うつ解消マニュアル
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)
第10回目 2008・7・12作成
(マニュアルは第1回目にあります。常に最新版にしています。)
ブログ開設1周年記念「星の王子さま」
道新いずみ欄「つめ切り」
「今年初めてのハーフマラソン」
グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104
早いもので、ブログ開設から1年の月日が経ちました。
あっと言う間の1年でした。
と言うわけで、1周年記念に相応しく、
アントワーヌ・サンテグジェペリ(1900.6.29~1944.7.31)の
「星の王子さま」(140カ国以上に翻訳されています)について、
少し書きたいと思います。
皆さんも一度は、この本を手に取られた事があると思います。
一度見たら忘れる事が出来ない王子さまの絵と
挿絵を楽しみながら読み進める内に、
何とも言いようのない近親感を覚えたのは私だけではないと思います。
そしてラストの別れは、
子供の時以上に、
大人になった今の方が辛い思いがするのは何故でしょうか。
星の王子さまは、
自分の星で大切に育てたバラを残して、他の星に旅に出ます。
命令することでしか人間関係をつくれない「王様の星」、
自分にしか興味のない「自惚れ屋の星」、
お金にしか興味のない「ビジネスマンの星」、
机の上だけで世界を見ようとしない「地理学者の星」
などを旅します。
そして最後に、地球にやってくるのです。
そこで、王子さまは素晴らしい出会いをします。
一匹のきつねです。
王子さまが一緒に遊ぼうと言うと
「なじみになっていないから遊べないよ。
なじみとは、きずなを結ぶこと。
なじみになれば、お互いなくてはならないものになる。
なじみになれば、僕の人生はパッと明るくなる。
君の頭は金色だから、小麦を見れば君を思い出す。
すると麦畑に吹く風だろうと好きになるだろうよ。
自分がなじみになるものしか、人は知る事がないんだよ。
友達が欲しければ、僕となじみになっておくれよ。」
そしてこうも言います。
「じっと辛抱することだよ。」
(時間をかければ、お互いの絆を作る事が出来るということですよね。)
ここからが圧巻です。
王子さまは自分の星で育てていた、
不平が多くむっつり黙り込んだりする手間のかかるバラのことを話すと、
「君が君のバラのために失った時間こそが、
君のバラをかけがいのないものにしているんだよ。」
やがて王子さまは、地球に来てから1年になった時、
自分の星に帰ると言い出します。
「僕はあの花にしてやらなくちゃならないことがあるんだ。
本当に弱い花なんだよ。
本当に無邪気な花なんだよ。
身の守りと言ったら
4つのちっぽけなトゲしか持っていない花なんだよ」
と言って、地球の天辺に自分の星が来た時に毒蛇に噛まれます。
声ひとつ立てずに、
1本の木が倒れるように、しかし、静かに倒れます。
(北海道旭川市、花菜里ランド)
この本は、1942年春から秋にかけて執筆されました。
長い間、別居(二人は求め合いながらもうまくいっていなかった)
をしていた最愛の妻コンスエロを、アメリカに呼び寄せた翌年のことでした。
(コンスエロは、1940年パリ陥落した時にフランスの田舎に疎開していた。)
実は、この本は友人に捧げられています。
しかし私には、この本が妻コンスエロへの恋文に思えてならないのです。
王子さまは、バラのことを次のようにも言っているのです。
「どんなことになっても花から逃げ出してはいけなかったんだ。・・・
そんな振る舞いはしているけれど、
根は優しいんだということを汲み取らなけりゃいけなかったんだ。」
幸せの絶頂にあったサンテグジェペリは、
翌1943.5、
「平和や僕が愛する人のために銃弾をあびに行く」と言って
連合軍の偵察部隊に復帰します。
そして、1944.7.31、行方不明のまま還らぬ人になります。
サンテグジェペリとコンスエロ、
出会うべきして出会った運命の人であったと思うのですが、
本当に互いを理解できたのは、
別居中のコンスエロをアメリカに呼び寄せた時のことだと思います。
つまり、サンテグジェペリの頭の中に
「星の王子さま」の構想が出来た時だと思います。
コンスエロは、
中米のコーヒー農園経営者を父に持ち、
当時としては珍しく大学に学んだ才媛です。
コンスエロ29歳の時に結婚・・・
純粋真っ直ぐが取り得のサンテグジェペリが、
彼女を理解するには、少々心が幼かったのではないかと思えてなりません。
先のブログにも書きましたが、本音を素直にぶつければいいのです。
当時のサンテグジェペリには、
愛はあっても思いやりに欠けていたと思えてなりません。
コンスエロを知る人は、口を揃えて言います。
才気のある明るい女性(ひと)だったと。
詰まらない石ころでさえも、
コンスエロが語ると楽しい話になったと言います。
本でも人間にも行間というものがあります。
コンスエロの言葉や行動をそのままにとってしまって、
魂を理解しようという辛抱が足りなかったのだと思うのです。
またまた長くなってしまいました。
まだまだ書きたいことはあるのですが、この辺にします。
(北海道美瑛町、ホピーの丘と命名)
いつもコメントをくれる「ま」さんに、6月24日付道新のいずみ欄、
小野寺園子さん(札幌、60歳)の「つめ切り」を贈ります。
小野寺さんは父が大好きだから、
父に喜んでもらえることがしたい。
でも、しっかりした気丈な父にしてあげられることはなかなかない。
そんな時、父の足の爪が伸びていることに気が付く。
「爪を切らせて」と頼む娘に、父は「自分で切る」と言う。
しかし、91歳になる父が身体を屈めて爪を切るのは大変だ。
何度も頼む内に、やっと父の許可が下りる。
爪を切る娘の頭の上で、父は母に言う。
「こんなに幸せな親がほかにいるだろうか」
小野寺さんは、鼻の奥がつーんとするのを感じたと書いています。
こんな小さな事で、お父さんが喜んでくれた。
ここまで育ててくれた父に返すものがないと感じていた小野寺さんは、
意外にも爪を切るという小さなことを通して、
お父さんの自分への深い愛情をあらためて感じた瞬間だったのだと思います。
小野寺さんに「自分の子でいてくれて、有り難う」
とお父さんが言ったように、私には聞こえました。
言葉に魂が宿った瞬間です。
間違いなく、言葉には魂があります。
言霊が伝わらないのは、言う人の力量もありますが、
実は受け手の未熟さが一番災いしているのです。
小野寺さんは見事に、お父さんのメッセージを受け取っています。
(北海道旭川市、上野ファーム)
最後に、少し自分のことを書きます。
先月29日にハーフマラソンを走りましたが、
少々反省することになりました。
練習を全くしないで望んだ結果は、散々だったからです。
折り返しの10キロ当たりから、
強い日差しと足の痛みと頭痛と空腹に悩まされ、
特にシューズに下敷きを入れたせいで、
親指の爪がシューズの内側と接触してそれは大変な痛みとの格闘でした。
ゴールしてから足の親指を見ると、2倍近くに腫れ上がっていました。
実は、うつ解消法のひとつ、
「無理をしない」ということを実践しようと思ったのです。
昔から努力とか頑張るとか言う事に重きを置いて来たものですから、
価値観の転換には少々悩みもありましたが、
努力とか頑張ると必ず無理をすることになるから、
うつ解消法では厳禁としました。
また、歩くとか走るとかいうことは、
人間として当たり前のことという思いもあり、
また「練習なしにどこまで行けるのか」という実験もしてみたかったのです。
ゴールこそ出来ましたが、
制限時間の2時間40分に10分位の余裕を残してのゴールでしたから、
ほとんどラストランナーだったと思います。
(余りに辛いゴールだったので、ゴールした後は確認していません。)
マラソンは、
運動中はセロトニンをつくりますし、
ましてゴールが出来れば充実感と共に自信がわき、
幸せな気分にもしてくれます。
しかしよーく考えてみると
、ゴールが出来なくても充実感が味わえたのは、
頑張ったと思える時だけでした。
マラソンで頑張ると言うのは、
決して無理をするということではなかったのです。
こんな簡単な事に、練習なしに走ってみないと分らないというのは、
何とも情けない話です。
ジャズシンガーの綾戸智恵は、
辛い時に頑張るというのは自分にとって励みになったと言っています。
今度は10月にフルマラソンがあるので、
無理をしない程度に頑張って練習をしようと思います。
最後に、ブログ開設1周年を記念して、
「星の王子さま」の本の中で、
ひときわ輝いている言葉を送ります。
「心で見なくちゃ、物事はよく見えない。
肝心なことは、目には見えない。」
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)
第10回目 2008・7・12作成
(マニュアルは第1回目にあります。常に最新版にしています。)
ブログ開設1周年記念「星の王子さま」
道新いずみ欄「つめ切り」
「今年初めてのハーフマラソン」
グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104
早いもので、ブログ開設から1年の月日が経ちました。
あっと言う間の1年でした。
と言うわけで、1周年記念に相応しく、
アントワーヌ・サンテグジェペリ(1900.6.29~1944.7.31)の
「星の王子さま」(140カ国以上に翻訳されています)について、
少し書きたいと思います。
皆さんも一度は、この本を手に取られた事があると思います。
一度見たら忘れる事が出来ない王子さまの絵と
挿絵を楽しみながら読み進める内に、
何とも言いようのない近親感を覚えたのは私だけではないと思います。
そしてラストの別れは、
子供の時以上に、
大人になった今の方が辛い思いがするのは何故でしょうか。
星の王子さまは、
自分の星で大切に育てたバラを残して、他の星に旅に出ます。
命令することでしか人間関係をつくれない「王様の星」、
自分にしか興味のない「自惚れ屋の星」、
お金にしか興味のない「ビジネスマンの星」、
机の上だけで世界を見ようとしない「地理学者の星」
などを旅します。
そして最後に、地球にやってくるのです。
そこで、王子さまは素晴らしい出会いをします。
一匹のきつねです。
王子さまが一緒に遊ぼうと言うと
「なじみになっていないから遊べないよ。
なじみとは、きずなを結ぶこと。
なじみになれば、お互いなくてはならないものになる。
なじみになれば、僕の人生はパッと明るくなる。
君の頭は金色だから、小麦を見れば君を思い出す。
すると麦畑に吹く風だろうと好きになるだろうよ。
自分がなじみになるものしか、人は知る事がないんだよ。
友達が欲しければ、僕となじみになっておくれよ。」
そしてこうも言います。
「じっと辛抱することだよ。」
(時間をかければ、お互いの絆を作る事が出来るということですよね。)
ここからが圧巻です。
王子さまは自分の星で育てていた、
不平が多くむっつり黙り込んだりする手間のかかるバラのことを話すと、
「君が君のバラのために失った時間こそが、
君のバラをかけがいのないものにしているんだよ。」
やがて王子さまは、地球に来てから1年になった時、
自分の星に帰ると言い出します。
「僕はあの花にしてやらなくちゃならないことがあるんだ。
本当に弱い花なんだよ。
本当に無邪気な花なんだよ。
身の守りと言ったら
4つのちっぽけなトゲしか持っていない花なんだよ」
と言って、地球の天辺に自分の星が来た時に毒蛇に噛まれます。
声ひとつ立てずに、
1本の木が倒れるように、しかし、静かに倒れます。
(北海道旭川市、花菜里ランド)
この本は、1942年春から秋にかけて執筆されました。
長い間、別居(二人は求め合いながらもうまくいっていなかった)
をしていた最愛の妻コンスエロを、アメリカに呼び寄せた翌年のことでした。
(コンスエロは、1940年パリ陥落した時にフランスの田舎に疎開していた。)
実は、この本は友人に捧げられています。
しかし私には、この本が妻コンスエロへの恋文に思えてならないのです。
王子さまは、バラのことを次のようにも言っているのです。
「どんなことになっても花から逃げ出してはいけなかったんだ。・・・
そんな振る舞いはしているけれど、
根は優しいんだということを汲み取らなけりゃいけなかったんだ。」
幸せの絶頂にあったサンテグジェペリは、
翌1943.5、
「平和や僕が愛する人のために銃弾をあびに行く」と言って
連合軍の偵察部隊に復帰します。
そして、1944.7.31、行方不明のまま還らぬ人になります。
サンテグジェペリとコンスエロ、
出会うべきして出会った運命の人であったと思うのですが、
本当に互いを理解できたのは、
別居中のコンスエロをアメリカに呼び寄せた時のことだと思います。
つまり、サンテグジェペリの頭の中に
「星の王子さま」の構想が出来た時だと思います。
コンスエロは、
中米のコーヒー農園経営者を父に持ち、
当時としては珍しく大学に学んだ才媛です。
コンスエロ29歳の時に結婚・・・
純粋真っ直ぐが取り得のサンテグジェペリが、
彼女を理解するには、少々心が幼かったのではないかと思えてなりません。
先のブログにも書きましたが、本音を素直にぶつければいいのです。
当時のサンテグジェペリには、
愛はあっても思いやりに欠けていたと思えてなりません。
コンスエロを知る人は、口を揃えて言います。
才気のある明るい女性(ひと)だったと。
詰まらない石ころでさえも、
コンスエロが語ると楽しい話になったと言います。
本でも人間にも行間というものがあります。
コンスエロの言葉や行動をそのままにとってしまって、
魂を理解しようという辛抱が足りなかったのだと思うのです。
またまた長くなってしまいました。
まだまだ書きたいことはあるのですが、この辺にします。
(北海道美瑛町、ホピーの丘と命名)
いつもコメントをくれる「ま」さんに、6月24日付道新のいずみ欄、
小野寺園子さん(札幌、60歳)の「つめ切り」を贈ります。
小野寺さんは父が大好きだから、
父に喜んでもらえることがしたい。
でも、しっかりした気丈な父にしてあげられることはなかなかない。
そんな時、父の足の爪が伸びていることに気が付く。
「爪を切らせて」と頼む娘に、父は「自分で切る」と言う。
しかし、91歳になる父が身体を屈めて爪を切るのは大変だ。
何度も頼む内に、やっと父の許可が下りる。
爪を切る娘の頭の上で、父は母に言う。
「こんなに幸せな親がほかにいるだろうか」
小野寺さんは、鼻の奥がつーんとするのを感じたと書いています。
こんな小さな事で、お父さんが喜んでくれた。
ここまで育ててくれた父に返すものがないと感じていた小野寺さんは、
意外にも爪を切るという小さなことを通して、
お父さんの自分への深い愛情をあらためて感じた瞬間だったのだと思います。
小野寺さんに「自分の子でいてくれて、有り難う」
とお父さんが言ったように、私には聞こえました。
言葉に魂が宿った瞬間です。
間違いなく、言葉には魂があります。
言霊が伝わらないのは、言う人の力量もありますが、
実は受け手の未熟さが一番災いしているのです。
小野寺さんは見事に、お父さんのメッセージを受け取っています。
(北海道旭川市、上野ファーム)
最後に、少し自分のことを書きます。
先月29日にハーフマラソンを走りましたが、
少々反省することになりました。
練習を全くしないで望んだ結果は、散々だったからです。
折り返しの10キロ当たりから、
強い日差しと足の痛みと頭痛と空腹に悩まされ、
特にシューズに下敷きを入れたせいで、
親指の爪がシューズの内側と接触してそれは大変な痛みとの格闘でした。
ゴールしてから足の親指を見ると、2倍近くに腫れ上がっていました。
実は、うつ解消法のひとつ、
「無理をしない」ということを実践しようと思ったのです。
昔から努力とか頑張るとか言う事に重きを置いて来たものですから、
価値観の転換には少々悩みもありましたが、
努力とか頑張ると必ず無理をすることになるから、
うつ解消法では厳禁としました。
また、歩くとか走るとかいうことは、
人間として当たり前のことという思いもあり、
また「練習なしにどこまで行けるのか」という実験もしてみたかったのです。
ゴールこそ出来ましたが、
制限時間の2時間40分に10分位の余裕を残してのゴールでしたから、
ほとんどラストランナーだったと思います。
(余りに辛いゴールだったので、ゴールした後は確認していません。)
マラソンは、
運動中はセロトニンをつくりますし、
ましてゴールが出来れば充実感と共に自信がわき、
幸せな気分にもしてくれます。
しかしよーく考えてみると
、ゴールが出来なくても充実感が味わえたのは、
頑張ったと思える時だけでした。
マラソンで頑張ると言うのは、
決して無理をするということではなかったのです。
こんな簡単な事に、練習なしに走ってみないと分らないというのは、
何とも情けない話です。
ジャズシンガーの綾戸智恵は、
辛い時に頑張るというのは自分にとって励みになったと言っています。
今度は10月にフルマラソンがあるので、
無理をしない程度に頑張って練習をしようと思います。
最後に、ブログ開設1周年を記念して、
「星の王子さま」の本の中で、
ひときわ輝いている言葉を送ります。
「心で見なくちゃ、物事はよく見えない。
肝心なことは、目には見えない。」
これからも、ブログ楽しみにしています。