倫理観。
第二次トランプ政権には、この倫理観が欠けているとしかいいようがない。
相手を支配する会話での交渉は、その場しのぎであり、良き未来へ続くものとは思えない。
しかし
これは家庭でも同じであろう。
自分自身に当てはめてみても、なかなか難しい振る舞いであるが、意味深くとてもハッとされる記事である。
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相手を敬い抜く信念が差異を超え人間を結ぶ
――オーストラリア・シドニー大学のスチュアート・リース名誉教授に聞く
【抜粋】
世界の各地で倫理観の衰退が見られ、人も国家も、自己の利益ばかりを追求しているように映ります。その背景には経済格差があると考えます。
ただし、問題は経済的なものだけではありません。相手を支配することが力であると錯覚させてしまうような、文化的要因も横たわっているのです。そこでは協調よりも競争が助長され、人間の振る舞いや関係性をゆがめています。
私は、「力」には2種類あると考えます。一つは、支配や抑圧を目的とするもの。そしてもう一つは、人間の尊厳を守り、連帯を育み、人々の価値ある人生の歩みを支えるものです。
今の世界では、この二つ目の力があまりにも不足している。だからこそ私は、「平和は正義に根差していなければならない」と訴え続けているのです。
ただし、問題は経済的なものだけではありません。相手を支配することが力であると錯覚させてしまうような、文化的要因も横たわっているのです。そこでは協調よりも競争が助長され、人間の振る舞いや関係性をゆがめています。
私は、「力」には2種類あると考えます。一つは、支配や抑圧を目的とするもの。そしてもう一つは、人間の尊厳を守り、連帯を育み、人々の価値ある人生の歩みを支えるものです。
今の世界では、この二つ目の力があまりにも不足している。だからこそ私は、「平和は正義に根差していなければならない」と訴え続けているのです。
多くの紛争現場を見てきた私の経験から言えば、緊張が極限まで高まった場面での対話は、何を議論するかよりも、相手に敬意を持つことが根本的に大切です。これは、当たり前と思われがちですが、意見や立場が大きく異なる相手を前にした時、決して容易ではないのです。目の前の相手の尊厳を認める。そこから全てが始まります。
アフリカや中東など、緊張の続く地域にも足を運び、軍部指導者らとも面会してきました。多くの場合で彼らは、対話が成立するとは思っていなかったでしょう。私は、「将軍、どんな音楽がお好きですか」「お子さんはいらっしゃいますか」と問うことから始めました。相手を知ることで、自分自身が、その人を単なる肩書や立場だけで判断しなくなります。
ゆえに私は、相手に屈辱を与え、排除しようとする外交政策には強く反対です。相手を隅に追いやり、ろくに言葉をかけずして、平和が築かれた例があるでしょうか。相手から尊重され、真剣に向き合ってもらっているのを感じられた時、人は、その誠意に応えたいと思うものです。
アフリカや中東など、緊張の続く地域にも足を運び、軍部指導者らとも面会してきました。多くの場合で彼らは、対話が成立するとは思っていなかったでしょう。私は、「将軍、どんな音楽がお好きですか」「お子さんはいらっしゃいますか」と問うことから始めました。相手を知ることで、自分自身が、その人を単なる肩書や立場だけで判断しなくなります。
ゆえに私は、相手に屈辱を与え、排除しようとする外交政策には強く反対です。相手を隅に追いやり、ろくに言葉をかけずして、平和が築かれた例があるでしょうか。相手から尊重され、真剣に向き合ってもらっているのを感じられた時、人は、その誠意に応えたいと思うものです。
参考HP
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