kazzdokkのひとりごと

酒呑みの翁の日常の出来事

水鳥の祭

2010年10月17日 | Weblog

川崎に「水鳥(すいちょう)の祭」という変わったお祭がある。
水=シ(三水)、鳥=酉、すなわち水鳥=酒であり、「水鳥の祭」=「酒の祭」ということになる。

時は慶安2年(1648年)、川崎大師河原の名主「池上太郎右衛門幸広」とその一族14名が、江戸の儒学者「茨木春朔」とその仲間16名と壮絶な酒呑み合戦を繰り広げ、その様子が記された「水鳥記」を再現しようというのが、この「水鳥の祭」なのだ。

京浜急行大師駅のひとつ先にある東門前駅で下車すると駅前にテントが張られ、その中に怪しげな風貌をした一団がいる。ここが江戸方の本拠地であり、酒を一杯引っ掛け気勢を上げ酒呑み合戦の会場へと向かうようだ。

着物を着て出かけたので、どうやら参加者に間違えられ、呑めや、喰えやと酒と料理を勧められる。祭の見学者であると伝えると、「見学者の助っ人もあるからそれに出てくれ」と、急遽祭りに参加することになってしまった。



一行は酒樽と大将を大八車に乗せ、途中、洋服屋、コンビニ、蕎麦屋、お茶屋等に立ち寄り、店主に酒を振舞いながら川崎大師までの商店街を練歩く。
酒を注がれた方は、それを一気に呑み干し祭を盛り上げる。





川崎大師の門前のちょっとしたスペースに酒呑み合戦の会場が準備されており、この舞台の上で朱塗りの大盃に注がれた酒を一気呑みするようだ。



大師境内で、実行委員長の挨拶や巫女の舞い等があり、いよいよ酒呑み合戦の始まり始まり。
まずは、川崎方、江戸方が紅白に分かれ、双方の口上が繰り広げられる。我こそが酒を水のごとく呑むだとか、寝酒は毎晩一斗呑むだとか、そんな感じの狂言ぽい芝居が行なわれる。



場所を門前に移し、それぞれ5名ずつ舞台に上がり、またまた口上を述べた後、大盃の酒を呑み干していく。下の写真の赤褌姿の方はこのお祭の有名人であり歌舞伎役者のような振る舞いをしていた。



さて、今度は一般参加者川崎方3名、江戸方4名が舞台に上がる。下の写真は川崎方の3番手であり、この後、江戸方4番手であるおやじが一般参加者のトリとして酒を呑む。
酒を注がれ「一言どうぞ」と言われたので、「川崎方のへなちょこどもよく聞けい。もし、お主らが酔いつぶれたら、ワシのこの肩を貸してやるわい。」と大見得を切ってしまった。
大盃に注がれた酒量は2合程度なのだが、コップと違って呑みにくい。
大見得を切った手前、途中で息継ぎをするのはみっともないので、これを一気に呑み干す。ふ~。



この場所での合戦は引き分け。次の舞台である大師駅前まで行列をなして進んでいく。
おやじは行列から離れ、最終決戦の場である若宮八幡へと向かい、御志100円で振る舞い酒をコップ1杯ご馳走になり、大師駅前の会場へと向かう。



キャロルのファンキー・モンキー・ベイビーの曲に合わせた和太鼓の響きと共に双方の大将が現れ、再び酒呑み合戦が行なわれる。
人が呑んでいるのを見ていると自分も呑みたくなる。これ酒呑みの習性。



祭の途中ではあるが川崎駅前まで戻り、大衆酒場「丸大ホール」の暖簾を潜る。
ここはとにかく安いし、お店のおばちゃんが気さくなのだ。
日本酒2合徳利400円、葱ぬた300円、塩辛300円を注文して、おばちゃんと雑談しながら、ちびりちびりとやる。





丸大ホールで2合徳利を2本空にして愛想し、自宅に戻るため南武線に乗って川崎から3駅目の鹿島田駅へ向かうも、ついつい居眠りをして気がつきゃ稲城長沼、15駅ほど先まで来てしまった。(悲)

水鳥の祭は最後まで観戦しなかったので、川崎方と江戸方のどちらが勝ったのか定かではないが、おやじと酒の勝負は常におやじが大敗しているのは明白である。


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