「自分ブランド」創り

人間魅力溢れる自分ブランドを創りたい☆ 
その道のりでの考え・悩み・想い・成功・失敗の成長記録

会社を休みました

2010-08-30 | 考え方・生き方
今日、会社を休んでしまいました。

昨日、ブーケを2つ創り・・・。
寝たのが朝4時過ぎ。

さすがにもうろうとしてました。
クーラーかけていても頭がグラングランしているような。

でも、計画通りにはいかないものですね。。
昨日は、ブーケ以外にも、ブートニアも3つ創って、
さらに別のお客さまからのオーダーのリースも創る予定だったのに、
全然進まなかった。

やっぱり、ブーケ創りは「慣れ」だわ。
なんだかんだいって、ひとつ創るのに3時間くらいかかっているし。

「慣れて」いたが、もっと早いだろうに。

時々創らなきゃだめね。


さて、今日は昼間の会社員を休んだから、
いっきに創って、写真をいっぱいとってお客様に送らなきゃ!


大忙し中

2010-08-29 | お花
いよいよ大詰め。

フラワーアレンジのオーダーが4人から合計5作品を8月中にお願いされており、
制作大詰めです。

金曜日、ひとつは完成。
昨日2つの作品も完成。

一番大変なのはウェディングブーケ。

真っ赤なドレス(お色直し用)に合う個性的なブーケを創って下さいと
お願いされており、できたら3つの候補作品を創って選んでもらいたいと
今創ってます。
3つ中、1つは完成。
今日の昼間中に2つ完成させて、出来たら私のウェディングドレスを着て持った
写真も撮影して、お客様にたくさんの写真を送って見てもらいたい。


がんばらねば!


今日は、ある資材やさんでセールをしているので、
行かなきゃ。
材料が安く手に入るならそれにこしたことはないので、Saleは要チェック。


昨日は、ある磁石のメーカーさんの本社に直接伺い、
仕入れ交渉と相談をしてきました。
サンプル品を来週中送ってもらう予定。
それによって、その作品の今後がきまる。
きっと、ロット数は1000以上だから、大がかり!


今日の夕方昨日創ったひとつの作品を直接納品へ。
もうひとつの作品も今日の夜中に発送作業。


夜には、最後のひとつのオーダー、リース作品をできれば2個つくって
選んでもらいたい。


あああああああ
いそがし~~~~~~!!!

じ、時間が・・・

2010-08-25 | お花
8月中に制作しなければならないオーダーが3件。

3件じゃないな、個数にすると多いな。

視覚化で書いてみよう。
1. 新規お客さんからのウェディングブーケ制作依頼
2. 1のお客さんからの花冠制作依頼
3. 9/1治療院開院予定の方から、リース制作依頼
4. 毎月お届けコースの、9月バージョン制作
5. 4と同じもの(別のお客様へ)

1番のウェディングブーケは、一つだけではなく、
2~3個創って、「どれがいいですか?」と選んでもらう予定。
ということは8個だ・・・。


やばい、どれもできていない。。。

どれもなんとか今週中に作りたいのだけど。

会社は休めないし。。。


本気で急ピッチで作らないと大変!


9月のアレンジメントのデザイン構想が出来ていない。
焦る。。。

今日は亡くなったお父ちゃんの誕生日

2010-08-24 | 考え方・生き方
今日は、亡くなったお父ちゃんの誕生日。
生きていれば、今日で69歳でした。

数えてみたら、今年で死後 30年 にもなりました。

そんなに経つのか・・・と考えさせられます。

生きていたら、
「お父ちゃん、もう60代最後の年だよ!
もう来年は70代突入だ~!
70代っていうと、いよいよおじいちゃんだなぁって感じだよね・・・」なんて
話していたかもしれません。

もし生きていたら・・・
69歳で、自営業はまだまだ現役でやっていただろうか・・・。
息子に現場は譲って、自分は社長だけをやっていただろうか。
はたまた、すっぱり、自営業からは離れて、
おっかぁと二人で旅行三昧でもしていただろうか・・・。


新しい趣味でも見つけていたりして。


39歳でこの世を去ったお父ちゃん。

69歳の今日を、本当は、どんな感じで過ごしていたのだろうか、と
考えてしまいます。


死後、30年も経っているけれど、
私としては、年をとるごとに、お父ちゃんへの愛と感謝が深まっています。

死後、30年も経っているけれど、
いまだにお父ちゃんを身近に感じます。

まるで、つい数年前に亡くなったくらいに、身近に感じます。
忘れるどころか、身近に感じるのです。


良いことが起こると
「嬉しい!くぅ~~~!お父ちゃんがしてくれたことだなぁ!
お父ちゃんったら、これまた嬉しいことを!!!
本当にありがとう!!」
と思うように・・・。

悩みの坂が急斜面になってくると、これもまた
「・・・・・・神様か、お父ちゃんからの試練だな。
どう乗り越えるか見ているんだろうなぁ」
と思うように。


亡くなったおとうちゃんを身近に感じるようになったのは、
母親の日頃の態度と言葉・しつけだったと思います。


亡くなってからずっと、つまり私がまだ3歳の頃からずっと、
テストや受験や試合の時、または家族として、自営業としての壁が登場すると、
「お父ちゃんが守ってくれてるから大丈夫」
「お父ちゃんが見てくれてるよ」
「お父ちゃんが見てるからちゃんとしなさい」
などと、「お父ちゃん」という存在を身近に居るものと教わりました。


それは、今思うと、
「大きな安心感」「大きな柱」「自分軸の支え」になっていたような気がします。


今思うと、小さなテストや、受験、大会、留学、就職、発表会、転職、新しい挑戦全ての時に
踏ん張って、根性出して乗り切ったり、挑戦、持続してこれたのは、
その「お父ちゃんの存在」が心の中で支えてくれていたからかもしれないと思います。


亡くなった人を感じる・・・
それは、きっと、霊が見える、霊感がある、見えないものは信じられない、宗教っぽい・・・

そういう次元の話ではなく、
自分が後悔しない人生を送るための、とても大きな応援だと思います。


「誰かが見守ってくれている」ということが、
これほど自分を大きくしてくれるのか、と驚きます。

きっと、自分ひとりだけだったら、挑戦に躊躇するようなことも、
小さい頃から母親が伝え続けていた言葉の通り
「お父ちゃんが見守ってくれてるから大丈夫」
その言葉によって、一人前以上、1.5人の勇気で頑張ってこれたような気がします。


人の死は悲しいけれど、その死の事実を活かすも殺すも残された人次第。

お父ちゃんの死を、どう残していくか。
お父ちゃんが生きていたことを、どうずっと伝えていくか。
母親の「お父ちゃんが見てるよ」という教えは、
確実にお父ちゃんの死を何倍にも「活かしている」と思います。

その母親の躾・教えを宝ものと感じます。


ひとり亡くなっても、私の父親と母親はいまだに夫婦の連携プレーが上手です。
最高の親であり、教育者です。


お父ちゃんの身体は見えないけれど、
心の中で「お父ちゃん、69歳の誕生日おめでとう」と伝えます。

苦手な友達からの久々の電話

2010-08-22 | 考え方・生き方
昨日の夜、ある友達から電話がきた。

その子に最後に会ったのは&話したのは1年半前。

会社の友達だったが、結婚と、ほぼ同時期に妊娠ということで会社を辞めた。

ずっと前にその子についてブログでも書いたような気がする。

その子はうわさ好きな子。
1年くらいは仲良くランチや一緒に駅まで帰ったりすることをしていたが、
その子の噂話の多さや、お嬢様の考え方などについていけず、
だんだんそれが私にとってストレスとなり、
一緒に居たくなくて、最後の半年くらいは私から離れた。

そっけなくなった。

思いっきり喧嘩したわけじゃないけど、私から「友達を選んだ」。


噂話とは、女性は特に
「え?うそ~そうなの?」という驚きや興味の反応を示す。
それが悪いというわけじゃない。


彼女の問題は、その驚きや興味で自分の話を聞いてくれることを
「自分には友達がいる」「自分は求められている」と勘違いしていることだった。

誰かと話をする時、自分の話や、自分の前向きな話をして
相手が興味持ってくれたり、この人は面白い、また話したい!と思ってくれることが
理想の会話やコミュニケーションだと私は信じている。

つまり、「自分の中身」次第なのだ。


噂話とは、所詮誰かの話。
噂話がなくなったら、なんのネタもなくなる。
コミュニケーションのネタがなくなる。
そんな彼女だった。


また、彼女は、噂を聞いた程度で納めていれば私もそれほど気にしなかったのだけれど、
そこに自分の批判や批評、面白おかしく大きく脚色するのだ。

人としてやりすぎじゃないか?と思うことを平気でやっていたことも。
たとえば、会社内のある男性と女性が関係を持った時の、Hの詳しい内容を、
会社内で何十人に広めていた。



そんな彼女だったので、私から距離を置いた。

彼女のこれまでの会社歴など聞くと、友達が離れていっている様子だった。
納得した。
私もそうした。
彼女の言動・行動では、周りは離れていく。


幸せに結婚が決まり、出産もあるということで退社。
一切連絡は取らなかった。



そんな彼女から、昨日1年半ぶりに電話がきた。
昔、酔っぱらいながら電話してきたことが何度かあるので
「久しぶり。酔っぱらってるの?何かあったの?」という切り出し方をした。

何もないけど、恵華ちゃんと話したいなぁ~と思ってさ~、と猫なで声で
話し始めた。


私は早く切りたくて仕方なかった。

「子育てがんばっているじゃない。幸せそうで良かった」と言ったら
またまた驚きの発言をしていた。

「子育て、思ったより全然楽しくない」

私「・・・・・・・・・」

「私子供好きだったじゃない?だから子育て楽しみにしていたんだけど、
 全然楽しくないよ」



私はまだ子育ての経験がないから何も言えないけど、
それはどうかと思った。
確かに、子育ては想像以上に大変なことが多いだろう。
「子育てどう?」という質問に
「思っていたより 大変でさ~」というならわかる。

「大変」と「楽しくない」は全く違うと思う。


何よりも、「子育て楽しくない」と思っている母親に育てられているその子が
可哀そうだ。

彼女は女の子が欲しかったと前から言っていた。
きっと、自分好みにフリフリに着飾りたかったのだろう。おとなしいし。


別の同僚には女の子が生まれたよ、と話すと、
もう彼女の子が10ヶ月にもなっているのに
「いいなぁ~女の子。うらやましい・・・」と。

いまだに男の子であることを不満に思っているなんて・・・。


結局20分も付き合わされたが、疲れた・・・。

退社して1年半も経つのに、当時の同僚や上司などの批評も言うし・・・。


その子といると、マイナスオーラが流れてきている気がするのだ。
ひどい言葉かもしれないけれど、本当にそうなのだ。


結構、そこまで感じる子は珍しい。


あんな言葉を発するような母親にはならないぞ!と
人のふりみてわがふり直せ を考えさせられた電話だった。







最近心配なこと

2010-08-20 | 家族・田舎
実家に帰って、私が悩んだこと。

今に始まったことじゃないのだけど、
小5の甥っ子が会うたびに、言葉遣いが悪くなったり、
態度や親への口ごたえが酷くなってきている。

問題は、今家にいる私の母と、私の姉がその状況に
慣れてきているということ。
ダメなことだとわかっていても、慣れてきているような様子が良くない。

こういうことを人に話すと
「男の子は仕方ないねぇ」で済まされることが多い。

でも、私には、びっくりするくらい、止まってしまうくらい
信じられないことも増えてきた。


基本的に親や大人をなめている姿勢。



結局のところ、親(私の姉)の教育が行き届いていないのが原因。
しつけがちゃんとされていないことが原因。

姉は手を焼いて、たまに愚痴る。


私は、妹として、姉が悩んでいたり、イライラしていたり、
手を焼いている姿は見たくない。

ましてや、大好きな母親がその状況に疲れているのは
もっといやなことだ。


以前、私は2回、その子を真冬の雪の中裸足で連れ出したりして
ひっぱたいたことがあった。

でも、その時、まさにその時も、私が説教したことは
その甥っ子には理解されていなかった。


何かとても深いところで、基本的なことが身についていないのだ。
上っ面で、時々来たおばさんに説教されても響くものではないとわかった。




今回も帰って、ますますひどい状況になっていた。


私は、実家の雰囲気がその子の機嫌で上下にゆれたり
全員がイライラピリピリするのが、もう、言葉に出来ないほど辛い。
心に穴が空いたように辛い。
その状況に母親が同居していることが辛い。



どうにかしようと思った。

私が立ち上がらなくては、と思った。




で、昨日、おととい、知人二人に相談した。

二人とも同じ意見だった。


もう、家を出て、結婚して出て行ったおばさんが立ち入る問題じゃない。
子育ては「母親」にしかできない。

二人とも同じ意見だった。



今、そのことで頭がいっぱいだ。

ゆっくり理解しているものの、近いうち、しつけや子育てについて
母や姉に軽くアドバイス程度に伝えようと思っている。



心配でたまらない。

お父ちゃんをさらに身近に感じたお盆帰省

2010-08-19 | 家族・田舎
実家から戻りました。
16日月曜日、ぎりぎりまで実家に居て、東京着は23時半くらい。
17日朝8時には出勤。相変わらずハードなスケジュールです。

今回の帰省も楽しかった。
今回はお盆ということもあり、あと、最近すごく亡くなった父のことが
気になっていることもあり、父親にまつわることをいつもより
見聞きしてきました。

お父ちゃんは私が3歳の時に多発性骨髄腫で他界。

私の旦那さんに教えるように母が病気になるまでの数年間のことを
簡単に話してくれたのだけど、改めて聞くと、
私が生きている間でお父ちゃんが家に居たのは
累計2年くらいしかないということがわかりました。

0歳児の時。
2歳児の時。

1歳児の頃の1年間は初めの入院だったらしいです。

2年しかなかったのか・・・と改めて知りました。
複雑です。

仏壇の引き出しを見ていたら、
お父ちゃんのお葬式の時の写真が何枚も出てきました。

私は、お葬式の日、真っ赤なワンピースを着て、
必死に母の手を握り締めていました。

3歳・・・・・。

自分のことだけど、やっぱり本当に小さかった・・・。

普通の3歳児のように、お母ちゃんの手を離したくない子供のように、
お父ちゃんのお葬式だろうがなんだろうが、
お母ちゃんの手を離したくない様子で
お骨を抱いて参列の先頭を歩く母親の手を握り締めて歩いていました。


仏壇の引き出しから
お父ちゃんの財布が出てきました。

多分、母があとから入れたと思うけれど、
当時の1万円札が2枚入っていました。
きっと、天国でお金がなくて惨めな思いをさせないように
母親が入れたのでしょう。

財布にはお父ちゃんの免許証が入っていました。

当時のままの免許証。

取り出して見る勇気はありませんでした。
もう、財布を見ただけで、いっぱいいっぱいでした。



母に、「前、お父ちゃんの整備の手帳があったよね?」と聞くと
出してきてくれました。

父は自動車整備工でした。
自動車が好きで、整備学校の先生をもした後、自分で今の
整備工場を立ち上げました。

父の手帳には、物理のノートですか??というくらい、
細かく、エンジンやブレーキや、油圧などのメモがぎっしり書かれています。
細かい字で。
時々、わかりやすいように、青ボールペンや、赤ボールペンを使いながら。
真面目で細かい性格が表れていました。


母が、手帳を出した時に、
自営業の整備工場を立ち上げた時の、新聞折込チラシを見せてくれました。
チラシなんてほとんど作ったことがありません。
整備工場がチラシを作ることはあまり意味がないからです。

チラシには、昭和45年の雰囲気がそのまま残っており、
なんともいえない、胸がつまる思いでした。

チラシと一緒に母が見せてくれたのは、
確か10周年の時のお客様への感謝状、
あと、20周年時、30周年時の感謝状。

簡単に書くけど、10周年ごとの感謝状が3回分存在している、ということは
そうそうないことです。
ついには、来年40周年を迎えます。

娘ながら、実家のことながら、
自分も大人になって、自分もビジネスの世界で働くようになって、
より一層、自分の実家の自営業がすごい優良企業であることを
考えさせられます。
誇りです。
圧巻!という感じです。


4泊5日中の一日、わざと一人でお父ちゃんの祭壇の目の前で寝てみました。
お盆で帰ってきているお父ちゃんを身近に感じながら
寝てみたかったからです。


お盆だけではなく、最近はとてもお父ちゃんを想います。
写真も持ち歩くようになりました。

遺影の写真ではなく、お父ちゃんが私を抱っこしてくれている、
私が0歳児の写真。
まだ入院前で、整備士として、作業着を着て私を抱っこしてくれている写真。
数少ない二人だけの写真。



お盆だけではなく、
今も、
この一瞬も、
お父ちゃんを感じます。


お父ちゃんの生きた証を見ることができて、
今回の帰省はとても良かったです。

ハードスケジュール

2010-08-15 | 家族・田舎
実家にいます。


実家といえば、癒される空間。

・・・のはずが、
姪甥たちがうるさくて、
癒しにならない・・・。


子供の教育とは、難しいなぁとつくづく実感します。
実家に帰ってきて姪甥たちを見れば見るほどそう思います。

最近の子供たちなのか、うちの姉の姪甥だけなのか、
贅沢というか、しつけというか・・・。


まぁ、勉強になるなぁと思います。


明日は最終日。夜に東京に戻るのでほぼ一日います。


母親との時間は満喫したいです。

今日からお盆

2010-08-13 | 家族・田舎
昨日の夜実家に帰宅。

ついたとたん、甥姪がそれぞれの夏休みの研究やら
宿題やらを見せたり、姉や母の姪甥の宿題が進まない愚痴など
一気に飛んでくる・・・

話したくて仕方ないみたいだね。


今からお盆の飾りつけ。

お父ちゃんがお盆に帰ってくるので、
祭壇を豪華に飾って出迎えます。

うちのお盆の飾りつけは6畳一間埋まるほど豪華!

飾りつけは全員総出で午前中いっぱいかかります!!


でも、こういう家族全員の協力が楽しいんだよね!

満喫します!