大事な試練

2021-12-18 14:02:19 | 日記
今日はカウンセリングの日です。



ところが、オトは急に自室にこもりベッドの中。



『寒すぎて体調が悪いのかもしれない…』


そっと部屋の扉をあけて
暖房をいれました。

すると
「(暖房)消しといて!」




「寒いかなって思ってんけど、じゃあ消すわ。」





「…なんかイライラしてしまう自分がいて、寝不足やからかもって思って横になってるねん。」


布団を被ったまま。

顔が見えない状態でそう伝えてくれたオト。




私は、そっと扉を閉めました。


それから夫とインスタントの味噌ラーメンを食べ、刻一刻と迫るカウンセリングの時間を気にしながら
できるだけ
普通に
普通に…
今を過ごしています。

カウンセリングはもしかしたら
行けないだろうなと思いながら


それでも

オトが
自分で自分の不調に対処しようとしている姿に成長を感じました。


決して明るい気持ちでは無いですが、

少し気持ちを緩く持ちたいと思っています。





今!

今が大事。

私が一喜一憂しない事。

オトの気持ちや考えを大切にしてあげること。

必要以上に過保護に関わらないこと。

自分の気持ちでオトを振り回さないこと。









ゆっくりと

2021-12-12 22:48:47 | 日記
今日は朝から部屋にこもりきりで
私が昼間外出して夕方帰ってきてからもほぼ自室。

晩御飯を用意し声をかけるも
その後1時間ほど部屋から出てきませんでした。


私は『自分は自分だ』と力を抜いて
普通に過ごすことを心掛けました。



オトの晩御飯にはラップをかけて…



いつもならオトがダイニングテーブルにつくと、私も家政婦のようにお汁を温めたり、おかずを電子レンジにかけたりと世話をやくんですが、

あまりにも遅く席に着いたので

敢えて
離れて

私は自分の寝室にてリラックスして過ごすことにしました。

しばらくして
リビングに行くと、

キッチンに食べた後の食器が重ねて置かれていて

オトはリビングテーブルの上にスケッチブックを広げ
久々に絵を描いていました。


嬉しくて、私はオトの向かいに座り、
邪魔をしないようにブログを書いています。


オトは

少しずつやってみようと思ったことを

自分の思い立ったタイミングで
やりはじめているかもしれません。




先日も
「ママ、卵ある?

「あるよ」

「牛乳ある?」

「あるよ」

そんな会話の後にプリンを作ってくれました。




「オト〜。リンゴ貰ったよ〜。」と夫が実家から林檎を貰って帰ると、

「ん〜。焼きリンゴいる?」とオト。

「いるいる!」

「真ん中に砂糖とバターとカスタードクリームやつがあるんやけど。」


「カスタードクリーム作ってくれたら他材料あるよ。」


と言って
焼きリンゴ



「まだカスタードクリームとりんご残ってるから、ママ明日パイシート買ってくるからアップルパイ作らない?」
と提案すると

アップルパイを作ってくれて




「ママ、海老蒸し餃子って食べたことある?」なんて聞いてきて

「ないわ〜」って話をしたら

「ママ、コンスターチと片栗粉ある?」と聞かれ

「片栗粉あるよ!
コンスターチ買ってくるわ!」


そうして
海老蒸し餃子を作りました。



手を切ったり
火傷をしたりしながら

「ママー ごめん!手伝ってくれる?」
って言って私に頼れるようになって



あぁ、
本当に少しずつだけれど

私とオトの関係はゆっくりと修復していたんだって思いました。

回復イコール学校ではないけれど

1番の願いはオトが笑って毎日を過ごせること。

オトが自分の人生を歩むこと。



めーちゃんが、母に抱っこされている写真です。

朝日が虹色に差し込んで
暖かそうに
幸せそうに

安心した顔でウトウトするめーちゃん。

ちいさな赤ちゃんのように可愛い姿に
小さかった大切なオトの姿がかぶります。

今もママは、オトを昔のようにずっと大切に思っているんだよ。


少し前を向けそうです。

2021-12-07 23:17:05 | 日記
夜中の0時 なかなか寝ないオトとまた話をしました。

「ママさぁ、ふと思ったんやけど…

オトが学校行けなくなった事で、

オトを苦しめてしまうママじゃなくなったことがよかったぁって思ってるねん。」





オトが学校に行っていた頃

ずっと私は、私が嫌いになるくらいオトに叱ってばかりでした。

『なんで、宿題してなかったん?
ゲームなんてやめなさい!』

『ゲームやりすぎ。1時間やったら終わりやって言ったやろ。


『もう、携帯は解約する。』


『何考えてるの!いつもいつもやらなあかんこと先にしなあかんって言ってるでしょ!』


言わないように
言わないようにと

自分を律してはまた我慢の限界を迎え
『勉強は大事。』をわかってもらえるために叱ってしまい…。

叱りすぎたことに自己嫌悪を繰り返していました。

今思うと、あれは私の思い描いたような人生を送りなさいと
自分の子どもをコントロールするために
叱っていたのかもしれません。



不登校になって半年くらいに…
『私はママの操り人形じゃない!』と
オトに言われた言葉が今やっと腑に落ちてきます。

☆。.:*・゜

「今やからいうけど、私 あの時 本当にしんどくなったりお腹痛くなったりしててんけどな、『あ、これで学校いかなくて済む』って、ホッとしててん。

まぁ…学歴を失うことになってしまったんやけどな…。」


「学歴はまだまだ取り戻せるよ。

通信制高校行こうかなって今は考えてるんやろ?

自分で決めて進もうとしているやん。

それでいいよ。


もうなぁ、通信制高校はママの経験上にないものやからアドバイスしようがないしね。
だからこそオトが思うように進んでいくことを心から応援できるんやと思うわ。


もしもあの時無理やり中学生活を続けられていたら、私はきっと『勉強しなさい』って言い続けてたと思うわ。

全日の高校行って 大学行って 仕事は普通の一般企業にしときなさいって言ってたと思う。



でも、今は全く違う思いでいてるよ。

オトの
好きなことを見つけてほしいって思ってるし、

立派なことをしなくても
自分で働いて、生活できるようになりさえすればいいって思っているからね。」



夜中の1時頃まで
オトとそんな話をしました。





通信制高校の話はまだまだ何も進展していません。

パンフレットさえも見ていない状態です。

オトが時間をかけて向き合っていくのを
見守ろうと思います。



大丈夫。きっと見守れる。


私は、嫌いだった私を認めれたんだから。









オトと話す

2021-12-01 22:37:20 | 日記
晩御飯を食べていて普通に他愛も無い会話をしていたはずなのに…

急にいじめの話になりました。


「ママ、ママはどう思う?
学校や職場でいじめをされている人が居て、もしもママがそこに居合わせていたとしたらどうしてる?」

「それは、ママも学校に通っている子どもという仮定かな?」

「うん。学校なら子ども。職場なら大人としての仮定。」



私は、もしも私が子どもだったとして…を考えました。

実際私は、小学校の頃は怖いもの知らずで、正義感でいっぱいの子どもでした。
いじめられている子がいれば、助けたりしたこともあったように思います。

ただ、

今の子どもたちのいじめは、30年前のいじめと違うということを考えると、次のタイムスリップは高校生位になりました。

その頃になると、私は慣れない高校生活、新しい友達とは本当の友達ではない感じ、違和感でいっぱいの頃でした。

表面上は仲良くグループにはなっているけれども、誰として安心して私の友達だと思えていませんでした。

「はい、2人組になってください」と、ひとたび先生が言えば、『誰が私を選んでくれるだろうか。選んでくれなかった時の保険に誰を選んでおこうか。』そんなことばかり考えていました。
そんな不安定な中でいじめられている子の力にはきっとなれない、自分がターゲットになったら大変という気持ちでいっぱいだったと思います。

「例えばさ、その子のありもしない噂を誰かが流すやん。それ信じる?」


信じてしまっていたかもしれません。
噂を話してくれる行為が、『特別感』を与えてくれた時、例えば「ここだけの話…」とか「内緒なんだけど…」とか、『私に話てくれる秘密』のようで同調していたかもしれません。




「この場合、1番の加害者ってママは誰だと思う?」




ずっと、試されている私。
大人の私なら、誰が1番良くないか分かる。

でも高校生の
あの時の私ならきっと…

「ママが子どもだとして、その時1番悪いのは噂を流した子だと思う。
誰かと誰かをもめさせようとして、噂を流す。それがよくないと思ってたと思う。




少し考え込んでからオトは

「私はママと違う考え。
噂に同調した人が1番の加害者やと思う。」




オトの
人が怖い・学校が怖いと言った1番の原因は
ありもしない噂に勝手に同調して自分を無視していく周りの同級生達だったという事を教えてくれました。


誰も信用出来ない。
誰にも頼れない、ひとりぼっちのトラウマ。

「どれだけ辛い思いをしてきたの オト…」
思わず声に出してしまいました。


「そんなに辛いことを今は話せるようになったんだね。
言ってくれてありがとう。

そう伝えると、
「ほんまやな」
と、目をクリっとさせて少し笑ってくれました。


それから、誰にいじめられていたかをまた話してくれて…

同じマンションの子

「あの子 ちょっと変わった。目付きが冷たくなった気がする。」
とオトが言いました。
「最近見かけたの?」と聞くと
「うん。でもさ、あの子の取り巻きは結局噂好きで、新たな噂を入手する為に集まってお互いを利用してるだけ。」
と、分析するオト。

今まで話に上がらなかった子の話もしてくれました。

「〇〇ちゃん。
色んな子の取り巻きになってさ、あっちに付いたりこっちに付いたりで、結局は私のことも誰かに同調していじめてきたわ。

ああいう女子は 悪口で仲間意識をつくることで仲良くなってるねん。
人と仲良くなるきっかけは、誰かの悪口やねんな。
そういうの男子の方がよく見てる。
男子には嫌われるタイプやわ。」

その〇〇ちゃん、私もその子が小さな時からよく知っている子でした。

いつもブランドの服を着せてもらい髪型も凝っていました。
でも、〇〇ちゃんはいつも寂しそうで、寂しさを紛らわすように人のおもちゃを取ったりしていました。


「〇〇ちゃんのママ、子どもを自分のアクセサリーのように扱ってたんかな。
可愛い服を着せて、自分の思うように操作して。」

ドキッとしました。




「…ん、ママのことかな?ママもそんな所あったかもしれない。

ママはさ、オトが小さな頃、幼稚園のお仕事をしてて

集団生活で集団で行動することをさせてたから…

家でもオトを個人の親としてじゃなく、
集団を動かす先生のような関わり方をしてしまっててん。

そうやってオトを操っていたかもしれない。

ごめんね。」


そう伝えました。


私は、先生としてのスキルをオトに使っていたんです。
だから、誰かと競走したり
誰かを褒めて比較したり
そうやってすることは教育現場には溢れていましたから。

「だから、私は優等生みたいにしないといけないってなってしまったんやね。」
と、オトが言いました。



最近思うんです。

オトは本当に辛かったんだと。

わかっていたつもりが、どこかわかっていなくて、

親としてできることは何だろうって必死に考えていた不登校初期。
その時は、オトの気持ちを考えることよりも親としての自分のことを考えてしまっていたのかもしれません。

今はオトの気持ちを考えて、想像すると胸が苦しくなります。

かといって、オトを苦しめてきたような人達はこれからもずっと現れ続けるでしょう。

どうしたらいいのか。


動けない気持ちもわかるような気がします。


今、家でゆっくり過ごすことは
やはりオトにとって必要な選択だったんだな。