堅バカおすぎのドタバタ人生ノンフィクション日記🎵

生きてると本当に色々な事が起こる。持病と闘いながら堅ちゃん救われて乗り切るリアルノンフィクションな日々です。

土鍋、登場!!

2010年09月30日 | クッキング♪


朝晩寒くなってきましたね~~~~
裸足で居るのがそろそろ限界かな~と思う今日この頃。
我が家の5年目の「土鍋ちゃん」←名前、そのまんまっが登場しました

昨日は今季初でしたので、記念して「玄米お粥」を作りました
土鍋にもいきなりヘビーな物より、だんだん慣らす感じのメニューがいいかな~と思って。
なんちゃって、実の所は鍋の食材には欠かせない野菜達が
メッチャ、高いので鍋ができないのが本音

白菜も高いけど、最近は葱まで200円越え
大根も水菜もみ~~~んな高いので鍋をする勇気がおきん

出来るとしたらなんだろう・・・と思い、思いついたのは
「もやし鍋」

もやしと豚肉オンリーの鍋。

白菜キムチを入れて、何ちゃてキムチ鍋???

我が家は夏以外は土鍋がフルで活躍するので
肉より野菜が高くなるとお手上げ状態になっちゃう

今のところは キノコ類はそんなに高くないので
もやしとキノコ類とその時時に安くなってる野菜を見つけて
適当鍋を作るしかないな~~~・・・・・

大根おろしが定番なのにな~~~~・・・・。

ま、どうにかなるやろ。

暫らくはもやしとお粥とかで「土鍋ちゃん」には頑張っていただこう

果物も高くて・・・。

見切り品も高いってどうなのよ?って店で悩みぬいているおすぎなのでした

春からこっち、ほぼ毎日弁当にも追われて 脳みそグチャグチャです

そろそろ復活です。

2010年09月29日 | 日記
9月の中旬過ぎまで猛暑が続き、どうなることやら?と
ほとほと暑さにウンザリしていたら、ここ数日急に秋らしいと言うより
朝晩は冷え込んで風邪を引きそうな気温になりました。

今月は色々な事が起こり、アッという間じゃなく
とても長い1日が毎日続いたって感じです。

12日に義理父が急死し、あまりの突然に心の準備も何もなくて
いまでも 生きているようなそんな気がするほどです。

最後に話したのは何時だっただろう・・・。
思い出せないほど時間が空いていました。

まだまだ死なない。親はなんだかんだ言っても死なない。
そんな感じで ついつい日頃の雑多に追われて親をないがしろにしていました。

後悔先に立たず。とは本当にその通りで
毎日後悔の日々です。

義理の父を亡くしてこんな気持ちになっているのなら
実の親を亡くしたとき、私はどうなってしまうんだろう・・とか
本当にガラにもなく色々な事を考えました。

だけど 予約落ち着いた今、また日々の雑多に追われて
大事にして行こうと思った残された義理の母へも中々連絡も出来ず
元の生活に戻りつつある、情けない私・・・・。

まあ、自然に、今までより気にかけて無理のない範囲で接して行こうと思ってますけど・・・・。

父が急死して自分が学んだ事は
今、したい事、しておきたい事を、言いたい事を我慢せずにしよう!と
つくづく思いました。

まさか父も12日の早朝に急に死ぬなんて思ってなかったでしょう。
能古の島の「デイケアーセンター」にショートステイで泊まりに行った先で
朝早く、トイレに行った後倒れて脳内出血で急死した父。
離島だった為、救急車が市内まで行けないのでドクターヘリで運ばれた父。

そして天神のど真ん中、「再生会病院」(美空ひばりさんも入院した)で息を引き取った父。

最後まで劇的である。
まさか自分がヘリで搬送されてるとは思っても居なかっただろう。

手の施しうがない、と言われ、延命措置をとるか?ときかれ
それを断った母と義理の弟。

静かにその時が来るまで父のそばで 家族も親族も間に合って
皆に看取られて天国に旅立った父。

父の兄弟も子どもも孫もみんな集った。

こんな事は初めてだった。

霊安室に運ばれてきた時の父の口が酸素マスクをかけていたせいで
大きく開いたままだったので
みんなで顔が固まらないうちにと 口を閉じる為に抑えたり
タオルで巻いたりずっと代わる代わる抑えたり・・・。
手も合わさってなかったので(麻痺があって左手が開かなかった
指を一本一本広げて重ね合わせてあげた。

霊安室でみんなで寄ってたかって父を整えた。
その甲斐あって父の顔はいつもの優しい顔に戻った。

みんなで父に思う存分触れた。

この経験体験はそれぞれの心に色々な形で残ると思う。

上手くは言えないけど 人はいつか必ず死ぬ。

死んだ時、父のようにされたらいいだろうな~~と私は思った。

そろそろ私も前に進もう。

身近な人の死に接すると暫らく立ち直れない程
自分の命を見つめてしまう。

色々な事を考えてしまう。

まだまだ子ども達に言い残してる事、教えて無いこと沢山ある。
どうしよう。。。とか不安になる。

でも何とかなるんだろう。

私は私の時間を生きよう。

ボチボチ生きよう。

のんびり生きよう。

我慢はやめよう。

辛抱はするけど我慢はよそう。

私の時間を大事にしよう。

そのために今日からまた頑張ります。

色々心配かけました。ありがとう♪

逝っても、なお・・・。1

2010年09月14日 | 日記
昨日は義理父のお通夜でした。

私は親戚がとても多く、「葬儀」には慣れていると思っていましたが

『遺族』として事細かに『寝ずの番』をしながら
悲しみつつも夢のような、よく聴く「実感が沸かない」と言う言葉を痛感している時
静かにゆっくりと最後の別れのセレモニーの為の準備が進んでいく。

祭壇が少しづつ完成していく。

亡くなった当日の夜、葬儀の打ち合わせがあった。
本当に突然だったので 義理母は放心している様子でもあり、でも決める事がとても多くて
じーちゃんの死に浸っている暇が無い。

普通の和風の花を使った祭壇の写真と
洋風の花が使われてる祭壇の写真を見せられて
値段はどちらも同じだが、見た感じ「普通」の祭壇と
菊などがメインではない洋風の祭壇とどっちにするか?で
それだけの事でも決められなくて、誰も「これがいいよ!」とか言わなくて
迷う?と言うより、それに心が集中できない様子の母と旦那と義理の弟。

ああ・・・これが身内を失うと言う事なんだろうか・・・と
遺族だけど唯一の他人の私は3人を見ていて震えるような思いがした。
自分が逝った時も、こんな時間を残した家族にさせてしまうのか・・・とか。

色々だ。



哀しくなってきました。

今はこの辺で・・・・。

義父 逝く。

2010年09月13日 | 日記
昨日の午後5時10分 義理の父が天国に逝きました。

何て後悔の残る別れでしょうか。

縁あって嫁となった私は父に何をしてきたのでしょう。
「今度いつか」「まだ先でいいか」と今すべき事も思っても行動にもしないで
甘えてきてしまった。
呆気なく亡くなってしまった。

見送るだけしか出来なかった。
まさか死んじゃうなんて。

今 葬儀の準備中。

まだ 夢の中に居るようだ。