修理の為に、遠くからしかみることの出来なかった、この美しい仏塔も、やっと
近くで見ることができるようになった。
ワット・アルンとそのシルエットはチャオプラヤーエクスプレス・ボートをバス代
わりに利用している僕にとっては、旅情の慰めのひとつである。
小雨に煙る5基の塔はそれなりの趣があり、川の西側にあるため、沈みゆく太陽を
背にして、逆光で真っ黒になったシルエットの美しさは、見応えがあり感動的で、
到底言葉にはならないないとしばしば思った。
ワットアルンは、暁の寺、で作家三島が書いた豊饒の海・第3巻に登場するあの
寺だ。
雨期にはいり、ここしばらくは、うっとしい天気がつづいたが、今日はやっと晴れ
た。天気がよいのは結構だが、照れば暑い。
首にタオルをまきつけて、吹き出る汗を拭いながら、一人で傍まで出掛けた。タチ
ャーンでボートを下りて、渡し船に乗り換えて川を渡った。2バーツである。船を
下りて岸に上がると、そこはもう境内で、アルンの5基のパゴダは目の前だ。
前回といっても10年前に訪ねたのだが、修理がおわったいまは、見違える程美し
くなっていた。一つひとつが磨きをかけられ、塔に埋め込まれた、色とりどりの陶
片は、現世とは一線を画して、別世界を構成している。
なるほど、これがワット・アルンか。
僕は我を忘れて、アルンが作り出す世界にしばしひたった。
思えば年令にふさわしい旅である。
まず、インドの仏遺蹟巡りから、旅は始まった。ブッタガヤ、ナーランダ、ラージ
ギル サルナート、など釈迦の遺した遺蹟を旅しながら、己れの越し方を振り返っ
てみたのであった。余程早くから目覚めないと、20代や30代では、通り一辺の
仏遺蹟巡りは出来ても、己れの現実生活にからめて、人生を考える、仏教遺蹟巡り
など出来るものじゃない。やはり第一線から退いて、時間の余裕ができる頃がふさ
わしい。人が生きるということの意味を考えはじめるには、丁度よい年ごろなのである。
輪廻転生は本当にあるのだろうか。
自分は経験出来ないが、話には聞く。たとえばチベットのダライラマは、前世の記
憶が正確でなければ、その地位につけないという。
或る寺の尊敬する老師はいった。ガンに侵された身だが、生き死には、すべてみ仏
にお任せしてある。それはあたかも蛇が脱皮して、さらに大きく成長するようなも
ので、死を境にして、きっと次は大きく生まれかわると信じていると。
これは信じるところにだけ起きる現象ではなくて、無条件に起こるのだろうか。も
しそうなら、人の生死には関係なく自我というものは存在すると言うことになる。
しかし今の僕には肉体と意識は切り離しては考えられない。つまり肉体の消滅は自
我意識の消滅に他ならない。だとすれば輪廻転生なんて自意識で認識できないでは
ないか。だがヒンズー教では輪廻転生はあるものという前提の下に、あれだけ大勢
の人がバラナシーにやってくるのではないか。
昨年インド・バラナシーに行って、目の前で火葬され、灰になってガンジス川に流
されるのを、しっかり見てきたが、薪もろともに燃やされて消滅していく肉体から
逃れて、魂は解脱、つまり生死を繰り返さないで、常住極楽に安住すると信じて行
われる、此の送葬の儀式は一体どんな意味を持つのだろうか。僕流の解釈では、到
底理解し得ない問題だ。
お釈迦さんには前世話がある。捨身飼虎の絵だってある。これは輪廻転生をしてい
る、お釈迦さんの姿ではないか。物語や想像だけでものを言うなら至って簡単だ。
あるのだろうと断言できる。
だけど科学的思考が染みついた我々は、おいそれとは信じられない。というのは論
証したり、五官で受け止められるようなかたちで、証明がなされないからだ。信じるとか、信じないとかいう世界の出来事だったら、答えはたやすく見つけられるの
だが。
三島の輪廻転生論も詰まるところ、文学上の追求の産物でしかないように思える。
僕はいまワットアルンの足元にいるが、心はこの世から離れ去っている。死後の世
界を味わっているいるわけでは決してないが、チャオプラヤー川を往来する船の強
烈なエンジン音も、人のざわめきも、まるで気にならない。一体何を考えているの
か、何をしようとしているのか、心の中に薄もやがかかっていて、考えることの焦
点が定まらないのだ。
ただ放心したような状態で、ワットアルンの中心になる大塔を眺めているのだ。
燃え盛るように暑い熱帯の太陽の下で、日除けの帽子もかぶらずに、
ぼーっとしている自分がそこにいるだけのことである。
渡し船はワットアルンの足下に着く。キップ売り場をくぐり抜けると、もう境内で
ある。境内には、日本流にいえば、狛犬や拝殿みたいな物があり、それが全て中国
から直輸入したような物でタイの感覚とは合わないのじゃないかと、それなりの違
和感を持った。
というのは、例えば、社殿を守る番兵、これは明代の中国の人物像そのものであ
る。白髪三千丈式のあごひげ、衣装は中国式の着物,帽子までが中折れの中国帽で
ある。そういう造りだから、外観は
勿論中国像である衛兵?がいて、そこに仏塔が五基そびえ立っている。タイと言う
よりは中国のにおいを強く感じた。と同時に
中国文化の影響の大きさを思い知って、その影響から逃れられない、東南アジアの
国々の文化の独自性に、ある種の限界みたいなものを感じた。
猿も人間もそうらしいが、必ずと言って良いほど高いところ、高いところをめざ
し登っていく。こういう本能が生物の進化と関係あるのかないのか、知らないが,
例に漏れず、前回来たときは、一番大きな仏塔に付いた階段の一番上まで登って、
辺りを見渡した。
その時はバンコクが初めての旅で、回りを見てもなにがなにやら さっぱり分からな
い状態で見ていたから、記憶には何も残っていない。
修復の終わった今回は、階段は途中までしか上れないようになっているし、制服・
制帽の監視員がいる。勿論入場料だって20バーツ支払った。
修復はされてきれいにはなったとは思うが、漆喰の白さがやけに眼について、冷た
い感じがした。前回見たこの仏塔の細部迄は覚えていないが、もっと灰色がかって
重みがあったように思う。真新しい漆喰が化粧直しに使われてはいるが、細部迄は
行き届いて、修復されていないので、古い地肌が見えている。化粧直ししたばかり
だから、そのコントラストが 一層気になった。
これが日本だったら、隅々まで丁寧に塗ってしまうから、ぼろは出ないが、その辺がいい加減である。職人もそうだし、監督検査する人達も鷹揚なのであろう。そこ
のところが、この国の国民性、即ちマンペンライという事なのであろうか。僕が神
経質になりすぎているのかも知れないとは思うが、僕の感覚からすると画竜点睛を
欠くと言うことになるのだ。
此の仏塔を最初に造った権力者タークシン将軍(後に王となる)は今は銅像となっ
て川に向かって、つまり東向いてたっている。その足下には、読めないが、多分此
の王の業績をたたえた碑文が細かい字で、びっしりと書かれていた。此の王様の最
盛期の権力はどんなものだったんだろうか。此の国を守るために、この国の民を守
る為に、侵入者に対して防戦にこれ努めたのだろうか、それとも最大の防御とし
て、他国、隣国へ攻め入ったのであろうか。恐らく人類の発展過程は似たようなも
のだろうから、類似のパターンを日本にだって見ることが出来るはずだ。
戦国時代のあのパターンか、それとも徳川時代のあのやり方に似ていたのか。僕は
状況は違うにせよ、日本のそれに比定してみた。
タイには現在プミポン国王がいる。50年ほど前に、以前とは中身が変わった
が、日本にも天皇がいる。こういう形態のほうが、国家としてのまとまりはつけや
すいのだろうか。 いや今はそうかも知れないが、歴史の発展とともに、こういう形
態は無くなっていき、大統領制みたいな形で、国のリーダーが選ばれる時代は必ず
やってくる。
此のワットアルンのような文化遺産は、王と名の付く独裁者が権力を握っている時
代のほうが作りやすいのではないか。
これから1000年先の将来に向かって、大統領が国民の了解を取って、世界遺産
と言われるようなものを作る事が、果たして出来るだろうか。多分出来ないだろ
う。そんな経済的な余裕があれば、弱者救済や、減税に回せ、と言う声が必ずわき
起こるから、選挙を意識して、大統領候補者はこんな約束を国民にするはずはない。
とすればだ。
今後此のアルンのような文化遺産は、もう遺すことが出来ないのだろうか。独裁者
や強力な権力者の出現が難しい現状から推理すると、文化遺産というのは所詮時代
物だけだ、という結論になった。ただ今までみたいに作っては放置するやり方や、
時代から、修復したり、修理したりする、保存型や時代に力は入るだろう。先祖が
遺した文化遺産を、いつまでも大切にして、遺していこうという雰囲気が国際的に
盛り上がっている。遺産はその国や、地域が単独で保存するという時代から、人類
共通の遺産として、人類全体で守っていこうとする時代へ、移りかっわてきいる。
国連、特にユネスコが中心となって、こういう問題に取り組んでいくことになるだろう。
さわやかな一陣の風が通りすぎた。そうしたらどこからともなく、鈴の音が聞こえ
た。それは一度に大勢の人間が風鈴をならしたような可愛くて、優しい音色だっ
た。どうもその音は天から降って来たみたいだった。僕は急いで中央の大塔の階段
を駆け上って鈴のありかを探した。カランカラン、リーンリーンという音は大塔の
回りにある4つの塔の先端部分につり下げられていた。キリスト教会にある、あの
ベルを小さくしたようなベルだった。それが風鈴のように風が吹けば鳴る仕組みに
なっている。塔の大きさに比べて、あまりにも小さいもので、その分可愛らしいと
言う感じがした。優しい音はそのせいかもしれない。僕はその音を聞いていると、
懐かしい母を思いだした。母の背中に背負われて、ゆすってもらった、あの感覚を
思いだした。今にも夢の世界にとけ込もうとするまどろみ、現世と夢の世界との往
復、寝ているかと言えば、起きている、起きているかと言えば寝ている、あのまど
ろみの世界、それを思いだした。帽子もかぶらずにこんなに暑い太陽の下にいて、
なんと優雅な思いに浸っていることだろう。僕は今大塔の階段では、一番高いとこ
ろまで登っている。がその感覚は無かった。じっと目を閉じて、まどろみの世界に溶け込んだ。
風は忘れた頃にやってくる。そのたびに吊された鈴は優しい音で話しかける。それが暗示をさらに高めていく。そのうちに全てが消えた。全てが判らなくなった。
トランス状態に入ったのかも知れない。
僕が旅の意識を取り戻したのは、肩をたたく人の気配を感じたときだった。はっ
として見上げると、警察官がたっている。何か悪いことでも、と思った瞬間我に返
った。よく見ると制服制帽の人は警官ではなくて、ここの監視員だったのだ。彼は
僕が目をさましたのを見届けると、下の方を指さした。多分下におりろと言いたか
ったに違いない。無言だったけれど、彼の言いたいことは、こちらにも直接伝わっ
た。僕は彼ににっこり微笑みを返しながら、立ち上がり階段を下りていった。
クルンテープ、微笑みの天使の都、なるほど、僕は今文字通り 微笑みの天使の都の
感じを味わったような気になった。
季節がどう変わろうと、どんなに暑かろうと、雨であろうと、晴れていようと、チ
ャオプラヤ川を、上り下りする限り、いつもバンコク旅情をあたえてくれ、旅の徒
然を慰めてくれるのは、此のワット・アルンを置いてほかにない。それはいつも母
の優しさと、懐かしさをもって僕に迫ってくる。