気まま日記

私の音楽での生活、その他日常生活などの、思いついたときの気ままな日記です。

「GTO」に見る、鬼塚英吉先生の人間性について

2014-09-11 15:56:03 | Weblog
 現在、関西テレビで毎週火曜日の22時から、「GTO」という人気シリーズの番組が放映されていて、来週で最終回を迎えます。この意味は、Great Teacher Oniduka (偉大なる鬼塚先生)の頭文字を取ったわけです。この番組はいわば「第3シリーズ」になり、初シリーズは反町隆史さんが鬼塚先生の役を演じ、同僚である冬月あずさ先生の役を松島菜々子さんが演じました。第2シリーズでは第1シリーズと半ば似たような物語の展開になり、配役が変わって鬼塚先生の役をAKIRAさん、冬月先生の役を瀧本美織さんが演じました。そして現在の第3シリーズは、鬼塚先生が今までのような担任ではなく副担任となり、担任は藤川ほなみ先生(配役は比嘉愛未さん)となっています。

 この番組が人気の秘訣は、鬼塚先生が元暴走族で補導歴あり、大学受験も替え玉、ケンカが大好きでいざというときには暴れるという、一見ハチャメチャな経歴で、フィクションドラマだからできる設定と思いますが、そんな豪快な性格の中でも「真に生徒のことを考え、行動しているから」と私は感じています。
 例えば今回の第3シリーズでは、生徒への対応が実に的確な面が出てきます。鬼塚先生が副担任をしているクラスへ、高校バスケットボウル部のエースで将来はプロへと期待される生徒がいましたが、大きな怪我をしてしまい、車椅子から抜け切れない体になってしまいました。でその生徒は悲観して自殺まで考えましたが、鬼塚先生はある生徒からの紹介で、その車椅子になった生徒を、車椅子でバスケットボウルをしている団体が試合をしている体育館へ連れて行き、一緒に試合へ入れてもらい希望を持たせます。で、見事に気持ちを立ち直らせました。
 そして、クラスで前の担任の男の先生と一緒に撮った写真が出回っただけで、その先生とのいけない関係を疑われた女子生徒がいました。実際には単に一緒に写っただけなので、やましいところは何もありませんでしたが、まわりの同級生たちが必要以上に疑って冷やかしたので、その前担任は依願退職、そしてその女子生徒はクラスメイトを避け、長期に渡り保健室登校へと追いやられてしまいました。これに対して鬼塚先生は、「俺が絶対に教室へ戻してやる!」と宣言し、その女子生徒が自殺を予告するメールをクラスメイト全員と先生方へ一斉送信しますが、写真つきのメールなのでクラスメイトと協力して写真の背景からその女子生徒の居場所を突き止め、自殺しようとしている現場へ行ってクラスメイトも反省しているということを言わせて自殺を止め、翌日から保健室へではなく教室への登校を復活させます。
 さらには、地元の祭りで鬼塚先生のクラスの生徒が他校の生徒と誤ってぶつかったことにより、「肩の骨が折れた」などと嘘の因縁をつけられてケンカを仕掛けられ、鬼塚先生のクラスのその生徒は手を出さなかったのでやられて、その他校の生徒が警察沙汰になってしまいました。そうしたら、その他校の生徒の親が何と市議会議員で、学校へ乗り込まれて鬼塚先生のクラスのその生徒の退学処分を要求されてしまい、応じなければこの問題を公にして学校の評判を落とすと脅されてしまいます。鬼塚先生がその生徒へ事情を聞いたところ、「自分は手を出していない」と主張したので、鬼塚先生はその生徒が潔白であるという証拠集めに奔走し、最終的には近くの防犯カメラへそのときの様子が一部始終映っていた映像を入手し、理事長や副校長、相手の生徒の市議会議員の保護者などの関係者が話し合っている席上で再生し、見事に無実を証明してクラスの生徒を助けます。
 すなわち、そういった行動が実に生徒本位で適切であって、担任の藤川先生は「私は生徒に向き合う力が不足で、それでなくても普段が多忙すぎて、授業のほかにも何かあると報告書、保護者への対応など、向き合い切れず、鬼塚先生のようにはなれない。どうしたらいいのだろう…。」と悩むシーンまで出てきます。これが、鬼塚先生が愛されている秘訣と私は感じます。

 初シリーズで反町隆史さんが配役の頃の鬼塚先生は、第2シリーズ以降のAKIRAさんの配役の頃よりもハチャメチャな感じでした。担任のクラスへ初めて入ってきたときの挨拶が、いきなり出席簿を机にたたきつけて、「今日から、てめえらの担任になる鬼塚英吉だ。文句あるやついるか?」という、まるでケンカ腰のような挨拶でした(笑)。それに比べてAKIRAさんの鬼塚先生役は、性格がもう少し丸くなった印象でした。何にしても大変おもしろい学園ドラマで、来週の最終回を期待したいです。

Facebook の便利さ

2014-09-05 20:41:53 | Weblog
 今、Facebook が気軽に気持ちを伝えられる手段として、大流行しています。

 私は、少し前から何かのお誘いで Facebook へ形だけ登録はしていましたが、基本はホームページが中心なので、しばらくは投稿しなく、本当に単に登録してあるだけて形だけでした。
 ところが、今年の最近になって以前の音楽仲間からの友達リクエストが多くなり、それも懐かしい人たちばかりです。そこで、リクエストがあった友達は承認を続け、私も投稿をしてみました。
 すると、私の投稿を見ていただいた音楽仲間などが、見た証拠として「いいね!」をつけてくれたり、他の人の投稿の下へ書き込むとお返事が来たりしています。そういったことがあると、Facebook の真の便利さに気づいてきて、そのときそのときに感じたことを、ここまで友達同士で共有して交換できるものなのか、と感心させられます。

 以前は、私は Gaix という会社の簡便ホームページ作成サイトでホームページを立ち上げていて、そこは「足跡機能」があり、同じ Gaiax 同士のホームページ作成者間で訪問し合うと、その足跡をクリックして他の人のホームページへ自動的に行けて、BBS(書き込み欄)へ書き込みがあると自動的にメールで知らせてくれました。
 なので当時は、私はパソコンで外部の方々とコミュニケーションをする手段はホームページのBBSでした。ところが、そのGaiax は企業からの広告収入によって、ページの上部中央へ広告を出すことによって成り立っていたので、平成19年でスポンサーが下りてしまい、使えなくなってしまいました。今の Yahoo ! geocities のホームページでもBBSは無料レンタルページがありますが、足跡機能がないので書き込みがめったに来なくなり、寂しくなりました。
 そこで、Facebook は私にとりまして、Gaiax の頃のBBSに代わる日常的な大変良いコミュニケーションの手段と思っています。これからも交流を続けたいと思います。

就職が困難な人が、生活保護を受給する基準について

2014-09-04 01:14:51 | Weblog
 先日、日本国民として憲法で保障されている「生活保護」の制度について、大変興味深いニュースがありました。

 それは、大阪府(でしたか)の住民で、面接を何社受けても一向に採用されなくて生活が極限まで困窮してしまい、直前に面接した会社では何と履歴書の用紙代まで節約するために、他社の面接を受けて不採用となって戻ってきた履歴書用紙をそのまま引用した人がいたそうでした。

 で、その人は住んでいる市町村の地方自治体へ生活保護を申請しましたが、結果は却下されてしまいました。申請を受けた側の根拠としては、それは生活保護の受給として本来の目的を逸脱し、本来は身体的に不自由さなどがあって就業が困難な場合に支給されるが、そのケースでは単に企業面接を何社も断られているだけにすぎないと判断されたためでした。

 これに対して、その人は在住地の市町村の地方自治体が下した、生活保護への不該当処分を取り消す民事裁判を起こしました。結果はその男性(原告)側が勝訴し、生活保護を支給する判決が下されました。

 この判決への感じ方は人それぞれですが、私は9:1の割合でこの判決を支持します。理由は、そこまで何社も面接しても一向に良い返事が得られなく、不採用続きでは人間として得られるはずの「収入の場」を失っているとほぼ同じ状態で、ではその人は仮に生活保護が受給されなければ、憲法に定める日本国民としての最低限で文化的な生活を送る権利、それどころか人間として生き続ける権利さえも失われてしまい、最悪は止むを得ず飢え死にしてしまうことにもなりかねません。不採用続きは当然ながら程度にもよりますが、その人は本当に何社も何社も面接しても採用の良い返事が1社からですら得られず、日々の生活に困窮して本当にギリギリで生きている状態であったそうです。なので、ここまで真に困っているのであれば、身体などの障がいがなくても生活保護費を支給すべきであって、それが人の道というものです。

 では仮に、裁判官が反対の判決を出し、それでも生活保護費の支給は「認めない」と言った場合は、どうなるでしょう? その人は、一体何のために生まれたのか? 人間は仕事をして生きるのに、その場でさえ与えられないのか? 面接で採用されない人間は体は大丈夫でも社会的に生きられないのか? という、多くの理不尽な疑問が突きつけられてしまいます。

 この判決は、全国の生活保護受給を希望者の方々へ福音になると思い、生きる希望と勇気を与えてくれると思います。最近の裁判所の判決の傾向は、もちろん判決は原告と被告の双方の言い分を出し合い、反論があれば言い合って、議論を尽くした上で公正公明に判断されますが、その中でも「弱者を保護する」ような良い傾向があると私は思います。例えば、予備校へ入学後中途退学での既に支払った授業料は返金しない規定は違法で、予備校側へ返却の支払いを命じた判決や、関西電力の原発再開を判決で止めたことや、元幕内で相撲協会が一方的に無気力相撲と判断されて解雇された力士が、相撲界への復帰を求める訴訟で勝訴してまた十両入りした判決などが、そうです。これらは、原告は弱者で被告は団体としての強者です。なので、強きを砕き弱きを助ける精神に乗っ取れば、いい判断であると思います。

 この判決を機に、人間は最後まで希望を捨てないで、寿命が来て自然死するまでは、是非とも生き抜いていきましょう!

旧・国鉄がJRに民営化されてからの、悪い対応について

2014-09-03 21:22:13 | Weblog
 今のJR(各地の鉄道旅客会社)は、昭和の時代に分割して民営化されるまでは、旧・「国鉄」(正式名称は、日本国有鉄道)の名称で一般へ広がっていました。

 国鉄は以前、中曽根康弘・元総理大臣の時代に分割して民営化されました。この大きな理由は、鉄道が「国で管理される」と民間の競争社会に比べて、お国の団体職員としての地位に甘えてしまい、民間企業に特有の「他と競合する精神」が失われ、経営をお客様本意にして頑張ろうとしません。
 その何よりも大きな証として、旧・国鉄の時代には運賃が値上げばかりされていて、これは特に首都圏で通勤や通学に電車を利用する人たちへの影響が大きく、値上げされるとその分が家計を圧迫してしまいます。

 それが、中曽根元首相の時代に旧・国鉄が今のJRへ分割・民営化されたときは、当時の中曽根首相は歴代で大変良いほうの国の代表者であると、国民から高い評価を得ました。なぜならば、あのたるんでいた当時の赤字国鉄を分割して民営化することによって、民間会社としての競争心が芽生えたので、今度は民間会社なので値上げを企業努力によって極力抑え、事実、私がたまに上京するときに利用する上越新幹線の料金は、分割民営化の当時から現在に至るまで、消費増税の時期を除いてほとんど値上げされませんでした。
 反面で、旧・国鉄が分割民営化された時期には、旧・国鉄職員から全国で約100人もの自殺者が出てしまいました。これはなぜかというと、分割民営化によって今までは国の管理下から今度は民間会社へ移行したので、その影響で経営が合理化され、旧・国鉄時代に盛んに言われていた「合理化人減らしに絶対反対!」というスローガンの価値が消失し、リストラされて旧・国鉄からの職場を失ってしまい、自分自身が高齢なので再就職が困難な年代の旧・国鉄職員が、この先の生き方を見失って次の職場が見つからないことへあまりに悲観し、止むを得ず自殺したのでした。(しかしながら、私は旧・国鉄職員の当事者ではないので、真の気持ちはよく分からず傍観者的な見方ですが、この生き方は弱いと私は思い、本当に自殺するのはもっと再就職活動を進めてから、いくら探しても本当に次の職場が見つからず、かといって生活保護の申請を出しても体が悪くて働けないのではないので認められず、あらゆる手段を尽くしても本当に生きる手段が全くなくなった段階で自殺を考えても、遅くはないと思いますけどね。)

 これが前提で、ここからがタイトルについての本題ですが、旧・国鉄が分割・民営化されてJRになってからも、実は旧・国鉄時代の悪いたるんだ経営体質が改善されていないのではないかというワンシーンを私は経験しました。
 それは、私がだいぶ前の年に、東京都で行われた全日本リコーダーコンテストへ出場のために、新潟県から上越新幹線で上京し、そのついでに東京都の市部(23区内ではない)へ在住の私のいとこ(リコーダーが好きで私と気が合う女性)と会うので、とある駅の出口(改札口)で待ち合わせをしたときに起きた出来事でした。
 私は、新潟県から上京したときの終着地の切符として、新幹線の特急券は「上野駅」まで買いましたが、乗車券は当初予定した宿泊先のホテルがある「東京山手線内」までの切符を買っていて、いとこと会う駅は「東京都区内」でしたので急な予定変更になりました。そのため、そのいとこと会うために降りる駅の精算所で精算した上で、改札を出るつもりでした。
 そうしたところ、私の切符は新潟県内の駅からの長距離切符で、東京都内の近距離切符(自動販売機で売られる小さな切符)ではなかったので、その駅の改札口前の「自動精算機」の機械が使えないタイプでした。なので、改札口を出る位置の駅員さんから精算してもらい、山手線内と都区内の差額を支払わなければ、私は改札から外に出られない状態でした。
 ところが、その精算所の駅員さんが当時は1人しか配置されていなく、その人が他の用件で長電話していて電話がなかなか終わらず、私はかなり待たされてしまいました。なので、もうその駅の出口の改札を降りた場所へ、いとこが待っていたのですが、せっかく久しぶりに顔が合っても、いとこがいるところへなかなか行けませんでした。いとこは、改札を出た場所で「お兄ちゃぁ~ん(いとこは私をいつも「お兄ちゃん」と呼びます)、久しぶり!」と手を振って出迎えてくれましたが、出口を出て一緒にいとこの家へ行くまでに、少し時間がかかってしまいました。

 これは、むしろ分割民営化によるデメリットかもしれず、旧・国鉄時代には経営はたるんていた分、人員の採用は競争社会で必要最低限の人数を厳選して採用する民間会社より、むしろ「ゆとり」があったようでした。そのために、旧・国鉄は国民の税金で過剰な人員を雇用しているとの批判もありましたが、逆にそういった前述のケースでは、人がいる分対応が早かったと予測されます。

 まとめると、旧・国鉄の時代は、国民の税金を悪用して人が多くいた分、見返りとしては対応が早く、それが今の形でJR各社線へ分割民営化されてからは、分割による民間会社特有の合理化経営によって、運賃は値上げ幅が抑えられて据え置きが続いていますが、逆に人は少なくなってサービスが悪化している面も、場合によってはこのようにあります。
 どちらも一長一短ですが、しかしながら、やはり世論では分割民営化のほうが圧倒的に良く、運賃据え置きや民間会社の経営自由化によるサービス内容の拡大など、いいことのほうがたくさんあります。
 つまりは、世の中から「競争」が失われたらおしまいで、なので旧・ソビエト連邦は社会主義国家としての競争がなく、生産性が上がらなかったので崩壊し、昔の国名のロシアに戻ったのでした。今の郵便も民営化されましたが、そのメリットを活かし、郵便局をあまり統合しないでサービス内容の拡大に努めてほしいものです。しかしながら、その成果はあり、今は宅配便と競争して、従来の国有時代には絶対にしなかった「小包を自宅まで取りに来る」サービスなどが、今は宅配便だけではなく、郵便局のゆうパックでもされていますけどね。