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日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

財布の洗濯

2013年05月19日 | インポート
朝から適度な雨が降っていた。

外の仕事はできないので、午前中はのんびりとした時間を過ごすことができた。

昨日の作業で汗まみれになっていた作業服の上下を洗濯してから買い物に出かけようとしていた。

財布を捜したが、着ている服のポケットには入っていない。

記憶をたどってみた。

昨日、墓掃除に行く時に、作業服のズボンの、チャックがついているポケットに財布を入れたことを思い出した。

既にその作業ズボンは洗濯機の中で回っている。

あわてて作業ズボンのポケットから財布を取り出した。

いううまでもなく、財布の中のお札は濡れていた。

支払い等に充てるために、1万円札と千円札が合わせて13枚ほど入っていた。

生まれて初めて、ドライヤーを使ってお金を乾かした。

紙なので、案外簡単に乾かすことができた。

そのあとコンビニで、乾かしたお札で電話代等の支払いを済ませ、諫早市の作業服専門店で夏用の作業着等を購入。

雨が上がったことも有り、お客さんが多かった。

ズボンの裾丈の補正も無料でやってくれるのだけれども、私の場合には、元のズボンの丈が、七分ズボンの様に短くなってしまう。

諫早市飯盛町の結の浜には行ったことが無いと妻が言うので、行ってみた。

久し振りに行った結の浜は、やっぱりすばらしい。

広々とした美しい砂浜が続き、野鳥の鳴き声が聞こえて、おもいおもいの場所で、家族連れや若いカップルなどの人々が釣りを楽しんでいる。

人様が魚釣りをしている風景を眺めて回るのも結構楽しい。

帰りがけに、諫早市有喜の揚げたてかまぼこを買って、あつあつを食べた。

適度な雨のおかげで、ゆったりとした休日を過ごすことができた。



豊田一喜


黒と白と緑色の日

2013年05月18日 | インポート
3月の下旬に墓掃除をしていた。

先日のお葬式の手伝いの帰りにいただいた生花を、妻が、水曜日に家の墓にあげに行っていた。

墓のまわりの草が、かなり伸びていたという報告。

そこで本日、刈り払い機を持って、墓掃除に行ってきた。

墓掃除のイメージカラーは黒色。

2時間半ほどかけて墓掃除を済ませた。

そのあと、千里の道の二歩目になる、家の壁のペンキ塗りを3時間半ほど実施。

白ペンキを塗ったので、そのイメージカラーは白色。

夕食の前に、グリーンピースの鞘から実を取り出す作業を1時間ほど実施。

一升マスで2杯分ほどの分量になった。

グリーンピースの収穫の適期は、さやの表面の色が黄緑色になって、なおかつ月の表面のような模様が浮き出してからが良いとの妻の論。

グリーンピースの豆むきの色は、緑色そのもの。

黒と白と緑色に関わった、平穏な一日だった。



豊田一喜


年休

2013年05月14日 | インポート
人生の中で、久々に使う言葉。

年次有給休暇を略して「年休」。

休んでもその日の賃金がもらえるという、私にとっては夢のようなありがたい仕組み。

自営業や日雇いの仕事においては、当然の事ながら働いた分しかお金は手に入らない。

仕事はきちんとやったのに、色々と難癖をつけて、やった仕事のお金を払ってもらえなかったことも1回あった。

自分の職歴の中では、休んでもその日の賃金が保証される職場で働かせてもらうのは28年ぶりぐらいになる。

本日は、そのようなありがたいお休みをいただいて、97歳で亡くなられた、同じ町内会の方の葬式の手伝いをさせていただいた。

その方は、92歳までテーラーを運転して農作業をしておられた、働き者の温厚な方だった。

総数で30軒ぐらいの小さな町内会なので、昔から互助の精神で葬儀などのお手伝いはさせてもらうようになっている。

今は以前と違って、自宅葬というのはほとんどなくて、葬祭場にて執り行われる葬式がほとんどではある。

今日も、そのような葬祭場での葬式のお手伝いだった。

自分たちの親の世代の方々が、だんだんと少なくなっていかれる。

ただ、男性よりも女性の方が長生きのようで、私たちの集落では未亡人の方が多いように見受けられる。

戦時下の体験をされた世代の方々が、だんだんと少なくなられて、その悲惨な体験を聞くような機会が少なくなっている。

いつ帰れるとも知れない戦場に強引に駆り出されて、望郷の念を抱きながら異国の地で戦死された方々の無念はいかばかりだっただろうか。

そのような戦死された方々を慰霊する事には、私は何の違和感も感じない。

日本人として当然の感覚だと思う。

しかし、戦争などという、合法的な人と人との殺し合いなどは絶対にやってはならない。

勇ましい言動で人気を得ようとするような、一部の指導階層の言葉に扇動されないようにしなければと思う。

97歳で亡くなられたその人は、戦場では衛生兵だったという経歴の紹介がされていた。

人生の中の戦後67年間ほどを、平和な日本で勤勉に過ごされたことになる。

国防は重要で大切なことではある。

しかし、外に出て戦争が出来るような国家になるようにしようとする政治の流れには絶対に反対する。

憎悪は憎悪を生み出すだけでしかない。

この前、テレビで、ある人が、国防とは軍事的な備えだけで論じるべきではなく、食糧の自給体制などをも含めた視点で論じるべきだと言っていた。

まさにそのとおりで、我が国の国防体制は、食糧自給率の一点だけで見ても、脆弱であり哀れであるとしか言えない。

国防という観点からすれば、輸出を視野に入れた農業分野の国際競争力の醸成などというのは明らかにおかしい。

国民の胃袋をも満たすことができないような現状の生産能力の農業政策において、農地を集積して大規模経営の農家を援助するなどという政策は、根本的におかしい。

なぜならば、日本の農地の現状は、その土地利用の現状を見れば分かるとおりに、地形に合わせて水田や畑を造成した耕作地の占める割合が非常に多く、それらを集約して、大型農業機械を使う事ができるような農地にする事は、地形的な条件や費用対効果の面から考えて無理である。

単位面積が小さな棚田などの農地を、面積的に集約してまとめても、大型の農業機械を導入しての農作業ができるわけではなく、効率的な農業が展開できるわけではない。

日本の農業の現状を把握できていない人たちが、机上での計算だけで夢物語を謳っても実現できるはずが無い。

農地の集約機構などという名目の組織を作り出して、一部の公的な職業に就いている人たちの再就職先を準備しているだけの様に思える。

ずいぶん以前のこのブログで指摘していたとおりになりつつある。

安心して年休を取ることができるような世の中であり続けることを望む。




豊田一喜















ペンキ塗り

2013年05月12日 | インポート
建ててから30年以上経っている事務所の建物の壁の色が、風雨の影響でかなり変色してきていた。

竹松遺跡の発掘現場作業員として働かせてもらっていた、昨年のかなり長い盆休みの前に、ペンキ塗りをしようと思い、水溶性の白ペンキの一斗缶を購入していた。

長い盆休みの間には、遊びも含めた諸般の事情により、結局ペンキ塗りはしなかった。

今年の5月の連休には、ペンキ塗りまでできるのではと思っていたが、これもヤマメ釣りなどの遊びと、庭木の手入れなどをしていたら、あっという間に合計7日間の休みは過ぎ去ってしまった。

今日こそはと思って気合を入れて、壁のペンキ塗りを実行した。

雨戸部分を新聞紙とマスキングテープを使って被い、脚立を使って白ペンキを塗っていく。

元々の壁の色はクリーム色だったが、雨だれ等にて黒ずんでいる部分もあったので、その上から白ペンキを塗った。

30年以上も台風などの暴風雨にも耐えて、事務所の歴史を刻み込んで変色した壁を、新しい気持ちで塗り替えていく。

この事務所の中で過ごした時間が、自分の人生の中では一番長い。

仕事場でもあり、あるときは友人との語らいの場でもあり、仕事の納期に迫られた時には寝室にもなった。

30歳代から50歳代の半ば頃までの、人生の悲喜交々(こもごも)を感じてきた空間でもあった。

今では、勤めが休みの日にしか入る事はない。

いずれ、もっと年を取った時には、隠居部屋としての役割を果たすであろう建物であるから、維持管理のための補修をきちんとしておかなければならない。

外壁のペンキ塗りはその一環。

今後は、休みの日ごとに少しずつ塗り進めて行こうと思っている。

それが終わったならば、住まいの建物の方の外壁のペンキ塗りもしなければならない。

「千里の道も一歩から」というから、今日は外壁のペンキ塗りの一歩目だったということにしておこう。



豊田一喜




信念と継続力の結実

2013年05月06日 | インポート
信念と継続力の結実のサンプルのような記事があった。

動いている物の瞬時の位置情報を、基準点として用いるGPS測量の発想と共通性があるように感じる。

周囲の冷たい目線に耐えながら、ひたすら試験を積み重ねて結実した技術者の信念がそこにはある。

夕方には友人が訪れ、5月1日より、公的な組織の嘱託職員になったという嬉しい報告があった。

これで竹松遺跡に同じ車で通っていた3人とも定職に就く事ができた。

ぼちぼち遺跡発掘の作業員の募集も始まっているような情報を聞いた。

昨年の今ごろは、職探しに本腰を入れなければならないとあせり始めていた。

今年は5月の連休を、本当の休日としての意識を持って休むことができた。

ありがたいことだと思う。

庭木の手入れなどをしだすと際限がなく、東彼杵町の蕪池の仙人様の所のイチゴ狩りには、今シーズンは行く事ができなかった。

次回の楽しみにとっておこうと思う。




以下は、「信念と継続力の結実」のサンプルのような記事のコピー。

「オール大林」の目玉技術 非常識を常識に変えた「海水練りコンクリート」
2013年5月6日(月)09:21

(フジサンケイビジネスアイ)

 タブーに挑んだ研究開発が実を結び、土木建設の「非常識」を常識に変えた技術がある。海水や未洗浄の海砂を利用したコ

ンクリートは、鉄筋の腐食を引き起こし、膨張により破断することなどから、土木業界では問題外とされてきた。ゼネコン大手、

大林組の副社長、金井誠(66)はこの壁を打ち破り、高強度の「海水練り・海砂コンクリート」の開発に成功。社内の冷ややか

な目にさらされながらも陣頭指揮を執って実用化した技術は、海水が使えることから東日本大震災を機に護岸用ブロックなど

にも用途が一気に拡大。今や「オール大林」で浸透を目指す目玉技術となった。

 「ようやく、第一歩を踏めた」。2月12日、東京・品川の大林組本社27階の役員室で金井は、念願の技術に使えるめどが立っ

たことを心から喜んだ。この日、練り混ぜ水に海水を利用して作ったコンクリート製の消波ブロックの実証実験が、津波の甚大

な被害を受けた福島県相馬市の相馬港で行われ、性能の高さが無事確認された。結果はすぐに金井に報告された。土木関連

の実務者にとって大林組が手にした技術は、まさに「信じられない」ような画期的な出来事だった。

 うなぎ上りでインフラ需要が伸びた高度成長期にコンクリートの供給を急ぐ余り、海砂を洗わず骨材として使ったケースが一

部であった。数十年を経て、山陽新幹線の高架などに使われたコンクリートが鉄筋のさびで膨張し、剥落(はくらく)するといっ

た「コンクリートクライシス」が西日本で1980年代に多発。以降、コンクリート中に塩分の混入を試す研究は封印されてしまう。

大林組はなぜ、業界で「非常識」とされてきた海水を使う決心をしたのか。時は、金井が土木本部長に就いた2007年にさかの

ぼる。

 当時、金井は放射性廃棄物の国内の処分場がいずれ不足するとみて、処分場の建設に役立つ技術の開発を研究開発テー

マの一つに掲げていた。そして1983年から85年にかけ、米ニューメキシコ州に広がる砂漠の地下650メートルの岩塩層に大

林組が放射性廃棄物処分場を作った実績を見いだす。岩塩層は強度がコンクリート並みに強い。さらに、水がどれくらい漏れ

出るかを示す透水係数がコンクリートの100分の1と気密性が高く、低レベル放射線を封じ込められる利点があることを確認し

た。

 ただ、日本には自然の岩塩層が存在しない。金井は「それなら人工岩塩を作ればいい」と思い至る。「固い構造物を作るのな

らコンクリート。岩塩の元は海水なのだから、海水でコンクリートを練り上げればいい」。プロジェクトチームを結成するため社

内で声をかけまくった。

 しかし、業界のタブーという認識は社内も同じ。「そんな常識外れなことは無理」と技術研究所のスタッフを含め、誰も話に乗っ

てこなかった。それでも「技術的にも駄目だという納得できる理由がない限り、諦められない」と思った金井は、本社ビルの1階

下のフロアで働いていた当時の主任技師、青木茂(64)に声をかける。

 金井は「さびて鉄筋が膨張するのが問題ならば無筋にすればいい。さびない炭素繊維のロッド(棒)を鉄筋の代わりに使う手

もある」と、1カ月かけて説得。当初は渋っていた青木が折れ、頓挫しかかった技術開発は金井と青木の二人三脚でスタートを

切る。業界のタブーを覆すための「再挑戦」の始まりだ。

 進捗(しんちょく)具合を毎日確認する金井の思い入れの強さにプレッシャーを感じながらも、青木は研究を進めていった。価

格は割高だが強度の高い「普通ポルトランドセメント」や、硬化する速度が遅くて強度が出にくいものの安価な「高炉セメント」を

ベースに、さまざまな濃度の人工塩水や真水などを組み合わせる実験を繰り返す。神奈川県茅ケ崎市の海岸に出向き、バケ

ツでくんだ海水をサンプルにしてセメントとの相性も探った。しかし、これといった成果を出せずに時間が過ぎていく。プロジェク

トのスタートから約3年後の10年5月、青木から告げられた報告に金井が驚く。「安価な高炉セメントに天然の海水を混ぜてみ

たら、強度が出ました」。

 計測してみると、真水でコンクリートを練った場合よりも強度は60%以上も高く、さらに透水係数も「普通ポルトランドセメント」

の70分の1で気密性が高い。低レベル放射性廃棄物を封じ込めてしまう岩塩層の透水係数100分の1が視野に入るレベル

だ。

 廃棄物に由来する高炉セメントと、天然の海水という2つの安価な素材の組み合わせで強度を持つコンクリートが生まれた。

金井は「金やマグネシウムなど、海水にはさまざまな成分が入り込んでおり、塩を入れただけの人工海水にはない働きをしたに

違いない」と推測する。さびを防ぐために混ぜた防錆(ぼうせい)剤が「強度をより高める効果を発揮した」ことも、技術研究所の

主任技師でコンクリートのエキスパート、竹田宣典(53)の分析で分かり、実用化の道が一気に開けた。

 当初は「金井がやっている『家内(かない)』工業」と自らが揶揄(やゆ)するような貧弱な態勢だったが、竹田もチームに加わ

り、10年11月ごろ、研究成果が形となるまでにこぎ着けた。もともとは、放射性廃棄物の処理に役立つ技術を模索して着想し

た海水練り・海砂コンクリートだったが、震災を機に復旧・復興に欠かせない技術として図らずも用途が広がる。

 折しも政府は2013年度予算に884億円を計上し、公共施設の耐震化や津波対策を加速させる計画を立てている。金井は

新技術を、まずは被災地の復興や安全対策に役立てたいと願い、関係省庁や自治体に積極的に働きかけていく考えだ。さら

に、洋上風力発電施設など、真水を使うのが難しい場所でコンクリートを製造する技術としてもアピールしていく。実際、沿岸部

に作ることが多い飛行場施設に最適な技術だとして海外の軍事産業の関係者から引き合いも来ているという。

 冷ややかだった社内の雰囲気は一変し、プロジェクトは大林組挙げての取り組みに昇格する。施工案件の拡大に向け、社内

のさまざまな部署の担当者が駆け回る。開発成果を公表する前、金井は当時の土木学会会長だった岡山大学の阪田憲次名

誉教授などコンクリート研究の重鎮14人に客観的な分析を求めた。すると、このうち12人が「実は私も可能性があると思って

いた」と話し、大林組の挑戦を高く評価した。

 海水の潜在力に気付きながら指摘してこなかった重鎮たちの沈黙ぶりは、タブーを覆すために行動を起こすことがいかに難

しいかを示している。何度も頓挫しかけながら、金井らスタッフの信念と熱意が生み出した新たなコンクリート技術。国内だけで

なく世界に活用の道が広がり、今まさに飛躍のときを迎えている。

 

以上は、記事のコピー。




豊田一喜



らいにこいさんの日

2013年05月05日 | インポート
らいにこいさんの日と言っても、何のことだか分からないはず。

午前中には、よそのお宅を訪問しなければならない用事が2件あった。

ひとつは、地区の民生委員さんに署名押印してもらわなければならない書類を持って、民生委員さんのお宅を訪ねた。

内容を説明すると、快く応じてくださった。

もうひとつは、先月の下旬に遠縁の人が亡くなっていたのだが、知らずにいたので、本日お参りをさせてもらいにその人のお宅を訪問させて頂いた。

私が子どもの頃には、山から切り出された木材などを馬車で運搬する仕事をしておられた、穏やかで優しい人だった。


午後には、庭木の剪定とその残骸の焼却処分のための作業で汗を流した。

道側に生い茂っていた木々をすっきりとなるように伐採して、道路を通行する人たちの視通を妨げることが無いように整理した。

旧諫早干拓にある田んぼまで、伐採した木の残骸を運んで焼却することを二往復していたら、夕方はすぐに訪れた。

午後6時ごろには作業を終えて車を洗い、すっきりしたところで千鳥川下流の散歩に出かける。

千鳥橋の上から千鳥川を眺めると、雷魚が2匹と鯉が3匹泳いでいるのを見ることができた。

らいにこいさん(雷2鯉3)の日となった。

2匹の雷魚の内の1匹は元気よく泳ぎ回っていたが、もう1匹はじっとして動かない。

先日見かけた、頭だけが大きくて胴体が細めの雷魚だ。

3匹の黒鯉は、悠然と泳ぎまわっていた。

飛び石の上流付近では、水面上を飛び交う虫を捕食するために、小魚たちが水中から小さくジャンプしている。

暮れなずむ夕まずめ時の、生き物たちの情景。

自分もその中の1個として存在している。



豊田一喜



ヤマメとモエと庭の花

2013年05月03日 | インポート
朝から、諫早市高来町の境川へヤマメ釣り。

渓流の水が流れる音と、すがすがしい新緑に包まれながら、仕掛けの目印を凝視する。

水流と同じ方向に動いていた目印が、一瞬、今までとは違う動きを見せる。

間髪をいれず、「コン」と軽く合わせる。

竿先に、生き物の動きが伝わり、竿が弧を描く。

ヤマメの生きるための抵抗が少しだけ続き、やがて水中から美しい魚体を現わす。

慎重に抜きあげて、その魚体を手でつかみ、口から釣針をはずして、美しい模様を眺めてから、そっと水流へ戻す。

などということはしない。

私の魚釣りは、基本的に「キャッチアンドリリース」などという高尚なことはしない。

だから、境川で設定してある「キャッチアンドリリース」区間の下流まででのヤマメ釣りになる。

「キャッチアンドイート」、釣った魚は食べるというのが基本姿勢。

当然の事ながら、境川での持ち帰り可能サイズである全長15cmに達していないヤマメで、釣り針を飲み込まれていない場合には、大きくなってからまた釣れてくれと念じながらリリースする。

釣った魚を料理して、食べるまでを趣味としている。

本日は、成魚放流をしていない区間でのヤマメ釣りを心がけたが、結果としては、放流成魚1匹、そうではない美しいヤマメが4匹釣れてくれた。

成魚放流をしなくとも、自然孵化や放流稚魚の成長によって、美しいヤマメは育っている。

今ごろの季節には、彼らの主食である川虫を腹いっぱいに食べて、丸々と太った磨かれた体色のヤマメが、少し深めの渕にはほとんど生息している。

自然界の渓流魚は、私たちのようなにわか釣り師が、休みの日だけに釣りまくった所で、絶滅するように脆弱ではないというのが私の見解。

釣れない時には、魚は居るのだけれども、自分の釣りの技量が未熟だから釣ることができないのだと思い、次に釣りに来る時までの楽しみに取っておくのだと思うようにしている。

そのように思えば、たとえ釣れなくとも、渓流の水流音と豊かな森の中に身を置いて、豊富なフィトンチッドを体いっぱいに浴びながら過ごせる時間が持てるというだけでも幸せを感じる事ができる。

釣りに没頭しながら渓流の石の上を歩くので、足腰の運動にもなり、心身の健康維持のためにも私の場合には役に立っている。



本日の釣果。一番上の魚が尾びれの下の方がすり減っている、くすんだ色の放流成魚。
下の4匹は、川虫を腹いっぱいに食べて丸々と太っていた自然孵化等によるきれいなヤマメ。
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家に帰ると、玄関先に置いているプラスチック製の植木鉢の土の上で、小屋で飼っている猫の「モエ」ちゃんが、気持ちよさそうに午睡をしていた。

モエちゃんお気に入りの場所のようだ。

生まれてから13年ぐらいは経っているので、猫としてはかなりの高齢になるのだろう。

「モエちゃん」と声をかけると、「みゃーん」とこたえてくれるし、「散歩に行くよ」と言うと、後からついて来てくれる。

気持ちよさそうに植木鉢の中で眠っている「モエ」ちゃん
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庭の花々にも、少しずつ変化がある。

一輪だけ咲いている薄紫色の5枚の花弁を持つきれいな花。

つぼみだった芍薬は、その花を開き始めている。

玄関脇の鉢には、3種類の花々たちが、白、黄色、コバルトブルーのきれいな花を見せてくれている。

こでまりの花は盛りを過ぎて、少しずつ茶色に変色して散りつつある。

白藤の花は散ってしまい、その新緑の葉だけが勢いよく茂っている。


一輪だけ咲いた薄紫色の5枚の花弁のきれいな花
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花が開き始めた芍薬
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玄関脇の白色、黄色、コバルトブルーのきれいな花々たち
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豊田一喜






















散策

2013年04月29日 | インポート
家の前にある畑の片付けや、おえ被っていた松の木の剪定(伐採)も終わったので、夕方に散策に出かけると妻に告げる。

すると、「ついでにゴミも出してきて」と妻。

千鳥川下流の左岸の道路脇にゴミステーションがある。

満杯に詰め込まれた2つのゴミ袋を提げて、およそ250mを歩く。

ゴミステーションの金属製のゴミ箱の蓋を開けて、提げてきた2つのゴミ袋を入れてから蓋を閉める。

そのゴミステーションのまん前の千鳥川の一部が、少し前にきれいに整備された。

堆積していた土砂を運び出し、堤防とその堤防で仕切られている堤外地(河川敷)を公園の様に整備して、散策ができるようにしてある。

そのすぐ下流の国道251号線上に架かっている「千鳥橋」は、以前は歩道部がなく、左岸側の川端町内会から、右岸側にある「川端」のバス停まで行くのに、歩道部が無い、狭い千鳥橋を渡って行かなければならなかった。

対向して来る大型車輌とすれ違う時には、少し恐怖を感じるような場所だった。

その千鳥橋も昨年、歩道部の増設を含む拡幅工事が行なわれ、安心して渡れるようになった。

河川公園の様に整備された千鳥川には、河川を歩いて横断できるように「飛び石」が配置されているが、残念な事に、右岸側、左岸側それぞれに、1個ずつ「飛び石」の配置が不足している。

ゆえに、飛び石を伝っての横断は、走り幅跳びに自信がある人でなければできない現況になっている。

一般人が、その飛び石を伝って川を渡る事は無理な構造になっている。

要するに、恰好だけの、目で見るだけの飛び石がそこには置かれている。

ということだから、左岸側から右岸側へ行くには、千鳥橋の歩道部を渡って行くしかない。

歩く距離は長くなるが、散策に来たのだから良しとする。

千鳥橋の上から下の流水部を眺めると、黒鯉と雷魚となまずを見つける事ができた。

近くで見てみたかったので、ぐるっと回って右岸側の降り口まで歩いて、右岸の川べりに行く。

水深20cmぐらいの川の中を、体長50cmぐらいの黒鯉がゆったりと泳ぎまわり、別の所ではこれも体長50cmぐらいのなまずがのんびりと泳ぎまわっていた。

体長40cmぐらいの雷魚は、頭だけ大きくて、首から下は細目の体形で、じっとしていて動かない。

近くに石を投げ入れると動きはするがその時だけで、またじっとしている。

空腹なのだろうかと思った。

公園化してある千鳥川の川べりは、散策をするには丁度良い。

千鳥の鳴き声が、耳に心地良かった。




豊田一喜








潤沢な時間

2013年04月28日 | インポート
3日間続けて休めるとなると、何をするにも、あまりあせがらなくても(急がなくても)良いような気分になる。

時間に追われながらの日常が、時間を自由に使える状況に切り替わる。

他の人との待ち合わせなど、時刻が決められている場合を除いて、自分だけで行動する場合には、潤沢な時間がそこにはある。

気の向いた時刻に出かけて、好きなように行動し、適当な所で切り上げて帰る。

そのような流れのヤマメ釣りに、久し振りに出かけてみた。

2週間前に、ヤマメの成魚と稚魚の放流をしたばかりだったので、放流した場所の近辺にはヤマメが居る事を知っている。

でも、2週間の間で、放流成魚の中のかなりの数は、釣り上げられているはずであろうと思う。

「かじか橋」というつり橋を渡り、上流側へ至る遊歩道から川へ降りると、良いポイントが続いている。

第1投目には、放流成魚ではない、18cm程度のきれいなヤマメが釣れてくれた。

放流成魚とそうでない魚の区別は、一目見ればすぐに分かる。

放流成魚の体表面の色はくすんでいて磨かれていないし、尾びれの下の方が少しすり減っている。

放流成魚の大きさは20cm以上あるので、それがかかった時の引きはそこそこに強い。

第2投目には、そのような引きの強い放流成魚が釣れてくれた。

引きは強くて楽しめはするが、あがってきたヤマメのくすんだ色の魚体を見ると、少しだけ興ざめする。

釣堀の魚を釣ったような気分になるが、なるべく早く放流成魚を一掃したいので、持ち帰って食糧にする。

その後はハヤやアブラハヤが混じって釣れ、ヤマメは放流成魚が2匹、そうではないきれいなヤマメが3匹の釣果だった。

轟の滝の50メートル下流の所までで本日のヤマメ釣りは終了。

帰りに、橋の脇にある水汲み場の水を飲んでから帰った。

ほんのりと甘い感じの味。

朝の9時ごろから、午後1時ごろまで、のんびりと潤沢な時間を過ごさせてもらった。


豊田一喜














庭の歳時記(平成25年4月27日)

2013年04月27日 | インポート
一週間経つと、庭の花々の表情も少しだけ変化している。

名前を知らない花が多いが、ひっそりと咲いてくれている花の中にお気に入りの花がある。

薄紫色の釣鐘のような花が良い。

熟すのを楽しみにしていたさくらんぼの実は、小鳥がついばんでいた。

それを食べた小鳥が、幸せな気分になったのであれば良しとしよう。

ジャスミンの花も、つぼみから一部は開いている。

畑のグリーンピースは、そろそろ食べごろだし、大阪に住んでいる頃に購入した芍薬の花のつぼみも、だいぶ大きくなってきている。

朝起きて、庭の花を眺めて回るなどということは、若い頃にはほとんど無かった。

今、そのような時間をのんびりと過ごすことができるような環境を与えてもらっている。

今日の仕事は、、長い土筆の頭のようにおえ被っている松の新芽を、剪定(伐採)する作業から始めよう。


おえ被った松の木
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薄紫色の釣鐘のような花
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小鳥がついばんださくらんぼの実
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食べごろになった畑のグリーンピース
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咲き始めたジャスミン
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芍薬のつぼみ
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庭の歳時記(平成25年4月21日)

2013年04月21日 | インポート
庭の花々が時の移ろいを教えてくれる。

一週間の間に違う顔になって、目を楽しませてくれる。

毎年、何気なく眺めていた庭の花々も、今年は時間軸を意識しながら眺めるようになった。

咲き誇っている花々は、どれも綺麗で、季節がゆっくりと動いている事をその色彩で認識させてくれる。

色々と綺麗な花は咲いてくれるが、その花の名前をきちんと知っている花は少ない。

薄い黄色の菊のような花びらの花だとか、すずらんのような白い綺麗な花だとかというような覚え方しかしていない。

それでも毎年、庭の同じような場所に咲いてくれる。

季節季節に咲く花は変わって行き、それと共に白髪としわは増えていく。

できることならば、あと20回程度は、そのような季節の変化を見届けさせてもらいたいと願望しているが。


少し散り始めた白藤の花
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満開のこでまりの花
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かえでの新芽
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薄黄色の花弁の菊のような花
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白い清楚な綺麗な花
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白いすずらんのような綺麗な花
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以上の花の正式な名称をご存知の方、どなたか私に教えてください。

豊田一喜








高校生の顔

2013年04月20日 | インポート
通勤に使っているバス路線の途中にS工業高校があり、毎朝、登校している高校生の集団を、バスの窓から見せてもらっている。

40年以上前の自分にも、そのような頃があったのだなという想いで眺めながら、彼らの顔から一日の活力をいただいているような日々を過ごしている。

それぞれの個性が顔立ちに表れているように思えるが、彼らの頭の中にはきっと、将来の日本の産業の一翼を担うための知識が集積されつつあるのだろうなと思うと頼もしくさえ感じる。

停留所でバスを待っている大人の顔の表情と比べてみると、明らかに高校生の顔の表情の方が豊かで明るい。

大人の顔の方は、総じて無表情に近いように感じる。

これから何かの職業に就くための準備期間中の、将来に対する漠然とした期待と目標を持っているであろう若者の顔と、既に何等かの職業に就いている人たちの顔の表情の差なのかなと思いつつ眺めている。

自分の高校生の頃を思い出すと、楽しい毎日を過ごさせてもらっていたように思う。

自宅から島原鉄道の愛野駅まで、およそ5分の道のりを自転車で行き、そこからは島原鉄道のディーゼルカーに20分間乗って本諫早駅で下車。

それから徒歩15分か20分ぐらいで諫早農業高校に到着。

測量や応用力学や農業土木設計などの興味深い職業科目を楽しく学んでいた。

新しい事を知る事が嬉しかった。

国語や数学や物理などの一般科目の各教科の先生方も、進学校ではなかったので、大学受験のための授業というような雰囲気は全くなく、私たちが興味を示すように仕向けるような、結構面白い授業の進め方だった。

授業が終わればクラブ活動で汗を流し、年に数回だけ下校途中に、「よろや」の100円の学生ラーメンを、汁を一滴も残さないように食べて帰るという楽しみがあった。

今考えると、親の保護下にあって、親のおかげで学校に行く事ができたのだなと、農業や土方をやりながら自分たちを育ててくれた両親にただただ感謝するしかない。

自分が高校生だった頃から40年以上も経って、今、毎朝の高校生の顔の表情から、活力をいただいている日々を過ごしている。


豊田一喜







千鳥川の草払い

2013年04月14日 | インポート
生まれ育った家の脇を、二級河川千鳥川が流れている。

子どもの頃には、その川に入って遊ぶのが日課だった。

川の両側が自然石の石積で、水中の石積の穴には、ツガネやウナギやナマズが隠れていた。

そのような穴に手を突っ込んで、素手で魚やカニを捕まえるというのが遊びの中心だった。

ある時祖母が、川に降りる石段の最下部の先に、洗濯用に設置していた平たい石の上流部分から、集めていたタバコの吸殻を揉みほぐして流し始めた。

次の瞬間、大きなウナギが白い腹を見せて、その石の下から姿をあらわした。

要するに、タバコのニコチンか何かの作用を利用した、極所的な毒流しを祖母はやって見せてくれたのだった。

それを見学していた小学生の自分は、あわてて川の中に入り、そのウナギを捕まえた。

そのウナギは、我が家の夕餉の食卓に、ぶつ切りの味噌炊きとなって出されて、家族の胃袋に収まった。

まだ我が家には、扇風機も冷蔵庫も、ましてや自家用車などは無かった頃の思い出。

その千鳥川は、昭和32年の諫早大水害の時に、私たちの住む集落にも、大きな被害をもたらした。

昭和32年7月25日、私が3歳の時だったが記憶に残っている。

その翌年から、川の神様に対する畏敬の念を込めて、私たちの「川端町内会」は、千鳥川の清掃奉仕活動を毎年行なうようになった。

従来は、その記念日である7月25日に、千鳥川の清掃奉仕活動を行なうようにしていたが、数年前から、7月まで川の中の雑草に手を加えないでいると、その繁茂により除草作業が大変だということから、春先に実施するようになった。

その、今年の千鳥川の清掃奉仕活動が今日だった。

朝の8時から、刈り払い機を持っている人は刈り払い機を使って、川の中に繁茂している雑草を切り倒した。

およそ1時間で完了。

そのあとは10時半から、町内会の公民館で、市役所の担当者の方からの、特定健診に関する啓蒙のための説明があった。

11時半頃からは、打ち上げの飲み会だったが、運転をしなければならないので、お茶でお付き合いをさせていただいた。

休みの2日間は、またたく間に過ぎてしまった。



草払いが終わった千鳥川の堤外地
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飛び石などが配置されて整備された千鳥川の下流部
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豊田一喜







一週間という時間

2013年04月13日 | インポート
庭の草花の振る舞いが、一週間という時間の流れを見せてくれる。

あまり気温が上がらなかった一週間だった。

一人暮らしの地では、セーターを着込まなければ寒さを感じるような日々が続いた。

金曜日の夜に家に帰って、一晩寝たあとの朝の庭の風景は、一週間分の時の流れを紡いでいる。

白藤の花もだいぶ開き、小手毬の花はきれいに開花して目を楽しませてくれる。

さくらんぼの実も少し膨らみ、名前を知らない白と紫の花弁の花は、フリージアの柿色と白色の花と共に、春を見せてくれている。

花が咲いている庭の風景は、心をそっと撫で付けて、少しだけ疲れていた神経を復調させる薬にもなる。

昼からは諫早市高来町の境川でのヤマメの放流事業のお手伝い。

稚魚の放流と成魚の放流を実施したので、ここ1~2週間は、放流成魚がよく釣れるはずです。

釣堀感覚でヤマメを釣りたい人には、明日あたりの境川でのヤマメ釣りはお薦めですよ。

餌はミミズでも栗虫でも、生餌であれば何でも良いのですが、空腹なので簡単に釣れるはずです。

ヤマメの放流事業のお手伝いのあとは、孟宗竹林での竹の子掘り。

抱え上げるのに重たいと感じるぐらいの竹の子を掘る事ができた。

適度な運動にはなった。


だいぶ開いた白藤の花
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今が見ごろの小手毬(こでまり)の花
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膨らみかけたさくらんぼの実
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名前を知らないきれいな花
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柿色と白色のフリージアの花
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豊田一喜



天気予報は当たり

2013年04月07日 | インポート
昨日の夕方までは弱い雨が降っていただけで、天気予報で暴風雨になるというのは外れたと思っていたが、昨晩から今朝にかけて、強い風が吹き続けた。

時間的には少し遅れはしたが、天気予報は当たりだった。

強い風が吹くと落ち着かない。

ずいぶん前の、台風17号と19号の連続被害を経験しているだけに、その時の場景を思い出してしまう。

30メートル程度離れている隣の家から飛散した瓦が、うちの小屋の瓦の上に乗ってしまうような猛烈な暴風雨だった。

愛野展望台付近の高圧送電の鉄塔も、なぎ倒されるような猛烈な風の強さだった。

家の中で、台風が通り過ぎるのを、ただひたすら祈るしかなかった。

気圧計の数値を見ながら、台風の挙動を推測するしかなく、屋根の瓦が飛散して落ちる強烈な音を、心臓がドクドクするような思いで聞いていた。

ここ数年は、私が住んでいる地域では台風の直撃は無い。

現在は、気象予測の技術も進歩しているので、ある程度早目に天気予報を知る事ができる。

天気の変化に対しては、ある程度までは前もって備える事ができる。

そのような認識を持ってすれば、長崎県内における懸案事項に対する解決策も見えてくるように思うが。

結構な確度で当たる天気の予測技術を、システムの中に取り込めば、豪雨災害にも対応できて、環境保持にも有益な施策が見えてくるのではないかと私は思う。


豊田一喜