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日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

六花鏡の出土

2012年08月24日 | インポート
3日ほど前から、大村市竹松遺跡の発掘現場で、鏡の一部が掘り出されつつあるという話を聞いていた。

現場で見たら、現代の鏡の様に私には思えた。

その鏡の表の面は、昨日までに全貌を現していた。

梅の花の6枚の花びらをかたどったような形状で、普通に光っていた。

その鏡の裏側には、もしかしたら紋様や文字が彫りこまれているかもしれないと調査員の方が言っておられた。

2日ほど前に、その鏡の近くで会話をされていた調査員の方たちの話し声が耳に入った。

おひとりの調査員の方が、鏡に緑青が付いていないので比較的新しい年代のものではなかろうかという見解を述べられて、それに対して別の調査員の方は、緑青が付いていなくても古い年代だった鏡の出土例もあるというような見解を述べられていた。

それぞれの調査員の方の蓄積された知識に基づく、いろいろな用語や地名が会話の中に登場して興味深い。

いろいろな学問の基礎は、基本的な事柄の記憶から始まるのだと思うが、考古学の基本はまさに膨大な記憶の蓄積なのだろうなと思った。

他の場所では若い調査員の方が、ピットから出てきたオレンジ色の土の塊に付いている溝状のものを見て、壁土などを補強するために土の中に組み込んでいた竹か木の痕跡であろうという事を言っておられた。

アマカワという言葉を20年以上前の長崎市興善町遺跡の発掘現場で教えてもらった事がある。

土管などの継ぎ目などの水漏れを防止する為に、そのアマカワを塗って固めるのだという。

オレンジ色のしっくいのような、現在のコンクリートのような役目のもので、竹松遺跡のピットのひとつから出てきたものとよく似ていた。

柱跡と推定される穴から出てきたので、柱の基礎を安定させて、土中の木材の腐食を予防するために用いられていたアマカワではなかろうかと思った。

また、掘っ立て柱建物跡の柱が立っていたと推定されるピットからは、土の年代測定のための試料(サンプル)を少しだけ掘り出してビニール袋に入れておられた。

私たちは指示されて、そこの位置の三次元座標を取得するための測量を行なった。

本日は、その六枚の花びらをかたどったような鏡を掘り出すという事だった。

作業が終了する4時半頃にその掘り出し作業は始まった。

調査員と作業員の合計10名ほどが見守る中でその作業は行われた。

調査員の方が、鏡の本体を慎重に土からはずし、その鏡の裏側になっていた土を、小さなバールを金槌代わりに使い、平コテでその土を器用に剥ぎ取って、崩れないようにして慎重に、底に綿のような物を敷き詰めたプラスチック製のタッパーに保管されていた。

正確かどうかは判らないが、聞く所によるとその鏡は13世紀ごろのものではないかということだ。

終礼の時に県の方から、その鏡を来週には展示して見せてくれるという説明があった。

六花鏡(ろっかきょう)というらしいが、県の方がかなり喜んでおられたようなので、出土物としてはかなり貴重な物なのだろう。

来週の現場での楽しみが出来た。



豊田一喜