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日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

畑のスイカ

2013年07月07日 | インポート
子どもの頃に住んでいた家を解いた跡を畑にしている。

山の土をトラックで2台分ぐらい運び入れてもらってから、20年ぐらいは経っている。

妻が、せっせと家庭の生ゴミや豚肥や稲藁を入れて土づくりをしてきてくれたおかげで、作物が元気に育つ畑になった。

朝から妻と息子が、畑でなにやら悩んでいる様子。

「なんしよっと。」と聞くと、「スイカを今日収穫しようか来週収穫しようかで悩んどっと。」と妻。

畑を見ると、長径が25cmぐらいで、表皮の一部がうっすらと黄色になっているマダーボールがあった。

「たたいてみれば。」と私。

妻がスイカを指でたたいてみて、音を聞いている。

「うれとっごたったい。」と私。

で、結局収穫することにした。

冷蔵庫で昼まで冷やしてから、昼食時に割ってみる。

上品な程よい甘さだった。

夕方、マルキョウに食材を買いに行って、同じぐらいの大きさのマダーボールを見たら、780円という値段が付いていた。

スイカの苗を、ホームセンターで150円ぐらいで買って、780円の値打ちのあるスイカが収穫できて、食べてみたら甘かったので、充分に元は取れた事になる。

もう1個、直径10cmぐらいの実がなっているので、それの収穫も楽しめる。

作物を作る土地があれば、このように自然の恵みをいただく事ができる。

道路や宅地に替えてしまえば、そのようなことはできなくなる。

戦中・戦後の食糧難だった頃を教訓とすべき所だが、のどもと過ぎれば忘れてしまう国民性のようで、危機感が欠如しているように思える。

お金さえ出せば食糧が潤沢に手に入る時代が永遠に続くというわけではないのに。

今日は、妻が私の姓を名乗るようになってから33回目の入籍記念日。


豊田一喜






ぼうず

2013年07月06日 | インポート
久々に「ぼうず」だった。

魚釣りに行って1匹も釣れなかった。

釣りをする場所の設定、釣りをする時間帯、釣りの仕掛けなど、魚が1匹も釣れなかった原因は色々と考えられる。

一番良くなかったのは、釣りに出かける前の「気合い」の欠如だったのかもしれない。

昨日は雨模様だったので、きょうは何の魚を釣ろうかと迷ってしまった。

通常であれば川の水嵩が増えているので、境川での「ヤマメ釣り」という選択となるのだが、ヤマメ釣りには先週も行ったし、季節的には「ウナギ釣り」かなと思ってしまった。

で、場所をどこにしようかと考えたけれども、昨年ウナギが釣れた大村湾の鈴田川河口まで行くのを億劫に思ってしまった。

天気もぐずつき気味だったし、あまり遠くへは行きたくないなと思い、なるべく近場で済まそうと安易に考えた。

ということで、なるべく近場でウナギが釣れそうな所を想定した。

諫早湾干拓の潮受け堤防よりも外側にあり、島原半島の中で有明海にそそいでいる河川の河口部で、愛野町に近いところということになる。

諫早湾干拓の潮受け堤防で、有明海の潮水と遮断されている雲仙市愛野町内と吾妻町内から流下している河川には、海から遡上してくるウナギは居ないはずであるから、ウナギを釣ろうと思えば、必然的に雲仙市瑞穂町よりも以北の河川の河口部に場所は限定される。

家の庭の落ち葉が積もっている場所を掘ると、ウナギ釣りの餌となる「ドバミミズ」がいる。

その様子を見ていた猫の「もえ」が、ミミズ掘りを自分も手伝おうとしたかのごとく、プランターの表面を前足で掘って、ドバミミズを1匹見つけてくれた。

午前中に雲仙市瑞穂町と国見町の川の河口部に出掛けたが、潮時が悪かった。

干潮に向っている時間帯で、河口部の水位はどんどん下がっており、途中から土砂降りの雨になった。

雨合羽を着用してはいたが、そのまま釣りを続ける根性もなく、一度家に帰った。

家でゆっくりした後に、午後3時ごろから瑞穂町の神代川河口に出掛けて、満ち潮の時間帯に釣り糸を垂れてみたが、仕掛けが引っ掛かって切れる事はあっても魚の当たりは一度も無かった。

かくして、魚釣りで「ぼうず」を経験した珍しい日だった。


ちなみに、「ぼうず」とはウィキぺディアでは以下の様に説明してある。

「坊主」とは、「房主」と書くのが本来である。

始めは僧房の主(あるじ)のこと、つまり一坊の主としての住持や住職のみを指していた。

これに対して十分な経験を持ちながら、特定の房(坊)を持たない僧侶を法師と称して区別した。

また、こうした坊主身分のことを特に坊主衆(ぼうずしゅう)とも称した。

古典文芸作品では、坊主は小僧の対義語で、お寺で一番身分の高い僧侶である。

日本では中世以来、次第に法師など住職以外の一般の僧の総称となった。

したがって、本来は尊称であった。

「坊さん」「お坊さん」と呼ぶのも、同じ語源による。

時代がたつと、僧形の者、髪を剃ったり短く刈ったりした者、また、毛のない頭やそれに見立てられるものをも広くさすようになる。

武家時代に、大名などに仕えて、僧形で茶の湯など雑役をつとめた者も坊主と呼ばれ、その職掌によって茶坊主・太鼓坊主などと呼ばれた。

また、男の子の愛称となったのは、昔、僧のように幼時に髪を剃っていた事からであろう。

なお、キリスト教伝来の当初には、宣教師を(南蛮)坊主と呼んだ事もあったという。

このように、時代が下るにつれて、尊称とは言えなくなり、蔑称の場合も多く、現在では僧侶に対し「坊主」などと呼びかけるのは大変失礼に当たるので注意が必要である。

これは「坊主丸儲け」「生臭坊主」などという言葉(檀家制度が導入されたために僧侶の堕落が著しくなった江戸時代から使われるようになった)に象徴されるように、仏教の葬式仏教化に伴い、僧侶が必ずしも尊敬の対象にならず、むしろ侮蔑の対象にすらなったという意識の変化によるものであろう。

アタマジラミが発生した場合、スミスリンなどの薬品を使わずにシラミを駆除できる髪型とされている。

その他
日本語で少年のこと。 関西弁、特に大阪では「うちの坊主」のように自分の子ども(男子)に使う。

丸刈り、いわゆるスキンヘッドのこと。

水商売で、お客が一人も来ない日(夜)のこと。

釣りで全く魚が釣れなかったこと。上記からの転用。



豊田一喜


まだら模様

2013年07月05日 | インポート
長崎県内を南東方向に向って2時間程度車で走って、まだら模様に出合った。

走行している道路表面の状態の違いで、雨で濡れているところや全く雨が降っていないところなど、様々だった。

小雨模様の所があれば、強風と強い雨のところもあり、また、全く雨が降った形跡がなく路面が乾いている所もある。

佐世保市内ではやや強い風と小雨で、ハウステンボス付近では強い風と大雨で、東彼杵町付近では強い雨の所と雨が止んでいる所、大村市内に入ると路面は乾いており、諌早市内でも雨はほとんど降っておらず、諫早市森山町から自宅付近までは強い雨が降っていた。

車で走行していて、2~3km離れると気象状況が違う場面に時々出会う。

雨が降っている区域とそうでない区域に、比較的近い場所で遭遇することがある。

気象庁は、気象予測の区域マスの大きさを小さく設定できるような予報態勢になったと発表していた。

まだら模様の路面に遭遇して、その必要性を感じた。






豊田一喜


山茶花(さざんか)の芽吹き

2013年06月30日 | インポート
以前に、妻から、「低めに剪定しといて。」と言われて、ほぼ伐採に近いように枝を落としてしまった山茶花(さざんか)の木がある。

視線から見下ろすぐらいの低めにするためには、葉っぱが茂っている枝をほとんど全部切り落とさないとそうはならない。

ということで、葉っぱが1枚しか残らないような丸坊主にしてしまっていた。

そのうちに芽が出るさと軽く思っていたが、枝の切り口が枯れかかっているように見えて、少し心配になっていた。

昨日、枝の切り口から少し離れた所に、2mmぐらいの新芽を見つけた。

凝視すると、5箇所ぐらいから、ほんとに小さな芽が出始めていた。

梅雨の雨とお日様と、山茶花の種を保存しようとする生命力がそのようにしたのだろう。

今日はそれらの芽がさらに成長して少し緑色に見えるようになっており、葉っぱとして認識できるようになっていた。

その山茶花の木を、知人からいただいてきて植えていた母から、「ゆーゆいち切ってしもて。せっかく花の咲きよったとに。」(「ぜーんぶ切りたくってしまって。せっかく花が咲くようになっていたのに。」)とぐぜられていたので、ほっと一安心した。

いずれ、目線より低い位置で、椿の花に似ている紅い綺麗な花を見せてくれる日もあるだろう。

山茶花(さざんか)の花言葉は

「困難に打ち勝つ」
「ひたむきさ」
(白)「愛嬌」「理想の恋」
(桃・赤)「理性」「謙遜」

なのだそうだ。

丸坊主にされても芽を出した。

なるほど、「困難に打ち勝つ」、「ひたむきさ」、そのとおりの花だと思う。


山茶花の芽吹き
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かなり成長した緑のカーテン陸ワカメ(おかわかめ)
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豊田一喜










避暑とよいこと

2013年06月29日 | インポート
残念ながら、「秘書とよいこと」の間違いではない。

「避暑」と「よいこと」は、それぞれ別の項目。

私にとっての「避暑」は、住んでいるところよりも標高の高いところに行って、「ヤマメ釣り」を楽しむ事を指す。

本日は久し振りに、その「避暑」に行ってきた。

標高が400mよりも高い所なので、車で登って行くだけで低平地よりも涼しく感じる。

部屋の中の仕事が多いので、勤務日の昼休みには職場のすぐ近くにある公園のベンチでお日様に当たるようにしている。

休みの日の内の1日は、なるべく足腰を使うようなことをするように心がけている。

ヤマメ釣りもその一環。

川の下流側から上流へ向って釣り上るので、趣味を楽しみながら足腰の運動にもなっている。

健康のために、ただ歩くだけというのは自分の性には合わない。

雨が降った影響で、水嵩はヤマメ釣りをするには丁度良い具合で、空模様も曇りで、コンディションとしては絶好の日だった。

川の一部を横断するように石積みをして、プールの様にして水が溜まるようにしてある場所には、親子連れの子供会のグループと思われる人たちが楽しそうに遊んでいた。

子どもたちは水中メガネを着けて、川に潜って遊んでいる。

水温はかなり冷たいのに大丈夫なのだろうかと心配しながらも、元気な子どもたちの姿を見ると、こちらまで元気になったような気分になる。

その場所の下流付近で納竿した。

釣果もまずまずで、体長20cm程度のヤマメが5匹と、ハヤとアブラハヤが多数釣れてくれた。

以上が「避暑」のこと。

以下は「よいこと」の項。

ヤマメ釣りから帰って、車を降りたら、庭の花の下で2匹のアゲハチョウが上下対称の形でぶら下がっていた。

そう、夫婦円満の「よいこと」の行為をなさっており、その模様が綺麗だったのでデジカメに撮っておこうと思ってデジカメを事務所に取りに行った。

デジカメのスイッチを入れてズームしてシャッターを押そうとしたら電池切れになってしまった。

急いで充電しに事務所に戻り5分間ほど充電して戻ったら、残念ながら仲良しのアゲハチョウのご夫婦の姿はそこにはなかった。

で、どこかに移動している片方でも居ないかと思い探したら、事務所脇の草の茎に、一戦終わって疲労感が漂っているように見える一匹のアゲハチョウがいた。

そのアゲハチョウを、記念にデジカメでパチリ。

仲良きことは美しきかなで、うらやましくもあった。

以上が本日の「よいこと」の記録。

昨日は妻から、自分の年と並ばれた日。

よいことの後の疲労感が漂っているように見えるアゲハチョウ
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豊田一喜












場所のグラデーション

2013年06月28日 | インポート
実家に車で帰る途中で思った。

自分の記憶の中にある「場所」にも、濃淡があるのではないのかと。

頻繁に行った事がある地域は、色であらわすならば濃い色のような認識で、そのような場所から離れるほど薄い色のような認識の様に思える。

今住んでいる所の色は淡い色で、佐世保市内からハウステンボス町、東彼杵町、大村市、諫早市と通過しながら自宅に近付くに従って、記憶の色が濃くなっていくように感じた。

それぞれの場所で過ごしていた時間や通った事がある回数の差がそのように思わせるのだろう。

ハウステンボス町の周辺や南風崎町(はえのさきちょう)ならびに東彼杵町大音琴周辺へは、緊急雇用対策によって雇ってもらっていた頃に、荒廃竹林整備の現場監督として何度か通った事はある。

大村市には竹松遺跡の発掘作業員として今年の3月まで約9ヶ月間通った事があるし、諫早市は雲仙市の隣りだから買い物などで頻繁に行っている。

それらの場所の風景をどれだけの回数見たかによって、記憶の濃さが異なるように思える。

必然的に生まれ育った実家に近い所を訪れた頻度が高いので、車で移動する時にそれらの記憶が呼び戻されて、色に例えれば濃い色に感じるのだろうと思う。

自宅に帰るまでの2時間の時間の中で、場所のグラデーションが変化してだんだんと濃くなり、終着点の我が家において最も濃くなり、最もくつろいで落ち着ける空間になる。

週に一度の、場所のグラデーションの貴重な体験。




豊田一喜






さるすべりとコスモス

2013年06月23日 | インポート
桃色の花が庭に咲いている。

赤に近い深い桃色のさるすべり(百日紅)と、淡い桃色のコスモス。

梅雨の合間に見る桃色は、どちらも美しい。

さるすべりは、漢字では「百日紅」と表現されるように、美しい花の状態を長く保つ花だが、コスモスの花の寿命は長くはない。

花の寿命の長短はあるが、よほどの気象状況の変動がない限り、一度は必ずきれいな花を咲かせる。

私たちの生活の中ではどうだろうか。

人生の時間の中で、植物の花が咲くような時期に相当するのはどういう状況の時なのだろうか。

生命として母親の胎内にやどり、生まれ出て森羅万象に出会い、その命の絶えるまでの全ての事象が人生の「花」なのだろうか・・・。

桃色の二種類の花が、そのようなことを思索させてくれた。


さるすべり(百日紅の花とつぼみ
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コスモスの花
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東彼杵町での魚釣り

2013年06月22日 | インポート
午前中は仕事だったので、それが終わってから単身赴任の部屋に帰り、しばらくテレビを見てくつろいでから、14時50分頃に部屋を出て実家に帰る事にした。

以前に、東彼杵町役場の脇を流れている川の河口付近でウナギが釣れるという話を、私が「仙人様」と呼ばせていただいている方から聞いていた。

実家に帰る途中で、そこに寄ってウナギ釣りをして帰ろうと思い、国道を走りながら釣具屋さんを探した。

釣り道具は車に常時積み込んではいるが、魚釣りには餌が必要。

東彼杵町役場近くの国道沿いに釣具屋さんはあった。

「ミミズはありますか」と問うと、「ありません」との答え。

仕方が無いので、その時点でウナギ釣りはあきらめて、何でも良いから海岸付近で釣れる魚を釣ろうと方針を変更した。

アオイソメと氷を買って、東彼杵町役場の西側の道路へ入り、海岸の方向へ進んだ。

初めて通る道なので、道なりに進んでみた。

小さな漁港があり、防波堤があった。

役場脇を流れている川の河口とはだいぶ離れているようだったが、神社の脇に駐車スペースもあったので、そこの防波堤で釣る事にした。

若いお父さんが、男の子と女の子を連れて、楽しそうに釣りをしておられた。

「何が連れるのですか」と問うと、「キスが連れます」との答え。

その親子連れから少し離れた所に陣取り、釣り針のすぐ上に大き目の錘が固定してあるカサゴ釣りの仕掛けを期待を込めて投げてみた。

少しずつ引き寄せると、ほどなくしてブルブルッとした魚信が竿先から伝わった。

合わせてみるが釣り針にかかってはくれない。

餌を付け替えてから再び投げてみるが、同じように魚信はあってもかかってはくれない。

同じ事を5回ぐらい繰り返してから、仕掛けが悪いのではないかと思い、仕掛けを換えてみた。

キス釣用の仕掛けは持っていなかったので、キス釣仕掛けに似ている別のカサゴ釣の仕掛けに替えて投げてみた。

今度は釣り針に掛かってくれた。

体長10cmほどのキスが釣れていた。

その後も魚信はあるが釣れてはくれないパターンが続いたが、たまに釣れてくれることもあり、体長20cmのキスも1匹釣れた。

明るかったので、18時50分ごろまで釣りを楽しませてもらってから実家に帰った。

日中の時間が一番長い「夏至」の日の翌日の、東彼杵町の海での初めての魚釣りだった。


豊田一喜










自然の恵み

2013年06月15日 | インポート
何週間か前の休みの日に苗を買って、川の脇の畑に植えていたキュウリが生りだした。

夕方収穫して、妻に「自然の恵みはすばらしい」と言うと、「収穫するだけで感動できる人はいいわね」と妻。

苗をホームセンターで選んで買う時には自分も関わったが、畑に植えて肥料をやり、網を張ったりして管理しているのは全て妻。

おっしゃるとおりだと納得。

同じ日に買って植えていたピーマンも収穫できるようになった。

ミニトマトの苗もしっかりと育ち、たくさんの青い実が赤く色づくのを待っているような状況。

お日様と土と水分さえあれば、野菜の苗が自然の恵みを与えてくれる。

収穫したキュウリは、夕食前に味噌をつけて、まるかじりしておいしくいただいた。

畑から収穫したすぐの野菜をいただく事ができるという最高のぜいたく。

公共工事のために、先祖から受け継いだ田畑を売却する例を、家の近くで最近よく見かけるようになったが、ちょっと疑問。

戦中・戦後の食糧難の時代を忘れ去ってしまってでもいるかのような状況が家の周りで展開されつつある。

農地を保持していれば、未来永劫その土地で作物を生産する事ができて、家族を飢えから守る事ができる可能性がある。

道路などの用地として売却してしまえば、一時的には現金が手に入るだろうが・・・・。

また、水田を埋め立てて道路を造れば、、豪雨の時などに今までそこの区域の水田に湛水していた水の行き場が狭められて、その近辺に存在している住宅などに良くない影響を与えることも想定しておかなくてはならないのだが、果たしてそのような精査がされているのかどうか・・・。

自然の恵みを享受できる環境を維持し続けることの方が、わずかばかりの車での移動時間の短縮よりも、大切なことの様に私には思えるのだが。


畑から収穫した自然の恵み
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梅雨によく似合う紫陽花の花
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豊田一喜


3日過ぎて・・・。

2013年06月14日 | インポート
大村市竹松遺跡の発掘調査アルバイト作業員の皆様、久し振りのお仕事、お疲れ様です。

作業の開始から3日間が過ぎましたが、熱中症対策、腰痛対策は万全ですか?

熱中症対策としては、水分補給だけではだめで、水分の補給と同時に塩分の補給も重要です。

体の筋肉のどこかがつりそうになったならば、熱中症の前兆ですから、水分の補給と同時に塩もちょっとだけ舐めた方が良いようです。

昨年度の続きの発掘作業であれば、石棺や甕棺(かめかん)の中を開けての調査もなされることでしょうから、貴重な古代の遺物を目撃できる人もおられるのでしょうね。

調査員の方々も、他の会社に替わられた方もおられるようで、昨年度とは違う顔ぶれになられているのでしょうね。

私は今、縁あって県北地方の職場で単身赴任の生活をさせていただいております。

クールビズとかサマータイムとかという言葉に縁がある職場にて,先輩方に新しい事を色々と教えて頂いております。

先輩方といっても、ほとんどの方が私よりも後に生まれた方ばかりで、直属の上司は私の息子よりも若い年令の方です。

この年になっても、新しい事柄を知識として吸収し蓄積できるということは、人生の中で何か得をしているように感じながら日々を過ごさせて頂いております。

昨年の今頃は、雨上がりの竹松遺跡の発掘現場で、バケツリレーにて現場内に溜まった水をくみ出す作業から一日の仕事が始まったという日もありました。

仕事をさせていただいているというだけで幸せに思えて、毎朝の1時間余りの通勤時間も全く苦になりませんでした。

人生の中で、最も楽しい想いで職場に通う事ができた期間でもありました。

主に測量係的な作業内容でしたが、その日に測量したデータを自宅のパソコンにメールで送っていただき、新しく測ったピット(穴)等の番号を記述する作業を、毎晩ボランティアでやらせていただき、次の日の朝には、前日に測量した分の図面を出力して使う事ができるようにしていた日々が懐かしく思えます。

ですから私のパソコンの中には、10000平方メートルの発掘現場の中のピット(穴)の三次元座標値と、セクションポイント(穴などの断面測定のための基準となる鋲を打設した点)の三次元座標値が格納されています。

人生の記録のようなデータ群でもあります。

暑さとの戦いのような日々が続く作業になるとは思いますが、健康第一を心がけて、お日様に当たると骨が丈夫になり減量効果もあるのだと自分に言い聞かせながら、お仕事を頑張ってください。

仕事ができる日常であるということは、仕事に就けない人たちからしてみれば幸せなことだと私は思います。



豊田一喜










「くやく」考

2013年06月09日 | インポート
午後から、旧諫早干拓の「くやく」に出た。

子どもの頃に父親が年の内に何回か、どこそこの田んぼの「くやく」に行ってくると言って、スコップや鎌などを持って出かけていた。

子どもの頃には音として「くやく」という言葉を覚えていて、共同で田んぼの溝浚えや農道の除草作業などをすることをあらわす言葉だと認識していた。

そして、それを漢字で表せば「苦役」だろうと思い込んでいた。

しかし「苦役」の意味を検索してみると、「懲役」を表す言葉だとある。

自分が認識している「くやく」の意味からは大きくかけ離れている。

ゆえに、他の漢字があるはずだと思い検索してみる。

「公役」と書いて「くやく」と読み、官府から課せられる軍役や夫役とある。

また、「公役」と書いて「こうえき」と読み、兵役や夫役(ぶやく)など、国家または公共団体から命ぜられた役務をあらわすとある。

おそらく、田んぼなどの共同作業の際に使われている「くやく」という言葉は、漢字で書けば「公役」であり、元々は公的な夫役を意味するものだったが、土地改良区での共同的奉仕作業にもそれを使うようになったというところだろうか。

田んぼなどでの共同的奉仕作業の事を「でぶ」という地域もある。

漢字で書けば「出夫」ということになろうか。

旧北高来郡高来町の人が、そのような言葉を使っているのを聞いた事がある。


本日は、その「公役(くやく)」での水路脇の除草作業だった。

作業自体は、数十人規模で刈り払い機を使っての除草作業なので20分程度で終わるのだが、その作業に入る前の伝達事項などに要する時間が長い。

伝達事項の説明中に小雨がぱらついたが、除草作業を開始する頃には雨は止んでいた。

公役の除草作業が終わってから、自分の田んぼの除草作業をやった。

少し前に除草していたが、梅雨に入って雨が降ったり照ったりで、田んぼの草の生長は恐ろしいほど速い。

さらに、田んぼ脇のアスファルト舗装道路面のわずかな隙間から生え出ている雑草の生命力は相当に強く、わずかの期間にかなり生長していた。

田んぼの畔の部分と、道脇の下の田んぼに生えている雑草を刈り、田んぼの一部に繁茂しつつある葦(よし)を刈ったりして、その後、道路面に生えている草を刈り終わったら17時を回っていた。

「くやく」と「くやく」の後の除草作業で、草払いをできる環境にあることの幸福感を味わいながら、適度な肉体労働で体を動かす事ができた休日だった。



豊田一喜








雇用

2013年06月08日 | インポート
大村市竹松遺跡での、今年度の発掘調査作業が、6月12日から始まるという。

今年度作業エリアの中の13000平方メートルの区域を落札した、大成エンジニアリング株式会社長崎営業所と創建の共同企業体が、ハローワークを通して二百何十人かの作業員を募集した所、応募者数が一日で満杯になって、翌日の朝にハローワークに申し込みに行った人達は、他の区域の会社を紹介されたのだそうだ。

アベノミクスなどという造語が、少なくとも私たちの長崎県内の人々にとって、いかに無関係であるかを証明しているような出来事であるように思う。

マスコミを通じて、いかにも現政権の政策が景気の浮揚に繋がっているかのごとき情報を流布してはいるが、実態はそうではないようだ。

また、今の政策を継続していけば、10年後には1人あたり150万円の収入増になるなどと荒唐無稽な数字をあげている。

職を求めている人たちの数が多いという事は、景気が浮揚している状況だとは言い難い。

公共事業に対して、色々と批判もあるようだが、働く場所が少ない地方においては、雇用の確保のために必要である場合もありうる。

働いて収入を得なければ生活が成り立たない。

時間給900円は、長崎県の昼間の仕事としては破格の時間給である。

それでも1日7時間働いて日給6300円、1ヶ月に土曜・日曜や雨天の日以外で20日間働けたとしても、月額126000円にしかならない。

それでも二百何十人かの応募者が殺到するのだという現実を、我が国の政治屋さんたちはどのように捉えているのだろうか。

新幹線建設という公共事業関連によって、一時的であるとはいえ、数百人規模の雇用が確保されるという現実。

公共事業に対する批判があるが、元々その原資は国民が納めた税であるから、それの再配分や還元という観点からすれば、「公共事業大いにやるべし」という考え方も間違ってはいないと私は思う。

特別な技術や知識を持った人たちだけで社会は成り立っているわけではない。

みんなこの世に生を受けて生きている。

働きたくても働けない人や、逆に働けるのだけれども働かない人もいる。

働きたい人が、皆で働けるような社会であるべきだと思う。

そして働いたならば、普通に生活できるような富の配分をする社会であって欲しい。

為政者は、今の現実を正しく把握して、まずは雇用の確保のための施策を展開すべきであると私は思う。




豊田一喜



梅の実10個と紫陽花の花

2013年06月01日 | インポート
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言うそうなので、昨年の梅雨明けの頃に、川の端に生えている梅の木の枝をバッサリと伐採していた。

すると、今年の春には、梅の木には少しの花しか咲かなかった。

果たして梅の実が生るのかと案じていた。

家に帰ると、形のいい梅が7個収穫されていた。

「あと1個ぐらいは上のほうに生っていたけど、夕方で見にくくて、それだけしか採れなかった。」と妻。

早速今朝、早起きをして川の端の梅の木を見に行った。

青い梅の実が葉っぱの間から1個見え、さらにその枝の上方を、視点を変えながら見てみたら、黄色く色付いた形のよい梅の実が2個見えた。

川の護岸工の天端に上って、それらの3個の梅の実をちぎる。

今年の我が家の梅の木からは、形の良いのが9個、小さいのが1個の、合計で10個の梅の実が収穫できた。

今、容器の中の水に浸かっている。

大切な自然の恵みであるから、梅干にしていただくことになる。


貴重な今年の我が家の梅の実10個
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雨蛙の鳴き声が聞こえる季節になり、お約束どおりに、庭の紫陽花が咲き始めている。

満開の花もあればまだつぼみが開く前の花もある。

梅雨の季節を実感させてくれる落ち着いた感じの花。

あずき色の紫陽花もきれいだが、鮮やかな青色の紫陽花も良い。


紫陽花いろいろ
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陸(おか)ワカメという名のつる植物を、緑のカーテンになるというので、妻がプランターに植えて、ネットに這わせるようにしていた。

その葉っぱは食べられるのだという。

まだ食べてみたことはないが、一週間でかなり大きくなっている。

生長が速いので、緑のカーテンにはうってつけのようで、食べてみる楽しみも残っている。

葉っぱはスペードの形をしているが、どんな味がするのか楽しみでもある。


緑のカーテンになるべく、成長している陸(おか)ワカメ
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豊田一喜







庭木の剪定(伐採)とペンキ塗りの3歩目

2013年05月26日 | インポート
午前中に山茶花の剪定(伐採)とゆずり葉の剪定(伐採)を行なった。

山茶花の木は、少し背が高くなりすぎているので、低めにするようにと妻よりの注文。

低めにまとめて行って、錯綜している枝もすっきりと整えておこうと考えたなら、丸坊主になってしまい、結局は数本の枝だけが残ることになってしまった。

いつものパターンで、私が庭木の剪定を行なうと、剪定ではなく、ほとんどが伐採に近いようになってしまう。

諫早市高来町の轟渓谷の道脇に、「相思相愛の木」というネーミングの木がある。

ニ本の木の幹(みき)から出ている枝の一本が繋がっている。

家の山茶花の木の幹(みき)の一部も、二本が一部において繋がっている。

珍しい形だが、山茶花の木などに発生する現象なのだろうか・・・・。

ゆずり葉の木は、根本になる枝から整えようと思うと、葉っぱはほとんど無くなってしまうが、それではあんまりなので、両サイドの葉っぱだけは残すようにした。

午後は、千里の道の第3歩目になる、建物の壁のペンキ塗り。

雨戸の部分を、新聞紙とマスキングテープで被い、それからのペンキ塗りになる。

その被いを設定する作業に案外と時間を取られる。

脚立を使わずにペンキを塗る事ができる低い部分は前回に塗っていたので、今回は脚立を伸ばして梯子代わりに使って、高い部分を塗った。

低い部分を塗るのに比べて、余分に時間がかかる。

建物の東側の壁面のペンキを塗り上げるのに、午後7時ごろまでかかった。

少しずつでも歩を進めて行くと、壁の色がきれいになって行く。

体の全身の筋肉を使い、良い運動になった、雨降り前の有意義な一日だった。

剪定前の山茶花の木(手前)とゆずり葉の木(奥)
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剪定後(伐採後)の山茶花の木(手前)とゆずり葉の木(奥)
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豊田一喜







庭の歳時記(平成25年5月25日)と結の浜での小魚釣り

2013年05月25日 | インポート
石ころだらけの土に埋めた球根から、毎年、赤い元気なアマリリスが花を咲かせてくれる。

赤色に白い筋が混じっているラッパ状の花びらと、緑色の茎と葉っぱのバランスで、どっしりとした存在感と力強さを感じさせてくれる。

梅雨前に咲いて、梅雨の季節の到来が近い事を教えてくれる。

大村市の竹松遺跡発掘のアルバイト作業員に応募するために、昨年の今頃は履歴書を書いていた。

今年も、大成エンジニアリング株式会社長崎営業所と創建株式会社の共同企業体が、13,000平方メートルを3億9,800万円で落札した事が、長崎県の高額入札結果の中で公開されている。

そろそろハローワークを通じて、遺跡発掘作業員の募集があるのではないだろうか。

他にも、11,500平方メートルのエリアを3億3,300万円で他の共同企業体が落札し、さらに5,340平方メートルのエリアを別の共同企業が1億7,500万円で落札しているということが公開されているので、それらの区域の発掘作業員まで含めると、合計で500名程度の作業員が必要になってくるのではなかろうか。

必要な作業員数を確保しにくい事態も想定されるのではなかろうかとも思うが、世間一般ではマスコミを通じて流布しているような「アベノミクス」などとは縁の無い人の数が圧倒的に多いようなので、案外、職を求めている人の数は多いのかもしれない。

自分の人生の中では、非常に楽しく働かせていただいた職場であり、多くの素敵な人たちと出会えた思い出のある仕事だった。

「体重を減らす事ができて、お金がもらえて、晴耕雨読の生活ができる仕事」である遺跡発掘の作業員、というキャッチフレーズを考えて、そのような意識で働かせてもらっていた。

今年は縁あって、ありがたいことに、今の職場で働かせていただいている。

蜜蜂が白い花の周りをせわしそうに飛び交いながら、その花の蜜を集めて回っている。

足に黄色い花粉の玉をつけながら。

集めた蜜が、後で人から搾り取られるということも知らずに、一生懸命に飛び回っている。

人間社会の仕組みの縮図の様にも感じてしまう。

黄色い花は今が満開で、白い花は、案外寿命が長い。

濃い桃色の花は、ひとり孤高に耐えている人のようにも見える。

庭の花々の変化が、時を紡いでくれている。


力強く咲いているアマリリス
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白い花と蜜蜂
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満開の黄色い花
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咲き誇っている白い花
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孤高に耐えているように見える濃い桃色の花
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久し振りに諫早市飯盛町の「結の浜」で小魚釣りを楽しんだ。

大切な知人と結の浜で待ち合わせて、楽しい時を過ごさせてもらった。

大切な知人とはずいぶん長い付き合いをさせていただいているが、一緒に遊んだのは人生の中で初めてだった。

昨日、メールをいただいていた。

ニュースを見ていたら私の顔が出てきたという内容のメールだった。

一昨日、ある説明会に仕事で出席させて頂いた時に、その説明会の最後ぐらいの時間帯に民放テレビ局が取材に来ていた。

「土砂災害警報・避難に関する説明会」という表題の説明会の流れの中で、従来の警報発令時よりさらに切迫した非常事態において、気象庁より「特別警報」というものが発令されるようになるという法律が、今年度中に公布されて運用されるようになり、その「特別警報」を伝達された市町村は、その情報を住民に伝達する義務が生じるという説明がなされていた。

説明会が終わってメモを整理していたら、いきなりマイクを向けられた。

そして、わけの分からない質問をされた。

「特別警報」を業務にどのように生かして行こうと考えていますか?という質問だった。

質問の内容の意味が理解できなかったし、「特別警報」を直接扱うのは市町村役所だという説明を受けていたので、「残念ながら私は市町村の関係者ではないので市町村役場から来られている人に尋ねてください。」と言ったが、再び同じ質問をされた。

今度は、「質問されていることの意味が分かりません。」と答えた。

するとまた同じ質問をしてくる。

テレビカメラを向けられているので、「日本語をきちんと勉強しなおしてからインタビューをされた方が良いのではないですか」と、若い女性のリポーターに説教をするわけにもいかず、何かしゃべっておかないとまずいと思って言葉にした。

その編集された一部がニュースで流れたらしい。

大切な知人からのメールでその事を知った。

「まずい」と思った。

自分へのインタビューは没になる事を祈っていたので、むさくるしい顔と訳の分からないコメントが流されたのだという事を知ったときに、正直に「まずい」と思った。

もう少し気のきいたコメントでもしていたならばそうでもなかったのかもしれないが、人生の中での一生の不覚だったと思っている。

そのような思いをクールダウンするためという意味合いも有り、そのメールをくれた大切な知人を、結の浜での小魚釣りに誘ってみた。

すると快諾して頂いた。

数ヶ月前にお会いした時には、原因が不明だということだったが、片足の動きが思うようにならないということで、片足を引きずるようにして歩いておられた。

本日お会いした時には、電気治療のみで3ヶ月かけて完治したということで、普通の歩行をされていた。

渓流釣りの細い仕掛けには、退屈しない程度に小魚たちが食いついて遊んでくれた。

結の浜のめぐみは、唐揚げになって我が家の夕餉の食卓の一品になった。


唐揚げになった「結の浜」の恵みの小魚たち
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豊田一喜