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日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

アジゴ釣り

2013年08月17日 | インポート
午後にアジゴ釣りに、諫早市飯盛町の結の浜に行った。

いつもの釣り座の30mほど手前の船だまりのところで、5人の先行者が釣っておられた。

見ると15cmぐらいのアジゴが、1匹ずつではあるが、コンスタントに釣れている。

アジゴも前回に来た時よりもだいぶ大きくなっているなと思いながら、いつもの釣り座で竿を出した。

オモリカゴのアミが拡散する時に、通常ならば小魚が寄ってくるが、本日はそれがない。

何回繰り返しても魚が集まって来ない。

すぐ近くの左右の場所で釣っている人たちにも全く何も釣れない。

釣れているのは30mほど離れた船だまりのところで釣っている人だけ。

その人は見るたびに1匹ずつアジゴを釣り上げている。

仕掛けはオモリカゴの付いたサビキ仕掛けで、自分たちと同じ。

タナは竿一本より少し深め。

アジゴは誰にでも釣れると思っていたが、そうではないということが今日分かった。

自分にも一度だけあたりがあった。

リールを巻き上げてみると、小さなアラカブの子が掛かっていた。

その後は全くあたりなし。

午後6時ごろに納竿した。

釣り場の裏側では、結の浜マリンパークの海水浴場のマイクの音が聞こえていた。

残り少ない夏休みを、やり残している宿題の事を少し気にしながら、海水浴を楽しんでいる子どもたちもいたことだろう。

自分の場合には夏休み中遊びほうけていて、夏休みの残り3日前ぐらいから夏休みの宿題をし始めていた。

だから、当然夏休み中に宿題を終わらせる事はできなかったのだが、先生もその辺は心得たもので、宿題や作品の提出日を、2学期が始まってから何日間かの猶予を与えてくれていた。

自分に何ができるのか、どのような職業に就くのかさえも全く分からなかった40~50年前の話。

成人してからの人生は、納期に追われて、心が休まらない事が多かったが、振り返ってみれば思い出でしかない。

今は休日にのんびりと、アジゴ釣などを楽しませていただけるようになった。

ありがたいことだと思い、現実に感謝している。

夏ヤマメ、一里一匹と言われているそうだが、私の場合には、「アジゴ釣り、外道でアラカブの子一匹」と言うべきかな・・・。

家でごろごろしてテレビを見ているよりはましな時間を過ごせたのだと思うことにしよう。



豊田一喜












蕪池・轟アイス・長﨑清水のうどん

2013年08月16日 | インポート
蕪池(かぶらいけ)の仙人様のお宅を、妻と共に訪問させていただいた。

ここのところの晴天続きで、蕪池の水位はずいぶんと低くなっていた。

普段ならば水面下に沈んでいるはずの大きな石が2個、水面上に見えている。

水位は低くはなっていたが、水のきれいな青色は変わっておらず、まわりの豊かな緑との調和で、心が落ち着く風景。

部屋の中には、素敵なステンドグラスで作られたランプシェードなどがあり、目を楽しませてくれる。

静寂の中で、柱時計の振り子の音が時を刻んでいる。

子どもの頃、両親は農作業に出ており、雨戸などが締め切られている暗い家の中に入った時に聞いた柱時計の振り子の音と同じ。

子どもの頃に聞いたそれは寂しさと不安を増幅させていたが、今聞くそれは心を落ち着かせ、静寂の中のアクセントとして感じることができる。

標高2.5mの我が家と違って、標高350mの蕪池では気温がだいぶ低いようで、涼しく感じる。

そんな蕪池のほとりのお宅で、お元気そうな仙人様とお話をさせていただき、しばしの安息の時間を過ごさせてもらった。


その後はJR諫早駅に走った。

休みで福岡から高速バスで帰ってくる娘を迎えるためで、高速バスは時刻どおりに到着したらしく、既に娘は「西友」の中でぶらぶらしていた模様。

アイスクリームを食べるために、諫早市高来町の広域農道沿いにある「轟アイス」まで走る。

轟アイスのお店では、小学1年生の女の子が店の受付の手伝いをしていて、注文を聞いてくれる。

1つ300円のアイスクリームを3つ注文して1000円札を渡すと、自分で計算して100円のお釣を持ってきてくれた。

奥ではその子のおばあちゃんが、アイスクリームをコーンに詰める作業をしていて、出来上がったアイスクリームを、その女の子が持って来て渡してくれた。

コーンの底までしっかり詰まったアイスクリームは、濃厚でありながらさっぱりしていて、とてもおいしかった。

その後は、諫早湾干拓の堤防道路(雲仙多良シーライン)を通って島原半島側に渡り、少し瑞穂町側に走って、雲仙市吾妻町の「長﨑清水」のかまぼこの製造販売店まで行った。

「長﨑清水」では一杯450円で、5種類のかまぼこの中から好みの2枚を選んで入れてくれるうどんを食べることができる。

そのうどんをおいしくいただいた後に、おみやげ用のかまぼこをみつくろって購入してから我が家に帰った。

夕方は6時から、娘は大村駅の近くの飲み屋さんでの飲み会に誘われているということで、娘を大村駅まで送っていった。

結構長く、車の運転をした一日だったが、夏休みの気分を満喫できた。



豊田一喜








ゴボウのささがき

2013年08月15日 | インポート
先日の仕事帰りに、バスを降りて宿舎に向って歩いていたら、懐かしい夕餉の仕度のにおいがした。

きんぴらゴボウのにおいだった。

子どもの頃からきんぴらゴボウは大好物で、実家へ帰省するごとに母に作ってもらっていたおかずのひとつ。

部屋に着いてから妻に電話して、きんぴらゴボウが食べたいので、次に帰った時には作ってくれるように頼んでおいた。

家に帰ってから、いつきんぴらゴボウを作って出してくれるのかと期待していたが、いっこうにそれが出てくる気配がない。

ゴボウは買って冷蔵庫に入っているという。

暇だったので、自分でゴボウのささがきをすることにした。

まずゴボウを水洗いして表面についている泥を落とし、それから包丁の背で表面の皮をこそぎ落とす。

水を張ったボールにざるを沈めて、その中でゴボウをささがきにする。

結構楽しくて面白い作業。

4本のゴボウのささがきが終わり、ささがきにしたざるの中のゴボウをあげると、ボールにはゴボウのアクで真っ黒になった水。

その真っ黒な水を流して数回水にさらすと、だんだんと水の色が透明に近くなる。

水の色がかなり透明に近くなった所で、さらに一時間ほど水に浸けておく。

すると残っていたアクが出て来る。

そしてようやくきんぴらゴボウの調理ができるようになる。

そこまで自分で準備していたら、後は妻が調理して、きんぴらごぼうにしてくれた。

早速いただいてみる。

しばらく振りに食べるきんぴらゴボウはとてもおいしく感じた。

ゆったりとした休みの日に、ゴボウをささがきにして、出来立てのきんぴらゴボウを食することができた終戦記念日。

平和であればこそ味わうことができるささやかな幸福感。

国家のため、家族を守るためという教育を受けて、否応無しに戦争に駆り出され、いつ帰れるか、生きて帰れるかさえも分からないような戦地で、望郷の念を抱きながら家族のことを思い戦死された方々も多くおられたことだろう。

そして国策によって異国の地で戦死なされた方々の遺骨を、国家の責任において収集して日本に連れ帰り、慰霊するということをほとんどしようとしない日本という国家。

また、過去のことからの教訓を生かそうともせずに、勇ましい言葉を発する政治屋さんたち。

平和であればこそ自由にものも言える。

だけれども、残念ながら自分が善人であるからといっても、周りが全部善人であるとは限らない。

国家間においてもそれが言えるのではなかろうか。

未来永劫、人と人との殺し合いである戦争は絶対にやってはならないが、いざという時に丸腰では何もできないと思う自己矛盾。

先の大戦で失われた多くの御霊に対して、やすらかに眠っていただき、平和が続くように見守っておいていただきたいと、正午のサイレンの時に念じた。



豊田一喜













墓参りのハシゴ

2013年08月14日 | インポート
午前中に墓参りのハシゴをした。

伯母たちが眠っている愛野町の光西寺の室内墓にお参りして、その後そこから車で3分ぐらいの所にある自分の家の墓地に行く。

小高い尾根筋の中腹にある我が家の墓までは、車を止めたところから急な傾斜の坂道を歩いて5分ぐらいのところにあり、そこまで行きつくのにかなりの体力を要する。

妻と息子と3人で、2リットル入りのペットボトル6本の水を運び上げて、花立の水を代え石塔に水をかけて線香をあげる。

今週の日曜日に墓掃除は済ませていたので、お参りは楽だった。

我が家の墓に参った後は、隣町にある妻の実家の墓に参り、その後には同じく隣町にある伯父の墓にお参りした。

仕上げは、祖母(母の母)の墓がある隣町のお寺まで行き、そのお寺の室内墓にお参りした。

合計5箇所の墓参りのハシゴをした。

連綿と続く祖先からの血脈や、かかわりのある縁者のおかげで今の自分たちがある。

健康な体を与えてもらっていることに対する感謝をし、平和に暮らすことができている今に生かしてもらっていることに感謝できるような年齢になった。

それにしてもお盆の墓参りというのは、面白い習慣であると思う。

お盆には祖先の御霊が、それぞれの家に帰ってきているということだから、お墓の中には誰もおらずに空っぽのはずなのに。



豊田一喜




墓掃除の仕上げといとこの訪問など

2013年08月11日 | インポート
朝から熱くならない内に墓掃除の仕上げをして、花立の水を替え、線香と花をあげてこようと計画していたが、鎌を研いだりして準備をしていたら、結局出掛けたのは10時近くになってからだった。

刈払い機で処理できないような石垣の近くなどを鎌と手で綺麗に仕上げていく。

その間に妻は花立の水を替えたりしている。

花を供えて線香をあげ、石塔の上から水をかけてお参りをして、家に帰ったら11時を回っていた。

福岡県に住んでいるいとこの親兄弟が眠っている墓が愛野町の光西寺にある。

いとこがその墓にお参りに来るという連絡を昨日受けていたので、墓掃除が終ってから農協のスーパーに行き買い物をして帰った。

家に帰ってからシャワーを浴びて上がったぐらいにいとこが訪ねてきた。

皆で昼食を摂りながらの楽しい時を過ごす。

平日には朝夕の二食しか食べない食習慣になっているが、休みの日に家にいると昼食も食べてしまうことが多くなる。

だから、家に帰ると体重が増えてしまう。

午後は、初盆のお宅への届け物の買い物をして、届けて回った。

後はお盆を迎えるばかり。

大村市の竹松遺跡では不発弾も発掘されているそうで、近代の遺物から古代の遺物まで、歴史を物語る豊富な材料が出土している模様。

信管を抜いた不発弾となると、意図的に埋められた可能性が高いように思われるが、大村の自衛隊にそのような記録資料は残っていないのだろうか。

終戦後の混乱期になされた事柄だろうということは想像ができるのでは・・・・。


豊田一喜




米の冷蔵庫の搬入と除草三昧(じょそうざんまい)

2013年08月10日 | インポート
昨日、米を貯蔵する冷蔵庫を配達する運送会社の人から電話があっていた。

明日の米の冷蔵庫の配達の時、トラックから冷蔵庫を降ろす際に台車を冷蔵庫の下にセットするための助手が必要だけれども助手が見つかりません、ですからその手伝いをして頂けませんかという内容の電話だった。

快く引き受けていた。

約束の時刻よりも30分ほど早くその運送会社の人は到着した。

隣りの家の庭にトラックを止めさせていただき、トラックの荷台の後方が自動的に昇降する所まで米の冷蔵庫を移動させ、その昇降台を地面まで下ろしてから冷蔵庫の底面を傾け、その冷蔵庫の底面の下に台車を挿入する作業を手伝った。

確かに助手がいなければできない作業だった。

後は台車に載った米の冷蔵庫を家の小屋まで移動させ、水平器を使って水平にセットして電源にコンセントを差込み、米の貯蔵適温の13度に設定して搬入作業は完了。

今後は貯蔵している玄米に穀蔵虫などがつく心配をしなくて済むようになった。

その米の貯蔵用冷蔵庫の電気代は、夏場でも一ヶ月で780円程度だそうだとのこと。

早速、残っている玄米を冷蔵庫の中に貯蔵した。

そのような作業を息子に手伝ってもらって済ませてから少し横になっていたら眠ってしまっていた。

午後4時ごろから盆前の墓掃除に行った。

水筒と刈払い機だけを持って出かけて、刈払い機で除草できる区域を、通路として使わせてもらっているお隣さんの墓地の敷地まで綺麗に除草した。

3週間ほど前に一度草を刈り倒していたので、だいぶ楽だったが、草丈は20cmほどになっていた。

汗でびっしょりになり、水筒に入れていたスポーツドリンクを飲み干した。

のどが渇いたときの冷えた飲物の味は格別においしい。

墓の除草が終ったあとには、先週の日曜日に、稲妻からの撤退のために刈り残していた旧諫早湾干拓の田んぼの草払いをした。

土用干しを終えた田んぼには、水が溜めてあった。

長靴を履いて20cmぐらいの深さの水の中に入り、水面ぎりぎりぐらいのところで、刈り残していた一畝(ひとせ)(50m×2mぐらいの広さ)ほどの面積の雑草を刈り倒した。

日暮れから少し過ぎた午後7時20分ごろに除草作業は終った。

除草三昧の日だった。

汗をしっかりかき、水分をたっぷり補給しながらの健康的な一日で、草払いができる幸せを感じる事ができた日だった。



豊田一喜






稲妻

2013年08月04日 | インポート
昨日刈り残した旧諫早湾干拓の田んぼの草払いを、午前10時ごろから始めた。

曇り空だったが雨は降っていない。

田んぼの土用干しが今日までだということだから、今日中に草払いを済ませなければ、田んぼに水が入る。

ということで、昼ごはんも食べず草払い作業を続けた。

昼ごはんを食べないということは、自分にとっては珍しい事ではなく、普段の勤務の日には一日二食主義で、朝食と夕食しか食べない。

江戸時代の人たちの食生活は、一日ニ食の食習慣だったらしい。

習慣だから、昼食時にお腹もすかない。

昼にどこの何を食べようかなどという煩わしい事を考えなくて済む。

昼休みにはのんびりと職場の近くの公園で日光浴を楽しんでいる。

日光浴は骨を丈夫にするらしい。

そのせいかどうかは分からないが、最近体重が少しずつ減りつつあり、体調もすこぶる良い。

というようなことで、ただひたすら刈払い機による除草作業を続ける。

午後一時半頃から雲行きが怪しくなり、雨が降り出した。

しかし今日中に田んぼの草払いを終わらせたかったので、草払いを続行する。

そのうちに遠くの方で雷の音が聞こえるようになってきた。

空を眺めてみる。

黒雲が自分の方に近付いてきてはいるが稲光は近くには見えない。

そのうちに雨もひどくなり、雷の音も近くで聞こえるようになり、稲光がだいぶ近くで視認できるようになった。

しばし考える。

田んぼの草刈は今日終わらせたい。しかし雷に打たれて死にたくはない。

結論として、雷に打たれて死ぬ前に家に帰ろうということにした。

田んぼの雑草は逃げはしない。

後で天気の良い日にまたすればよい。

ということで、稲妻の脅威に負けて、草払いから撤退した日だった。

家に帰り着いてから、近くで強烈な雷の音が轟いた。

きっとどこかに雷が落ちたのだろう。

早目に撤退して正解だったと思った。

おかげで今もこうしてブログを書く事ができている。

ところで、なぜ雷の光の事を「稲妻」というのか調べてみた。

《稲の夫(つま)の意。稲の結実期に多く起こるので、これによって稲が実ると考えられていた》という解説があった。



豊田一喜







ちゃんぽんとうなぎ丼

2013年08月03日 | インポート
朝の8時前から町内会長さんの家に6人の男が集まった。

一週間前に町内会長さんから、町内会の害虫駆除のための家の消毒の手伝いをするように依頼されていた。

全部で32軒ほどの戸数の町内会だが、そのうちの22戸が害虫駆除消毒を希望していた。

雲仙市から消毒用の電動式噴霧機械の貸し出しと消毒薬の無償提供がある。

3人ずつの2班に分かれて、町内会集落の上手からと下手から害虫駆除消毒を開始した。

ヤカンより少し大き目のタンクに消毒薬を入れてから、それを水で15倍程度に薄めて噴霧器をセットする。

その噴霧器のコードを延長コードでつなぎ、消毒をする家庭の電源コンセントに差し込む。

後は噴霧器の噴射口の向きを好みの方向に向けてから、スイッチを入れるだけで消毒薬が噴霧される。

数分間そのままにしておき、向きや場所を替えてそのような事を繰り返す。

最近では住居の内部までの消毒を希望する家はほとんど無く、建物の床下の側方にあけてある通気口からの消毒薬の噴霧だけを希望される家がほとんど。

噴霧薬の残量が少なくなれば、新たに調合して、次々と消毒作業を進めて行く。

私たちの班の分担は10軒だったが、町内会集落の真ん中付近で別の班と出会い、ほとんど同じぐらいの時刻に消毒作業を終了することができた。

午前11時ごろに作業が終わったので、シャワーを浴びてから11時20分頃に町内会の公民館に6人と町内会長の奥様が集合した。

毎年の定番で、町内会の消毒が終わった後には、昼食にちゃんぽんが出ることになっている。

11時半にちゃんぽんの配達があり、ご苦労様会が始まる。

話題が「うなぎの蒲焼」の話になり、誰かが「うなぎ丼」を食べたいと言い出した。

すると、町内会長の奥様が、公民館の炊事場からうなぎ丼を出してこられた。

本日は今年2回目の土用の丑の日だということで、町内会長さんが釣った天然のウナギの蒲焼を用意してくださっていた。

丼の中の白米に、5枚ずつの天然うなぎの蒲焼がのっている、豪華版うな丼だった。

ちゃんぽんをぺろりと平らげて、その後に豪華版うな丼を、とてもとてもおいしくいただかせてもらった。

町内会長さんご夫妻の優しい人柄と心遣いを、とてもありがたく思った。

ちゃんぽんとうなぎ丼をいただいて元気が出たので、午後は2時ごろから、旧諫早湾干拓の田んぼの草払い作業をやった。

前回刈払いしてから時間が経っており、草丈も1mほどに成長していた。

田んぼの土用干しということで田んぼの地面は乾いていた。

汗だくになりながら、夕方6時ごろまで雑草の刈払い作業をしたが、2反(100m×20mの広さ)の田んぼの3分の1ぐらいの面積しか終えることはできなかった。

だけれども、いい汗をかくことができて、ちゃんぽんとうなぎ丼をいただかせてもらった記憶に残るような良い1日だった。



豊田一喜







大きな川鯥(カワムツ)

2013年07月27日 | インポート
久し振りに諫早市高来町の境川へ、「避暑」と「足腰の鍛錬」のためにヤマメ釣りに行った。

9時半頃に釣り場に着いたが、昨晩ぐらいにまとまった雨が降ったらしく、釣り場近辺の地面は濡れていた。

流水量は少なめだったが、曇り模様で涼しく、「避暑」のためには程よい日だった。

夏休みに入っているために、キャンプなどで轟渓谷を訪れる人たちは多くなっている。

アブラハヤや川ムツ(一般的にはハヤと呼ぶ人が多い)はよく釣れるが、本命のヤマメはなかなか釣れてくれない。

しばらくすると、スーッと引き込む明確なあたりがあったので合わせてみたら、確実に針掛かりしてかなり強く引き込んだ。

竿に掛かる重さの感じからして、サイズのいいヤマメだろうと思い、慎重にやり取りをして水中から抜き上げた。

違っていた。

口のまわりに追星がついている、大きな川鯥(カワムツ)だった。(下の写真の下から2番目の魚)

境川で釣った川ムツの中では、今までで一番大きなサイズだった。

その後もぼちぼちとアブラハヤや川ムツは釣れてくれたが、なかなか本命のヤマメは釣れてくれない。

上流に向って釣り上る釣りなので、少しずつ上流に進む。

岩の上から下流に向って仕掛けを流したその時に、目印がスーッと動いた。

間髪を入れず合わせる。

水流と水深と魚自体の抵抗によって、水中からの重みが竿に伝わって来る。

なかなか水面まで上がってこない。

水中から抜き上げた魚体は、紛れもなく綺麗なパーマークを持った、形のいいヤマメだった。

抜き上げたのはよいが、少し強引に抜き上げたので、その反動で魚が落下する際に0.4号のハリスが「切れてしまい、ヤマメは仕掛けからさよならをしてしまった。

残念と思った。

しかし釣り座のポジションが良かった。

そのヤマメが落ちた所が、下の段の岩のくぼ地に水と落ち葉が溜まっているところだったから、ヤマメはその中で動けないでいた。

急いで下に降りて、そのヤマメを捕まえた。

体長22cmの放流成魚だったが、放流からかなりの時間が経過しているので、尾びれのすり減りはほとんど修復しており、体色も天然のたんぱく質の採餌によって磨かれた綺麗な色の魚体になっていた。

かくして、本日のヤマメ釣りはボウズをまぬがれた。

その後にも、天然孵化か稚魚放流の成長したものかの判別はつかないが、体長18cmのヤマメが釣れてくれた。

14時半ごろに、持っていた餌のシマミミズを使い果たしてしまったので、川原でうごめいている体長1cmぐらいのカニの子を捕まえて餌にして釣ってみた。

カニの子を餌として使えばヤマメがすぐ釣れるということは経験的に分かっているが、釣れ過ぎて乱獲になる可能性があるので、極力使わないようにしている。

経験で分かっていたとおりに、ヤマメがすぐに喰いついてくれた。

これで3匹目のヤマメを釣ることができたので納竿した。

釣っている川の脇の遊歩道を、親子連れの子供会とおぼしき団体の人たちが行き交う中でのヤマメ釣りだったが、楽しい時間を過ごさせてもらった。

ヤマメ釣りをしている最中に、両足の太もものあたりの筋肉がこわっていることに気付いた。

思い出してみたら、昨日(金曜日)の午後に現場に行って、25mの深さの地すべり対策用の集水井(しゅうすいせい)の底まで、螺旋階段を使って昇り降りしていた。

普段はあまり使用しない筋肉を、急な傾斜の昇り降りで使っていたので、その影響が出たものと思われる。

歳をとると、筋肉のこりが、中一日ぐらい置いてから出るらしいが、翌日に出たので、筋肉の老化はまだなのかもしれないなどとひとりで納得している。

自在に動ける体と、ひとりで没頭できる趣味を持っている自分が、とても幸せに感じる。


本日の釣果(ベスト5) アブラハヤや川ムツはこのほかにたくさん釣れた。(画像をクリックすると拡大する)
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花金(はなきん)

2013年07月26日 | インポート
花の金曜日、略して花金。

3年ほど前から、花金を満喫させてもらっている。

働かせてもらっていた職場が、土曜日・日曜日は仕事が休みだったので、金曜日の夜は休み前の日ということで、ゆったりとした自由にくつろげる時間を過ごさせてもらっていた。

今年の4月からは、今までの自分の生活形態からすれば、特殊な労働形態の職場で働かせてもらっている。

単身赴任という、30年ぶりぐらいに経験する労働形態で、金曜日の夜には車で2時間ほどの道のりを、我が家へ向って開放的な気持ちで運転している。

これから丸々2日間は、自分の時間として自由に使う事ができると思うと、車を運転して我が家へ向っていること自体も、まさに花の金曜日という気分になる。

我が家はやっぱり良い。

我が家に入った瞬間に、まずその空気感で落ち着く。

部屋の中の物の配置が、長年見慣れた状態であり、当たり前にその状況で過ぎ去っていた日常さえもがいとおしく感じられる。

浴槽に時間を気にせずにゆったりとつかる事ができる幸せ、冷蔵庫を開けると何かしらの飲物が入っている幸せ、水洗トイレの便器にゆったりと座り、落ち着いて用を足す事ができる幸せ、話したい時に話をする相手が側にいてくれている幸せ、朝起きて庭を眺める事ができる幸せなどなど。

単身赴任をさせてもらっていることで、幸せを感じる事ができる材料が今までよりも増えたように感じる。

我が家に住まい、そこから職場に通い、側にはいつも家族がいるというような、何気ない日常である事が、いかに幸せなことかということをつくづく思う。

神様が人生の後半に、このような気持ちを持てるように差配してくださっているのかなと思うと、それすらも幸せに感じる。

まわりの善い人たちに囲まれて、花の金曜日を心待ちにしている59歳の夏。



豊田一喜










うなぎの蒲焼

2013年07月21日 | インポート
明日は土用の丑の日で、日本ではうなぎの蒲焼を食する日だというふうに、江戸時代の賢い人の発案以降、意識の中に刷り込まれている。

家族がそろうのは休みの日ぐらいしかないので、一日前倒しして、「土用の丑の日のうなぎの蒲焼」を食する事にした。

妻と息子が投票をする場所まで車で行き、投票を済ませてから、その場所の向かい側にある農協ストアーに行った。

自分の投票は、現在の住居地が自宅ではないので、住所地にて10日ほど前の昼休み時間に、期日前投票をして済ませていた。

農協ストアーでうなぎの蒲焼を見てみる。

つい最近、危険物取り扱いの資格試験に合格したということで、そのお祝いの意味も込めて息子にうなぎの蒲焼の選択権を与えた。

以前はうなぎの蒲焼は1匹980円ぐらいで出ていたことを見ていたが、本日は一番安い中国産でも二切れで800円の値が表示されていた。

1匹丸ごとの蒲焼は、1780円と2280円の値段が表示されていた。

うなぎの稚魚のシラスうなぎの漁獲量が激減しているために、うなぎの値段が高騰しているという話は耳にしてはいたが、通常価格の2倍の値をつけて売るという商魂には恐れ入ってしまった。

うなぎの蒲焼の選択権を与えられた息子は、躊躇することなく2280円のものを選んだ。

かくして、我が家の本日の昼食の一品は、1匹2280円のうなぎの蒲焼を4等分した1切れずつがのったうな丼だった。

ひとり分が600円弱で、ささやかな庶民の贅沢を楽しめた。

午後は久し振りに縁側に寝転んで、のんびりと昼寝をして、至福の時間を過ごさせてもらった。



豊田一喜






草払い

2013年07月20日 | インポート
住まわせてもらっている寮の周辺に生い茂っている雑草の草払い作業の日だった。

ひと月ほど前から決まっていた日程だったので、先週の休みに帰宅した時に自宅の草払い機を車に載せて持って来ていた。

寮の前の道の土手に生い茂っている雑草の量を日ごろから見ていたので、手作業でやっていたのではかなりの時間がかかると思っていた。

草払い機は寮に1台あり、当日他のところから1台借りてくるという段取りになっていたが、自分の草払い機を持って来て使えば仕事もはかどるだろうと思い、鎌でする草刈は腰が痛くなるので、楽に作業をするためにそのようにした。

総勢30名余りの寮生が、2時間余りの時間を費やして、寮の周辺の環境整備にいそしんだ。

このような共同奉仕作業をすると、個々の人の人間性を垣間見ることができる。

寮生の中では自分が最年長の部類に属している。

老体に鞭打って汗だくになりながら1時間半ほど草払い機で連続作業をしていたら、心優しい青年が、「豊田さん代わりましょうか。」と声を掛けてくれた。

そろそろきつくなってきたなと思っていた頃だったので、非常にありがたく、「お願いします。」と言って、機械作業を交代していただいた。

草払いと刈り倒した草の袋詰めは昼ごろには終了した。

いい汗をかくことができて、他人の優しさをありがたく感じることができた日だった。



豊田一喜






墓掃除と竹切り

2013年07月15日 | インポート
昨日は一日中、買い物をするために、午前10時半ごろから午後5時ごろまで、車であちこちと走り回った。

なので、今日は体を使う仕事をするように計画し、午前7時半から墓掃除に出掛けた。

昭和32年の諫早大水害の時に、うちの墓に通じていた上り道が崩れてなくなったために、自分のうちの墓に到達するためには、よそ様の墓の敷地を通らせてもらわなければならない。

本日の墓掃除は、盆の墓参りに備えての予備的な掃除のつもりで臨んだものの、あと1ヵ月近くあるので少し早いのかなとは思ったが、時間がある時にしておかなければということで、体の新陳代謝を促すつもりの作業でもあった。

前回は、3月下旬に墓掃除をしていたが、通らせてもらっているよそ様の墓地には、葛の蔓が伸び放題になっていて通路をふさいでいた。

で、本日はいつも通らせてもらっているお礼の気持ちで、よそ様の墓地に生えている草も刈払いさせてもらった。

そのような作業をしてから、花立の水を代え、柴を供えてからお参りを済ませたら10時半ごろになっていた。

その間で、1リットル入りの水筒のお茶は全て飲み干してしまった。

出掛けに妻から頼まれていた事があった。

家の前の畑にイチジクの木を植えているが、その枝の向きが真上ではなくて、あちこちに向いているので、それを矯正するための「手」になる竹を切って来て欲しいと言われていた。

墓掃除が終わってから、竹山に入った。

竹林の中は風も通っており、竹の枝葉で陰も形成されており、涼しかった。

ただ残念な事に、孟宗竹林であるために、イチジクの木の「手」にできるような、比較的細い太さの真竹がほとんど生えてはいない。

元々は段々畑だった竹林の一番下の段まで降りなければ真竹は生えていない。

仕方が無いので一番下の段まで降りて、そこで適当な太さの竹を見つけて切り倒し、箱型の軽自動車に積み込めるように、2m50cmぐらいの長さに切りそろえる。

それらの竹を、使わなくなった靴の靴ヒモで束ねて、車を止めているところまで担ぎ上げる。

使わなくなった靴の靴ヒモは、竹などを束ねるのには丁度良い長さであり、よく締まりもする。

そのような作業を2往復した。

のどが渇いたが、手持ちの水筒のお茶は既に空っぽ。

家に帰ってから飲んだお茶は、スポンジが水を吸うように、いくらでも体に入った。

時刻は丁度12時になった。

午後は妻に手伝ってもらって、切って来た竹を使っての「イチジクの木」への「手」の設置。

墓掃除から竹切り、イチジクの木の「手」の設置と、充分に体を動かす事ができ汗もたくさんかいた。

普段はあまり使わない筋肉を使ったので、明日あたり筋肉痛になるかもしれない。

歳をとると、筋肉の痛みがすぐには出ないらしい。



豊田一喜






鯵子(アジゴ)釣り

2013年07月13日 | インポート
午後は知人とふたりで、諫早市飯盛町の結の浜(ゆいのはま)で鯵子(アジゴ)釣り。

160円のアミブロックをそれぞれ1個ずつ買って出掛けた。

昨年鯵子(アジゴ)を釣った場所には誰もおらず、20mほど離れた場所で先行者がひとり釣っておられた。

アジゴ釣りと、1本は少し沖の方に投げて置き竿にしておられた。

知人とふたり、鯵子(アジゴ)がよく釣れる場所に陣取り、オモリカゴにアミを詰めて海に投入すると、アジゴがうじゃうじゃと寄って来る。

そのうちの1匹か2匹は疑似餌針に食いつく。

オモリカゴにアミを詰めては仕掛けを投入して引き上げる動作の単純な繰り返しで、そこそこに釣れたアジゴの数は増えていく。

釣り始めてから1時間半ほどで、オモリカゴに詰める餌のアミがなくなった。

その少し前に、少し離れたところで釣っておられた先行者が、体長45cmぐらいのマゴチを釣り上げているのを見ていたので、まねをしてアジゴを丸ごと1匹餌にした仕掛けに変えて、少し沖の方に投げて置き竿にしてみた。

結局、置き竿には何も釣れなかったが楽しい時間を過ごすことができた。

160円の餌で、全部で50匹のアジゴが釣れたので、1匹あたり3円20銭のアジゴということになる。

アジゴ釣りは、自分のような庶民にとってはガソリン代まで入れて300円程度で楽しめる、趣味と実益を兼ねた遊びということになる。


エラと内臓を取り出した、から揚げにする前のアジゴ
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豊田一喜



竹松の風

2013年07月13日 | インポート
昨日は 「にんしんかい」 という集まりの飲み会だった。

お腹が大きくなって子どもを生もうという集まりではないことは推察できると思うが、漢字で書くと「任親会」になる。

「任」は任期のにん、「親」は懇親のしんで、「任期付職員懇親会」の略で「にんしんかい」。

知人の旦那様が経営している店での「にんしんかい」だった。

1人は所用で参加できなかったが、参加した4人の年齢が近いこともあって話がはずみ、楽しい時を過ごさせてもらった。

なので、昨晩は独身寮で熟睡。

17万km走っていた中古車を17万円で買った愛車で、今朝の5時半頃に佐世保を出発した。

午前7時前に、大村市竹松遺跡の発掘現場近くを通過したが、無性に発掘現場を見てみたくなった。

少し行き過ぎてから脇道に入り、竹松遺跡の発掘現場に向った。

土曜日で発掘作業は休みの日だから誰も居ないことは分かっていたが、4ヶ月ぶりで入った発掘現場の駐車場には、えもいわれぬ雰囲気の「竹松の風」が吹いていて自分を優しく迎えてくれた。

人生の中の点と点が繋がって、今の自分の生き様があるのだと、「竹松の風」に包まれてつくづくそう思う。

その時その時の出来事や人との出会いなどの繋がりの結果が、今の自分に反映されている。

それにしても本当に楽しかった、竹松遺跡発掘作業員としての9ヶ月間であり、人生の中の宝物のような体験をさせてもらった仕事場だった。

10年後ぐらいには新幹線の駐機場になっていて、原風景は跡形もなくなっているのだろうが、楽しかった思い出の場所という記憶は残り続ける。

今日は「竹松の風」に元気をもらった。

発掘作業員の皆様、熱中症に気をつけて、日々を楽しんでください。



豊田一喜