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ジョニーの事件簿

~ジョニーの音楽活動・クレイアーチスト・都会生活・打楽器プレーヤー・いいたい放題・生きるネタ男~

無償の愛

2011年08月15日 | 占い

昨年は行ける事が出来ず

今年はチャンスがあったので行って来たアンマのダルシャン


国籍・宗教・民族に関係なく無償の愛を捧げる為に世界を旅するインドの聖母


ういち君とゆうこちゃんに声をかけて3人で行ったのが7月


ダルシャン受けると何かいい事あるらしいよ~

なーんて軽い気持ちで行きましたが

アンマの講話を聞いたりダルシャンの姿を見ていたら無償の愛を肌で感じられ

言葉ではわかっていてもここまで実践してる方はいないと反省した物です。




日本に来日しても毎日不眠不休のダルシャン


朝方全ての儀式を終えた直後、急遽予定を変更して東北へ行ったそうです


今回来日した時のエピソードを転記します。


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アマチが被災地を訪問された時に映像です


http://www.amritapuri.org/13143/accept.aum

アマチの写真をクリックすると動画になります




アマチの言葉がハートに溶けていきます


東京プログラム中、津波の被害に遭った地域からたくさんの人々が、
アンマからの慰めと助言を求めてやって来ました。

多くの人がアンマの腕の中で哀しみを分かち合い、涙しました。
放射線の危険性を懸念していました。
日本を襲った放射線と自然災害によって、
子供たちや次の世代が安全でいられるのかどうか案じていました。

人々の悲しみと痛みを見たアンマは、被災地と避難所を慰問することを決意しました。

朝の5時30分に東京でのプログラムを終えたアンマは、
直ちに500キロ離れた多賀城市体育館の避難所へ出発しました。
この施設は現在、住むところを無くした地域の人々の避難センターとして使われています。

アンマは、ダンボールで仕切られた200名以上の滞在者の仮の住まいを案内されました。

アンマは、避難者に次のような言葉をかけました

「皆さんは、痛ましい経験をされました。そしてまだその衝撃を乗り越えてはいません。
このような状況では、どんな言葉も皆さんに平安を与えることはできません。

アンマはただ、皆さんが経験している悲しみを共に感じるためにここにいます。
人生には受け入れるより他にどうしようもない状況もあります。
これは、そのような状況のひとつです。

ミュージシャンにどこから音楽が生まれるのか尋ねたら、
それは指や喉、あるいはハートから出てくると言うでしょう。
もしあなたが指、喉、またはハートの手術をしたら、音楽は見出せなくなるでしょう。
しかし、実際には音楽はそれを超えたところから生じます。

人生において、私たちの自らの行為には限界があり、
神の恩寵の領域があることを理解しなければいけません。
子どもたちよ、その力を信じ、恩寵を祈りましょう。

他のどんな決意と同じように、幸せもまた決意です。
何が起ころうと、私は幸せである、私は強く勇敢である、と決意してください。
自信や神への信念を失うことなく、前へ進みましょう。」

静かな瞑想を数分した後、故人へ捧げる祈りを詠唱しました。
アンマは、一人一人を抱きしめ、慰めました。
アンマの顔は、彼らの悲しみを映しだしていました。
涙が彼らの目からも、アンマの目からも溢れ出ていました。

全てを失ったことを知り、アンマは避難所での生活の助けになるような
生活用品を贈りました。

アンマは、最も打撃を受けた七ヶ浜の沿岸地域も訪れました。
全壊している場所もあれば、わずかにかつて家が建っていたとが
わかるところもありました。

七ヶ浜の海岸で、太平洋を見渡しながら、
アンマは全員に平和と自然の調和を祈るよう呼び掛けました。

オーム、シャーンティ、シャーンティ、シャーンティを9回唱え、
ロカーハ、サマスターハ、スキノー、バヴァントゥを3回唱えました。

アンマは、花束を海に捧げました。
しばらく水平線を眺め、それから全員に花を捧げるよう促しました。
ピンクの花々が皆の平安への祈りと共に海へ沈んでいきました。

(アムリタプリ インド公式サイトより)