋があるとガイドブックに載っていたので、地図を片手に歩いていたら、偶然にもタケムラさんと遭遇。
(すれ違い様、タケムラさんに発見された。)

タケムラさんは韓国人の女子大生ミンちゃんと行動中。
このあとどこへ、という話題になり、コンサートの話をすると2人とも興味を持ったようで、3人でコンサートを聴くことに。


コンサートは19時~20時のミニコンサート。
アメリカから招待された少年少女合唱団が賛美歌、ゴスペルなどを歌う。
無料が驚きなくらいの、すばらしい歌声だった。

コンサートが終わり、2人はこのあとヴェッキオ橋を見て、ミケランジェロ広場に向かうつもりだ、という。
ミケランジェロ広場から眺める夕景が美しいそうだ。
ミンちゃんによれば、ミケランジェロ広場で夕日を眺めながらビールを飲むのが最高、とあるBlogで読んだそうだ。
タケムラさんはミンちゃんに観光プランは任せている模様。
私もミケランジェロ広場は見てみたかったので、お供することに。

ミンちゃんは活力の溢れた子で、一時も止まることなく見たり、食べたり、写真を撮ったりしている。
自称4.5か国語がしゃべれるそうだ。
私たちとは日本語で会話し、英語も流暢に操る。

日没は21時(ミンちゃん情報)。
ヴェッキオ橋とアルノ河を写真におさめるうちに、夕暮れが迫ってくる。
見上げると高台にフラッシュが光る一帯があった。
どうやらあそこがミケランジェロ広場のようだ。

歩いていけそうな距離だが、2人はバスで行きたいらしい。
ガイドブックによればSMN駅前から12番バスに乗れとあるが、きっと付近にもバス停があるだろうとミンちゃんが言うので、探してみる。
アルノ河沿いの通りにあるバス停で待つ年輩の夫婦(Americano)にミンちゃんが話しかけると、この夫婦もミケランジェロ広場にいくつもりだが、確たることは言えないらしい。
続いて若い夫婦と子ども2人の一家(Francese)がやってくる。
こちらは方向は同じだが、目的地が少々違うようだ。

しばらく待つとバスがやってくる。
ミンちゃんが運転手に尋ねると、このバスの先で乗り換えればミケランジェロ広場に行けるらしい。
(切符がなかったので、ミンちゃんの手持ちを譲ってもらう。)

2区画ほど乗って、さっきの年輩の夫婦と一家が降りていく。
「ここじゃないのか?」と2人に確認する間にドアが閉まった。
夫婦も一家も「なんで降りないの?」という顔で私たちを見ていた。

しまった、乗り過ごしたか……と観念したら、次のバス停は意外と近く、数分遅れで乗り換えのバス停に到着。
拍手で迎えられる。
どうやらこれは12番バスのバス停のようだ。
結局12番バスか、と思いながら待っていたが、これがなかなかやって来ない。
日はとっくに沈み、周囲はどんどん暗くなっていく。
一家の子どもは退屈して眠気を見せ、年輩の夫婦の夫は立ったり座ったりを繰り返す。。
先ほどの盛り上がりが一転、みないらだちを感じ始める。

20分以上待っただろうか。
ようやくバスが。
夕景は無理だったが、夜景もきれいなはずだと話ながら、(途中さらに一つ前のバス停で降りてしまうというミスもあったが)ついに到着。


おそらく1人だったら夜出歩くなどできなかっただろうから、この出会いに感謝した。
ミンちゃんと私はビール、タケムラさんはミネラルウォーターで乾杯。

広場には観光客はもちろん、地元の若者も集っている。
抱き合っているカップルなどもいるから、デートスポットなのかもしれない。
(イタリア人は信号待ちの最中にキスしたりするから、詳細は不明だが。)
花売りはいるものの、周囲に犯罪の気配はない。
夜でも、人が多く、明るければ、決して危険ではないようだ。

バスの乗り換え時間(90分間は自由に乗り降りできる)と、YHの門限(24時)を考慮し、30分ほどで退散。
バスでSMN駅に戻り、ミンちゃんは駅前の宿舎へ。
私とタケムラさんはタクシーでYHへ(23時をすぎ、もうバスがない)。

YHに着き、タクシーを降りる。
星がきれいですね、とタケムラさん。
初めてイタリアで夜空を見上げた。

7/2 ローマ→フィレンツェ

2011-07-26 23:47:29 | italia

エウロスターイタリア(ES)のアルタヴェロチタ(AV)でフィレンツェへ。
9時すぎに窓口で一番早くフィレンツェに着く列車をたずねると、10:15発のミラノ行きを手配された。
フィレンツェ11:50着のようなので、途中下車を失敗するとミラノまで行ってしまう。
油断できない。
ESは日本でいえば新幹線のようなもので、主要都市間を結んでいる完全予約制の急行列車。
手記を書き、ガイドブックでフィレンツェを予習するうちにサンタ・マリア・ノヴェッラ駅(以下SMN駅)に到着。


まずはフィレンツェYHにきちんと予約が取れているかわからないので、直接確認しなくてはならない。
同時にウッフィツィ美術館が取れるなら取っておきたい。
とりあえずSMN駅そばの観光案内所に相談することに。

YH行きのバスは11番バス乗り場から出ているとのこと。
(YHリストおよびガイドブックともに記載が17番バス。2011年7月の時点では変更があった模様。)
ウッフィツィ美術館の予約については、この番号に電話しろ、と番号のコピーを渡される。
直接行って予約は取れないのだろうか。

ともかく荷物をYHに置いてしまおう。
YHリストの解説に従って、駅前のタバッキで切符を買う(1.2ユーロ)。
店主に確認すると、11番バスでYHに着くのは間違いないようだ。
使い方を聞くと、スタンプを押すんだよ、と店主から説明が。
ローマはROMA PASSがあったので、バスの切符を買うのはこれが初めてだ。

しばらく待つと11番バスが。
停留所の名前はYHリストとガイドブックで異なっているが、このどちらか、もしくは近い名前だろうと推測し、停留所を逃さないよう緊張して乗っていた。
バックパッカーらしき若者もいたので、若者たちが降りたら降りようとも考えていたのだが、なんと終点に着いてしまう。
みんなが降りるので降りてみたが、YHはどこのあるのだろうとキョロキョロしていたら、日本語で話しかけてくる声があった。
「同じところ(YH)ですか?」
「はい」と反応したら
「一緒に行きましょう」と誘ってくれた。
若い日本人の男性で、彼の指すほうにYHの看板がある。
彼と話しながらYHへの道を歩く。
この道がやたら長い上り坂だった。
スペインに交換留学中の大学生で、8月で帰国するため、友人たちと最後にヨーロッパを周遊するそうだ。
友人はスペイン人とフランス人。
1年間帰国してないそうで、震災後の日本の状況などについて伝える。

チェックイン。
やはり部屋は4人部屋のドミトリー。
荷物を置き、ウッフィツィ美術館の予約をしようとYH内の公衆電話へ。
この電話がどうやらカードしか受け付けないようで、コインに反応しない。
レセプションに確認してみると、現金で平気だ、と即答。
埒が明かないので、一旦外に出て、YH前のタバッキ(長い坂をくだった先にある)でテレホンカードを買おうとしたら、なんと売り切れ。
仕方ないので、このまま駅前までバスで行ってしまうことにする。
すぐ目の前にあるバス停で、バスを待つ。

バスでも切符が買えるので、やってきたバスの運転手から買ったらなんと1枚2ユーロ。
(しかもつり銭を間違えられて険悪な空気に。)
なんなのだろうこのシステムは……
さっきのタバッキで買っておけば1.2ユーロだったのに。



SMN駅から歩き、ポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)、シニョーリア広場などを散策。

ここまで来たら、ウッフィツィ美術館も近いので、直接行って予約してみよう、と入っていったらあっさりOK。
ウッフィツィ美術館に着いたのは15時すぎだったのだが、当日予約をして、30分後には入れるとのことだった。
しかし、寝不足で集中力がもたない気がしたので、明日の夕方、同じ時間帯(15:45)の入場にしてもらう。
午前中どこかを見て、食事をしたらちょうどいい時間なのではないか。

次にアカデミア美術館に予約しようと、美術館のある方向歩き出したら、急激に空腹が襲ってきた。
そういや昼食抜き。
しかも腰に痛みが。
腰は3日目から調子が悪いが、寝不足のせいだろう、さらに重くなってきている。
まずい。
湿布はもちろん用意してあるが、こんなに早く痛みが出るとは。
枚数が足りないかも。


それでも気になる建築物があって入ってみる。
するとサンタ・マリア・ノヴェッラ教会だった。
いいたたずまいの教会。
外見もゴシック。
内装もゴシック。
見事な建築物だが、有名なフレスコ画よりも、ステンドグラスがすばらしかった。
正面入口(現在は閉鎖)から歩いていくと、神の美しさが伝わってくる。
(まあ、それもヴァティカンの宣伝のわけだが。)

すばらしく、計算されつくしたアーキテクトに心を奪われつつも、少々食傷気味な自分がいた。
ローマの次はフィレンツェと決め付けていたが、ナポリあたりで腰の静養に充てたほうがよかったかもしれない。

夕食まで中途半端な時間なので、街角のジェラテリアでジェラートを買い、食べながらアカデミア美術館を目指す。
するとのんびりしすぎたせいか、窓口が終了してしまったようだ。
予約は後日するしかない。


まだ明るい(17時)ので、もう少し見て回ろうかと歩き出したら、視界の先に不思議な建物が。
眠気と腰痛が襲ってきたが、振り払って進んでいくと、それはフィレンツェに来た最大の目的、サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会だった。
塩野七生の『ルネサンスとは何であったのか』で触れられており、ずっと興味があった。


あんぐりと口を開けてしまうような美しい姿。
遠くから眺めれば一幅の絵画ように楽しむことができ、近くから眺めれば精緻な彫刻の一つ一つを楽しむことができる。
しばらく見上げていたが、そろそろ夕食の時間。
YHリストによれば、フィレンツェYHは予約なしで夕食が食べられ、格安のうえかなり豪華だという。
期待して早めに戻ることに。

先に洗濯だ。
部屋に洗濯物を取りにいくと、ベッドが続々埋まっている。
カナダ人のビル、スペインから来たアラン、同じくフレデリク。
早速耳栓が活躍しそうなメンツ。

大抵のYHはコインランドリーがあるので、レセプションに確認。
するとコインをレセプションで買って、投入すると動くらしい。
1枚買って、中庭に面しているランドリーに行ってみる。
日本でもほとんど使ったことのないコインランドリー。
壁に貼られた英語の注意書きを見ると、この洗濯機は洗剤自動注入式らしい。
温度や洗う時間などが設定できるようだが……どの程度が手持ちの洗濯物に適しているかわからない。
吸汗速乾系の衣類を除き、まとめて投入。
低い温度で、標準の時間で洗ってみる。

乾燥機にはもう一枚コインが必要だったり、一度乾燥機にかけてみたが設定温度を低くしすぎてまったく乾いてなかったりと、結局ランドリーにつきっきり。
中は蒸し暑いので、中庭で涼んで時間を潰す。
ようやく洗濯が終わってみると、すべての洗濯物が一様に劣化していた。
ほとんどの衣料品にタンブラー式乾燥機を避ける表示があることを初めて知る。
(ユニクロの衣料品もほぼそうで、もっと丈夫なものをつくってほしい)。

中庭から部屋に戻ろうとすると「日本の方ですか?」と女性から声をかけられる。
洗濯物を入れていたユニクロの袋で、そう思ったのだそうだ。
タケムラさんというひとり旅の女性で、こうしたYHにも多少は慣れている様子。
いくつかコツをきく(要ビーサン、要ランドリーネット)。
ひとり旅でもYHは同室の人と話をしたり、こうして日本人と会ったりできるので、さみしくないのがいいところなのだそうだ。
ときには一緒に行動したりすることもあり、タケムラさんは昨夜まで泊まっていたYHで出会った韓国の女性と、明日はフィレンツェを観光するのだという。

昨日まで泊まっていたYHについて聞いてみる。
なんでもトスカーナの田舎にもYHがあり、昨夜までそこに泊まっていたそうだ。
ワインの産地で、ワインが好きな人にはおすすめのYHらしい。
……そういう田舎でこの倦怠感をリセットしたほうがいいのかもしれない、そう感じる。
しばらく立ち話をして、フィレンツェは狭い街だし、朝食もあるしまた会うかも、などと話して別れる。

洗濯物を置きに部屋へ戻ると、室内では英語でアランとビルが話していた。
ビルは相当なおしゃべり好きで、私にも話しかけてきた。
私のつたない英語では話が続かない。
気まずいし、つかれていたので、逃げてシャワーを浴び、夕食を求めてラウンジへ。

すると……誰もその“豪華な夕食”を食べていない。
ラウンジの隣にはバールがあり、ジュース類はもちろん、アルコールやスナックも売っている。
みなテラスなどでビールを飲んでいるが、見るからにまずそうなパスタ(フジッリ?)を食べている若い娘がいるだけだ。
システムが変わったのだろうか?
確認するのも億劫で、ビールをバールで購入し、つまみにパスタも頼んでみる。
風呂上りにビールさえ飲めれば問題ない。
パスタはこれがブタのエサと表現するにふさわしい味。
冷凍モノを温めただけのようだが、ほとんど残す。

ビールがうまい。
飲んで酔っ払い、耳栓をしてベッドへもぐりこもう。
開け放たれた扉から、夜風が流れこんでくる。
フィレンツェYHは、高台にあるせいか、夜はまるで高原のように快適だ。

私はいまトスカーナの風に吹かれています。
自分でも驚きですが。


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たまに泊まるならこんなユースホステル


泊まったフィレンツエYH「エウローバ・ヴィッラ・カメラータ(Europa-Villa Camerata)」は後日起きる出来事のせいで、思い出深い宿となりました。
(イタリアではYHをOstelというので、Ostelloが頭につくことも。)
17世紀の邸宅を改装しているそうで、建物や中庭は非常に趣があります。
路線バスの終点にあることも、初めて訪れるには迷わないので、楽かな、と。


ただ門から続く長い坂にはほとんど照明がなく、夜は怖いと思うので、そこは難点かも。

個人的には冷えたビールがすぐ飲めるので、評価が高いYHでした。

7/1 ローマ

2011-07-25 20:40:40 | italia
今日は思いどおりにいった1日のはずだったが……

ホテルをチェックアウトし、まずは今晩の宿探し。
日本から手配をしておいたホテルは昨晩までなので、今日からは自分の手で宿をとらなくてはならない。
ガイドブックにテルミニ駅近くのYWCAがユースホステル(以下YH)をやっていると掲載されていた。
ホテルからも近いので、まずはそこに行って直接交渉してみることに。

怖そうなレセプションの中年女性と英伊織り交ぜて話してみると、シングルはない、ツインならある、33ユーロだという。
シャワー、トイレは共同。
ツイン1名で、33ユーロなら激安だろう。
さっそく料金を払い、宿が確定。

次に、明日はフィレンツェに移動する予定なので、フィレンツェYHの予約ができないか聞いてみた。
YH同士は、ほかのYHからの連絡(ファックス等)で予約可能なときがあるので。
あいにくそのシステムはないが、代わりに電話してくれるという。
日本でコピーしておいたイタリアのYHリストを見せると、フィレンツェYHに電話し、2泊とってくれた。
礼を言って荷物部屋にザックを置き、ローマでまだ見逃しているスポットへ。


まずはテルミニ駅から地下鉄でフラミニオ駅へ。
ポポロ広場(ポポロ門)を見る。
ポポロまではローマのうち、って感じですかね。

ここで第一大道芸人発見。
オベリスクの前に、ファラオの棺みたいなものが立ってて、あたらしいオブジェかな~ と横を通り過ぎたらこっち向いて驚く。
思わずコインを投げ入れた。
この手のネタは各地で見られるが、初めての遭遇。
コロッセオ前に剣闘士の格好をした人はいたが、こういうユーモアのあるほうが好きだ。


ポポロ広場から南へ歩いてアラ・パチスへ。
(アウグストゥス廟は改修中で見られない。)


アラ・パチスはアウグストゥス好きにはたまらない。
ローマパス所持で無料だった。


次は東に歩いてスペイン広場へ。
ジェラートが売っていないのも有名な話。
スペイン階段を上がっていくと「ナガトーモ!」の掛け声が。
ガイドブックの情報どおりに、ミサンガ売りがつきまとってきた。
「東京からきたのか。おれは大阪に“トモダチ”がいてレストランやってるんだ。これはトモダチへのプレゼントだ。無料だから安心して」とかなんとか英語でまくしたててくる。
「Thank you for Just only heart」とわかるようなわからないような返答をしたせいか付いてくる。
「Non mi piace アクセサリ!」(アクセサリ嫌い)と怒鳴ったら諦めた。

階段の上にあるトリニタ・ディ・モンティ広場からの眺めを楽しんで、反対側の階段から下っていったら「ナカータ!」の声が。
また別のミサンガ売りが現れた。
情報が古い上に、さらにしつこく追ってくる。
スペイン広場は落ち着かないので、早々に退散し、南にあるトレビの泉を目指す。


ガイドブックにはわかりにくい場所と書いてあったが、人が集まる方へ向かうとトレビの泉の姿が。
泉の前の広場にはパトカーが停まり、常時警戒中の模様。
安心して写真を撮る。
その後、泉の縁に腰掛けて休んでいたら、目の前に来た観光客が自分を撮ってほしい、という。
撮ってあげて、今度は「Me too please」と撮ってもらう(まさかの記念撮影)。
背中越し、10セント硬貨を投げ入れたのち、パンテオンへ向かう。

パンテオンはアグリッパが建設したもの(のちに焼失)を、ハドリアヌス帝が再建している。
アグリッパが建てたということで、見てみたかった。
途中、一瞬道に迷うが、ツアー客を尾行するという方法で入口へたどりつく。


パンテオンも、大きい。
ハコモノ好きにはたまらない。
神聖な場所なので、ノースリーブ、短パン禁止のはずだが、結構平気みたい。
6か国語で「静かにしてください」とテープが流れるのが不思議。


休憩も兼ねて祭壇の前にあるイスに座り、テルミニ駅までの戻り方を検討することに。
このあとマッシモ宮(ローマ国立博物館)を見学すれば、一応ローマで見ようと決めていた箇所は回り終わる。
マッシモ宮(ローマ国立博物館)はテルミニ駅前にあり、YHにも近い。

地図を見ると、パンテオンから西に歩くとナヴォーナ広場がある。
南北に広がるナヴォーナ広場を通り抜け、南に出ればエマヌエーレ2世通り。
ここは40番バスが通っているので、テルミニ駅まで一気に戻れる。
名所の1つであるナヴォーナ広場も見られるし、一石二鳥だ。


ナヴォーナ広場は噴水が有名。
歩きながらいくつか写真におさめ、エマヌエーレ2世通りに出る。
行ったり来たりして、ようやく40番バスのバス停を発見。
40番バスでテルミニ駅へ。
だいぶローマの交通網に慣れてきたかもしれない。

テルミニ駅に着いて、まずはカンビオ(両替屋)でTCを両替。
朝、ホテルを探していたとき前を通って、目をつけていた。

マッシモ宮へ。
マッシモ宮には歴代皇帝の彫刻や、考古学的な資料であるブロンズ像などが集められている。
古代から近代までの金貨のコレクションも展示されており、マニアにはたまらない場所だ。
有名なアウグストゥス像もここに展示されている。
(残念ながら館内は撮影禁止。)

一番笑ったのはアントニウス・ピウスの像。
なぜか全裸にマント。
普通チュニカ着るだろ。
どんなナルシストだよ。

堪能してマッシモ宮を出る。
すると時刻は18時。
日本の夏でいうと、16時くらいの気温や空の明るさだ。
日没までは時間があるし、位置的にスーパーも遠い。
そこで、外食をしてみることにした。

まだローマに来てから、“うまいなあ”というものを食べていない。
今日もホテルの朝食(パンとカプチーノ)、通りがかりに入ったバールでラザニアとコーラ(ラザニアは電子レンジで温めたもの)で、満足のいく食事ではなかった。
ここでガイドブックを頼ることに。
するとそう遠くない場所に日本語メニューを備えた、定食が安い店があるようだ。

この辺かなー、と探していたらいきなり
「コンバンワ! Welcome ROMA!」
と声をかけられた。
店のホールマスターとおぼしき中年男性が、“こんばんは”に反応したためか「日本語メニューがある」と渡してきた。
ここなのだろうか、と立ち止まると、歩道にあるテラス席を示されたので、ともかく座ってみる。
メニューに目を通すと、コースメニューばかりで、ガイドブックの解説にある平均予算とは異なる。
入口の傍らにある小さな黒板(日本でもカフェなんかによくある)が目に入り、よくみると“Today”とあり、10ユーロで食べられる定食があるようだ。
カタコトのイタリア語で「これは夜、食べられるのか?」と聞くと、もちろん頼めるらしい。
2つの定食のうち上段を注文。
パスタのカルボナーラだ、という。
ドリンクはどうする、というので、再び日本語メニューを見ると、やはりワインがずらり。
ビールもあるが、どれも瓶単位での注文になるし、高い。

よくメニューを見ると、隅のほうに、日本語表記のない“birri”(birra=ビールの複数形)の文字が。
そのうちの一つが単語から察するに……これはグラスビールなのではないか。
(あとから定番の注文になるが、birra alla spina=生ビールという意味らしい。)
周囲の席には飲んでいる人もいる。
これ、と頼んだら、いいチョイスだ、と返答。
予想どおりグラスビールで、よく考えたら日本人カモられてない?
(ちなみにガイドブックの店ではなかったようです。)

ビールを飲んで待っていたら、ペンネのカルボナーラが。
味付けは悪くないが、硬い。
量も多い。
なんとか片付けたら、なんとsecondo piattoが。
ミートボールのトマトソースにフレンチフライのつけあわせ。
イタリア人、どんだけ食うんじゃい。
これコースならさらに前菜まで食べてるはずだろう。
味はいいので(香草をうまく使っている)平らげ、ビールも飲み終えた。

ほかになにかというので、酔い覚ましにcaffe americanoを追加注文。
americanoで普通に通じる。
(lungoとは言わないようだ。)

コーヒー片手にガイドブックを読んでいたら、近くのテーブルにいた家族連れから、一人の年配の女性がテーブルを立って歩み寄ってきた。
どうやら日本人のようだ。
冊子を差し出し「これ、読んでください。いろいろ情報が載ってます。読み終わったらすてて構いませんので」。
受け取るとそれはフリーペーパーで、在伊日本人などを読者対象にしているようだ(日本の文化会館にも置いてあるらしい)。
いろいろな人がいるものだ。

19時半くらいまでテラス席ですごして、YWCAへ。
部屋の鍵をもらい、セーフティデポジットがあるか尋ねると、無いと返事が(0時以降レセプションが無人になるそうな)。
貴重品はやはり自主管理。
そうか……と部屋の扉を開けたら、ツインルームのもう一つのベッドの上にチノパンが脱ぎ捨てられている。
枕元のいすにはブリーフが干してある。
ツインならというのは――相部屋ということだったのだ!

ともかくシャワーを浴びる。
YHはシャンプーも石鹸も置かれていないので、自前の石鹸でひさびさに髪まで洗った。
20時すぎにはベッドに横たわり、手記に取り掛かる。

すると……書き終わらないうちに相手が帰ってきた。
握手と簡単な自己紹介。
リトアニア人だという若者は、なかなかいい人そう……
ワインを持って帰ってきて、シャワーを浴び、ワインを持って出かけていった。
YHには共用スペースがあるので、そこで談笑しているのかもしれない。
どちらにせよ私は英語がうまく話せないので、そういう輪に加わることができないんだよな~
語学は重要です。
本日の結論。

*

初めてのYHで悪戦苦闘。
まず冷房がない。
結局、暑さのため1時すぎまで眠れず。
するとルームメイトが帰還。
酔っているのか、すぐに眠りにつき、案の定……ものすごいいびき。
地鳴りみたい。
先に寝てしまうつもりだったのに!

廊下に出る。
廊下は涼しい。
置いてあるイスに腰掛け、ガイドブックで暇つぶし。
少し眠くなったので、部屋に入る。
室内もだいぶ涼しくなっていたが、いびきは相変わらず。
昔、マンガでいびきで眠れないシーンがあり、ティッシュで耳栓をしていたのを思い出す。
試して見ると、多少はマシか。
じっと眠りの訪れを待ち、おそらく、4時すぎに入眠。

*

7時前に目を覚まし、身支度をして朝食に行くつもりが、もう一つ波乱が。
なぜか鍵がうまくかけられない。
そのうち相方が起床(8時)。
その旨を伝えると、俺が閉めてシャワーに行くから、メシに行け、と言われ、食堂に行く。
朝食をとり終わったころ、相方が来て自室に戻り、一瞬迷ったが、部屋で彼が朝食を終えるまで待つことに。
別れも言いたかったし。

彼が来るまで歯磨きや荷物整理をし、この手記も書きとめる。
朝食から戻った彼の外出と一緒にチェックアウト。
だって鍵が閉められない(彼がやると一発で閉まる)。
なにかコツがあるのだろうか。
握手して、YH前で別れる。
変なヤツだと思われたに違いない。

おそらく、フィレンツェはドミトリー。
相部屋は初めての経験で懲りたが、予約はすでに入っている。
仕方ないので、テルミニ駅地下の薬局で、耳栓を購入。
トラブルかトラベルか。

そういえばYWCAのデスクからフレンツェYHに連絡を入れてもらったとき、明日ragazzoが行く、と伝えていた。
ragazzoというのは少年、若者という意味、英語で言えばboyである。
東洋人はそんなに若く見られるのか、と驚いたが、もしかすればYHではお決まりの呼称なのかもしれない。
ただ、現時点での私が、ただの“坊や”にすぎないことは、衆目の一致するところに違いなかった。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

“ローマで一番レートがいい両替屋”という名の両替屋。
基本ユーロのTCを現金に両替していましたが、ローマのこの両替屋は、銀行を除いて、旅行をとおし一番レートがよかったです。
実はスペイン広場にあるはずの、アメックスのトラベルサービスオフィスを見つけることができなかったため、利用しました。
ここかな、というところはあったのですが、空室になっていた……
もしかしてなくなったんじゃないのか?
誰かこの情報、真偽を確かめてほしいところ。