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日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

ゴミ処理

2013年10月20日 | インポート
庭の芝や雑草や落ち葉などを、使わなくなった紙の米袋に入れて小屋の中に置いていた。

それが10袋にもなっていたので処理しなければならない。

旧諫早干拓の田んぼで燃やして処理することにした。

水田地帯では稲刈りの真っ最中で、有明川の上空にはラジコン飛行機が飛んでいる秋晴れの日。

この辺の地域には台風の直撃も無く、豊潤な実りの秋を迎えている。

北風が吹いていて、水田に並べたゴミはよく燃えた。

旧諫早干拓に保有している2枚の田んぼは、同じ排水路に面しているが、その排水路を拡幅するということで、先週の土曜日に県央振興局の職員の方が2名で用地買収交渉に自宅へ来られた。

もちろん契約書に記名・押印させてもらった。

水路拡幅のために買収される部分の土地の所有権は公的な物になるが、その水路敷きの一部の管理は耕作組合にゆだねるのだという説明だった。

ということは結局、個人で管理しなければならないということに繋がる。

現況の畔の部分より少しだけ耕作地に入るぐらいの区域の買収だから、その部分の草払いぐらいならたいして時間もかかりはしないのだが釈然としない。

その部分に草が生えないような処理はできないのかと問うたが、それはできないというような返答だった。

現況の素掘りの排水路は側壁が崩れている箇所もあるので、そこにコンクリート製品をはめ込んだ幅1.8mの水路にしてくれるということなのでありがたいとは思うのだが・・・・・。



豊田一喜








クロの子とバリの子

2013年10月19日 | インポート
「アジゴ(鯵子)を釣ってみたい」と妻が言ったので、今週も諫早市飯盛町の結の浜に出掛けた。

この前の日曜日の魚釣りで、妻には鯵子が1匹も釣れなかった。

今日はふたりして、鯵子は1匹も釣れなかった。

釣れてくれたのはクロの子とバリの子(アイゴの子)だけだったが、のんびりとした楽しい半日を過ごす事ができた。

バリ(アイゴ)の子は、ヒレに毒を持っているので、釣りあげたらすぐにハサミで背びれ、胸びれ、腹びれを切り落とすことにしている。

バリの子は、煮付けにすると骨も少なく、身が骨から離れやすいので食べやすい。

バリ(アイゴ)が釣れると捨てている人がいるがもったいない。

おいしい魚なのに。

クロの子は唐揚げに、バリの子は煮付けにした。


本日のふたりの釣果
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豊田一喜







稲刈りのにおい

2013年10月18日 | インポート
佐世保市から雲仙市愛野町の自宅への帰り道の途中で、諫早市森山町を通る。

夜なので国道のまわりの景色は暗闇の中でよく見えないが、島原鉄道の森山駅を過ぎて少し走ったあたりから国道の左右に水田地帯が広がっていて、少しだけ開けている車の窓から、「稲刈りのにおい」が入り込んでくる。

今頃の季節になれば、子どもの頃から慣れ親しんだ「稲刈りのにおい」。

たわわに実った稲穂で覆われていた水田の、水を落とした後の稲を刈り取った後のにおい。

わらのにおいと潟土のにおいが混じったような、懐かしいにおい。

あと10分もすれば我が家へ帰りつけるという安堵感の中で、懐かしいにおいに出会う。

子どもだった頃には、稲刈りの季節になるとノコ鎌を持って手刈りで稲刈りをしていた。

バインダー(稲刈り機)やコンバインなど無かった50年ほど前の頃の話。

そのような作業の中で、一日中感じていたにおいだから、自分の中では稲刈りのにおいとして脳みその中に記憶されている。

農作業が機械化された今の農業に比べれば、昔の農作業は何倍もきつくて大変な作業だったのだと思う。

農業をやっていた人たちへの肉体的な負担は相当に大きかったものと思う。

それでも多くの兼業農家の方々も含めて、農業従事者の方々が地道に勤勉に働いて、それぞれの田畑を維持し続けて来たことによって、中山間地域における水田は天然の保水施設としての役目を果たしていた。

そのような農業従事者の方々の勤勉さによって維持されてきた日本の農業を、一握りの大規模農家を優遇するような方向へ農業政策を変えようと政府はしている。

私は間違っていると思う。

山腹やその裾野に広がっているわずかな平地を水田にして営まれてきた日本国の農業形態をきちんと把握していれば、農地を集積化して個別の農地面積を増やし、農業の国際競争力を強化するなどというような発想がいかに荒唐無稽なことかということは分かるはずだが、そのような認識を有していない人たちが日本の農業政策を策定しているという不幸。

そのような人たちが策定してきた農業政策によって、勤勉な小規模農家の人たちは翻弄されてきた。

自国民の胃袋を満たすための農業生産力さえ有していない脆弱な日本国の農業で、国際競争力云々を言ってもどうしようもない。

まずは食糧自給率を100パーセントにするような政策が先決であるはずだが、そのような事柄は論じられない。

誰かがどこかで何とかしてくれるだろうというような発想が根底にあるのだろう。

それでもおかしな農業政策に関係なく、「稲刈りのにおい」は勤勉な農業従事者の人たちの働きによって、今年も日本国中に漂っている。



豊田一喜








唐揚げの素

2013年10月14日 | インポート
秋晴れの良い日和だった。

一般の床屋さんは定休日だったので、愛野町の3Q(さんきゅー)カットという1000円床屋さんで髪の毛を切ってもらった。

自分が希望していた髪形とは微妙に違ったが、短く切ってもらったのですっきりとはなった。

私のような庶民としては、散髪代が、一般的な床屋さんの3分の1の値段なのでとても助かる。

3連休の最後の日なので、精神的リフレッシュのために、午後は妻と魚釣りに出掛けた。

妻と一緒に魚釣りに出かけたのは、子どもが小学生だった頃以来だから、20年ぶりぐらいになる。

諫早市飯盛町の結の浜の防波堤には、魚釣りを楽しんでいる人たちがたくさんいた。

潮時は干潮の時間帯を過ぎて満ち潮になりつつあった。

サビキ仕掛けのオモリカゴにアミを詰めて海中に投入すると、クロの子が湧いてきて、水中に拡散したアミをむさぼる。

が、サビキ仕掛けの擬餌針には食いつかない。

何投かする内に、妻の仕掛けにクロの子が喰らいついた。

小さなクロの子が、その後も妻の仕掛けにポツリポツリとかかってくれた。

自分のサビキ仕掛けには何も釣れてくれないので、サビキ仕掛けの方は置き竿にして、渓流仕掛けにアオイソメをつけて試してみた。

すると、小さなクロの子が釣れてくれた。

午後3時過ぎ頃から、まわりで型のいい鯵子が釣れ始めた。

渓流仕掛けの餌を竿一本分ぐらいの深さに落として待っていたら、明確な魚信あり。

慎重にあげてみると、そこそこのサイズの鯵子が釣れてくれていた。

置き竿にしていたサビキ仕掛けにも一度だけ型のいい鯵子が釣れてくれた。

その後も、ふたりとも退屈しない程度に小魚たちが遊んでくれた。

餌のアミを使い切ってしまったので、午後4時ごろに納竿。

海の恵みの「唐揚げの素」を、ありがたく持ち帰り、帰宅後から揚げにしてから三杯酢に漬けた。

のどかに過ぎ去った秋晴れの一日だった。



本日の釣果(唐揚げの素)画像をクリックすると拡大する
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豊田一喜











日曜大工(その2)完成

2013年10月13日 | インポート
先週の日曜日にやり残していた木材加工の続きを午前中に行なった。

息子と交代で、電動丸鋸の刃では届かない部分を、手鋸で切り落としていく。

幅20cm程度の直方体の木材を、斜めに切断するのにかなりの作業時間を要した。

スロープの上り口用の切断面を、電動カンナで息子が綺麗に仕上げる。

二つの木材の部材の横の両面を、金具で連結して固定する。

さらに底面にも補強のために金具を打つ。

最後に車止め用の部材をモクネジで固定して、自動車の整備時に使うためのスロープの完成。

試しに妻の軽自動車をそのスロープに載せてみる。

大丈夫だった。

材料費(1,568円):連結金具16枚(98円×16=1,568円)


完成した自動車整備用のスロープ(画像をクリックすると拡大する)
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完成したスロープに軽自動車を載せてみたところ(画像をクリックすると拡大する)
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豊田一喜


行ってみたい催し

2013年10月12日 | インポート
私が「蕪池の仙人様」と勝手に呼ばせていただいている方が、自ら制作されたステンドグラス製品や友人の方が制作された木工製品を展示した、「ステンドグラスと木工展」を催されている。

期間は、平成25年10月12日(土曜日)、要するに本日から11月4日まで。

場所は、長崎県西海市西彼町喰場郷(オランダ村とバイオパークの中間付近で、かめだけ郵便局斜め前の「ギャラリーくつろぎ」)で。

2年前から3年前までぐらいには、その当時働かせてもらっていた組織での仕事の現場管理のために、よく通った道筋になる。

久し振りに西彼半島に出向いてみたくなった。

是非とも行ってみたい催し。

詳しく知りたい方は、「田舎暮らし」「ステンドグラス」で検索すれば、蕪池の仙人様の「田舎暮らし」というホームページを見ることができます。

または、ここをクリックすれば「田舎暮らし」のホームページが開きます。

竹松遺跡の発掘作業員の皆様、昨年、共に汗を流して遺跡の発掘作業をされていた方が催されている展示会ですので、ちょっと足を伸ばしてみられてはいかがですか。



豊田一喜


行って来ました。「ステンドグラスと木工展」

今日の午後、息子とふたりで西海市西彼町で、「蕪池の仙人様」と私が勝手に呼ばせて頂いている方と、その友人ご夫婦が共同開催されている、「ステンドグラスと木工展」に行って来ました。

雲仙市愛野町の自宅から車で2時間少し走った所にある、西海市西彼町喰場郷にある、亀嵩(かめだけ)郵便局から国道を隔てて斜め前にある、「ギャラリーくつろぎ」という、農産物等の直売所の右側の建物で開かれています。

骨組みだけプロの大工さんに建ててもらって、後の内装等は蕪池の仙人様の友人ご夫婦の自作という建物。

その中の落ち着いた、意識的に照明を落とした空間の中に、「蕪池の仙人様」のステンドグラス職人としての素敵な作品と、その友人ご夫婦が制作された、温かみのある木工製品が展示されています。

直売もされていて、売約済みの札がかかった作品も何点かありました。

香りのいいコーヒーをいただきながら、「蕪池の仙人様」とゆっくりとお話をさせていただきました。

妻や息子の友人用のお土産として、世界でたった一つしかない、手作りの温かみのある木工製品やステンドグラス製品を購入して帰りました。

行き帰りの道中で、息子とゆっくり話ができて、お元気そうな仙人様ともお話させていただくことができた、とても楽しい一日でした。


下の写真が、お土産に購入させていただいた、写真立て、ろうそく立て(キャンドルスタンド)、手鏡、木製の匙、木製のティッシュケース(画像をクリックすれば拡大する)
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豊田一喜










くやく(公役)と日曜大工

2013年10月06日 | インポート
朝の8時から、旧諫早湾干拓の愛野耕作組合のくやく(公役)だった。

稲刈り前の水路周辺の除草作業が主な内容だが、その作業に取り掛かる前の耕作組合長の報告等の話の時間が長い事はいつものパターンで、本日はそのお話が50分近くも続いた。

それからやっと本題の除草作業に取り掛かり、60名近くの組合員が刈り払い機を使うと、予定通りに20分間で作業は終わった。

作業が終わると自由解散となるが、私は自分の田んぼの畔の草刈と田んぼ脇の道路の草刈をしてから家に戻った。

10時半頃に家に着き、それからは息子に車のオイル交換とフィルターの交換をしてもらった。

その後は、息子とふたりで日曜大工。

必要な物があれば、可能な限り自分たちで作るようにしている。

材料と道具さえあれば、プロの人が作るように上手にはできないが、機能的には遜色の無い物を作る事ができる。

今回は、ジャッキアップしなくても車の底での作業ができるように、車を乗り上げる事ができる木製のスロープを作成した。

20cm×25cm×60cmぐらいの家にあった木材を斜めに切断して、スロープの上り部分の部材を作るという作業にかなりの時間を要した。

家にある小さな電動丸鋸では、5cmの深さまでしか切ることはできない。

可能な限り、その電動丸鋸で切れる所は切り、後は手作業で手鋸とノミを使って、不要な部分を切り落としていく。

そのようにして切り落とした切断面を、これまた小さな電動カンナで綺麗に削って、スロープの上り面を仕上げる。

その後、スロープ部分の木材と、別の20cm×25cm×60cmの直方体の木材とを金具で連結して完成となるが、今回はスロープ部分の木材の切断に多くの時間を要したために、片方の分しか完成しなかった。

続きはまた来週の休みの日にということで、心地よい汗をかき、夕食をおいしくいただく事ができた。


豊田一喜


寄り道

2013年10月05日 | インポート
昨晩は職場の飲み会で佐世保泊。

朝の5時頃佐世保を出発、自宅へ向う。

矢峰から柚木方面へ走り、山越えで三河内方面へ抜けて、波佐見を通り川棚駅近くの国道に出るルートで。

川棚からは海岸沿いの国道を走り、東彼杵町を通り抜けてから大村市に入る。

大村市に入ると、昨年の6月から今年の3月までの9ヶ月間を、遺跡発掘のアルバイト作業員として働かせてもらった竹松遺跡の発掘現場近くを通る。

朝の爽やかな空気の中を走っていると、ちょっと寄り道をして、竹松遺跡の発掘現場を見てみたくなった。

昊天宮という神社の手前で左折してJRの踏切を越えれば、その左手側に懐かしい発掘現場はある。

今年の3月には別の会社の発掘作業員の方々の駐車場になっていた区域も発掘が進んでいる。

先のほ方に進むと自分たちの休憩棟があった場所に、又同じように休憩棟が設置してあった。

土曜日で、発掘作業は休みの日なので、当然誰もいない。

こちらの方も、作業員の駐車場だった区域の発掘が進んでいた。

ただただ懐かしく、その場にいるだけで心が落ち着く。

発掘作業では、米軍の不発弾や旧日本軍の不発弾が出てきているという話を聞くが、古代から近世まで、色々な時代の遺物が出土しているようで、興味深い。

発掘作業により、過去のその地での人々の生業の一部が解明されていくことでしょう。

日中は日差しが強い日もまだありますが、「古代の風」を感じながら、発掘作業を楽しんでください。

私は今日、寄り道をして、少しだけ「古代の風」を感じさせてもらって家に帰りました。



豊田一喜




鯵子9匹

2013年09月29日 | インポート
車が使えるようになったので、車の試運転も兼ねて諫早市飯盛町の結の浜に鯵子(あじご)釣りに夕方出かけてみた。

15時30分頃に結の浜に到着した。

大勢の人たちが竿を出して、魚釣りを楽しんでおられた。

その様子を眺めていると、あちこちで鯵子やコノシロやその他の魚が釣れていた。

人がいない船溜まりの隙間に陣取り釣り始めると、何か見覚えのあるような顔の人が、釣りを終えて帰られていた。

近くまで来られたらはっきりと分かった。

竹松遺跡の発掘作業員をやらせてもらっていた時の現場代理人A氏だった。

A氏も私の事を覚えていてくださっていて、「あ、どうも」ということでご挨拶をさせていただいた。

先週、ベルコン班のKさんに、結の浜に連れてきてもらったのだと話されていた。

出掛けた場所で、顔見知りの人に出会うと、何となく嬉しくなってしまう。

竹松遺跡の方は、今年はあまりたいした遺構や遺物は出ていないと話されていた。

サビキ仕掛けのオモリカゴにアミを詰めて沈めてしゃくっても、反応がない。

隣りで釣っている中学生とそのおじいちゃんは型のいい鯵子をコンスタントに釣り上げている。

どうして自分の仕掛けには釣れてくれないのだろうかと思いながら、座り込んで、深めに仕掛けを落としてみた。

その時に、あたりが手に伝わった。

久し振りの魚の感触。

急いで上げてみると、体長15cm弱ぐらいの鯵子が釣れてくれていた。

その後も、ポツリポツリと鯵子が釣れてくれて、17時過ぎぐらいにアミ餌がなくなる頃までに9匹の鯵子が釣れてくれた。

結の浜の美しい眺めの中で、楽しい時間を過ごさせてもらった。


本日の釣果(鯵子9匹)
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豊田一喜


久し振りの対面

2013年09月28日 | インポート
久し振りの対面といっても人と会ったわけではない。

故障したので修理に出していた車との久し振りの対面。

息子の車に、諫早市飯盛町にあるその修理工場まで乗せてもらい、2週間ぶりで愛車との対面ができた。

車が使えなかったので、週末(金曜日)の移動はJRを使った。

佐世保・諫早間は、快足電車のシーサイドライナーで、所要時間が1時間10分。

料金は1250円。

そのシーサイドライナーの車輌は、世界中で30台しかなくて、その全部が、佐世保・長崎間で走っているそうで、ローカル線の電車としての馬力は日本で一番だという説明書きが、運転席の後方に貼ってある。

対面式座席にできる様式は、新幹線の座席でも、シーサイドライナーを参考にして作られたのだということも書いてある。

通常であれば車で走っている道路にほぼ並行して走っているので、それらの道路の側方を電車内から見る事ができる。

佐世保駅を出ると、日宇・大塔・早岐・ハウステンボス・川棚・彼杵・竹松・大村・諫早の順に停車する。

諫早駅から雲仙市愛野町へは島原鉄道があるが、区間の距離に対して料金が高いし、1時間に1本程度しか便数がないので、諫早駅まで妻に車で迎えに来てもらう。

家に帰ると、一週間前から予定していた息子の職業訓練校の友人たちとのお疲れ様会で、家の座敷の中がにぎわっていた。

彼らの事は訓練校の中では、通称「オヤジ組」ということで通っているということで、息子も含めて6人がそれぞれに個性的な社会経験をしている。

俗にいう、敷かれたレールに乗らないで、少しだけ途中下車をしてから職業訓練校に集まった青年たちである。

20歳から30歳までの年齢の青年たちで、前期の試験が全て終わり、6人が全員及第点を取ったことに対する「お疲れ様会」ということで、私もその飲み会の中に加えてもらった。

前期試験が終わって、これからは来年の3月ごろまでに就職先を決めなければならないということで、それぞれが就職に関してそれぞれのきちんとした考えを持っている。

私は彼らとは初対面だったが、それぞれが長幼の序をわきまえていて、「オヤジ組」の中でも年上の人に対してはきちんと敬語を使うということが自然になされていた。

ゆっくり飲みながら夜中まで話を聞かせてもらった。

ふと思う。

今のような国策で、彼らが親になり、家庭を持った時に、果たして安心して安全に生活できる国家であるのだろうかと。

原発、TPP、雇用者側に有利な雇用形態などなど、憂慮すべき事柄が数多くあるように思うが、彼らに幸せと思う事ができる時間が多く訪れてくれる事を祈っておきたい。


豊田一喜










オリンピックと原発

2013年09月22日 | インポート
我が国の今のリーダーは、世界中に向けて、自国にとって都合の良い、デタラメな情報を発信してしまった。

要するに世界を相手にして「大うそ」をついてしまった。

オリンピックを自国に誘致するためと、既得権益者側の利権を維持し続けるために。

福島の原子力発電所の汚染水は、適正に管理されていて、湾内の0.3平方キロメートルの範囲内に封じ込めているのだと。

水に含まれた汚染物質が海中に放出されている現状を、余りにも安易に考えているというよりは、一国を代表するリーダーとしては無責任の極みのような発言をしてしまった。

いかにも、福島原発の事故は技術的に解決されていて、収束しつつあるようなデタラメを言葉にしてしまった。

東京電力の心ある技術者が、正直に「コントロールできている状況では無い」と発言したことが全てを表わしているように思う。

ご丁寧に政府はその発言を、政府側にとって都合がよいように訂正してしまった。

典型的な情報操作の事例でもある。

テレビなどの報道で映し出される福島原発の敷地内における汚染水の貯留タンクの林立状況を見て、日本人は何も思慮する事はできないのだろうか。

あの林立するタンクの内部には、処理技術も確立していない原発の汚染水がどんどん貯留されていき、それらが満杯になるとさらに貯留タンクを増設しなければ対応できないということをどれだけの日本人が理解できているのだろうか。

そのうちに、日本のあちこちに、そのような核廃棄物や汚染水の貯留タンクが林立するような光景になるのだという想像をする事がなぜできないのだろうか。

原子力発電所が稼動している限り、そのような処理不能な核廃棄物なり汚染水なりを生産し続けるのだという事実を把握できておれば、一刻も早く原子力発電所の稼動を停止しなければ、未来の日本にとって取り返しのつかない事態になっていくのだという認識を持てるはずである。

自分が責任を持つなどとのたまわっているが、事故の発生から2年半も経っているのに、いまだに汚染水の漏出が続いているという現状が何を物語っているのかということが理解できていない。

要するに、事故を起こした原発の制御など全くできていないし、これからもできないのだということに皆が気付いて、一刻も早く原子力発電所の稼動を停止し、廃炉にするという選択をしなければ、私たち庶民が、安心・安全に暮らせる国土となることはありえない。

日本という国家は、国策による結果に対して、国民に責任を取るということを曖昧にすることが多い国家であるとつくずく思う。

第二次世界大戦の後始末に対しても、その実行を最終決定した日本国最大の財閥一族が罪に問われることもなく、その財産を没収されることもなく今も君臨している。

国策により、有無を言わせずに戦場に駆り立てておきながら、異国の地で戦死された方々の遺骨を収集して母国へ連れ帰ることすらも真剣にしようとしないような国家である。

国家のため、家族を守るためという洗脳的教育を子どもの頃から受けさせられて、純粋に命を賭して戦い戦死なされた方々に対し慰霊の念を持つことすらも、外国からの批判に遠慮して抑制するようなおかしな国家である。

家族と別れ祖国を離れて、異国の地で飢餓や病気や死ぬことに対する恐怖と戦いながら、いつ終わるかも分からない戦争状況の中で、望郷の念を抱きながら、家族と二度と会うことも祖国の土を踏むこともかなわずに戦死なされた方々の無念さはいかばかりだっただろうか。

自国が始めた戦争であるから、その根本の責任は、その事を決定した者たち(国家)にあるということは、誰が考えても分かる。

それを無批判に肯定し、賛同した人々にもわずかばかりの責任はあろうかと思う。

それに至った理由付けはいろいろあろうし、そのような決定を下した者たちはそれを正当化するしかない。


原子力発電所の建設・稼動に関しても同じようなことである。

国内産業の発展のための電力供給のためには必要不可欠であり、クリーンエネルギーで安全であるという情報の流布により始めた国策である。

物事の本質を偽り、国民の賛同を得て、運用してきた結果が現状に繋がっている。

何度も繰り返すが、処理技術が確立されていない核廃棄物や汚染水を生産し続ける施設は、日本国にとっては最大の環境破壊施設であるという強い認識を持つべきであり、いずれ何とかなるだろうという問題では決してないということを、強く認識すべきである。

原子力発電による電力がなければ、日本国の必要電力はまかなえないという虚偽の情報操作により、そうなのだと思い込まされている多くの人たち。

現実に今は、日本国中の全ての原子力発電所が、定期点検等のために稼動を停止している。

それでも日本国の電力事情は正常であり、国民生活に支障は無い。

少し以前の事例でも、そのような事は実証されている。

要するに無くてもほとんど支障の無い物を、それが無ければ国民生活や産業活動に支障をきたすという情報洗脳を受けて、原子力発電所の稼動もやむなしという考えの方々が数多くいるものと思われる。

原子力発電に頼らない電源の開発に、国策として舵を切れば、海に囲まれた我が国においては、その資源は相当多くあるのではなかろうか。


2020年には東京でオリンピックが開催される事が決定した。

数多くの日本人がその決定を飛び上がるほど喜んだことだろうとおもう。

しかし私は、東京でオリンピックが開催されることに決定した事を喜ばなかった数少ない日本人のひとりである。

国策の誤りによる原発事故によって、本来穏やかに平凡に暮らしておられるふるさとに、住むことすら許されずにいる多くの日本人の方々がおられる。

国策の誤りによって引き起こされた事故の犠牲者の方々である。

オリンピックの誘致やその開催のために投資する資金があるのであれば、まず第一にやらなければならない事は、国家を挙げてそのような方々が、事故以前の生活形態に戻れるような方策のために使うべきだと私は思う。

世界に向けたイベントで外国に対して国力を誇示するよりも、全ての国民の普通の生活形態を維持し続けることに軸足を置くべきだと強く思う。

オリンピックは自国での開催でなくとも、競技選手はその能力さえあればそれに参加する事は可能である。

すぐ先の未来の日本という国家のあり方に対して、そのうちに何とかなるだろう的な安易な考え方は払拭すべきであり、今この機会に、国家としての正しい方向性の選択をしなければ、狭い日本国の中のいたる所で危険な核廃棄物や汚染水のタンクが林立するような状況になっていくことは否めない現実となる。

地下300mの場所に、核廃棄物をコンクリート等で封じ込めて埋め、核廃棄物が無害になるまでの10万年の時を待つというような計画が、まことしやかに言われているが、コンクリートの耐用年数そのものが、たかだか100年程度でも疑問符がついているというのに、何と言う無責任な計画であろうかと私は思う。

津波の被害から既に2年半が経過したというのに、建設を計画している仮設住宅は、その計画総数の1%より少し多いぐらいの4百数十戸しか完成していないという。

そのような事実を知ると、国家は本気で被災した東北地方の復興に向けて動いているのだろうかと疑問に思えてしまう。

今回の東京オリンピック誘致の興奮で、被災された東北地方の方々の事が隅っこの方に追いやられて、やがては忘れ去られてしまうかもしれないという懸念があり、「絆(きずな)」という言葉に日本人が酔っているだけなのかと思ってしまいたくもなる。

7年後の東京オリンピックの開催までに、福島や東北地方で、国策による人災(原発事故)で被災された方々が、ふるさとに戻って日常の生活を取り戻し、オリンピックのテレビ中継などを見られる事ができるように祈りたい。

津波は自然災害であり防ぎようが無いが、原発事故は明らかに国策による人災である。

津波被害だけであれば、勤勉な東北地方の人々は既にかなりの復興を遂げられているはずであるが、放射能による汚染では民の力では対処のしようが無い。


オリンピックを東京湾の埋立地の中を主会場として計画しているそうだが、地震や津波に対する備えは大丈夫なのだろうか。

近いうちにかなりの確率で大地震がある事が予測されている。

7年以内にそれが無いという保証は誰にもできない。

東京オリンピックの開催ということで浮かれていて良いのだろうかと、日本国民のひとりとして強く思う。




豊田一喜













徒歩と墓掃除

2013年09月21日 | インポート
車が故障していて修理に出しているが、20万キロメートルも走っている中古車のために、その交換部品がメーカー在庫の分しかないという。

その部品の発送等に時間を要するということで、車の無い生活を余儀なくさせられている。

妻は仕事のために自分の車で出かけて行った。

刈払い機を持って、彼岸の墓掃除に行こうとしたが、刈払い機の燃料の缶は空っぽになっていた。

燃料を買わなければ仕事にならない。

で、久し振りに徒歩で町まで買い物に出かけてみた。

歩くと、まわりの状況をじっくり見ながら進む事ができる。

自宅から愛野町のナフコまで、およそ20分間歩く。

それだけで汗をかいた。

刈払い機の燃料などを購入して、徒歩で戻る。

帰りは途中からルートを変えて、愛野記念病院脇の国道の坂道を通ってみた。

最近建て替えられて、その建物の周辺の土地は、かなりの範囲で愛の記念病院の駐車場になっている。

自分が子どもの頃には、小高い丘状の土地に畑が広がっていた、家などはほとんど無いような区域だったが、今は愛の記念病院を中心にして民家が多く建っている。

50年も経てば、その風景も変わってしまう。

そのような事を思いながら自宅への道を歩けば、家のすぐ近くでは自動車専用道路の建設中の現場がある。

家に帰り、身支度をして、刈払い機と熊手を肩に担ぎ、家から徒歩10分の我が家の墓まで歩く。

盆の頃に除草作業をしていたので、あまり草は生えていなかったが、短い草は生えていた。

いつものように、よそ様の墓所を通らせてもらうので、そこの除草作業も含めて、周辺の除草作業も実施した。

1時間ほどで終了し、日暮れ近くの農道を歩いて帰る。

稲穂が実り、彼岸花が咲いている風景をじっくりと眺めながら、今回も墓掃除ができたことに感謝しながら歩いた。



豊田一喜






川の小魚に遊んでもらった日

2013年09月07日 | インポート
週末にかけて県北の方では、続けて大雨が降り、丁度災害待機の順番がめぐって来て、2週続けて土曜日にはゆっくりとする事ができなかった。

きょうは、久し振りに土曜日に休む事ができた。

昨晩に少し雨が降ったようで、諫早市高来町の境川の水量はヤマメ釣りをするには丁度良いぐらいで、天候も曇り模様で、コンディションとしてはかなりよい状況だった。

駐車場に車を止めて仕度をしていたら、少し離れた駐車スペースに他の人が駐車された。

私の身仕度を見て、ヤマメ釣りだと分かったらしく、挨拶をされ、どの辺を釣りますかと問われた。

その人もヤマメ釣りに来られた人だということが分かった。

渓流釣りの暗黙のルールとして、先行者が釣っている場合には、その場所からある程度の(数百メートル程度)間隔を置いたところから釣り始めるということになっている。

渓流魚は、警戒心が非常に強いので、誰かが竿を出した後ではなかなか釣れてくれない。

だから、せっかくの休みの日の趣味を皆で楽しく分かち合えるように、そのような暗黙のルールが存在している。

そのようなことで、その人は私に、私が今から釣り始めようとしている場所を尋ねられた。

「ここのすぐ上流の方から釣り始めて、大駐車場に行く橋の所までを予定しています。」と言うと、「それでは私は下流の赤い吊橋の所から上流に入ります。」と言われた。

そのような会話から、境川の事を良く存じておられる方だということが分かる。

自分よりもだいぶ若い感じの人だったが、そのような紳士的なやり取りがあったので、すがすがしい気持ちで釣りに没頭する事ができた。

いつも釣り始める場所で竿を出したら、第一投目からあたりがあった。

残念ながら釣針にはかからなかったが、ヤマメの採餌活動が活発であるということが分かり、期待が膨らむ。

その場所から50mぐらい上流の岩陰の流れで、形のいいヤマメが、シマミミズの餌に喰らい付いてくれた。

ひさし振りに味わう、竿に伝わるヤマメの感触。

20cm程度の丸々と太った、色のきれいなヤマメだった。

その後も、リリースサイズのヤマメはたくさん釣れて、そのたびにリリースし、たまに持ち帰りサイズも混じった。

天然孵化も含めて、たくさんの数のヤマメが生息していることがわかる。

アブラハヤや川睦は、小さくてもクーラーボックスに入れて持ち帰る。

頭を落として内臓を出し、軽く塩をして、から揚げにすれば、最高のビールのつまみになる。

ヤマメ釣りの外道として、ヤマメと同じような生息域にいるアブラハヤは、釣れても捨てる人がほとんどだと思うが、もったいない。

食べるととてもおいしい小魚なのに。

午前9時半ごろから釣り始め、午後1時少し前に雨が降り出したので納竿した。

川の小魚に遊んでもらって、とても楽しい時間を過ごさせてもらった。

川のささやかな恵みが、我が家の夕餉の食卓の一品となった。

山の神様に感謝。



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待機

2013年08月25日 | インポート
昨日の夕方から今日の朝まで、生まれて初めて「災害待機」という経験をさせてもらった。

管轄区域内に大雨や洪水などの「警報」が発表されると、公的な機関では、災害情報の把握とその連絡を関係部署に行なうために、それらの警報が解除されるまで、職員が交代で職場に待機するというシステムになっている。

8月24日の午前4時少し前に、長崎県の県北地方の一部で大雨洪水警報が発表されたことに伴い、自分が働かせてもらっている職場においても、自分にその災害待機の順番がめぐってきた。

眠たい目をこすりながら、一晩を職場で過ごした。

幸いにも自分が待機していた時間帯においては、管轄区域の自治体(市・町・村)からの災害報告の連絡電話は入らなかった。

主に夜中の時間帯であったから、各自治体においても、細部までの災害状況把握は困難であるのかも知れない。

今回発表された長崎県内における大雨や洪水に関する警報はなかなか解除されず、このブログを書いている今も継続中だから、他の同じ部署の職員が交代で災害待機をしていることになる。

九州北部に停滞している前線の影響で、長崎県内においても局地的な豪雨が継続していたり、竜巻注意報が発表されたりと、災害の発生に繋がるような気象状況が続いている。

自然の気象状況には抗えない。

大雨が長く続いているので、地盤が緩み、土砂災害の誘因となる可能性が大きい。

テレビなどでも盛んに注意喚起をしているが、基本的に自分の身は自分で護るしかない。

崖に近い部屋から離れることや、早目の避難を心がけるしか災害に遭遇することを回避する術はない様に思う。

小学校の3年生か4年生の頃、大雨のためにその当時住んでいた家の裏の千鳥川が氾濫した。

その川の流れに直交する方向にあった家の庭を、濁流が川の様に流れだした。

その庭を流れる濁流の水嵩は、自分の膝の上ぐらいにまでなっていた。

避難場所であるお寺(光西寺)まで行くために、父親に手を引いてもらってその濁流の中を進もうとした時に、体が小さくて体重が軽かった自分は簡単にその濁流に足をすくわれた。

その時に父親が、力強い手で引き戻してくれた。

あの時に、もしも父親が手を引いてくれていなかったならば流されて、わずか10年ぐらいで自分の人生は終わっていたのかもしれない。

59年の生活の中では、身の危険を感じたことも何度かありはしたが、何とか生きながらえさせてもらっている。

目に見えない、何かの力に見守られながら生かしてもらっていることに感謝しながら過ごしている。


豊田一喜





庭木の残骸の焼却

2013年08月18日 | インポート
庭木を剪定した枝などを、庭の1箇所にまとめて置いている。

ここのところの晴天続きで、それがよく乾燥している。

処分しなければならない。

旧諫早湾干拓の田んぼの隅っこの方に、少しだけ水に浸からずにいる場所があるので、そこで焼却処分する事にした。

使わなくなった紙の米袋に、枯れ枝などを折って入れたら12袋ぐらいになった。

それを車の後ろに積み込んで7~8分走って、諫早市森山町の旧諫早湾干拓の田んぼへ。

道の脇の水に浸かっていない場所に枯れ枝などを詰めた米袋を並べて、チャッカマンで火をつける。

乾燥しているのでよく燃えた。

まわりの田んぼには、白い色のサギの群れが降り立って餌を探している。

上空にはラジコン飛行機がエンジン音を響かせながら旋回している。

田んぼのすぐ脇の有明川の河川敷の一部に芝を張り、地元の趣味人の方々がラジコン飛行機等の滑走路を作って遊んでおられる。

休みの日で、風が強くない日には、誰かしらラジコン飛行機やラジコンヘリコプターを飛ばしておられる。

平和でのどかな、夏の日の広大な平野の風景。



豊田一喜