「十九世紀の性科学の誕生によって、〈同性愛〉というレッテルがあらわれた。性を分類したので〈同性愛〉と〈異性愛〉という区別も登場したのである。〈同性愛〉は病気の領域に移されたのであるが、それにもかかわらず、道徳的な裁きもあいまいにつきまとっていた。
病気ならば罪を問うべきではないと思われるのに、異常とされ、不治の病とされて、差別され、隔離された。過ちならば償えば許されるわけであるが、病的な、異常な性格として一生差別されるものとなったのである。皮肉なことに、性科学の発達が、逆に同性愛への差別を強めて、ハヴェロック・エリスは、同性愛は先天的なもので、本人には責任はないとすれば、世間はそれに寛容になるだろうと考えた。しかし、先天的で、生物学的なものとすればするほど、同性愛者は異常とする考えが固定化、絶対化するようになっていった。
皮肉なことに、性科学が名前をつけ、分類したことで、同性愛はアイデンティティの問題となり、性によって人格が支配され、差別され、牢獄に入れられることとなった」
海野 弘・著 「ホモセクシャルの世界史」より
かなりの長文を引用したが、なるほど「同性愛者」というカテゴリーは、ハヴェロック・エリスのような賢明な性科学者なしでは、存在することがなかったのだ。このような歴史的事実を、現代の性教育で学生たちに伝えると、大変に教育的であろう。そういう風に人間がカテゴライズされると信じるか否かは、個人の自由だが。
「神の条件。-《神御自身、賢明な人間たちなしでは、存在することができない》と、ルターはいみじくも言った。《まして賢明ならざる人間たちなしでは、ますます存在することができない》とは、しかしさすがにルターは言わなかった」
ニーチェ『華やぐ知慧』一二九番 より
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