県南美術部ネット

青森県南地区(八戸市、十和田市、三沢市、三戸郡、上北郡)高校美術部のサイト

モダンアートはCIAの武器だった

2011-09-17 00:19:56 | 情報

青森県、あるいは全国の美術部の皆さん、こんにちは。もう秋が到来し、三年生は受験準備が現実的になってきた頃だと思います。

美術界のある側面を紹介してこうと思います。社会に出ると、極めて複雑怪奇な出来事に直面することもあるでしょう。もしその不条理な世の中を理解する上で、なんらかの一助になればと思います。

 前回のブログで紹介した、欧米美術界における具象美術の圧殺という事態はなぜ発生したのか? ロバート ウィリアムズは明らかにしていませんが、元CIA職員が実名で明らかにしていることは、アメリカ現代美術の基盤を作った組織がCIA自身であったということです。抽象表現主義とCIAの関係は広く知られたものであり、抽象芸術が圧倒的にサポートされた結果、具象的リアリズムが危機に瀕したのは当然の理屈です。下に紹介する記事は米ソの冷戦時代における文化プロパガンダの実体の片鱗を伺わせるものですが、この記事にも書いていないことは、冷戦終了後のCIAの方針についてです。果たしてアメリカ政府の工作実行機関 CIAは今でもアート界で活動しているのでしょうか?それは機密文書が公開される数十年後に再び明らかにされるのかも知れません。

                 坂本




イギリスのニュースサイト The Independent における1995年10月22日の記事より引用
 http://www.independent.co.uk/news/world/modern-art-was-cia-weapon-1578808.html 
・モダンアートはCIAの武器であった 
Revealed: how the spy agency used unwitting artists such as Pollock and de Kooning in a cultural Cold War 

Frances Stonor Saunders 

数十年間、芸術界においては噂かジョークでしかなかったが、事実として確認されたことがある。アメリカ中央情報局=CIAは、ジャクソン ポロックやロバート マザウェル、あるいはウィリアム デクーニング、マーク ロスコといった芸術家によるモダンアートを冷戦時代に兵器として使用した。ルネッサンス時代の君主のように、しかしそれは秘密裏であったが、CIAは20年間に渡ってアメリカ抽象表現主義絵画を育成し世界中に広めていたのである。 

 この関係性はありえないようにも見える。それは大多数のアメリカ人がモダンアートを嫌い軽蔑していた50年代と60年代における時期のことだからである。 トルーマン大統領は当時の一般的な見方をこういう表現で要約している。「これをアートと呼ぶなら、自分はホッテントッドだ、と言うのと同じだ。」 
 芸術家達に関して言えば、彼らの多くは元左翼であり、マッカーシズムによる赤狩時代、かろうじてアメリカに受け入れられたに過ぎず、そして普通にはアメリカ政府の援助を得られそうもない人々だったことは間違いない。 


 何故CIAは彼らを援助したのか? なぜならソ連とのプロパガンダ戦争において、この新しい芸術運動はアメリカの創造性や知的自由といった文化的力の証明になるとされたからである。ロシア美術は共産主義のイデオロギーの制服によって縛られ、太刀打ちできなかった。 

 この方針の存在は何年にも渡って噂され議論されてきたのだが、現在、元CIA当局者によって初めて確認された。芸術家達には知られないまま新しいアメリカ美術はlong leash「ロング リーシュ」として知られる長い手綱によって密かに援助されていた。その計画は Stephen Spender が編集を務め、同じくCIAが援助した Encounterジャーナルのケースと似たところがある。 

 冷戦のため、アメリカの兵器庫の中に文化とアートを含める決断は1947年CIAが設立されてまもなく採用された。いまだ多くの西洋の知識人や芸術家たちから共産主義の影響力は恐れられており、そこで新たな諜報機関が設置された。それはPropaganda Assets Inventory=貴重品一覧表宣伝機関といったもので、ピーク時には800を超える新聞、雑誌、公的情報機関に影響を与えることが可能であった。彼らはジョークでそれをワーリッツァー・ジュークボックスのようだと言い合った。CIAがボタンを押すとそれはどのような曲でも思いどおりに調整して世界中に聞かせることが可能だったのである。 

 次に重要なステップがやってきて、1950年、International Organization Division(IOD)がTom Bradenの下に設立された。この部署はGeorge Orwellの「動物農園」のアニメ版を援助し、アメリカジャズミュージシャンやオペラリサイタル、あるいはボストン交響楽団の国際ツアーを支援した。そのエイジェント達は映画産業や出版会社に配置され、あるいは名高いフォーダーガイドのために紀行作家として活動することさえあった。そして今、判明したことによれば、それはまたアメリカのアナーキーなアヴァンギャルドムーブメント、抽象表現主義を支援していた。 

 初めのうちは、よりオープンな試みが新しいアメリカ美術を支援するために行われた。1947年に国の機関が企画し資金援助した「アメリカの前衛美術」という国際巡回展はソ連が指摘するところの「アメリカは文化的に砂漠である。」という批判に反論する目的もあった。しかし展覧会は国内においては怒りを買うことになった。それはトルーマンのホッテントット発言を引き出し、あるいはある辛口の国会議員にこう言わしめた。「俺はこのゴミ屑の類いに税金を払っているただの馬鹿なアメリカ人だ。」 
巡回展はキャンセルせざるをえなかった 

 アメリカ政府はついにジレンマに直面した。この俗物主義はMcCarthyのヒステリックな前衛美術に対する批判とあいまって甚だ気まずい状況をもたらした。アメリカは洗練された文化的に豊かな国であるという考え方を台無しにするものであった。 あるいはまた1930年代以降固まりつつあったパリからニューヨークへの文化的優位性の移動というアメリカ政府の方針を妨害するものであった。ジレンマの解決のためにCIAが動員された。 

 この関係は見た目よりもそれほど奇妙なものではない。当時、その新たな諜報機関はおもにイェールやハーバードの卒業生が配置され、彼らの多くは余暇を使って美術品をコレクションしたり小説を書いたりしていた。それはMcCarthy やJ Edgar HooverのFBIに支配されていた政治的世界と比べると自由主義の避難所であったのである。ニューヨーク・スクールを作ったレーニン、トロツキー主義者の飲んだくれ達を賛美すべき立場の公的機関があったとするなら、それは結局CIAであった。 

 今までこの関係を証明する直接的な証拠は無かった。しかし初めてかつての当局者のDonald Jamesonが沈黙を破った。はい。と彼は言った。諜報機関は抽象表現主義をある機会と看做していた。そしてそれに着手したのだと。 

「抽象表現主義に関しては、私としてはこういうふうに言ってみたいのですが、つまり、CIAはニューヨークやソーホーで何が未来に起こるのかを見るために、それを発明したのだ!と。」彼はジョークを言った。 
「しかし、私達が実際にやったことは違いの認識のためだったのだと思います。つまり抽象表現主義との比較によって社会主義リアリズムがさらに型にはまった閉鎖的なものだと認識させるためです。そしてこの関連性はいくつかの展覧会で利用されました。」 

「ある意味、私達の理解が支持されたのは、当時のモスクワは酷い状態で、強固な画一性のために、いかなる不従順も公に非難されていましたし、そのため、彼らがあれほど手荒く非難したものは何であれなんとかして適切正確に支援する価値があったのです。」 

アメリカの左翼アヴァンギャルド達のための収入源を探したもののCIAはパトロンが見つからないことを確認せざるを得なかった。 
「こういった事柄に関しては、二つか三つの間隔距離をおいてなされなければならないのです。」 Mr Jameaonは説明した。「それで、Jackson Pollockの身元や背景を明確にするための如何なる質問も無かっただろうし、例えば、彼らを組織の中に巻込きこむことはなかったでしょう。それから彼らは政府に対する尊重の念はほとんどありませんでしたし、接近はできないままでした。特にCIAに関してはなおさらでしょう。もしワシントンよりモスクワになんとかして近づきたい、と思う人物を利用するのなら、たぶんそっちのほうがはるかにうまくいったでしょうね。」 

これがロング リーシュというものだ。CIAのキャンペーンにおける重要拠点がCongress for Cultural Freedom 自由文化会議となった。知識人、作家、歴史学者、詩人、そして芸術家による広大な会合は1950年にCIAとそのエイジェントによって設立され運営された。それは西側においてモスクワとその同調者からの攻撃から文化を守るための足がかりとなった。そのピークにおいては35カ国に研究室をもち、2ダース以上の雑誌を出版し、それにはEncounterも含まれていた。 

自由文化会議は抽象表現主義の潜在的値打ちを高めるための理想的なフロントをCIAに提供することとなった。公的なスポンサーによる巡回展、雑誌が新しいアメリカ美術に好意的な批評家達にとって格好の場となった。そして芸術家も含め、そのことは誰も知ることはなかった。 

1950年代、組織はいくつかの抽象表現主義の展覧会を併合して行った。最も重要なものは「アメリカの新しい絵画」というものであった。それは1958~59にかけて全てのヨーロッパの重要都市を回るものであった。さらに影響力の強かった展覧会は「アメリカ合衆国のモダンアート」(1955)であり、「20世紀のマスターピース」(1952)であった。 

抽象表現主義が巡回展するには高予算が必要であった。億万長者や美術館は博打に参加した。そういった動きの中でもっとも有名なのがネルソン ロックフェラーである。彼の母親は他の協力とともにニューヨーク近代美術館を設立していた。「ママのミュージアム」とロックフェラーが呼ぶところの館長として彼は抽象表現主義の最大の支援者の一人であった。彼は抽象表現主義のことをフリー エンタープライズ ペインティングと呼んでいた。彼の美術館はほとんどの重要な展覧会の計画とキュレーションのために文化自由会議と契約を結んだ。 

 近代美術館はまた他のいくつかの関係においてCIAとリンクしていた。CBS放送の社長であるWilliam PaleyはCIAの創設者であり、美術館の国際的プログラムのための委員会のメンバーであった。委員長のJohn Hay Whitneyは戦時中の諜報機関であるOSSで働いていた人物である。そしてTom Bradenは1949年における美術館の高官でありCIAの国際機関部門International Organizations Divisionの最初の長官であった。 

 Mr Bradenは現在80代でありヴァージニアのウッドブリッジに住んでいる。家は抽象表現主義作品で覆われており、無数のシェパード犬で周囲をガードしている。彼はIODの目的について詳しく話してくれた。 

「我々はあらゆる人々、作家、音楽家、芸術家、を一つにまとめようとしたのです。何を書くべきか、何を言うべきか、何をすべきか、何を描くべきかを厳しく規制するソ連のような固い壁を無くし、アメリカを含めた西側が自由な表現と知的成果を追求しているということをデモンストレーションするためでした。それは諜報機関が持ったもので最も重要な機関だったと思います。そして、またそれが冷戦時代演じた役割は巨大だったのです。」 

彼の部門が秘密裏に活動していた理由はアヴァンギャルドに対する一般の反感があったためだと言った。 

「我々がやろうとしていたことのために相応しい委員会を得るのは大変難しかったのです。アートを広める、演奏会を広める、雑誌出版を広める。それが秘密活動にしなければならない理由でした。オープンさを押し進めるために我々の存在は秘密でなければならなかったのです。」 

 このことが今世紀におけるミケランジェロにとっての教皇の役割のようなものだとすることが、なおさら相応しい。 

「それは教皇、あるいは多くの資金を持つ誰かを要するものでした。芸術を認めさせ、支援するために。」とMr Braidenは言う。 

「数世紀たったのちに人々はこう言っています。見てご覧!システィーナ礼拝堂だ。歴史上もっとも美しいクリエイションだ! 文明はこうしたミケランジェロを支援したような金持ちや教皇の問題に曝されてきたといえるでしょう。しかし金持ちや教皇が居なかったら、私達が芸術を目にすることはなかったのです。」 

抽象表現主義はこういったパトロン無しにも戦後、有力なアートムーブメントであり続けたであろうか? 答えは恐らくイエスだろう。よって、抽象表現主義の絵を見る事がCIAに騙されることにつながるという考えは間違いであろう。 

大理石の銀行、空港、市のホール、会議室、重要なギャラリー、といったあらゆる場所に見ることができるこの芸術の結果を見るならば、冷戦の戦いがそれらを促進させたことで、それはある種の合い言葉、あるいは人々の文化とシステムの証票となった。彼らがあらゆるところに展示したことで影響力をもち。それらは成功の証となったのである。 

CIAと現代美術に関した話の全体は チャンネル4で今度の土曜日の午後8時から放送される。この番組の第一話は今夜映される。 Frances Stonor Saundersは冷戦時代の文化面に関して本を書いている。 

 1958年の巡回展「アメリカの新しい絵画」はパリで開かれ、ポロックやデクーニング、マザウェルを含んだその他の芸術家で構成されていた。テートギャラリーは次回、この展覧会をやることに強い興味をしめしたが、予算が無かった。遅い段階でアメリカの資産家で美術愛好家のJulius Fleischmannが金をもって乗り出し、そしてロンドンで展覧会は開催された。 

 Fleiscmanが提供した金は彼の懐からではなくCIAのものだった。それはFarfield ファーフィールド基金呼ばれる本体から引き出されたもので、Fleischmannはそこの会長だったのである。しかしなお資産家によるチャリティーを目的としたものであったにも関わらず、その基金はCIA財源のための秘密のパイプをもっていた。 

テートギャラリーや芸術家、あるいは一般には知られない形で、この展覧会のロンドンへの移動は冷戦時代の巧妙なプロパガンダによって得たアメリカの税収をもとに行われたのである。元CIAの Tom Bradenはいかにしてそのようなファーフィールド基金のパイプができたかを説明した。 

「誰かニューヨークにいる有名な金持ちのところへ行くとしますよね。それでこう言うわけです。基金を設立したいんです。と。それでこれから何をしようとしているのかを言って、秘密遵守を約束します。それで彼はこう言うでしょう。もちろん、やりましょう。と。そしてレターヘッドを公表してそこに彼の名前がのるわけです。極めてシンプルなやり方です。」 

 Julius Fleischmannはよくこの役割に就いた。彼はニューヨーク近代美術館の国際プログラムの委員会の席につき、CIAに近い幾人かの大立て者も関わっていたのである。

Jackson Pollock & Mark Rothko: Icons of Abstract Expressionism

世界中が注目、中国現代美術の理想と現実 

 

十和田市 現代美術館の黄色い馬.3gp

 

Yoshitomo Nara on Inspiration, Integrity and The Ramones


ローブロー アート とは何か?

2011-09-12 22:10:39 | 情報

美術部の皆さん、こんにちは。来月の高文連の制作のために忙しい毎日だと思います。

表現上、何か参考になるようなことを記述したいと思います。

 

 アメリカ西海岸の地域を中心に ローブローアートと呼ばれるムーブメントがあります。このカルチャーの発端になった人物がロバート ウィリアムズという人です。アメリカのアンダーグランド カルチャーの雑誌、ジャクスタポーズ マガジンの創刊者です。

 戦後、アメリカは抽象表現主義を中心とした抽象的、概念的芸術が支配的となりました。その裏側で彼のような具象的なアンダーグラウンド アーティスト達が苦労を重ねて自らの存在意義を勝ち取るための努力をしてきました。ローバート ウィリアムスは 2004年あたりに「ダヴィンチへの大衆化」というエッセーを書いています。このようなものです。  

 

‘ I’m not issuing blame and retribution, but staring at the end of the Second “World War, the international and American fine arts communities have intentionally striven to move the graphic and sculptural arts into the province of total non-objective abstraction and semi-abstract expression-and this backed up years later with minimalism and conceptual theory. This means essentially that for fifty years the world’s de facto fine art power brokers have completely eliminated representational painting, drawing and sculpture from the whole fine art sphere, with a few rare exception-and such as kitsch pop art. 
  
 This is all well and good for high society cognoscenti, except for two problems. To begin with, representational art as a voice and language dates back to early Paleolithic Europe, intricate vernacular of visual communication right up to the middle of the twentieth century when, for some unknown reason, it was curtailed. This crucial form of graphic expression will inevitably find other forms of social contact, and will probably eventually eclipse any art mode that suppresses it.’ 

  
  「私は侮辱や報復について言おうとしているのではないが、第二次世界大戦の終わりごろに注目してみると、アメリカあるいは国際的な美術の世界が集中的に奮闘してきたことはグラフィックあるいは彫刻といったものを全く非再現的な抽象絵画、準抽象表現の領域へもっていくことであった。そしてそれは数年後にミニマリズムとコンセプチュアル理論の前提となっていった。このことが本質的に意味することは50年間、世界の実質的な有力アート ブローカー達は具象的な絵画、デッサン、彫刻を完全に美術界全体から排除したということである。例外としてはごく一部のキッチュなポップアートのみであった。」 

「このことは上流階級の鑑定家達にとっては都合よく満足できることであった。二つの問題を除いては。まず、 何らかの未知の理由で具象芸術が抑制された20世紀半ばから遡っても具象的なコミュニーケーション言語は石器時代にまで到るヨーロッパにおける複雑で独自な地域性に源流があるということである。また、具象表現の危機は必然的に異なる社会性、コミュニティをつくるざるを得なくするだろう。 そしてその結果、恐らくは具象表現を抑圧しようとしてきた如何なる流行スタイルも見劣りするようになってしまうだろう。」 

アンダーグラウンド アートの父、ローバート ウィリアムズの和訳付きインタヴューがあります。貴重なものだと思うので、ぜひ機会があれば全編を視聴してみてください。彼が述べる、具象芸術を抑制した「何らかの未知の理由」とは何であったのか?そのことについては次回で紹介したいと思います。

                                                              坂本

 

Robert Williams 3/5 

 

ローブローアートに関するウィキペディアからの引用

 

 

ArtistUnusual ArtJargon Lowbrow 

 

 

ローブロー(アート ムーブメント)   

 http://en.wikipedia.org/wiki/Lowbrow_(art_movement) 


Lowbrow, or lowbrow art[1], describes an underground visual art movement that arose in the Los Angeles, California, area in the late 1970s. Lowbrow is a widespread populist art movement with origins in the underground comix world, punk music, hot-rod street culture, and other subcultures. It is also often known by the name pop surrealism. Lowbrow art often has a sense of humor - sometimes the humor is gleeful, sometimes impish, and sometimes it's a sarcastic comment.[2] 
Most lowbrow artworks are paintings, but there are also toys, digital art, and sculpture. 

ローブロー あるいはローブロー アートはカルフォルニア ロサンジェルスのエリアにおいて1970年代後半に発生したアンダーグラウンド ヴィジュアル アートムーヴメントのことをいう。ローブローは広く一般大衆の間で行き渡ったアート ムーヴメントであり、その起源はアンダーグラウンド コミックスやパンクミュージック、ホットロッド ストリート カルチャー、その他のサブカルチャーにある。 それはしばしばポップ シュールレアリスムという名称で知られてもいる。 ローブローアートはしばしば陽気なユーモアセンスにあふれている、あるいはまた悪戯地味ており、皮肉な表現を用いる。大方のローブローアートは絵画であるが、玩具やデジタルアートであったり、彫刻でもあったりする。 

Origin of the term "lowbrow" 

In an article in the February 2006 issue of his magazine Juxtapoz, Robert Williams took credit for originating the term "lowbrow art." He stated that in 1979 Gilbert Shelton of the publisher Rip-Off Press decided to produce a book featuring Willams' paintings. Williams said he decided to give the book the self-deprecating title, "The Lowbrow Art of Robt. Williams,"[6] since no authorized art institution would recognize his type of art. "Lowbrow" was thus used by Williams in opposition to "highbrow." He said the name then stuck, even though he feels it is inappropriate. Williams refers to the movement as "cartoon-tainted abstract surrealism."[7] 

ローブローアートという言葉の起源 


2006年2月のジャクスタポーズマガジンの記事においてローバート ウィリアムズは自ら「ローブロー アート」という言葉の起源について確証している。彼が明確にしていることは1979年にギルバート シェルトン の出版社 リップ オフ プレス がウィリアムズの絵を特集することを決定した際に、ウィリアムズは「ロバート ウィリアムズのローブローアート」という自嘲的なタイトルを付けた。なぜなら全ての公的な美術界が彼のようなアートを認めていなかったからである。こうして「ローブロー」という言葉はウィリアムズによって「ハイブロー」に対置するものとして使用された。彼によれば後にその名称は適確ではないにも関わらず、固定されたと述べている。ウィリアムズはこのムーブメントのことをむしろ「漫画風のアブストラクト シュールレアリスム」というふうに言い表している。 

Lowbrow vs. "fine" art 

Museums, art critics, mainstream galleries, etc., have been uncertain as to the status of lowbrow in relation to the fine art world, and to date it has been largely excluded - although this has not stopped some collectors from buying the works. Some art critics doubt that lowbrow is a "legitimate" art movement, and there is thus very little scholarly critical writing about it. The standard argument of critics is that critical writing arises naturally from within an art movement first, and then a wider circle of critics draws upon this writing to inform their own criticism. This apparent absence of internal critical writing may be because many lowbrow artists began their careers in fields not normally considered fine art, such as illustration, tattooing and comic books. Many lowbrow artists are self-taught, which further alienates them from the world of museum curators and art schools. 

Many in the art world have deeper difficulties with lowbrow's figurative focus, its cultivation of narrative, and its strong valuing of technical skill.  
All these aspects of art were deeply disparaged in the art schools and by curators and critics throughout the 1980s and 90s. 
However, a number of artists who started their careers by showing in lowbrow galleries have gone on to show their work primarily in mainstream fine art galleries. Joe Coleman, Mark Ryden (from his 2007 'Tree Show' exhibition), Robert Williams, Manuel Ocampo, Georganne Deen, and the Clayton Brothers are examples. 

ローブロー vs ファインアート  (一部抜粋) 


美術館や美術批評、メインストリーム ギャラリーは美術界におけるローブローの地位について不明瞭な立場をとっている。そしてローブローは時代遅れとして全面的に蚊帳の外にありつづけているとしている。しかしそのことはある一定のアート コレクターの購買欲を止めることにはなっていない。ある批評家達はローブローアートが正統的な芸術運動であるということには疑問をもっている。そしてローブローに関する学術的な言説は非常に少ない。普通に標準的な批評の議論とは、まずアートムーブメントの内から自然と生まれてくるものであり、その後により広い支持者によってその批評が知られていくものである。内側に立った批評の、この明らかな欠如の理由は、多くのローブローアーティストがファイン アートと認められていないフィールドからキャリアを出発させているからであると思われる。例えばイラストレーション、タトゥー、コミックなどからである。 多くの ローブローアーティストは独学であり、美術館や学芸員、美術大学の世界からは隔離されている。 

 ローブローの具象への執着や物語を育む傾向、そして技巧を重くみる傾向のためにアート界において多くの場合それらが大きな障害となっている。 そのような芸術の見方は80年代、90年代において美術大学あるいは学芸員、批評家によって著しく軽視されていたからである。 
しかし、ローブローを紹介するギャラリーにおいて仕事を開始した無数のアーティストは主にメインストリームのファイン アート ギャラリーで発表を続けており、ジョー コールマン、 マーク ライデン、(2007年における ツリーショー以来)ロバート ウィリアムズ、 マニュエル オカンポ、 ジョージアンヌ ディーン、そして クレイトン ブラザーズらがその例証となっている。

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ローブローアート に関する動画をいくつか紹介しておきます。これほどスキルフルな作品世界が何故に欧米の美術界から排除されているのか日本人には理解し難いでしょう。


Lori Earley

 

Interview with featured artist, Chet Zar 

POPaganda: The Art and Subversion of Ron English

 ArtistUnusual Christopher Ulrich

 

Artist Interview: Nathan Spoor 

 

 


芸術が完全に禁止された世界

2011-09-11 01:34:34 | 情報

 

青森県の美術部の高校生の皆さん、こんにちは。 美術、芸術はなぜ必要なのか?それは美術、芸術が完全に禁じられた世界を想定すれば分かりやすいでしょう。邦題「リベリオン」というB級以上、A級未満の微妙な映画があります。芸術が完全に禁止された未来世界が舞台になっています。絵を飾っても詩を読んでも、音楽を聴いてもダメです。

 人間が戦争の過ちを犯すのは全て感情に原因があるとされ、感情を持つことが徹底的に禁止され、全国民から感情を消すための薬が配給されています。その服用を怠った国民は権力で処分されます。

 権力者は国民に対して芸術を禁止しているくせに、権力者自らはルーベンスの絵を自室に飾ってぬくぬくと芸術に浸っているのです。クリスチャン ベールが 自由のために戦います。国家のために感情抹殺を担う最高幹部だった主人公が自らの感情に目覚めてしまい、ガンカタと呼ばれる武術によってを自由を奪回し復讐を果たそうとします。ダヴィンチの絵をアングラの人々が身を隠して守っているという、ちょっと珍妙なSF映画ですが機会があれば視てもいいのでしょう。

 

                                                                  坂本

 

Equilibrium Best Scene Ever

 

 

Equilibrium - The Best Scene (very Goog Quality)

 

 

 


映像表現

2011-09-09 13:25:28 | 情報

八戸市三日町に新しくできた施設、”はっち”で、美術の先生方の研修会が行われました。

テーマは映像表現について。講師は東北芸術工科大学映像学科の松村泰三先生。


松村先生はこのような作品を作ります。回転すると白いベルトが三原色で光り出す不思議な作品です。 

「フェナキストスコープ」と呼ばれるアニメーション機器。 

回転させてスリットを通して見ると、鏡に映した絵が動きます。 

フェナキストスコープを水平にしたもの。ストロボライトをあてたら、スリットを通さなくても絵が動き始めました。

どんな感じか見たい人はここをクリック
http://www.youtube.com/watch?v=yxFoRZnxeEA
http://www.youtube.com/watch?v=AfS2kGO5lg8&feature=related 


これは何をしているかというと・・・

赤と青のペンで絵を描いて、赤と青のセロファン紙を通して見ると、絵が切り替わる。
単純ですが、面白い効果がありました。 

その他、各校の授業や部活でやっていることを話し合いました。
八戸東高校の坂本先生が、不透明水彩絵具の使い方を説明しています。

先生方も勉強しているのですね。


展覧会情報

2011-09-02 14:26:35 | 情報

今回は、おすすめ展覧会の情報です。  

 

 十和田市現代美術館 

「加藤久仁生(かとうくにお)展」   2011/9/102012/1/9  高校生無料

 

  米国アカデミー賞短編アニメーション賞を獲得した加藤久仁生の作品世界を紹介します。加藤久仁生は大学在学中から自主制作で頭角を現し、描写力と世界観は大きな注目を集めてきました。約1年間を費やした「つみきのいえ」では、静けさの漂う映像に心温まるストーリーが展開され、世界各地で大きな喝采を浴びました。

 1部では、「つみきのいえ」が生まれたきっかけのスケッチや絵コンテ、さらには同名のベストセラー絵本の原画を展示。制作の過程をたどり、完成作の余白にあふれる魅力を体感します。2部は、「つみきのいえ」以降温めてきたイメージを紹介します。展覧会のために制作した新作短編アニメーション「情景」を披露し、現在絵本雑誌「MOE」(白泉社)で連載中の「あとがき」の原画も展示します。  

 

 

 七戸町立鷹山宇一記念美術館

「平山郁夫展」  2011/9/2310/30 高校生400 

 

日本画家・平山郁夫の60余年に及ぶ画業を追悼し「平山郁夫展」が開催されます。この展覧会では、平山郁夫が生まれ育った生口島に開設された財団法人平山郁夫美術館のコレクションから、画家が絵に託して未来へ伝えようとした想いを作品から検証すると共に、日本画壇に重鎮をなした平山芸術の神髄に迫ります。  

 


 ●青森県南美術部とは・・

 

  青森県高文連美術部では、八戸市、十和田市、三沢市、三戸郡(階上町、五戸町、三戸町、新郷村、田子町、南部町)上北郡(おいらせ町、七戸町、東北町、六戸町)を“県南地区”と呼んでいます。 

今年の県内美術部員の人数です。

青森県内で、高文連に加盟して活動している美術部は52校。

県南地区の美術部は20校。部員数は295名です。

県内で一番多いですね。