見出し画像

  合気道 真風会のブログ

”日韓青少年合気道交流会”(ハプキドー)観戦記。

        ハプキドー少年達の集団演武


8月24日(金)、大分県立総合体育館にて”日韓青少年合気道交流会”が行われました。

”合気道真風会”では、残念ながら今回は力になれなかったのですが、大分の大東流合気柔術の団体との交流会という形で今回行われましたので、観戦して来ました。

ハプキドー(ハッキドー、韓国合気道)は、日本の合気道をベースに、韓国のテコンドーを取り入れた韓国の武道です。

その為、演武では、試し割りや、本格的な突き蹴り等があり、日本の合気道とは、全く別物ではないかと思える程、異質の演武でしたが、投げ技や押さえ技では、やはり合気道らしい動きの技を使っていました。

ハプキドーの演武を観ていると、明治時代に活躍した柔道家の前田光世氏(コンデ・コマ)が、ブラジルへ渡り、伝えた柔道が、独自に発展して行き、後にグレイシー柔術となり、平成の日本へ逆上陸して来た時の事を、なんとなく彷彿とさせました。

その当時、日本の格闘家達は、ことごとくグレイシー柔術家の前に敗れ去り、”黒船の再来”等と呼ばれていました。

一般的に合気道には、蹴り技はありませんし、蹴りに対する対処法も手薄に思えますが、ハプキドーのように蹴り技を使うのであれば、蹴りに対する対処技も自然と発達して行くでしょう。

また、本格的な突き蹴りを使えるということは、攻撃力と言う点でも、日本の合気道よりは発達していることでしょう。

また、受身において、側転やバック転、前から走って来る人の頭上を跳び越えての前方回転受身、あるいは馬の姿勢になった人を、9人も並べて跳び越えての前方回転受身など、その身体能力の高さには、本当に驚きました。



     軽快な曲に合わせてのヌンチャク演武


       曲に合わせての少女達の舞
  

            バット折り


          バック宙での板割り


昌武体育館道場 カン チョン ファン館長による板割り


カン チョン ファン館長による板割り(なんと親指一本です。)


      ハイキックの足を捕らえる演武


カン チョン ファン館長によるステッキを使った演武


カン チョン ファン館長によるステッキを使った演武(極め。)


             側転受身


前から走って来る人の、頭上を跳び越えての前方回転受身


     前方回転受身で8人を跳び越える


カン チョン ファン館長による9人跳び(二度目のチャレンジで成功。)


カン チョン ファン館長の受身成功後の決めの構え


カン チョン ファン館長を除いては、全員が、まだ、小学生から高校生達なのに、この迫力です。

本当に素晴らしかったです。

韓国ハプキドーの皆様、また、21世紀国際交流会の、ユン トンウ代表、白頭体育館道場のキム ヒョン ソン館長、昌武体育館道場のカン チョン ファン館長、素晴らしい演武をありがとうございました。

また、今回、私は、何も力にはなれなかったのですが、帰りにプレゼントまで頂きありがとうございました。

この場を借りて、お礼申し上げます。

 

【ホームページ】

「合気道 真風会 オフィシャルサイト」


人気ブログランキングに参加中。
クリックして応援お願いします!

コメント一覧

西荻窪のマダムキラー
ハプキドーについて
ハプキドーについてですが、ベースは合気道ではなく、大東流柔術です。
ハプキドーの創始者・崔龍述(チェ・ヨンスル)氏は、戦前、武田惣角先生の弟子の吉田幸太郎先生に師事していた人物です。また、最近の調査では、非常に短期間ですが、武田先生の指導を受けていた事も分かっています。
戦後、韓国に帰国した崔氏は大邱で大東流の指導を始めました。
崔氏自身は自流をハプキドーとは言わず、当初は「柔(やわら)」、後に柔道と区別する為に、「柔拳術(ユコンスル)」と名乗りました。
崔氏自身の技量は優れていましたが、彼はどちらかと言うと、金儲けの為に武術を教える人物で、金を積んだ弟子ばかりを可愛がり、技を教えていました。また、合気に関しては、高い料金を払った弟子のみ、道場内のカーテンで仕切られた場所で伝授しました。
その為、お金を払えない多くの弟子達は、他の武術を取り入れて、補強せざるを得なかったのです。
ハプキドーというのは、崔氏の弟子達が、韓国式空手の一派であるタンスドー(唐手道)の人間たちを取り込んで、名乗った流派名です。
タンスドーは、韓国の空手諸団体がテコンドーに統合される以前に、最も勢力を持っていた武徳館の流派名で、蹴りを主体とした戦闘スタイルや、白地を黒い線で縁取った道着のデザインは後世の韓国武術に大きな影響を与えました。
現在のハプキドーを確立したのは、崔氏の弟子の池漢載(チー・ハンチェ)氏で、最初にハプキドーと名乗ったのも、彼だと言われています。(異説有り)
また崔氏は受け身を教えなかったので、徐福燮(ソ・ボクソプ)氏が柔道から受け身を持ち込みました。
武器術に関しても、崔氏自身は伝授しておらず、弟子達は剣道や居合を取り入れたり、華僑と交流したり、自分達で研究したりしました。
ハプキドーは非常に枝分かれが多く、10年前の時点で、ハプキドーを名乗る法人が50以上、実際には70以上と言われていました。また、国術院(クックスールウォン)や花郎道(ファランドー)の様に、ハプキドー系の新興流派も数多く存在します。
さて、崔氏の伝授したオリジナルスタイルももそのまま残っています。
崔氏の後期弟子である金潤相(キム・ユンサン)氏は、師の技法を忠実に後世に残すべく、龍述館を設立、その後。「徳庵流合気柔術(ドゥアムリュウハプキユスル)」を名乗り、80歳を越えた現在でも、毎日道着に着替え、指導に当たっています。
さて、最近知ったのですが、全てのハプキドーが崔氏の流れを汲んでいるわけではない様です。
少数ですが、崔氏以外の大東流修行者や、現存するか分かりませんが、釜山の八光流道場の流れを汲むものも有るようです。
ハプキドーには、韓国内の合気系団体の総称といった意味もあるのかも知れません。
上土井
>Re DKさん
沖縄生活もあと半分ですか?
頑張ってください!
DK
演武見てみたかったですね~

文章からすごさが伝わりますね。

沖縄生活もあと半分です。頑張ります。





きらら
秋の御更衣。
http://blogs.yahoo.co.jp/kirara3343/50792240.html どーもー。古術のきららです。御更衣見学会の案内です。よかったら、見に来てね。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「画像」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事