心のままに

迎え火

今夜からはお盆ですね。

8月15日は終戦記念日、お盆の最終日、ご先祖様の霊をお見送りする日です。

何か意味があってこの日に終戦とされたのでしょうか?

そんなことを時々思います。

 

広島の原爆、長崎の原爆、戦争は本当にあってはならないことです。

毎年私は7月末の土曜日、地元で「戦争体験を語り継ぐ集い」の司会を担当しています。

みつほが亡くなってすぐの年もお断りすればよかったのに、生活を変えないことがいい、と、続けて受けていました。

数年は、受けたことを本当に後悔しながらなんとか続けていました。

今は、続けてきてよかったと思っています。

決して多くを学んでいませんが、ただ、命の大切さ、子どもを亡くした親の気持ちが分かります。

戦時中、何があっても「お国のために働いて来い!お国のためによくやった!」と、笑顔で送りだし、お骨も入っていない箱を誉れだと言って笑顔で胸に抱く父と母、どんな思いだったでしょうね。

泣くことも許されない、それどころか喜ばしいこととしていないといけないなんて、、、

戦争当事国双方ともどれほどの犠牲を払うことか。

戦後70年、生きてきた人たちも、その70年間ずっと心の痛みを抱え、ある人は寡黙になり、ある人は活動し、ある人は、、、それぞれの戦いがあります。

これからの未来に同じことが決して起きませんように。

 

昨夜からの雨、朝起きても雨っぽく、それでも午後からは晴れ間もあり、夕方の迎え火は無事終えました。

お経を唱え、夕食になると、またひとしきりの雨、みっちゃんのご挨拶のような感じでした。

ご先祖様のお迎えって意識はあっても、みつほを迎えるってところになりません。

迎え火に時間がかかり「みっちゃん何やってんの~って笑ってるね。」なんてことを言いながら、心は切ない、空を見上げ、何か合図ないかなぁ、、、なんてことを思ったりします。

 

我が家は曹洞宗(禅宗)なので、15日までお食事をお供えします。

みつほの好きなものとは思えないようなものばかり(笑)

最初は悲しくて悲しくて、好きなものを泣きながらみつほの写真の前だけにお供えしたりしていました。

 

今は、いつも心で会話、ほんとにメッセージ通り、心で話してます。

私は、声に出して会話することができず、心で静かに会話することが本当に多いです。

声に出せない、、、でも、思いは瞬時に届く世界、それを信じて、なんにしても形に捉われず、自分が楽な方法を選んできました。

 

先日、あることを思っていたのです。(内緒だけど:笑)

そしたら、こんな風に洗濯機の蛇口にかけてあったフックが、突然ボンと床に落ちてきました。

瞬間移動です。

どうしたって落ちるはずのない掛け方、洗濯機を飛び越して床に落ちてくるなんて、驚きです。

 

私も「何思ってるの?!」・・・なんか、みつほに笑われたなぁっと^^;

それでも、その思いが手放せず(笑)しばらく心の中をくるくるしていました(爆)

そんなこともあるなぁ、人間だもの、いろいろあって、いろいろ感じるまま、そして、また目指すところを見て歩く、それでいいんだよね^^

 

初盆をお迎えの方は本当に辛いと思います。

どうぞ心守りながら、お子さんのあたたかさに触れられますように、お祈り申し上げます。

ご自愛くださいませ。

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