1人は20代の女性、もう1人は高校1年生の男性です。
女性はNさんと言う人で、弓道もやられているそうです。
弓道も”心氣を臍下丹田に集中して・・。”と私達の合気道の統一体と同じような事を稽古されるそうです。
少し統一体について教え、立ち姿を後ろから押してみましたが、普段弓道で稽古しているからでしょう、かなり安定感がありました。
道衣の手配も希望されましたので、次回からは道衣着用で正式入門となります。
きっと合気道は、弓道上達にも役に立つと思います。
もう1人の高校生はN君。
将来目指している職業があり、合気道が役立ちそうだからというのが動機だそうです。
高校の科目で柔道があるので、柔道衣も持っていました。
まだまだ、若いので上達も早いと思います。
2人とも合気道を初めて体験されて、むずかしいと感じたかも知れません。
しかし、誰でも、今まで経験したことがない初めての事を体験されると、何を始めるにしても、始めはむずかしく感じるものですので心配は無用です。
思い起こすと、私も合気道を始めた当初は、むずかしく感じました。
特に、力を入れるのではなく、逆に力を抜かなければ技が効かないので、なかなか力が抜けずに悩みました。
また、”氣”の解釈が指導する先生によって、まちまちだったことも原因の一つでした。
例えば、きちんとした理合があるから掛かる技であっても、摩訶不思議な”氣”の力だと説明されるとよけいに解らなくなるものでした。
理合を理解せずに、”氣”で技を掛ける事と覚えてしまうと、ある人には掛かり、ある人には掛からないという事になって行くのです。
”氣を出す”とは一つのそういうイメージを使うことにより、自然と効果的な体の動きができるのだと言う事に気づくまでにずいぶんと時間がかかりました。(これは私の解釈ですが・・。)
それでは、なぜそうなるのかを考えて行き、きちんとした理合を理解していきました。
私が以前いた合気道場では”氣”を重視しすぎるあまりに、この理合について考えるという事がほとんどなく、道場生達の技の習得度にはバラつきが大きかったように思います。
例えば、一教を例にとると、稽古仲間同士ならばで押えられても、稽古仲間でない人が少し抵抗すると、いとも簡単に起き上がられるといった具合にです。
同じ級や段位であっても、できる人はできるけども、できない人はできないといった具合です。
単に”氣”で押えると理解すると、大切なポイントが解らずにこのようになります。
これではイザと言うときの護身術にもなりません。
私も合気道を始めた頃、何もかもが”氣”で説明されて分けが解らなかった時期もありましたし、技が効かなくて悩んだ経験もあります。
しかし、理合を考えるようになってからは、理にかなった技となり、しっかりと効く技になっていきました。
合気道真風会は、理合を重視し、理にかなった誰にでもできる合気道を伝えていきたいと思います。
”むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをおもしろく”
これは作家の井上ひさし氏の言葉だそうです。
人に何かを教える立場の人達には心がけてもらいたい、いい言葉だと思います。
合気道真風会は、そのような指導ができる道場を目指したいと思います。
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