三田和実-陶房KAZUMITACO.

やきものと雑談

映画 ”善き人のためのソナタ”

2009年08月18日 | 映画

もう2年以上も前の映画だが、07年度のアカデミー外国映画賞をはじめ世界の数々の賞を取った”善き人のためのソナタ”を観た。
ここ数年の間ではお気に入りの映画のひとつで今回で3回目。

http://www.albatros-film.com/movie/yokihito/

舞台は東ベルリン、壁が崩壊する約4年前の1984年頃の東ドイツを描いた映画で、極度の統制下の中で生きる芸術家(劇作家)とそれを監視、盗聴する冷徹な国家保安省(シュタージ)の役人が盗聴して行く間に芸術家の感性に共鳴し、自らの身もかえりみず陰ながら芸術家を支援して行く立場に変貌してゆく物語だ。

私の”作品集5”のコメントでも軽く触れたが、88年11月、私はチェコから東ベルリン行きの夜行列車に乗った。
列車のコンパートメントではおそらく東ドイツでは余りに珍しいアジア人(私)をみても途中から同席して来た人たちはまるで無視。何か私がいるだけで厄介な存在という雰囲気だった。

早朝(am6:00頃)東ベルリンに着いた。
まだ陽も上らず、凍てついた空気だったが、駅構内も外も、異様なくらい人が多かった。
私は、元々東ヨーロッパは旅の予定に無かったため、何一つガイドブックも資料も地図さえ持っていない、観光案内所も見あたらなかったため、どこに行って良いやら途方に暮れるばかり、人は多いのだが、列車の中同様、声をかける雰囲気ではない、私をいないもののように皆、足早に通り過ぎて行くばかり。
すると後ろから地味な女性がすっとやって来て、あの塔の方へ行って観なさいと指を指し、逃げる様に足早に去って行ってしまった。
多分途方に暮れている私を見て、声をかけずに入られなかったのだろう。
しかし、なんでまるで逃げる様に去ってしまうのか?
この時には私も感ずいていた。たぶんこの国では目だってはいけないのだ。
つまり密告者や秘密警察(それこそシュタージ)のような存在がにらみを効かせている世界なのだ。

ひとまず私はゆっくりと朝食をすませ、女性に言われた塔に上り街を見渡し、街を歩く事にした。百貨店に着くと、人並みはさらに多い。
しかし他の東欧諸国同様、売る品物が極めて少なく(ほとんど無いに等しい)、その限られた商品に行列を作っている状態。缶詰め一つ買うのに行列を作っている様な異様な光景だった。

特に観光名所がある様に見えなかったので、地下鉄に乗って東ベルリン見学をする事にした。
ビザを取らずに入った私が東ドイツに居られるのはトランジットのその日1日だけ。貴重な東ドイツでの1日、何でも見たかった。

地下鉄と言ってもすぐに地上に上がり、風景も眺められるので行ける所まで行く事にした。人々は相変わらず私を見る事をさけている様だった。
小1時間も乗っていたろうか、気がつけば周りは完全な農村風景。
このような国に外国人がこんな所まで着てしまっていいのだろうか。
少々不安にもなったし、これ以上行っても何も無いだろうと引き返した。

その後も夕方まで街をブラブラと歩き、西ベルリンに入った。
結局接触があったのは早朝の女性と朝、昼に食べたフランクフルト屋のみ、
人は多かったが、何も無かった。
しかし、その印象は統制社会の抑圧感。私が行った社会主義国は多くないが、前のチェコとハンガリー、最初の中国。
その頃の社会主義国というのは一様に抑圧感が強く、自由がない。
ある意味中国はその抑圧を各個人収まりきれないエネルギーを吐き出していた様に感じたが、東欧では押さえつけられ、萎縮してしまった重さを感じた。
中でも東ドイツはダントツ、萎縮し、希望も夢も失ってしまったかの様な暗さを感じた。
出発前にジョージオーウエルの原作を映画化した”1984”という暗い映画を見たが、そこに描かれた超管理社会が個人の自由を奪い、希望を失った社会体制は最もこの東ドイツが近いように感じた。

西ベルリンに入るとそこは別世界、自由主義経済、私たちが思い描くヨーロッパがあった。

当時、一般的な旅行者は西ドイツから列車で直接西ベルリンに入り、観光ビザを取得し東ドイツに入るというのが一般的だった。
しかしその行き方だと何の疑いも無く西から西へと通過し、東を見るという形だったが、東から来るとある意味異常なのは東の中にありながら壁に囲まれ、西を維持しつずけていた西ベルリンである事に気ずく事になる。
いわゆる東西冷戦の象徴的な場所だった。

私の行った約1年後ポーランド、ハンガリー辺りから徐々に社会主義体制が崩壊、東ドイツも崩壊し、壁は壊された。
今では映画にある様に悪戦苦闘し西と接触しようとしたり,密入国しようとしていたのが嘘の様だ。

たった1日の東ドイツだったが、その印象は強く、この映画を見ながら、当時の事を思い出した。

*公式な発表で当時の国家保安省局員は9万1千人、また一般人の中に17万人の 密告登録者がいた。一般人の8人に一人の割合という話もある。
ちなみにこの映画で主役を演じた、ヴィースラー役のウルリッヒ.ミューエという東ドイツの俳優は十数年に渡り、秘密裏に密告者であった奥さんに監視を受けていたそうだ。