未来へのGIFT〜今日の軌跡は未来の僕を形造る〜

ブログの趣旨
何年後か、過去の記事を見て笑っている。
その為に今日という軌跡の1つ1つを大事にしたい。

オリジン(自分の根っこには何があるのか)

2020-04-28 15:15:24 | 成長
今日話。

今日はぼけっとLINE NEWSを見ていて、
心が動かされたものを紹介します。


綺麗ですよね。
クリームソーダを綺麗だと思ったのは初めてですが。
こんな美しいものをそばで感じられる毎日だったら素敵ですよね。

何もしない毎日も幸せですが、
何もしていない中でも感じられる何かがあるともっと幸せですね。
その何かを追求することで見つかるものもあるのかな。

そもそもこのブログを始めるきっかけは
自分が成長できるきっかけになればと思いはじめました。

元々、感受性が乏しい僕でした。
みんながやっていることになぜか共感ができませんでした。
それが悩みでもありました。

ある時、それもまぁしょうがないかな。
と思うようにしたことで悩むことが減りました。
でも生きていく上でもっと幸せに、もっと楽しく、って思うのは当然ですよね。

みんなそう思っているけど、
幸せって?どんな時が楽しい?って聞かれると答えられないことが多い気がしませんか。
でもそれも当然で、何かを探そうともせず、人に言われたままに生きていれば
何も生まれてきませんよね。

例えば、お腹がすいたと思ったら日本では食に溢れています。
すぐそこにコンビニありますよね。
それでお腹はいっぱいにできます。
でもそこに生まれるものがありますか。(うんこは生まれますが笑)
一つ考えれば食す方法は色々あります。
美味しいものを食べたいのか。
栄養があるものを食べるのか。
お金をかけずにお腹を満たすのか。
考えることで、わからないこと、わかること、食べることで生まれる何かがあるんです。

でも忙しい、時間がない、
やり方がわからない、めんどくさい、疲れた。
などやらない方法を色々模索しますよね。
やらない方法を探すことに関して結構プロフェッショナルなのに、
やる方法を探すことは意外と考えない。
人の本能なんでしょうね。

でもやっぱり楽しい人生と平凡な人生のどちらがいいですか?
って言われたら平凡は嫌だ、って思います。
なんで?って言われるとまだそこは曖昧ですが、
平凡ってカッコ悪いなって思います。
僕って多分万年中二病なだと思います。

中二病
ラジオ番組『伊集院光のUP'S 深夜の馬鹿力』で生まれた造語。1999年1月11日放送の同番組内でパーソナリティの伊集院光が「自分が未だ中二病に罹患している」と発言し、翌週から「かかったかな?と思ったら中二病」(1999年1月18日 - 3月22日)というコーナーを立ち上げ、リスナーから募った「症例」(と銘打った投稿ネタ)を体系化させていった。伊集院本人が指標として挙げた例は「『因数分解が何の役に立つのか?』『大人は汚い』と言い出す」「本当の親友を探そうとする」など。
放送当時は番組リスナーの間だけで用いられるだけの名称であり、番組内においてコーナーが終了してからは次第に忘れられていったが、2005年を境にインターネット上で再び広く使われるようになる。当時2ちゃんねる生活全般板にあった「中二病総合スレ」等で使われるうちに自虐の意味が薄れ、揶揄する意味合いが強くなり、「過去の失態を告白してみんなで奇声を発するスレ」に投稿された「邪気眼」と呼ばれる投稿から、思春期の少年が行いがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などに対する蔑称、特に創作物の評価において「身の丈に合わない壮大すぎる設定や仰々しすぎる世界観を持った作品」、ひいては「非現実的な特別な世界観や設定そのもの」を揶揄・否定するネットスラングとして定着した。またネットスラングとしては、「中」の字を「厨」で置き換えた厨二病という表記も見られる[1][2][3]。
こうした意味合いの変遷について、伊集院本人は「もう僕の作った時の意味と違うから言葉自体に興味無いです。」と語っている。 Wikiより

話がダラダラ長くなりましたが、
表題の件ですね。
僕が一体何がしたいのか。
アニメ、僕のヒーローアカデミアではこう表現されてました。
「オリジン」
挫けそうになったときは、始まりを思いだそう。

僕は。
綺麗なものが好きです。
だから美を突き詰めてみようと思います。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。