さらに、少年愛を好む人々が、揶揄と嘲笑にさらされやすく、批評言語において、「作品とその読者を混同して語る」ことの問題点を指摘している。詳しくは、実際にこの本を手にとって読んでみていただきたい。
最初の疑問に戻ろう。芸術への接し方はどのようなものがあるのか。芸術には、暴力的あるいは性的な描写が多く見られ、それを問題視する声も大きい。しかし、それらの捉え方は人それぞれである。たとえば、それらのモチーフを、単なる記号として捉えるか、作品世界に没入して、残虐な事柄をそのままそういった物事として捉えるかでは、作品とその読者との距離の違いは明白である。この本にも書かれていることだが、たとえば少年愛ものを好むといっても、読者が少年愛モチーフをどのように捉えているかは一様ではなく、ましてや少年愛モチーフを語ることと、実際の男性同性愛について語ることとは同じでないのはいうまでもない。よく、「文学は実学」といわれる。が、たとえば、作品に犯罪の方法が書いてあるからといって「実際にそれをせよ」といっているわけではないし、倫理的でない性的関係が描かれているからといってそれを実際にせよといっているわけではないことは当たり前である。また、非道徳的な芸術に接しているからといって自分を卑下したり、貶められたりする理由は皆無である。少年愛モチーフが、読者の持つ無意識レベルの葛藤を解決する可能性を秘めている限り、この嗜好を健全に保護しなければならない。さらに、少年愛に対する視線を相対化する試みとして、男性がもっと少年愛モチーフを語る時代になってもよいと思う。
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